志門塾の子どもたちが書いてくれる体験記は長いものが多いですが、長さを感じさせません。
志門塾の受験体験記は変わっていると言われます。何の制限もなく子どもたちに自由に書いてもらっているためか長文になる場合が多いです。私たち講師が嬉しくなるのは行間に子どもたちの人間的成長が垣間見える時です。学力だけ優れている人間ではいけないと伝え続けてきたことが届いたと思えるからでしょう。志門塾の受験体験記は、そのまま私たち講師にとって自分への戒めや励みです。
志門塾の子どもたちが書いてくれる体験記は長いものが多いですが、長さを感じさせません。
志門塾の受験体験記は変わっていると言われます。何の制限もなく子どもたちに自由に書いてもらっているためか長文になる場合が多いです。私たち講師が嬉しくなるのは行間に子どもたちの人間的成長が垣間見える時です。学力だけ優れている人間ではいけないと伝え続けてきたことが届いたと思えるからでしょう。志門塾の受験体験記は、そのまま私たち講師にとって自分への戒めや励みです。
岐阜高校 合格
中川 怜奈
トップレベル選抜・岐阜
加納中学校
私は高校受験を通して勉強の楽しさを初めて感じることができた。今までも勉強は嫌いではなかったが、ただテストで良い点を取るためだけに勉強していたような気がする。だから、テストをむかえるのが怖くてとても嫌だった。しかし、高校受験の勉強は違った。特に、私立高校の勉強では、今まで出合ったことのないようなおもしろい問題や難しい問題に触れることができ、新鮮な気持ちになった。先生は以前から「数学は暗記科目だ」とおっしゃっていた。それを初めて聞いたときはそんな訳がないと思った。だが私立高校の勉強でいろんな問題に取り組むうちにその言葉が事実であることが分かった。また、その言葉を意識し、新出語句を覚えるときのように授業でといた問題の解法を何度も見直すようにしたら解ける問題が増え、達成感を味わうことができ、もっと問題を解きたいと思うようになった。さらに英語では、初めは毎日長文を読むことが苦痛だったが、続けていくうちに読むことに慣れ、今日はどんな文章なのかとワクワクしながら取り組むことができた。
このような楽しさを感じることができたのは、苦しくて諦めたくなっても努力を続けたからだと思う。苦しさを乗り越えると、その楽しさに気づき、さらにそれを究めようと頑張ることができるのだと思う。母も、「仕事は大変。だけど、好きだから続けられる。」と言っていた。「本当に好きだと思えるようになるためには、ある程度の努力が必要だ。」とも。やはり、もがいてもがいてつかみとった好きなことだからこそやり続けることができるのだろう。
私はまだ将来やりたいことが見つかっていない。しかし、自分が好きだ、楽しいと思えることをやりたい。そのために、勉強に一生懸命取り組み、いろんな人の話を聞いて、好きなことをつかみとりたい。
岐阜高校 合格
粥川 愛望
RESPECT長良
青山中学校
私は、ずっと自分が嫌いだった。他人からの評価ばかり気にしていた。期待を裏切っていないかな。今、嫌われていないかな。そんなことばかり気にしている自分に腹が立ったこともある。そんな自分を変えたかった。
私は、小学6年生の春に入塾し、そのときから岐阜高校に行きたいと思っていた。だが、人には絶対に言えなかった。叶うかどうかも分からない夢。自分に実現できる自信もなかった。もしも私が岐阜高校に行きたいなんて言ったら、馬鹿にされる。鼻で笑われる。そんなことされるはずがないのに否定されるのが怖かった。自信がなかったのは、岐阜高校に行きたい理由が県で1番で、同じ塾の子で目指している子が多いから。それだけの理由で、薄かったからなのかもしれない。また、心のどこかで、受かったらすごいと思われると評価を気にしていただけの自分がいたからなのかもしれなかった。
中学生になり、多くの仲間が授業がない日や休日も塾に来て自習をしていた。負けず嫌いな私は、負けじと毎日ではないが、できるだけ塾に来て勉強をすることができた。
そして、いよいよ中学3年生となった。「受験は団体戦」私は、この言葉を受験を終えるまでに本当にたくさん耳にしてきたが、意味を理解し、実感するまでに1年かかった。
夏休みになり、最初に高校見学があった。そこで、私は岐阜高校に行きたいという気持ちが強くなると共に、この高校で3年間頑張って、大学入試や将来の夢にも繋げたいという深い理由もできた。そして迎えたお盆特講。幸せなことに事前のテストをクリアできた私には、大量の事前課題があった。だが、私は絶対にトライアルで表彰されて名前を呼ばれたいという強い思いから必死にテキストを何回もやって、下準備を積んでいた。それによって、より特講を楽しんだり、濃いものにしたりできたと思う。また、表彰もしてもらえてすごく嬉しかった。
夏が終わると、受験まではすごく早く感じた。第4回岐阜模試と第5回岐阜模試は点数や偏差値が伸びず、学校の実力テストも大きく点が下がってしまい、ずっと目指していた岐阜高校には届きそうになかった。だから、志望校を下げるか迷ったが、先生や仲間が支えてくれた。「一緒に頑張ろうよ」と言ってくれた子もいて、私は、もう少し頑張ろうと思えた。
正月特訓が終わると、ますます1日1日を早く感じるようになったが、受験の日がせまって来ているとは全く感じなかった。私立高校の受験を終え、2月。私は、岐阜高校に願書を出すことに決めた。合格と分かるまで、その選択が間違いだったかもしれないと思ったことはあったが、後悔はなかった。それから毎日塾に通い、補習授業を受け、帰る。そういう日々の繰り返しだった。補習授業でやった問題が出たときや、苦手だった社会がどの教科よりも自信があると思えたときは、嬉しいと思えた。やっていて良かったと思えた。受験が近くなると、ブラックノートの見直しを何回も何回も行い、ブラックノートの問題に自信を持って答えることができるようになった。
受験当日。私は、あまり緊張しなかった。岐阜模試だと思い込んだり、同じ学校の子と話したりすると安心した。だが、自己採点の点数は周りの子よりも低かった。普段はその点数でも満足だが、みんなが高くて、正直不安しかなかった。心の中では、もうダメかもしれないと思っていた。
合格発表の日。私は、受験当日よりもずっと緊張していた。直接発表を見るのが怖かったが、せっかくだからと思って8時45分くらいから掲示板の前で待っていた。同じ塾の子と話したが、なかなか緊張はほぐれなかった。繰り返し、心の中で祈って、9時。紙が貼られた瞬間に自分の番号を見つけた。嬉しくて、涙が止まらなかった。友達の番号もあり、一緒に喜んだ。「受験は団体戦」という言葉をこのときに初めて実感した。仲間がいなかったら、絶対にここまで来られなかっただろう。嫌なこと、辛いこと、たくさんあったけれど、みんながいたから頑張れた。この言葉の意味を理解するのに1年間かかってしまったけれど、この1年は本当に楽しくて、幸せだったと心から思う。
そして、私は、仲間にも、もちろん感謝しているが、家族、特に母に感謝している。嫌な顔をせずに送り迎えをしてくれたり、お弁当を作ってくれて本当にありがとう。いつも応援してくれてありがとう。私は、合格発表の日に初めて、母の涙を見た。父も合格発表について来てくれて、私の合格を喜んでくれた。合格発表の日の9時に、私は本当に頑張ってきて良かったと思えた。自分の合格をこんなにもたくさんの人が喜んでくれるなんて思わなかった。自分が、人を幸せにできている。そう思う瞬間だった。
受験に向かって進んでいた日々は決して楽ではなかった。でも、毎日が楽しかった。それは、家族、先生、仲間に支えられた日々を送ってこられたから。高校受験は、長い人生の1つの分岐点だが、最初の分岐点。本当に多くの人と共に過ごしたこれまでの日々は私の宝物だと思う。受験は、関わってくれた人を幸せにできる。そう思うと嫌いだった自分のことも、少しは好きになれた気がする。
ただ、これはラストではない。高校生活を一生懸命頑張り、次の分岐点である大学入試に向かって頑張りたい。そして、3年後、また笑いたい。その日まで、絶対に努力し続けたい。
岐阜北高校 合格
佐久間 侑里
本荘校
本荘中学校
「楽しんで来い。」私は、この言葉が大嫌いだった。
小学5年生の春、私は志門塾に入塾した。小学生の時は特に苦しむことはなかった(はずだ)。中学生になり、幼い頃から根付いていた完璧主義が顕著に表れ始め、ことあるごとにつまずき、勉強が止まってしまった。自分が納得できるまで、複数の人に聞き、インターネットで2、3時間検索することも稀ではなかった。それからしばらくして、新型コロナウイルスが流行し、オンライン授業や休校になった。休校の間、家でテレビやインターネットを使う時間が増えてしまい、勉強する癖が少しずつなくなってしまった。ある程度の勉強はしていたが、あの時少しでも絶好の復習のチャンスとして時間を使っていたら…と後々思い、後悔することもあった。中学2年生の前期期末、今まであまりやっていなかったテキストをやり始めると、点数が50点以上も上がった。先生に、提出するように言われて、必死に取り組まなかったらこんなにのびなかっただろう。
その過程で、自分に合う勉強方法が分からず、膨大な問題量に打ちのめされて、いっぱいいっぱいで、母と喧嘩をよくしていた。たくさん言葉で傷付け、苦しませてしまった。中学3年生になり、受験生となった。基礎講習で毎週日曜日の夜にも関わらず、母や父は文句を言わず、送迎してくれた。降車しようとする時、毎回父は「楽しんで来いよ」と言った。うなずきながらも、「何言ってるの?どこが楽しい?」と内心ずっと思っていた。夏になると、自習室に行く回数や自習時間も多くなっていった。毎年夏に聞こえる、せみの鳴き声や日差しを暑いと全く感じず、ただエアコンの音だけが聞こえ、教室の涼しさだけを感じ、長時間勉強し続けるとボーっとして何をやっているのか分からなくなるくらい苦しく感じてしまうようになった。そんな中、お盆特講や特訓の話を聞いた。どちらを受講すべきか分からず、舘山先生や両親に相談した。先生は特講をすすめてくださり、多くの知人から「大変だけど、いい経験になる」「参加して良かった」と前々から聞いていたため、「内容が難しいから分からなくてもいいや」と軽い気持ちで特講を選んだ。だが、実際行ってみると、テストでいい点数を取りたい、と勉強に対する意欲が増し、先生方の話や落ち着いた雰囲気から、勉強が楽しいと少し思うことがあり、自分でも驚いた。母からも「あの5日間は目がキラキラ輝いていた」と聞き、心から参加して良かったと思った。それから、スイッチが入って、休憩はほとんどせず、勉強ばかりするという、今思うとその時の自分を殴りたくなるような勉強をするようになった。中学2年生から急激に部活の日数が減って、時間ができ、その間、考える時間が増えてしまったため、少しずつ自分に対する意識が変わり、苦しめてしまったことにも繋がっていった。夏明けの岐阜模試からの校舎順位や結果が良くなく、もっと勉強しないと、頑張らないと、と前向きに考えるのではなく、ネガティブに自分を追いつめてしまうようになった。先生の言葉1つ1つを素直に受け止めてしまい、自分はダメだ、もっと勉強しないと、と自分を侵略し続けてしまった。けれど、自分に当てはまるところがあったからこそ、受け止めたのだろうなと今では思える。おかしな勉強の仕方をしていたので休憩することがよく分からなくなり、舘山先生に相談した。
「休憩は勉強の初歩だよ。必要なこと」と聞き、休憩はダメだと思っていたため、耳を疑った。それを聞くと不思議と安心感が芽生え、実践していこうと前向きになれた。しかし、実践するのも難しく、休憩すると、「誰かはやってるしな」や数分前に覚えようとしたところを覚えているかの確認をし、休憩になっていなかった。きちんと切り替えができると思っていたが、全然できていなかったと改めて知ることができ、これも自分を苦しめた原因の1つだと気付けた。この時期から、自習室に行くのが怖いと感じるようになった。元々、大勢がいる場所は苦手であったが、自習室には自分に集中している人がいて、人数もそれほど多くいないはずが、常に誰かに見られていると感じ、怖くなってしまった。同学年の塾生の中にはほとんど話したことがない人も多く、団結感というものはあまり感じられなかった。昔にあったことが残っていたのか、人にどう見られ、思われているのかがとても気になり、「悪口を言われているのでは」と不安になり、勉強が身に入らないくらい心が弱くなってしまった。しばらくは、自習室に人が少ない夕方や休日の夜をねらって行くようになった。自分の弱さが悔しくて、何度も涙を流したが、母は何も言わず、ただ落ち着くまで話を聞いて、背中をさすってくれた。同じようなことが中学生になって急激に増えた。テキストの膨大な量に、中学2年生の自分の頭で初めは処理し切れず、やり切れないかもしれないという不安から涙を流すことが学校のテスト前は必ず1回あった。母はページ数の計算の補佐やリスト表の作成など少しでも私の負担を減らせるようにと、毎回手助けをしてくれた。テストの回数を重ねるごとに、自分に合う勉強方法を見つけ出すことが出来ていき、岐阜模試の点数も少しずつ伸びていった。偏差値はさほど変わらなかったものの、舘山先生は、「キープできるのはすごい」と言ってくださり、点数ばかり重視していた私は、上がり下がりに一喜一憂していたが、このままいけば大丈夫だと安心して取り組めるようになった。入試2、3日前は毎日のように前から口癖になっていた「勉強しないと」と自分に暗示をかけるようにこの言葉を言いながら、いっぱいいっぱいになると母の前で泣いていた。その時の苦しそうな辛そうな心配している目や顔が脳裏に焼き付いて忘れられない。それでも毎日母は私を抱きしめて「大丈夫。受かるから」と言い励ましてくれた。
受検当日、父や母はいつも通り「楽しんで」と言って送り出してくれた。試験最中、緊張はさほどせず、実力を発揮することが出来た。帰りの車の中で、終わった達成感とやり切ったことが繋がり「楽しかった」と心から思えて声に出していた。母は驚きながらも嬉しそうに笑った。3月21日午前9時10分。私は父の携帯で自分の受検番号を見つけた。「やったー!」と家族全員で喜び、すぐに高校へと向かった。この1年間、「自分」という壁に苦しみ悩んだが、自分を見直す良いチャンスで、耐え続け、乗り越えたことは私にとってとても大切なものになると思う。話を何度も聞いて励ましてくれた学校・塾の仲間、先生、入試終了次の日に風邪を引くぐらい心配してくれた母や父・妹、多くの人に恵まれていたなと実感し、感謝でいっぱいだ。3年生の初めに父が言った「楽しんで来い」や先生が言っていた「楽しいと思える受験」が1年間を通してやっと理解できた。1年間で気付いた自分の考え方を少しでも前向きに考えるようにしていき、日常の小さいことでも自分を否定するのではなく、認め、肯定していきたい。
岐阜高校 合格
松井 陽翔
長森校
長森中学校
志門塾長森校に入れて本当によかった。他の塾でも他の校舎でもない。志門塾の長森校。ここに入ったことが人生の転機になった。
僕はこの塾に入ってすごく伸びた。それから自分が目指す夢も、関わる人も、周りからの見られ方も、ライバルも、たくさんのことが変わった。もちろん目指す高校も。
そんな状態でむかえた受験。まず言えることは、僕はというか長森校のみんなは、他の人よりずっと受験を楽しんでいたということだ。もちろん苦しんだし、辛かったけれど長森校で受験ができたことがすごくうれしい。
それでも全員合格していないことが本当に悔しい。なまけることなく毎日勉強していたあいつ、夜遅くまで頑張っていたあいつが合格していないなんてどうかしてる。でも、自分が自習中に一度も寝ずにあいつにいい背中を見せてあげれば合格していたかもしれないと思うと申しわけないと思う。
でもオレは楽しかった。あいつと一緒に受験できたことが最高に楽しかった。あいつだけじゃない。長森校のみんなと受験をやれたこと。怒られたり笑ったり努力したりしたこと。言葉では表せないってこういうことなんだなと思う。みんなと頑張れて幸せだった。みんなイイヤツだった。オレと一緒に頑張ってくれたみんなが幸せにならないわけがない。これからもみんな長森校でのことを思い出して、頑張って幸せになるんだ。受験は終わった。でもそれぞれの幸せに歩み始めたってことなら、合否なんてなんでもないな。長森校でよかったな、みんな。
受験は自分を大きく成長させてくれた存在だと思う。1年前のこの時期には自分さえよければいいって思っていた自分が、みんなと受験できてよかったと思うようになれた。関わりのないあいつを本当に仲間と思えるようになった。多くのものを得られた。この長森校での経験をいかして僕は幸せになれるから、僕のことはいいんだ。
この受験の終わりはみんなが幸せになることだ。
みんなどこへ行ってもいいし、何になってもいいけど、これだけは約束してくれ。幸せになってくれよ。
ここまで頑張れるようになった自分、校舎、先生、みんな長森校にあるもの、長森校で経験したこと全部本当にほんとにホントに大好きだ。一生忘れません。
最高の体験をありがとうございました。
岐阜北高校 合格
長屋 心音
島校
島中学校
神頼みをしても最後には実力で結果が出てしまいます。実力はこつこつ積み重ねをしていくことでついてくるものです。時間は一人ひとり同じ時間が与えられます。その時間をどのように使っていくかが大事です。例えば勉強だと、1日3時間勉強する子と1日4時間勉強する子がいるとします。1日だと1時間だけしか違わないと思えるかもしれませんが1年だと365時間とかなりかわってきます。このように1時間だけでもかなりの差がでてきます。時間の使い方が大切になってきます。
目標はできるだけ高く持ってください。高く持てば、選択肢は広がります。しかし、高く持つことは簡単ではありません。私はこれくらいしか取れない、などと思って、目標を低くすると、選択肢は狭くなるとともに、点数を上げることも難しくなります。1番を取る気持ちで勉強に臨んでください。
授業中に気になったことはすぐ調べたり、聞いたりすると良いと思います。あのとき、調べておけばよかったなどと思わずにすみます。後悔の残らないような受験にしてください。
岐阜北高校 合格
河村 心結
七郷校
岐北中学校
3月21日の今日、私は岐阜北高校に合格した。ここまでの道のりはすごく長く険しかった。でも私は何も悔いはない。全ての判断が私にとってよかったと、今なら思える。
中1の春、私は志門塾七郷校に入塾した。もともと私は勉強が嫌いではなかった。だから塾も頑張れていた。だが、期末テストのたびに自分を追い込んで、塾も休みがちになって、いつしか勉強が大っ嫌いになっていた。そして塾も嫌だった。でもそんな私にも、先生方はとても優しかった。いつも私のことを気遣ってくださいました。何回も勉強が嫌になって、塾を辞めようと思って、たくさん懇談をしました。私が塾を辞めようとする時、大形先生はいつも止めてくださいました。手のかかる私だけど、私が塾に行けるようにたくさんのことをしてくださり、本当に感謝しかないです。
中3になって、いろんな気持ちになりました。1学期は順調だったのに、2学期からずっと落ち続ける点数。お盆特訓は乗り越えて頑張れたのに、何もかも分からなくなりました。9月、私は塾を辞めようと決意しました。塾にいるのが辛かった。行きたくなかった。私は七郷校を離れることを決めて、大形先生とお母さんと3人で懇談をした。懇談で先生は何回も「それでいいんやな?」と私に問いかけた。でも私は変わらず「はい」と言い続けた。そして、退塾する書類を前にし、お母さんが名前を記入しようとすると涙が溢れてきた。なんだかんだ言って頑張ってこれたのは、七郷校という私の居場所があって、大好きな先生や友達がいて、どんな時でも支えてくれた家族がいたからだった。それを思うと、やっぱり最後は七郷校で受験を終えたいと私は思った。
それからも時々塾に行かないことがあった。12月に長谷川先生と懇談をした。その時先生に「なんで岐阜北に行きたいの?」と聞かれた。私の答えに先生は、だったら岐阜北じゃなくてもいいと言った。たくさん混乱して悩んで、でも話しているうちに私の本当の気持ちを先生が気付かせてくれた。そして先生は、「今することは勉強!毎日塾に来て!」と涙しながら私に言った。休んだ日もあるけど私はずっとその言葉を忘れなかった。先生との約束は守れなかったけれど、私は頑張った。
入試2週間前になっても思うような点数が取れず辛かった。でも諦めなかった。やるしかないし、意地でも受かってやると決めていた。何より私は、校舎のダルマに書いた「逃げない。みゆらしく」をいつまでも思い続けた。当日私は緊張しなかった。いつもよりできた。自己採点をして、私は受かったと確信した。点数を伝えた時の先生方と家族の笑顔は忘れません。「ああ、私頑張ってよかった。先生を信じてよかった。」と心から思いました。最後まで見捨てなかった先生方、本当にありがとうございました。16期生の中で一番懇談をして、たくさん泣きました。全部全部思い出です。最高の受験ができました。そしてお母さん。いつも誰よりも近くで支えてくれてありがとう。番号を見つけた時、私よりも喜んでたね。お母さんの幸せそうな笑顔が見れて良かった。みんなみんな支えてくれてありがとう。
私は七郷が大好きです。校舎も先生も友達も。七郷でよかったよ。本当に本当にありがとうございました!
岐阜北高校 合格
梅渓 遥聖
粟野校
三輪中学校
僕は、中学1年生のときに志門塾粟野校に入った。小学校の頃、遊んで勉強をまったくしていなかった僕は、塾と学校と部活を並行して行うことがとても大変だった。ほぼ毎日、朝と夕方に部活があり、疲れた状態で塾に行き勉強していた。さらに定期テストと部活の試合が同じ週にあるときもあり、部活の練習時間と塾での勉強時間がもっと長くなった。正直僕は、もう塾なんて行きたくない、勉強なんてしたくないと思った。そんなとき、世界中で新型コロナウイルス感染症が広まり、学校に行くことができなくなった。僕はうれしくてたまらなかった。部活も中止になり学校や塾にも行かなくてよくなった僕は、友達と1日中ゲームをしたりマンガを読んだりしていた。途中から塾でオンライン授業が始まったが、勉強に全くスイッチが入らずさぼってばかりいた。そのため、学校が始まってテストがあったが自分が納得できるような点数を取ることができず、部活でもチームのみんなの足を引っぱるようなことばかりしていた。このようなことが続いて半年、ついに僕は自分と向き合えるようになった。本当にこのままでいいのか。この状態で自分が目指している岐阜北高校に合格できるのか。こんなことを考えていると、今までの自分がどれだけ勉強や部活から逃げていたのかが分かるようになってきた。そしてここから僕は、前と大きく変わった。毎日、自習室に行き勉強をした。夏休みの日はお弁当を持って朝から夕方まで自習室で勉強した。同じ学年の子はほとんどいなかったが、隣の教室で今の高校1年生の子たちが夏期講習をしていたのでがんばろうと思えた。また、もっとやる気が出るようになった。みんなが楽しく遊んでいるときにたくさん勉強をして、みんなよりも良い点数を取るぞと思いながら勉強していた。そしてむかえた定期テスト。僕は今までに取ったことのない点数が取れると思っていた。しかし、現実はそんなに甘くはなかった。つまらないケアレスミスで点数をかなり落とした。もう、今までよりも良い点数なんて取れるわけないと思った。しかし、僕はあきらめなかった。今回、なぜここで計算ミスをしたのか、なぜ書き間違えたのかということをしっかり考えて次のテストに生かせるようにした。そして次のテストからは、ケアレスミスを少しずつ減らせるようになり、点数も上がっていった。
そして、僕は中学3年生になった。それと同時に、岐阜模試があった。しかし、岐阜模試は今までのテストとは全く違った。新しく見る問題にパニックになった僕は、だめだった。岐阜北高校の評価は「C」だった。しかし、夏期講習、秋期講習、お盆特訓をしていくうちに自分の弱点を克服できるようになったり、忘れていた所をおさらいすることができたりした。また、この時期に部活動が終わり、勉強だけに集中できるようになった。そしてついに第4回岐阜模試で、自己最高の偏差値をとることができ、岐阜北高校の評価も「B」となった。
その後、修学旅行があった。勉強のことを一切忘れて思い切り楽しんだ。しかし、修学旅行が終わった後も勉強に力を入れなかった。友達とボーリングに行ったり、映画を観たり、家で夜遅くまでゲームをしたりしていた。その結果、第5回岐阜模試で過去で一番低い点数を取ってしまった。さすがにやばいと感じた僕は、ゲームやテレビを禁止して一切さわらないようにした。塾にも帰ったらすぐに行き、夜まで勉強した。さらに、正月特訓もあり、朝早い時間から夜までずっと勉強した。そして、第6回岐阜模試で偏差値を5ぐらい上げることができた。入試直前のプレテストでもかなり良い点数を取ることができた。
そして、ついに入試がきた。とても緊張した。でも、自分が今までにしてきた勉強量、だれよりも多く通った塾の自習室を胸にベストをつくすことができた。ここまで、やってこられたのは、自分の力だけではない。困ったらすぐ相談に乗ってくれた塾の先生方、いつも自分を一番近くで見守ったり、全力でサポートしたりしてくれたお父さんや、お母さん、問題を一緒に解こうとしてくれた学校の先生方などのおかげ。本当にありがとうございます。これから受験生になる子は、あきらめない気持ちを持ち続けてほしい。自分が行きたい高校の評価が「C」や「D」になるかもしれないが、そうなったときこそチャンスだ。そのくやしい気持ちを勉強へのやる気に変えることで、新しい自分へと進化する。だから、なに事にもあきらめずに、ねばり強くやっていってほしい。
岐阜北高校 合格
宮脇 侑孝
ふれあい会館西校
精華中学校
「やらぬ後悔よりやる後悔」この言葉を胸に、僕は受験シーズンを乗り越えた。
僕は世間では受験生と呼ばれる中学3年生に志門塾に入塾した。中学1年生と中学2年生では、それなりに点数を取っていたため、勉強にそこそこの自信があった。しかし、第2回岐阜模試で、その自信を失いそうになった。その岐阜模試では、今まで見たことのない点数を取った。その結果に対して悔しいとはあまり思わず、ただ危機感をもった。数日後、このような結果になった原因を分析した。すると、勉強時間の少なさが原因だと分かった。これまでの自分は、ほとんど勉強をせずにテストに臨んでいた。自分の中で勉強に対する自信が慢心に変わっていたのかもしれない。
そして、夏休みを迎えた。とにかく勉強する夏休みにすると決意した。授業以外の時間でも塾に来て、積極的に自習室を利用し、学習に励んだ。時が経つのはあっという間で第3回岐阜模試を迎えた。その岐阜模試では、以前よりも問題がスラスラ解けた。かなりの手応えを感じた。数日後、結果が返却された。その結果は、第2回岐阜模試よりも127点UPだった。勿論嬉しかったが、努力は報われるということに改めて気付き、努力を継続することの大切さを学んだ。
夏休みが終わっても僕は、勉強に励んだ。点数も安定して取れるようになってきた。でも慢心はもたず、毎日の努力を積み重ねる、日進月歩ということを忘れずに日々学習に励んだ。
そして正月を迎え、受験まで残り2か月となった。僕はラストスパートをかけにいった。残り少なくなってきた中で僕は、やらなくて後悔したくないと思った。テキストなどもこれをやらなかったら、後悔するだろうと思い、今までよりも積極的に学習に取り組んだ。後悔のないように今自分ができることをやりきろうと残りの力を出し切った。
そして、3月3日入試当日を迎えた。今までの授業や学んだことを頭に思い浮かべ、自分の力を出し切った。テストが終わった後、「もし不合格でも後悔はない」と思うことができた。
そして合格発表。自分の番号を発見することができた。すると嬉しさがこみ上げ、努力を結果につなげられたことに喜びを感じた。
最後に、感謝の言葉を伝えたい。僕の合格に関わってくれた人たち全員に感謝したい。塾の先生、家族、同じ教室で授業を受け、切磋琢磨し合った仲間。僕は、1人じゃなく、支えてもらったから合格することができた。本当にありがとう。でもこれがゴールではないから、僕は努力をし続ける。
岐阜高校 合格
日置 永麻
北方校
真正中学校
中学校での3年間、私はコツコツと継続的に勉強を続けられたと自信を持って言える。自分は3年間、誰にも負けないくらい、コツコツと勉強したという自信、そして1年生の頃から3年生になるまでに、少しずつテストでの点数を伸ばしていったという事実があった。だから岐阜高校を受験するという気持ちは、3年間で一度も変わったことがない。
1年生の頃、北方校には自分より勉強できる子がたくさんいた。しかし、2年生になり、コロナの影響で学校が休みになった頃から、私の成績は伸び始めた。今まで自分より高い点数をとっていた人たちよりも良い点数がとれるようになり、本当にうれしかった。そしてその成績をキープさせたまま、私は3年生になった。3年生になってからも、第5回岐阜模試までは偏差値が下がることなく、点数は少しずつ上がっていった。大きく成績が上がったことはないが、私の成績はいつも安定していたので、自分はこのまま成績を下げることがないだろう、そう思っていた。しかし、それは違った。もちろん、私は常に最大限の努力をしていたが、入試の日が近づくにつれて、周りのみんなも、一生懸命勉強をするようになっていたのだ。第6回岐阜模試で、私はいつもより少し高い点数を取ることができたが、自分の伸び以上に、みんなが成績を伸ばしていったため、平均点が上がり、偏差値は下がり、順位もそれまでで一番低い数字となってしまった。北方校では、今まで自習室に来ることがなかった人も、毎日自習室に来るようになり、夜遅くまで勉強するようになった。私は1年生の頃からの自分のペースを崩したくなく、夜遅くまで勉強するということはしなかった。そのときは、自分はもう帰ってしまって大丈夫なのかと毎日不安に思っていた。しかし、今思うとその選択は間違っていなかった。1年生や、2年生の頃からコツコツと積み重ねてきたものがあったからだ。確かに、あの時期には、今まで気にしたことがなかったような人に追い越されてしまい、悔しいと感じることもあった。それでも自分がやってきたことを信じて、マイペースを崩すことなく、それなりに楽しく勉強できて本当によかったと思う。
テストゼミが始まると大量の誤答処理や、プリントに追われた。やりきれなかったものもたくさんあった。しかし、自分に本当に必要なことが何かを考え、丁寧に進めていくことで、問題が解けるようになるだけでなく、ケアレスミスが減っていった。私は毎回ケアレスミスで10点も20点も失っていた。でも、大量の問題演習を通して、自分のミスの仕方が分かるようになり、第7回岐阜模試やプレテストでは、ケアレスミスをゼロにはできなかったが、今までの私では考えられないくらい減らすことができた。入試後の自己採点では、あまり安心できる点数ではなかった。不安な気持ちがありながらも、やってきたことに対しての後悔の気持ちはなかった。
私が1年生のときからコツコツと続けることができたのは、先生達や両親の支えがあったからだ。私は中学校での3年間、本当に周りの人に恵まれていた。3年間私を見守ってくださった江口先生、水木先生、そして私が分かるようになるまで何回でも教えてくださった安江先生。毎日のように送迎してくれた両親。本当に感謝しかない。私は次の目標に向けて自分にできる最大の努力を続けていきたいと思う。本当にありがとう。
羽島北高校 合格
山田 幸貴
羽島校
羽島中学校
中学生になると塾で、受験勉強は3年生からではなく1年生から始まっていると言われた。正直その頃の自分にはまったく理解できなかった。そのため塾からやれと言われたこともやることなく過ごしていた。また、塾の自習室に行くこともほとんどなく、行ったとしても兄について行っているだけだった。兄は高校受験をせず、部活の推薦で高校に入学したため、兄が必死に勉強している姿を目の当たりにすることはなかった。そのため勉強しなくても高校に行ける、そう勘違いしてしまった。2年生になっても勉強の大切さが分からないまま過ごしていた。そのため提出物を期限内に出せなかったり、やらなかったりすることもあった。また、塾で出された宿題も真剣に取り組まなかったり、塾で出されたやるべきこともやらなかったので勉強をするという習慣がまったく身に付いていなかった。
3年生になり受験生となった。しかし受験生だという実感が全くなかった。3年生になっても1年生や2年生のときに勉強する習慣を身に付けられていなかったため、家で勉強することができなかった。また部活を理由にやらなければいけないことから逃げていた。そのため岐阜模試などのテストで全く結果が出なかった。それでも勉強をしなければいけないという気持ちは湧かず、塾で出されたものなどをやらないままにしたり、塾をサボってしまうことも少なくはなかった。そんな生活が夏前まで続いていた。しかし、夏に入って大型の休みが最後となった。夏に行われるお盆特訓に行って受けた関数の講習を聞いて、わかるということが楽しくなった。今までとは違った感情だった。勉強をするのが少し楽しく感じた。しかしそれも長くは続かなかった。野球が終わり勉強ができる時間は増えた。でも勉強することはなかった。
正月特訓が行われた。正月の元旦から勉強するのはしんどかった。みんなは家でゴロゴロしたり、親せきの家に遊びに行ったりしている。自分も同じような生活がしたい、勉強なんてやりたくない。でもやらなければいけない、正直正月特訓なんて行きたくなかった。正月からつらかった。けれど勉強をすることができた。続けられた。それは正月特訓に来ていた生徒たちが一生懸命頑張っていたからだ。自分だけじゃない、みんな頑張っている、だから頑張ろう、そう思えた。それからはやらされる勉強ではなく自分からやる勉強に変わった。自分は何ができて何ができないのかを考え、できる部分をもっとできるようにして点数を上げるのか、それともできないところをできるようにして点数を上げるのか、言われてやるのではなく自分で分析して自分で選択するようになっていた。そのおかげで入試当日は自分ができる問題とできない問題を区別し、時間に追われることなくできた。その結果、入試に合格できた。入試に行く前に先生から「いい意味で期待を裏切ってくれた、おまえならできる。」そう声をかけられた。その言葉を聞いたことが何よりうれしかった。今まで頑張ってきてよかった。そう思えた。
「1年生から受験勉強は始まっている」今になってその言葉にすごく納得する。なぜあの時勉強しなかったのかすごく後悔する。あの時勉強していれば、もう少し上の高校に行けたのに。あの時言われたことをやっていれば、もう少し楽に高校受験に臨めたかもしれない。なぜあのとき部活を理由に勉強から逃げていたのか。たしかに勉強しなくても高校に通うことはできるかもしれない。けれど、それが良いとは思わない。しっかりと勉強して受かったからこそ合格したときはすごくうれしかった。何もせずに合格しても、これほどの達成感やうれしさはこみ上げてこないと思う。だから受験を終えて思ったことは、コツコツやることの大切さと努力することの大切さがすごく大事だということだ。入試当日一番自分の自信になったのは、正月特訓で正月から勉強したことだった。他の人が勉強していない正月に自分は勉強したんだ。だから絶対できる。そう思うことができた。自信は自分がやってきたことに比例すると思う。だからこれからも努力を積み重ねていきたい。
加納高校 合格
永田 朔太郎
羽島東校
竹鼻中学校
午前9時、合格者の受検番号が貼り出された。僕はドキドキしながら、自分の番号を探しにいった。
夏休みに高校見学が始まった。僕はとくに考えずに友達が行くからという理由で高校見学に行った。それでよい高校があったら、そこを志望しようと思った。しかし、そこまでよい高校はなく、志望校があまり明確ではなかった。だから家から近く市内5校の加納高校を志望校にしていた。そして夏休みが終わり第3回の岐阜模試が行われた。第1、2回がまあまあできていたのでそのままいけると思った。しかし、結果はボロボロだった。でも、その時の僕はそこまで危機感を感じてはいなかった。まだ6カ月もあると思っていた。このまだあるという考えが僕の点数の低下につながっていった。
12月、そろそろ学校で公立高校の話が出るようになってきた。そこで僕の親友が加納高校を目指していることを知った。こんな理由でと思われるかもしれないが、これが僕の加納高校を志望する理由だ。ここから僕の本気の受験勉強が始まった。しかし、第5回の結果はとてもひどく、これでは加納高校に行けないと思った。僕はその日の夜に本気で泣いた。でも、そこから、その悔しさをバネにして勉強に取り組んだ。1月になると、正月特訓が始まった。とても寒く、岐阜の校舎までわざわざ行かないといけないため、とてもめんどくさかった。でも加納高校に行くためならと思うと、そんな寒さなんて忘れるくらいに勉強に本気になれた。そして第6回岐阜模試、正直僕はここで点数がとれなかったら、志望校を変えようと思っていた。結果は3者面談で伝えられた。塾の先生からは十分行けると言われとてもうれしかった。家に帰って親にほめられたこともうれしかった。そして、勉強して結果が出ると、また勉強に本気になって取り組むことができた。そこからとても点数が上がって行って自分の勉強のモチベーションもどんどん上がっていった。
3月3日受検当日、僕はあまり緊張はしておらず、わくわくのほうが勝っていた。そして、受検が終わり、受かっている気しかしなかった。自己採点もかなり点がとれていてうれしかった。
僕が後輩に伝えたいことは、親への感謝を忘れないでほしいということです。僕が合格できたことのうら側にはいつも親がいました。塾の送り迎え、毎日の食事など親なしには本当に何もできていないと思う。だから自分1人で何でもできていると思わず、日々の親への感謝を忘れないでほしい。
岐阜北高校 合格
鈴木 啓太
那加校
桜丘中学校
合格発表当日、朝に弱い僕が5時に起きてしまった。高校に行く途中はとても落ちつけず、車の中で足を揺らしていた。一番緊張したのは車から降りた時だ。近くの駐車場から徒歩で高校へ向かう時は、ため息しか出なかった。ついに高校へ到着してしまった。既に辺りからは歓声が上がっていた。深呼吸をして自分も掲示板の前へ立った。そして、見つけた「1435」の文字。思わず強く握り拳をつくっていた。お母さんに「あった!!」と報告した時、涙目で「よかったね」と喜んでくれた。
この受験を通して様々な事を学ぶことができた。1つは「目標を立てる事の大切さ」だ。8、9月頃の自分はとにかく学力を上げよう、とだけ思って勉強をしていた。しかし、それだとやる気も上がらず、岐阜模試の点数も下がっていった。ところが10月頃から「岐阜北高校へ行く」という明確な目標を立てたことで、自習室に行かないと気が済まない程にモチベーションが上がった。目標に向かって努力することの重要性に気付かされた。2つ目は「仲間の大切さ」だ。僕が最後まで逃げずに戦い続けることができたのは、間違いなく仲間のおかげだろう。僕の仲間は、共に競い合ってくれた。僕の仲間は、励ましてくれた。僕の仲間は、一緒に悔しがってくれた。受験は個人戦ではなく、団体戦なのだ。
自分が合格することができたのは、共に歩んでくれた仲間や、勉強の楽しさを教えてくれた先生方、そして何より毎日、全力で僕のサポートをしてくれた親のおかげだ。本当にありがとう。受験は苦しい事ばかりだと思っていたが、いざ振り返ってみると、毎日が充実していてとても楽しかった。こんな素敵な日々をくれた受験に、ありがとうと伝えたい。
長良高校 合格
足立 詞香
蘇原校
桜丘中学校
私は、受験を通して人に恵まれている事に気が付いた。受験は1人だけで戦うといつも思っていた。だが、最終的に私を支えてくださった人全員で戦っていた。
私の周囲には、なんだかんだいつも人が居ていつも話をしていた。笑って話しかけてくる仲間も自習室の仲間も私の支えとなっていた。しかし、そんな仲間は成績を上げ、右肩下がりの成績である私を置いていくようになった。私の心は一人ぼっち。とてもつらく苦しかった。なんでだろう。考えていくうちに自分が、何をしたいのかも分からなくなった。落ち込んで塾も行きたくないと思い部屋に閉じこもるようになった。しかし、その暗闇に手が差しのべられ私を救ってくれた。それは、家族であった。いつも側にいる。本当にそうであった。私の苦しみなんて、一気に吹き飛んでいった。でも、岐阜模試の結果は上がらなかった。それでも、家族は決して私を見放さなかった。高い壁も一緒に壊してくれた。私は「なんて人に恵まれているのだろう」と本当に思った。家族に関しては、「助け合い」を学んだ。家族には今年度、とんでもなくお世話になったし、迷惑をかけた。だから、私は一生家族を支えて手放さないことを誓いたいと思う。また、両親から学んだ全ての事を人生で生かしたい。本当にありがとう。
そして、仲間にも感謝である。私を置いていった分、私が追いつこうと努力するキッカケをくれた。仲間が成績を上げてくれたからこそ、私の心は常に燃え続けることが出来た。勉強とおしゃべりと色々なことがあったけれど、仲間とだからこそ乗り越えることが出来た一面があった。私と同じように悩んで辛いこともあったと思う。けれど、それをわかち合えたことがとても嬉しかった。たくさんの意味でありがとう。高校で離れても志門塾生としては、一緒だからまた大学受験も頑張ろう!!
一番感謝しなければいけない人達は、塾の先生である。この蘇原校の受験生の中で本当に一番恵まれた気がする。河村先生と川島先生は、1、2年生の授業終わりにカウンター席で約30分間、週4~5日ペースで私と受験の特訓をしてくださった。普通はあり得ないし、とんだ迷惑だと思っていた。でも、面白おかしく真剣に特訓を行ってくださり、私を凄く大事にしてくださって、情熱がすごいことに気付かされた。こんなに恵まれたことはなかった。そして、こんな先生もう二度と会うことはないと思う。他にも河村先生は、私のために階段を利用して、1段1段下がるごとに問題を出してくださり夜遅い寒い時間までつきあってくださった。そして、進路のことはもちろん、勉強のことですごく丁寧に付きそってくださった。しかし、あんなに特訓してもやはり成績は上がらなかった。本当に申しわけなかった。でも、2人の先生方はそれらを続けてくださった。本当に嬉しかった。1人だった私にとてつもなく強い2人の味方が出来た。私を本気で支えてくださり、本気でぶつかってくださった。まだまだ先生方との思い出は多くある。思い返すと涙があふれ出てきそうである。
これらのことを通して、受験はこれらの思い出と体験を通して乗り越えていく物であると分かった。決して1人で臨むものではない。支えてくださった人全員で壁をこわしていく。そして人に恵まれる大切さを学んだ。これら全てを人生に生かしていこうと思う。
岐阜高校 合格
徳山 亜耶
RESPECT長良
東長良中学校
私は、この1年受験に向かっていく中で、辛いことや悔しいこと、もう投げ出したいと思うことがたくさんあった。しかし、今こうして受験を終えて強く思うのは1人では絶対に乗り越えられなかった受験であったということ。何度も自分を引き上げて支えてくれたたくさんの人達の思いの上に私の合格があるのだと実感している。
私は小学5年生の頃に入塾した。その頃は、勉強に対してのやる気があまりなく、出された宿題をただやるだけだった。しかし中学に上がると、定期テストに向けて毎日一生懸命勉強する周りの仲間の姿に刺激を受け、仲間と一緒に勉強に励むようになった。中学1年生の頃はまだ自分の勉強スタイルがつかめなかったり、学習の仕方に工夫ができなかったりして、不安定だった。しかし中学2年生では自分に合った勉強方法も確立して、テストの点数もとても伸びた。特に最初私が苦手だった社会は、教科書の読みこみとワークの徹底の大切さに気づき、今では得意科目にすることができた。また、こうして勉強を続けていく上で塾の周りの仲間の存在はとても大きいものだと気づかされた。自分の目標を達成させるために何時間も机と向かい合って必死に勉強する仲間を見て自分も頑張ろうと思えた。そうした仲間の姿がなければ私は弱い自分に負けて、勉強に身が入らなかったかもしれない。
中学3年生になると、これまで漠然としたイメージだった受験が、とても近くにあるものだと感じた。また、岐阜模試も始まり、より一層受験に対しての意識が変わっていった。そして、夏に行われたお盆特講。正直はじめは勉強づけの3日間もやり切れるかどうか、不安があった。しかし、自分と同じ高校を目指す多くの人達に囲まれて勉強できる環境や、普段の授業では味わえない緊張感、また志門塾の先生方の、ためになるお話は私にとって受験への活力となり、とても良い体験だったと思う。
お盆特講を終えてからは、とても時間が経つのが早く感じた。そして色々な思いに押しつぶされそうな時期でもあった。岐阜模試の度に周りの子と比べて落ちこんだり、努力してもあともう一歩点数が届かない悔しさを感じたりして、その度に岐阜高校を受けることへの不安が募っていった。しかし、何度もその不安や悩みを聞いて優しく支えてくれた母や、何回も懇談を行い、私に的確なアドバイスと自信を与えてくださった伊藤先生、共に勉強して励まし合い、高みを目指した仲間のおかげで志望校を岐阜高校に決め、ラストスパートを迎えることができた。
私は、最後の締めである直前講習の時間が強く思い出に残っている。入試直前の緊張感のある雰囲気の中、毎回行うテストと解説。テスト中、周りのペンやページをめくる音や、解説中に間違えた人数が少ない所に入ってしまった時に感じる焦り。どんどん点数が上がり、自分の抜けていた部分がうまっていっていると実感できる楽しさや安心。この入試直前の時期にしか感じることのできない複雑な感情は今でも強く印象に残っている。
また、入試2日前の出陣式も私にとってとても大切な時間であったと思う。入試の前に全員で集まる最後の時間。RESPECT長良の先生方の話や、家族からの手紙を通して、今までの受験までの自分の道のりが思い出された。色々なことがあったけど、今こうして受験を迎えようとしている自分がいる。その背景には支えてくれたたくさんの人達がいる。それを改めて感じさせる式だった。
そして、ついに3月3日。入試当日になった。今年は新型コロナウイルスの影響で先生達が高校へ行けなくなったため、朝に校舎へ行った。そこで伊藤先生が迎えてくださり、「平常心」と書かれたカイロをいただいた。カイロの温かさが、先生達の応援する気持ちのように感じられた。その温かさは冷えた私の手だけでなく、緊張した私の心もほぐしてくれた。きっとそれは他の生徒も同じだっただろう。先生達の受験生に対する配慮と思いやりを感じた。
岐阜高校に到着すると、最後に母が私の目を見て「安心して頑張ってきなさい」と言った。どんなに自分が疲れていても、毎日送迎してくれて、夜私が車に乗るといつも「お疲れ様」と言ってくれた。私の気持ちに寄り添って、いつも話を聞いて支えてくれた母を、合格して喜ばせたいと心から思った。入試は、今まで自分が積み上げてきたことを思い出して、いつも通り安心してできた。入試から合格発表までの2週間、もちろん不安はあったが悔いは1つも感じなかった。今までの自分の努力を全て入試に出しきれたからだ。
そして合格発表当日、掲示板の前に立つと急に心臓がバクバクした。2人の先生が紙を掲示板にはりだし、今までにないほどドキドキしながら数字の羅列に目を移した。真っ先に自分の番号を発見した。「232」という番号が私の目に焼きついて離れなかった。母が「おめでとう」と何度も泣きながら言ってくれた。1人では絶対に載らなかった番号。私の今までの努力と周りのたくさんの人達の支えや優しさが全て表れた、この「232」という番号は一生忘れないだろう。
様々な場面で先生方がおっしゃっていた「受験は団体戦」という言葉。この言葉の意味が受験を終えてはじめて本当に理解できたと思う。自分の合格をこんなにも強く願ってくれる人達がいるということがとても幸せなことであるということ。私は、受験を通して自分はたくさんの人達に恵まれていて、支えられていることを改めて感じると共に計り知れないほどの感謝も感じた。
今まで私をたくさん支えてくれた家族のみんな、RESPECT長良の先生方、仲間、本当にありがとう。
岐阜高校 合格
亀山 はな乃
トップレベル選抜・大垣
大垣北中学校
岐阜高校を受験して本当によかった!
私は、1月の終わり頃に岐阜高校を受験しようと決めました。それまでは、目標もあやふやで、ずっと迷っていました。でも、私の周りのたくさんの人が背中を押してくれたおかげで、私は一歩前に進むことができました。
私を応援してくれた人の中でも、私が岐阜高校を受験する大きなきっかけをつくってくれた1人が同じく岐阜高校を受験した同じ学校の友達です。私は、自分の進路について、あまり友達と話をしていませんでした。でも、ある時、自分が志望校に迷っていることを打ち明けると、その友達が「一緒に行こうよ。」と言ってくれました。その時、私は、そばでいつも応援してくれる友達がいることがとても心強く、挑戦してみたいと思うことができました。
そう思っていたはずなのに、私はその後、勉強へのやる気が全く起きず、何日か勉強を進められない日が続いてしまいました。なぜできないのか、もう無理なんじゃないか、勉強をさぼってしまった後には、いつもそう、自分を責めていました。私は、そのことを寺部先生に相談しました。その時、寺部先生は「できない日があってもいい。自分なりの戦い方でやればいい。」と言ってくださいました。その言葉で、それまでの自己嫌悪の気持ちが少し楽になり、また自分のペースで勉強を始めることができました。
先生や友達以外にも、送り迎えをしたりお弁当を作ったりしてくれた両親やいろいろな場所に合格祈願へ行ってくれた親せきの叔父さん、たくさん質問対応をしてくれた学校の先生など、私はたくさんの人に支えられて、受験勉強に励むことができました。受験勉強のために我慢しなければならないことも山ほどあったけれど、周りの人達に応援してもらって、受験と本気で向き合えたことは本当に幸せなことだったと思います。私はこの受験を通して、人に感謝する気持ちや勇気、自信など、とても多くのものを手に入れました。自分を信じて、受験をやり切ることができてよかったです。辛いこともあったけれど、振り返ってみると、受験めっちゃ楽しかった!
岐阜高校 合格
水谷 理乃
担任制
大垣南中学校
担任制で過ごした3年間は大切な宝物です。雨の日も雪の日も、お盆も、お正月も、どんなときでも仲間がいたから楽しく勉強することができました。
中学校の1つ上の先輩が私の大きな憧れでした。勉強や部活で活躍している姿を見て、私もそうなりたいと思うようになりました。3年生になって、先生から先輩の話を聞く機会が増え、憧れの気持ちが強くなる一方で悔しさを感じることもありました。私も負けたくないという思いが大きくなり、より一層勉強に熱が入りました。滝高校の受験をするか、しないか、私の気持ちは1つでした。受験する。先輩に追いつきたい。それだけでした。無理かもしれないと不安になることもありましたが、塾のみんなの頑張る姿を見て、私も頑張らないとと勇気をもらいました。合格が分かったとき、嬉しさと同時に公立受験への力が湧いてきました。最後の1か月は本当にあっという間でした。苦手を1つずつ見つけ出しつぶしていくことの繰り返しで、自分の嫌いな単元ばかりでしたが、不思議と楽しく学習することができました。
合格発表を終えた今、幸せとともに勉強への意欲も高まってきました。高校受験合格がゴールではありません。新たなステージへの一歩をしっかりと踏み出したいです。
大垣北高校 合格
残馬 史苑
GRAN
大垣東中学校
僕は第1志望の高校に合格することができました。しかし、決して順調に進んだ3年間ではありませんでした。
1年生のとき、初めての定期テストで、とても高い点数をとることができました。その次のテストでも高い点数を続けて取れました。この2つのテストで、完全に油断をしてしまいました。そこから、定期テストの点数は下がり続け、それは2年生の最後まで続きました。自信がなくなり、第一志望を諦めかけていました。3年生の春休み、1年生のときにとった高得点の定期テストを思い出しました。それがとても大きな自信になりました。この点数を取ったのは自分だから、今も良い点数を取れるはずだと、自分に言い聞かせました。ついに3年生になり、初めて岐阜模試を受けました。第一志望を諦めたくないという思いと、1年生のときのいくつかのテストが生んだ自信のおかげで高い点数をとれて、お盆特講に行くことができました。とても嬉しかったです。お盆特講に行くことができたことを自信にして、次の岐阜模試でも良い点をとることができました。良い点を取ったことが自信となり、また良い点を取れるというとても良い状態でした。そしてあるとき、岐阜模試の会場が所属校舎ではなくなり、国語に作文が追加されました。とても緊張するタイプなので、自分の心を落ち着かせることができず、受験生の年に自己最低点を取ってしまいました。その挫折の分を取り返したいと思って、とても努力し、また持ち直すことができました。あの挫折はもう味わいたくないという思いで努力を続けられ、岐阜模試の点数を一度も下げることなく、第7回岐阜模試を迎えました。420点を絶対に取らないといけないテストで力を出し切り、岐阜模試の中で自己最高点を取ることができました。そして、そのまま努力し続けることができ、合格を勝ち取ることができました。入試当日は緊張しやすい僕にしては、緊張しませんでした。志門塾に8年間通ったことによる自信や、岐阜模試の点数による自信が、不安や恐怖より大きかったのだと思います。
後輩の皆さん。高校受験には、自信と努力があれば勝てます。2年生のときや岐阜模試での挫折がなければ、合格していなかったかもしれません。挫折は誰にでもあり、また、悪いものではありません。むしろ、悔しいというバネを作ってくれます。そのバネで大きく跳ぶためには、努力が必要です。努力という言葉に嫌気がさしていると思いますが、そんなに難しくないです。間違えた問題の答えを覚えるだけでも十分努力しています。それを繰り返すことで、合格に少しずつ近づいていきます。あとは自信です。努力は自信になります。自信は努力になります。努力することが自信になり、自信がついたことで努力できます。だから、みんな努力しろと言うのです。努力する以外に道はないのです。厳しいように聞こえるかもしれませんが、裏を返せば、努力するだけです。挫折に負けずに努力をして、自信を持って、受験では合格を勝ちとってください。頑張ってください。
8年間も送り迎えをして、僕の勉強を応援してくれていた家族、一人ひとりの勉強に心から向き合ってくださった先生方には、心から感謝しています。悔いなく受験を終えることができて良かったです。ありがとうございました。
大垣北高校 合格
滝 礼覇
本部校
大垣北中学校
「泣ける受験がしたい。」
私は、誰にも話さなかったけれど、受験期はずっと、そう考えていました。姉の背中を追って、何となく決めた「志望校」が、自分で望み、掴み取った「進学先」に変わりました。自分の番号を見つけて、私も母も姉も泣いて、電話越しの父や祖父の声も震えていて、私の目標は達成できたのだなと思いました。下剋上受験ではないけれど、私だけのドラマがそこにあると気付いて、自分と関わってくれたすべての人に、誇りが持てました。
自分の心が大きく変わったのは、夏のお盆特講です。大きな期待を胸に行ったけれど、周囲とのレベルの差を突きつけられ、現実を目の当たりにしました。でも、私は私なりに努力しようと思いました。それは、担任制の稲垣先生のある言葉があったからです。
「自分のために受験ができる人間は強い。でも、誰かのために受験ができる人間はもっと強い。」
この時、自分と上位層の違いが分かりました。「思いの差」です。そして、誰かのために動いている人、自分がこの人のために努力したいと思える人と考えたとき、一番最初に出てきたのは、島本先生でした。中1か中2の頃、カウンターの上に置いてあった青いボロボロのノートを、誰かの忘れ物だと思って、中を見たことがあります。そこには、見覚えのあるキャラクターの絵があり先生のノートだと気付きました。この授業はとても面白かったなぁという気持ちと同時に、先生は生徒たちを楽しませ、印象に残る授業作りのために頑張っているのではないかと想像しました。ノートのボロボロ具合から、この考察はたぶん間違っていないと思います。だから、そんな先生を喜ばせたいと思いました。「トライアル100」で、100点を取って表彰される。本部校の滝礼覇は、優秀な先生のおかげで、ここまで来ましたと、胸を張って言いたい。私にはそれしかないと思って、人生で一番勉強しました。休憩もご飯のときも、帰りの車内でも、ベッドに入る直前まで、復習しました。吐き気がずっとしていました。もう二度とあんなことはしたくないです。でも、それでも、私は100点を取ることができませんでした。報われないことってあるんだなと、今までで一番頑張ったからこそ、ショックも大きかったです。友だちと一緒にずっと泣いていました。でもこのとき、私の心が変わったのは確かだと思うし、良い経験だったなと今は思います。受験の本当の意義を認識させてくれたライバルたちに感謝です。
夏以降は、コロナの影響もあり、各校舎での演習などの時間が例年より長くなっていたと思います。受験に対する気持ちの差を感じ、ストレスが溜まることもありました。でも、それでも私は仲間に恵まれていたと思います。毎晩遅くまで残る子の背中を見て、言葉を交わさずとも、刺激を受けたこと。しんどくなったらお互いにメモを送りあって、励まし合っていたこと。A4のノート見開きページを埋めつくす、皆からもらったメモは、何よりも強いお守りでした。
仲間のおかげで1人では見ることもできなかった、見ようともしなかった景色が見られました。塾の行き帰りで聴いていた歌を聴くたびに、長かったけどもう終わったんだなと、悲しくはないけれど、寂しいような気持ちになります。でも、これはあくまで通過点であることを忘れてはいけません。受験期、もっと自分の点数に説得力があれば…と何回も悔しい思いをしたこと。その想いをいつまでも忘れないで、次のゴールに向けて頑張っていきたいと思います。
今までありがとうございました。本部校で良かったです。
岐阜高校 合格
深草 琴音
スイトテラス校
興文中学校
私は、この1年を通して、中学3年生の学習内容と、自分の弱点、そして日常の大切さを学びました。その中から特に重要だと思った「日常」について書きたいと思います。
私は、中学1年生の頃から、どんなに短い時間でも、毎日、シャーペンを手にすることを意識していました。そうすれば、受験生にとって一番の味方である「習慣」が身に付くと思ったからです。実際に3年生になってから、その行動はとても役に立ちました。長時間行うと辛い勉強が、1つのルーティーンとして体に染みついていて、かなり負担が軽減されたと思います。また、そうして机に向かうと、必然的に復習を繰り返すことになりました。そのおかげで、3年生までは大幅に学習時間を増やすことなくいつもと同じように過ごすことができました。
習慣を手に入れることのメリットはまだあると思います。中でも私が最も感じたのは、睡眠時間をしっかり確保できることです。私は、この3年間、テスト期間も含めて、7~8時間ぐっすり眠りました。そのおかげで体調を崩すことがなく、メンタルも安定していました。習慣があったからこそ、本番も特に緊張せずに過ごせました。YouTubeだって見ていました。けれど、それくらい手に入れる価値のあるものだと思います。
「習慣、習慣」と書いてきましたが、それも周りの人の協力なしでは手に入れ難いものです。けれど、みなさんの周りには今、素晴らしい環境があります。自分が頑張ることも大切ですが、頑張れるようにしてくださる学校の先生、塾の先生、そして家族に感謝を伝えてください。そして、手に持つものをスマホやゲームからシャーペンに変え、10分からでもいいので、自分の最高の味方を育成していってください。
大垣東高校 合格
渡邊 陽向
静里校
西部中学校
僕は、中学2年生の夏に志門塾に入塾しました。このときの僕はとても他人任せで、塾に行けば点数が上がるという甘い考えでした。月曜と木曜と土曜にとりあえず塾の授業を受けて、それ以外は勉強をしないという日々でした。そのため、点数は爆発的にのびるわけもなく少しずつ自信を失っていきました。中学3年生になり、フロンティアードでの講習が始まりました。最初は緊張感を持ち、授業に臨むことができました。しかし、夏になると部活を理由に勉強から目をそむけていました。結局2年生の頃と同じような日々でした。そうしているうちに周りの子には点数をぬかされ、3年生の第2回の岐阜模試では過去最低点数を取りました。フロンティアードでの講習もどんどん下のクラスになっていきました。先生の話を聞くたびに焦りを感じました。しかし、数日後にはその焦りを忘れ、受験はまだ先にあるからと言い、遊んでいました。このような危機感の低さは僕だけでなく静里校全体でありました。このゆるい空気感に対し、先生はこう言いました。
「君達は、最強ではない。」
このとき僕はとても悔しかった。しかし、現状の自分達は最強ではないという言葉に値するほどゆるく弱かったため何も言い返せませんでした。このままではだめだと思いました。そこから1週間しっかりと自習室に行きました。しかしそれだけでした。1週間行っただけで満足している自分がそこにはいました。そのまま先生に言われたら自習室に行くという甘い考えで過ごしていました。12月に入り、最後の先生との2者懇談がありました。今まで通り何も問題なく進むと思っていました。そのとき、先生ははっきり僕に言いました。
「今の君では無理だ。」
地面に叩きつけられたような気がしました。涙が出ました。やらないといけないのに、分かっているのにできない自分が情けなくて涙があふれました。変わろう、そう決意しました。そこからはとても大変な日々でした。平日は1日4時間以上、休日は1日10時間以上毎日勉強しました。途中、ずっと一緒に頑張ってきた友達が私立の高校に推薦で合格しました。やめたくなりました。志望校を下げて遊びまくりたいとも思いました。でも、やめなかった。あきらめたくなかった。とにかく合格することだけを考えて頑張りました。正月特訓では母に何度も頼み、朝から夜まで頑張りました。雪も降っていてとても寒く、行きたくないと思うこともありました。でも、今までの自分は嫌だ、自分を変えたいという思いでやりきりました。努力とともに点数ものびてきて夏の岐阜模試では279点だったのが第6回岐阜模試では398点まで上がりました。そして私立受験がきました。当日あまり緊張はしませんでした。岐阜模試で試験の空気に慣れていたからです。数日後結果が届きました。僕は希望していたコースに合格することができました。とてもうれしくて、自信もつきました。この流れで公立高校もと思っていました。塾の入試対策でも安定した点数を取れるようになっていました。しかし、ここで問題は起きました。濃厚接触者になってしまい第7回岐阜模試をオンラインで受けることになりました。会場ではないため緊張感が持てないことがとても不安でした。また、PCR検査の結果、陽性で自宅に隔離されていました。急に受験の緊張感がなくなり、ゲームをしていました。でも考えました。今ゲームをしている間にもライバル達は頑張っていると気付きました。そこからは、自宅隔離を逆にチャンスに変えました。そして、自宅隔離もなくなり、日常に戻りました。そして入試プレテストが来ました。結果は英語が61点ととても焦りました。残り数日で死ぬ気でやりました。入試当日、とても緊張しました。震えてしまいペンもろくに持てませんでした。しかし、今までのことを思い出し、やりました。結果は自己採点が427点。不安だった英語は100点でした。とてもうれしかったです。そして合格発表の日、僕は第1志望の高校に合格しました。今まで支えてくれた先生方、家族のおかげです。この経験をもとに高校でも頑張ります。
大垣南高校 合格
竹山 孝之介
外渕校
江並中学校
受験において最も重要なことは、誰と受験を乗り越えるのかということです。これは、決して合否を誰かのせいにするということではありません。努力することは大前提、受験生がたくさん勉強することは当然のことです。僕が伝えたいのは、その上で何が大事なのかということです。
僕は、志門塾に中学1年生から3年間通いました。僕の通っていた外渕校では家族のように温かく、そして厳しく僕らに向き合ってくれる先生と、友達でありライバルでもある仲間たちとの出会いがありました。僕が受験において周囲の人たちの姿が大切だと実感した出来事は、大きく2つありました。1つ目は、先生との懇談です。僕は自分の点数より少し下のレベルの高校を目指していました。正直自信がなかったのと、ただ落ちるのが嫌だったからです。先生はそんな僕と何回も話をしてくれました。そのたびに僕に自信と勇気を与えてくれました。そうして僕は志望校を決めることができました。人生を左右する大きな決断を悔いのないように、正しい方向に導いてくれました。1人では絶対に出来なかったことでした。
2つ目は、授業後の友達との会話です。僕が帰ろうとしていると、友達が何人かで話していました。自習室に残るか残らないか、という話でした。残ろうと誘ってくれる友達と、帰ってしまおうと言う友達、僕は残ることにしました。僕が何もしていない間に勉強している友達を想像すると、とても不安になりました。そこから、僕は友達とよく自習室に行くようになりました。これを通して僕が伝えたいことは、どちらの友達と受験を共にするかによって合否は決まってしまうかもしれないということです。学習に積極的な友と受験を共にすれば、その姿が刺激となり、互いに良い影響を与え合います。一方だらけてばかりいる友と受験を共にすれば、それを言い訳に自分もだらけます。誰とどのように関わっていくかで、結果は大きく変わります。だからといってだらけている友達を見捨てるのではなく、「自習室に行こう」と、声をかけてあげましょう。受験頑張ってください!
岐阜高校 合格
川地 慶季
養老校
高田中学校
私は2年生の夏期講習から志門塾に入塾しました。入塾前、私は岐阜高校とは別の高校を志望していました。しかし、宇宙飛行士になるという新たな夢ができ、その夢を叶えるためには岐阜高校に入学し、そこで勉強を頑張って難関大学に入学するしかないと思いました。そして、岐阜高校に入学するには今の学力では足りないと思い入塾したわけです。入塾前は、学校の定期テストで良いときは430点程、悪いときだと400点を下回ることもありました。しかし、入塾後は安定して440点台をキープできるようになりました。また450点近い点数もとれるようになりました。なぜ、そうなれたのか。それは自習室に毎日通うようになったからだと思います。それまでは、1日の平均勉強時間は1.5時間程度でした。しかし、入塾した後は、1日平均3時間程になりました。また、集中の質の向上も要因の1つだと思います。家だと、周りにスマホ、ゲーム機、テレビなど誘惑がたくさんあります。しかし、自習室には、そんなものは一切なく、完全に集中できる環境が整えられています。そのため入塾前よりも相対的に勉強の質が高まり、点数上昇につながったのです。しかし、私は自分の点数に満足していませんでした。なぜなら、校舎長の大倉先生に、「最低450点は欲しい」と言われ、私も450点を目標にしていたからです。しかし、2年生の定期テストで450点をとることができませんでした。そして3年生になりました。私はより一層勉強に打ち込みました。毎日自習室に通うのはもちろんのこと、利用時間を長くするとともに、より一層集中して勉強をしました。すると学校の定期テストでは450点どころか460点台や470点台を取れるようになりました。そこで改めて努力の大切さを実感しました。
私にとって長期休暇は、長時間勉強し放題の日々という感じでした。毎日塾にこもって朝から晩まで勉強しました。どのくらい勉強したかというと、春休みは10日前後で100時間以上、夏休みは50日前後で530時間以上、冬休みは10日前後で120時間以上勉強しました。これが多いのか少ないのかはよく分かりませんが、このときにたくさん勉強したことが合格につながったことだけは、はっきりと分かります。ただ、長時間勉強することが良いと言っているわけではないので、自分に合った勉強方法で勉強しましょう。
私は岐阜模試も頑張りました。第1回岐阜模試は岐阜模試過去問集を3周したおかげで、それなりに良い結果を出すことができました。しかし、第2回からはなかなか満足のいく点数が取れませんでした。特に数学と英語の点数が低く、本番でもこのような点数を取ってしまうのではないかと不安でした。しかし、岐阜模試の解答解説をじっくり読み、解き直しをすることでその問題を理解し、自力で解けるようにすることで、できない問題を1つ1つなくしていきました。すると徐々に解ける問題が増えていきました。今思えば、あのとき問題を間違えたおかげで解ける問題が増えた気がします。
僕は志門塾に入ったおかげで岐阜高校に合格することができました。志門塾で本当によかったです。
大垣南高校 合格
大平 梨聖
安八校
東安中学校
今年の1年間は今までで一番大変な年だった。私は、吹奏楽部に所属していたため一番勉強の出来る夏休みも部活の予定が入っていたり、みんなよりも部活の引退が2、3ヶ月ぐらい遅かったりしたからだ。自分が部活をしている間、みんなは勉強していると考えると、とても不安に感じた。なぜなら、2、3年生から成績が伸び悩んでいたからだ。部活の大変さを知っていたため、私は3年間ほぼ毎日自習室に通っていた。それでも、あまり身につかなく焦っていた。部活と勉強との両立の仕方に悩んでいることを先生に相談した。そうすると、「自分が部活を引退した後、結果に後悔したりせず、勉強に力を入れることが出来る?」などの言葉を言われた。この言葉を聞いて、部活も自分にとってはとても大切な物だと改めて実感して、より両立出来るように頑張ろうと思えた。今、思えば先生達にたくさん相談にのってもらって、応援をしてもらったと思う。勉強で分からないところがあれば、分かりやすいように教えてくれ、とことんつき合ってくれた。それに、不安がっている自分に対しても声をかけてくれて本当にうれしかった。こんな感謝する気持ちもあれば、正直とても迷惑をかけてしまったこともある。一度聞いたことのある質問を何回も聞いたりしていたことだ。それでも何回も教えてくれた。これは、家族も一緒だ。塾に必ず車で乗せて行ってくれた。早く自習室に行くために、大変だろうに晩ご飯も作ってくれていた。自分のためにこんなにもやってもらえることに幸せを感じた。ただ、やはり進路のことでケンカすることもあった。しかし、自分の話も聞いて1つ1つ慎重に話し合うことが出来た。そんなこんながあり、ついに入試プレテストの日になった。岐阜模試の時でも、あまり点数が伸びていなかったため、どうせ今回も低いに決まっているなどとネガティブに考えていた。しかし、最後の最後で大幅に点数が上がった。自分でも、驚くような点数だった。これも今まで自分が頑張った成果であり、また、先生達が重点的に出題されそうな重要なところを教えてくれたり、プリントでたくさん演習させてくれたおかげだ。当日も自分が見たことがある、やったことがあると思う問題があったからだ。当日も、すごく緊張していた。本当に大丈夫なのかと考えるたびにお腹が痛かった。しかし、入試前日にみんなで安八校に集まって聞いた先生の話や、先生にもらった物を入試前日に読んで心に残っている言葉を思い出した。「自分が頑張ったことに変わりはない」そう思うことが出来た。そして、今日無事に大垣南高校に合格することが出来た。自分でも信じられないくらい驚いて、何度も受検番号を見直した。今まで、自信が全然なくて、「どうせ」とか考えていたけど今日の結果ですごく自信を得ることが出来た。高校受験が終わっても次は大学受験がある。しかし、今までがんばってきたことを高校でも頑張っていきたい。そう思えるのも先生達や家族のおかげだ。
岐阜高校 合格
原 優慈
池田校
池田中学校
1年生、2年生とそこそこ勉強して、そこそこの点数を出し、そこそこ部活を頑張るという中途半端な生活をしていました。そのまま3年生になり、迎えた第1回岐阜模試。私は数学の図形の面積比や、規則性でつまずき、「できない。できない。」とばかり頭の中で考えて、できる問題ですら解けず、点数が取れませんでした。それまで数学は得意だと思っていたこともあり、とても落ち込みました。そんな私に母がかけてくれた言葉があります。「落ち込むのも大切。でも落ち込んでいるだけでは何の利益も生まれないよ。何のために模試を受けたのか考えなさい。」と言われました。私ははっとしました。そこで私は参考書を購入し、基礎から応用までとにかく毎日数学の勉強をしました。するとだんだん自信が湧いてきて、解けない問題がほぼなくなりました。難しい問題も、「解ける。解ける。」とプラスに考え続けられるようになり、数学だけでなく全ての教科もできるようになっていきました。
確かに、入試の問題は難しく、できないものもあるでしょう。しかし、どんな時も「できる。できる。」と嘘でもいいから考えてみてください。それは誰にでも言えることです。優秀な人も、自分に自信がない人もです。苦手科目を苦手だと思いすぎないでください。苦手科目の点数を上げることは得意科目をもっと伸ばすよりも効果が大きいです。「できる。できる。」と努力をすることが合格への鍵だろうと思います。
お世話になった塾の先生へ。受験直前期には、先生たちの家族がいるにも関わらず、私たちのために自習室を開放してくださり、ありがとうございます。また質問も分かりやすく教えて頂いたおかげで効率よく学習できました。
母へ。いつも笑顔でおいしい料理を作ってくれて、仕事もあるのにほぼ毎日塾へ送迎してくれてありがとう。高校生になっても迷惑はかけるだろうけど、少しでも負担が減るように頑張ります。
後輩へ。前に書いたように「できる」と思い進んでいってください。しかし、できないものはできません。でもそれをできるようにするには、ただ演習量をこなすしかありません。できないことを明確にするために、模試を受けるので、そこをできるように最後まで追い込んでください。
多治見北高校 合格
杉本 敦哉
多治見駅前校
陶都中学校
兄が多治見北高校で試験を受けている時、僕はゲームをしていた。兄が合格発表を見に行った時僕はベッドで寝ていた。3年生になるまでは、受験に全く興味を持っていなかった。だから第1回岐阜模試も全く勉強せず臨んだ。当然結果は悪かった。しかし、周りの友達は100点を取っていたり、5教科で400点を超えていたりしていた。また塾の先生も、よく高校受験について話すようになった。それでも僕は焦ったり、不安になることはなかった。春には「夏がんばれば良い」と考え、夏には「冬がんばれば良い」と考えていた。結局、12月までたいして勉強することはなかった。しかし、1冊のテキストにより僕の状況は一変した。そのテキストの厚さが15㎜程度あったからだ。これはまずいと思い、自分でインターネットの使用を制限するようにした。すると僕の生活習慣はとても充実したものになった。まず、勉強時間と読書時間が大幅に増加した。そして、夜10時には寝るようになり、朝の5時半に起きて7時まで勉強するようになった。自分でも、想定外の事だった。インターネットの使用を制限することが、自分の生活習慣をガラリと変えてしまうなど考えもしなかった。これ以降、僕の成績は右肩上がりにのびていった。そして迎えた入試。晴れやかな気持ちでテストを受けた。国語、数学、英語と、問題なくテストを終わらせていった。そして社会のテストも終わった時、僕は真っ先に今までお世話になった塾の先生や家族に感謝したいと思った。
多治見北高校 合格
井澤 優
多治見駅前校
陶都中学校
私はこの春、小学生の時から憧れていた多治見北高校に合格することができました。私の夢は獣医になること。これは、小学校低学年の時から心に決めていた誰にもゆずれないものでした。この夢を叶えるには、地域でトップレベルの多治見北に行くしかない。そう思って中2の冬から私は受験勉強を始めました。
まず受験勉強を始めて最初につまずいたのは、通常の学校での中3の内容と今までの中1・中2で習ってきたことの復習の両立です。学校ではどんどん先へ進んでしまうし、自分のやりたい勉強ができず辛い日々もありました。また、自分が小学生のときから続けている馬術では、全日本や国体などの大きい大会が次々とせまってきて、「なんで自分だけこんな大変な思いで大会も受験も両立させなければいけないんだ。」とイライラすることもありました。しかし、志門塾で行われたお盆特訓や正月特訓、直前講習などを通して自分が甘かったことに気付きました。周りのライバル達は、もっともっと努力していた。自分はまだまだ余裕があると思って馬術にばかり力を入れている間に、友達は遊ぶ間も寝る間も惜しんであと1点、さらにもう1点と点数をとる為の努力をしていました。「このままでは、置いていかれてしまう。」そう思った私は、今までの自分の勉強への意識を見直し、馬以外の時間をほとんど勉強に費やしました。そうして努力してきたことがこの春、実って合格を手にすることができました。
ここまで私が頑張り切れたのは、ひとえに塾の先生と家族のおかげです。ご自分の娘さんと私の境遇が似ているから、とたくさんたくさん私の状況を気にしてくださった村瀬先生、各教科で分かりやすく教えてくださった先生方、そして家で馬術でも勉強でも私を支えてくれた家族。皆さん、本当にありがとうございました。感謝の気持ちを忘れず、多治見北高でもトップを目指し馬術との両立を必ず成功させます。
多治見北高校 合格
足立 凱亮
京町校
多治見中学校
中1の時から多治見北高に行きたいと思っていました。ただまだその時は、かなり軽く考えていたので、あまり本気で勉強をせず、中2の後期まではテストの点数も悪く250点前後で留まっていました。中3になり、テストの点数は300点台になりましたが、努力の成果ではない点数の上昇だったので、そのままのモチベーションで、塾にもただなんとなく通っていました。中3の夏休みは毎日塾に通ったものの、やはり自分に甘く、まだ7ヶ月あると楽観的に考えていました。友達からは、もっと厳しくと忠告もされていましたが、多治見高校でもいいかなと思ってしまう自分がどこかにいました。それでもやはり第一志望は多治見北高校でした。冬休みは朝から夜までずっと塾で勉強して、学校最後の実力テストでは350点まで取れるようになっていました。満足のいく点数ではなかったけれど、挑戦してみようと思えました。最後は入試本番で点数を少しでもとれるようにと、苦手な英語の勉強に集中しました。
後輩の皆さん、この高校に行くって決めたら、たとえその時の成績では無理だと思えても、その第一志望の高校を早いうちに担任の先生に伝えてください。宣言することで逃げ道を作らないようにしてください。逃げ道が残っていたら、思うようにいかなくなった時、自然に楽な方へと行きたくなってしまいます。そして、悩んだ時は親や先生に相談してください。きっと力になってくれます。
多治見北高校 合格
白川 心結
京町校
南ケ丘中学校
昔から周りよりもできない奴でした。運動はもちろんダメだし、勉強だってできなかったです。あまりのできなさだったので、塾へと足を運ぶことになりました。それから今までまともにやってこなかった勉強と向き合うことになりました。
最初のうちは、もちろんうまくいかないことの方が多かったです。でも、だんだん取り組むうちに結果がついてくるようになりました。そして、いつしか多治見北高校を目指すようになりました。多治見北と言えば、この辺りではかなり上位の高校です。他の人から見ると無謀な挑戦だったと思います。それでも、先生は一緒に合格を目指して頑張ろうと約束してくださいました。そこからの時間は大変短かったように感じます。
3年生になって、受験勉強も本格化していきました。特に夏になってからはただひたすら、必死に勉強に取り組むようになっていったと思います。岐阜模試の成績も夏を乗り越えたころ、ぐんと伸びました。
しかし、うまくいかなかったことの方が圧倒的に多かったです。学校での三者懇談では、多治見北高校は無理だと言われました。言われ続けました。親ともこのまま多治見北を目指していいのかと話し合いを何十回も重ね、口論を常にしていました。その頃は模試の結果も伸び悩み、うまくいかない日々が続きました。何回も泣きました。自暴自棄になりました。精神状態は日に日に悪化していきました。なんども諦めようと思いました。それでも、先生方はたくさん応援してくれたし、私のことを真剣に考えてくれました。友人たちはこんな私の話をたくさん聞いてくれました。励ましてくれました。それが私の心の支えでした。諦めることなく最後まで志望校へ向かっていきました。
合格発表では、直前まで緊張で吐きそうになりながらも重い足を動かし、会場へと向かいました。心臓の音が、自分にも聞こえてくるぐらい強く打っていました。震える手を動かしながら、自分の番号を探しました。
1043番。自分の受験票に書かれていた番号がそこに書かれていました。何度も見返すうちに、いつの間にか涙が頬を伝い落ちました。
今までの努力が報われた気がしました。
多治見北高校 合格
脇田 想
小泉校
平和中学校
私は、学校の部活動を3年生の12月末に引退しました。周りの受験生と比べ、引退が遅い分、勉強に打ち込める時間が短いことは明確であったため、たくさんの不安を抱えていました。引退前最後の大会に向けた練習を優先したために、冬休み前半の冬期講習にはみんなと同じように参加することがあまりできませんでした。しかし、先生がやるべきことの優先順位をしっかりと示してくださったおかげで、時間がない中でも効率的に学習に取り組むことができました。
また、私は平和中学校生でしたが、自宅からの距離のことを考慮して、多治見駅前校ではなく小泉校に通うことを決めました。小泉校は、小泉中学校生がほとんどでしたが、みんながたくさん話しかけてくれたおかげで、雰囲気に馴染むことができました。そして、多治見駅前校には平中生の仲間がいたので、岐阜模試や直前講習の際など、時折同じ場所で勉強できたということがモチベーションUPにつながったと感じています。
入試当日、試験を終えた私は、大きな手ごたえを感じていました。自己採点では、本番4日前のプレテストの結果を50点も上回る、自分にとって最高の点数を叩き出すことができました。改めて、目標に向かって努力することの大切さを実感した瞬間でした。
4月からはいよいよ高校生となり、大学受験という大きな世界に足を踏み入れることとなります。その道中で、辛いことや悲しいことに出くわすこともあるかもしれないけれど、志門塾で教わってきた様々なことを心に留め、これからも日々努力を続けていきたいです。
多治見北高校 合格
髙橋 叶穏
小泉校
北陵中学校
初めの方は内申も良く、実力テストも400点近く取れていたので、今の状態を続ければ受かるだろうとなぜか自信がありました。しかし、岐阜模試を受けたことでその考えが大きく変わりました。実力テストでは、得意教科である英語、数学は毎回高得点を取れていたにも関わらず、岐阜模試では50点しか取れませんでした。焦りをとても感じましたが、やる気は変わりませんでした。今の状態で努力すれば受かるだろうと、まだまだ甘く見ていたからでした。
1月に始まった直前講習。そこでやる気に火がつきました。直前講習では、3つの校舎の生徒全員で行い、テストの点数の順位で席が決まりました。テストの点数が低いことに自覚がありましたが、いざその席に座ると悔しさと恥ずかしさが込み上げてきました。やっとやる気が出て、そこからは本気で一日を勉強につぎこみました。授業の日には少しでも早く塾に行くこと、暇があれば勉強すること、とにかくたくさん努力しました。次第に順位の高い席へと変わっていき、努力が目に見えてきました。短い期間でも努力すれば変わるのだとその時わかりました。
受験当日、緊張や不安よりも楽しいと感じました。勉強したところが出た時には、本当に嬉しかったし、解くのがすごく楽しく、楽でした。
合格発表では、前日から不安がすごく、全然寝ることができませんでした。当日も緊張から頭痛、腹痛がひどく、結果も見たくありませんでした。会場に着き、自分の番号を目にした時、自然と涙が出てきました。親は、「よくがんばったね」と言ってくれて、この受験をがんばってよかったなと本当に思いました。
ここまでできたのは、親と塾の先生方、友達のおかげです。努力することは本当に大事なことだとわかったので、ここで終わらずがんばり続けたいです。
彦根東高校 合格
森下 太聖
彦根校
彦根東中学校
僕が受験勉強に本気で取り組みだしたのは、夏休み中にあった米原高校のオープンキャンパスの後からでした。中3の夏休みの頃は米原高校が志望校で、オープンキャンパスに来ている人の多さを見て、頑張らないとやばいと思い、そのときから受験勉強を頑張りはじめました。V模試の1回目や2回目では志望校はB判定で、3回目と4回目から志望校がA判定となり、自分では行けないと思っていた高校ではB判定と良い結果が続いて出ました。また、毎週土曜日に実施される5教科のテストでも良い結果が出続けて、特に数学ではトップになったり2番目になったりと好調が続いていました。しかし、受験4週間前ぐらいの時期から数学と理科の点数が全然とれなくなり、そのスランプが3週間続き、自分の実力では高校に落ちるかもしれないと思い、志望校のレベルを下げておけばよかったなどと考えたこともありました。それから毎日のように落ちることへの不安がぬぐい切れずにいました。しかし、入試直前の最終土曜日のテストで数学のスランプから抜け出せたように感じました。どうして抜け出せたのかを考え、そこで思い出したことがあります。
以前、日本ハムファイターズの新庄監督が言っていた言葉に「練習は頑張るな。楽しめ」という言葉がありました。そうか、結果を出そう出そうと考えていたために、固くなってしまっていたのだ、数学の問題を楽しんで解いたらいいんだと開き直ったとたんに結果が出ました。
入試の前は「当日に難しい問題が出たらどうしよう」とか「全員が自分より賢かったらどうしよう」などと思い悩みました。受験当日は友達と「緊張するよな」と言いながら高校に向かいました。ですが、いざ問題が配布されたとたんに緊張が吹っ飛びました。とても不思議な感覚でした。楽しんで問題を解いていたような気がします。もちろん合格発表まではめちゃくちゃ緊張していました。合格発表掲示板に自分の番号があるとわかったときは、喜びよりも安心感が強かったです。頑張ってきてよかったと思えました。毎日のように送り迎えをしてくれたお母さんに感謝したいです。
彦根東高校 合格
小倉 悠将
彦根校
彦根東中学校
中学3年生の夏休み前、受験をドラマや漫画でしか知らなかったため、受験といえば、頭にハチマキを巻き、徹夜をして勉強するものだと思っていました。そろそろ受験に向けて頑張らないと、と思っていても、何から始めればいいのかわからなかったのが塾に入ろうと思ったきっかけです。いろんな塾を見てまわった結果、少し家から遠かったけれど、先生方の授業がわかりやすかったことと勉強しやすい環境だと思ったので志門塾を選びました。
本格的にやる気になったのは、模試の結果が良かったときからです。それまで別の高校を目指していた僕は、彦根東高校もいいなと思い始めました。夏休みが明けて、僕は選抜クラスに移動するとともに、土曜日に入試問題を解いて、日曜日に解説ノートをつくることが習慣になりました。初めはなんとなくこなしていた解説ノートも、選抜クラスの中でおいて行かれていると感じたことがきっかけで、本気でつくるようになりました。初めからそうすれば良かったと焦りながら必死になってやったことが力になったんだと思います。
12月の終わり頃、遠い未来だと思っていた入試まであと3か月だということに驚き、焦りました。年末にいただいた理科の記述対策プリントはとても役に立ちました。おかげで苦手だった記述問題に対して得意意識が芽生えました。
入試は、私立入試の時も公立入試の時も人生で一番緊張していました。前の日に早く寝て、目覚まし時計が鳴るよりも早く起きました。合格発表の時は、それほど緊張しませんでしたが、自分の受検番号を見つけた時はとても嬉しかったです。
受験を振り返ってみて、もっと早くから自分の弱点を克服する過程を踏んでおけばもっと落ち着いて入試に臨めたはずだと思います。自分の間違いをすぐに直さず、数週間放置しておいたこともありました。このような反省すべきことやうまくいったことも含めて高校に行ってからもがんばっていきたいです。
今、一番感謝したいのは志門塾の先生方です。もしここに通わなければ、彦根東高校を志望校にすることも、合格することもできなかったと思います。1年間ありがとうございました。
膳所高校 合格
今井 雄一郎
長浜校
長浜北中学校
振り返ってみると、僕にとって高校受験は自分自身を大きく成長させる貴重な経験でした。
僕は、中学2年生の終わり頃から志門塾に来させていただき、中学3年生から本格的に授業に参加するようになりました。入塾のきっかけは「入試勉強はこれまでとは違い、1人でどうにかなるものではないのでは?」という思いでした。もともと勉強が苦手ではなかったため、定期テストや確認テストではそれなりの点数を取ることができていました。しかし、入試となると簡単にうまくいくはずがなく、高いレベルの高校を目指すならば自分だけの力では厳しいと感じて、入塾する運びとなりました。塾に通うようになって最も大きく変化したことは、質と量の両方を追求した勉強をするようになったことです。わかりやすく言うとよく勉強するようになったといういたって普通のことですが、僕の中では劇的な変化でした。恵まれた学習環境で、勉強中心の生活を過ごす日々は、新たな発見と体験に満ちていてとても新鮮でした。量をこなす体力を身につけ、1つ1つの学習の質を上げる意識を持って勉強を積み重ねたことが、大きな武器になったと今になって思います。
志門塾で過ごしたのは1年という短い時間でしたが、本当に充実した毎日で、他校の仲間との出会いや難しい問題を解けるようになった喜びなど多くの思い出ができました。
中でも印象深いのは、「お盆特訓・正月特訓」です。まず、初めてのビッグイベントとなったお盆特訓。他校舎の生徒・先生と交流したり、ハイレベルな内容の講義を提供していただけたりすることに胸をはずませながら当日を迎えたのを覚えています。実際、普段と異なるメンバーと勉強することで様々な刺激を受け、自分の取り組み方や意識を良い方向へと高める良い機会となりました。そしてテキストを回すことで対策を徹底した毎日の確認テストでは、4日中3日でランキング1位、1日ランキング3位と高記録を保つことができました。長浜校としての優勝はできなかったけれど、密度の濃い4日間となりすごく良い経験だったと思います。
お盆の経験を活かし、さらに勉強を重ねた夏、秋を乗り越えて迎えた正月特訓。実はこの1年間で最も苦しく、辛かったのがこの正月特訓でした。初日から僕にのしかかる約束された1位の重圧に心が押し潰されそうになり、確認テストをするのが正直怖かったです。それでもなんとか高順位を獲り、総合優勝をすることができて本当にホッとしたし、嬉しかったです。長浜校の絆が深まるとともに、様々な面で成長できた2大特訓となりました。
こうしてたくさん経験し、たくさん学び、たくさん悩みもした僕の高校受験は、本当に多くの方々に支えていただいたおかげで望ましい形で終えることができました。
僕が正式に膳所高校を志望することを決めたのは、中学3年生の夏でした。夏休みに複数の高校のオープンキャンパスに参加し、各学校を知っていくうちに、雰囲気や環境、部(班)活動などにおいて最も自分に合っている、自分がここで3年間過ごしたいと感じたのが決め手となりました。しかし、覚悟はしているものの、やはり受験勉強は手強く、模試の点数や評価に伸び悩みくじけそうになることも多々ありました。そんな時に、いつも僕を支えてくれたのは、両親や志門塾の仲間・先生方の存在でした。「大丈夫だよ」「これだけやってきたんだから」と、励ましてくれて、応援してくれて、すごく勇気づけられました。結果として無事に合格できたことも、決して僕1人の頑張りではなく、たくさんのデータや学びを提供し常にサポートしてくださった先生方、送迎やお金を負担して僕を塾に通わせてくれた両親、互いに助け合い、高め合ってきた仲間の支えがあったからこそなのだと強く感じています。本当に、感謝の気持ちで胸がいっぱいです。受験だけでなく、多くの方々に支えていただきながらここまで来ることができたことに感謝し、これまでの経験を糧にさらなる成長を目指して、夢に向かって精進していきたいと思います。
後輩のみなさんへ。自分の志願する高校への道のりは、きっと平らではないでしょう。つまずいたり、迷ったり、悩んだり、そもそも目指すものがわからなくなってしまうこともあるかもしれません。ですが、それらはみなさんを大きく成長させる1つの試練です。逃げずに立ち向かっていってください。人によってきついと感じるものは異なりますが、たとえ小さな困難でも乗り越えることで新たな一歩を踏み出すことができるのです。「努力は必ず報われる。」みなさんの素敵な花が満開に咲き誇ることを陰ながら応援しています。自分を信じて、頑張ってください。
彦根東高校 合格
藤田 果歩
長浜校
木之本中学校
中学2年生の3月、それまで通っていた塾の校舎が閉校されることが決定した。小学6年生から通っていたこともあり、思い入れが深かった校舎とお別れをするのはいよいよ受験生となる私にとってはかなり大きな決断だった。それからたくさん悩んだ末に、別の校舎で勉強を続けることを決め、初めて長浜校へと足を運んだ。家から塾まで行くのにかかる時間はそれまでの4倍以上。ルールや雰囲気も違い、不安でいっぱいだった。そうして受験生としての1年がスタートした。新しい環境で頑張っていこうと思っていた矢先、新型コロナウイルスの影響で通っている中学校が休校となった。塾に行けない不安。家だと勉強に集中できないいらだち。周りの子に遅れをとっている焦り。たくさんの気持ちがうず巻いていた。ようやくあけた休校期間。久しぶりに塾に来た私を塾の先生は笑顔で出迎えてくれ、遅れた分のサポートを手厚くしてくれた。3年生は内申点がとても重要になってくる。そのため、定期テストにも今まで以上に力を入れなければならなかった。休校というブランクを抱えながらも、1学期末のテストの結果は過去最高点。この塾でもっともっと頑張って希望進路を実現したいと初めて思った瞬間だった。
体力強化の夏が始まった。先生が設けた受験生への課題は「1日10時間勉強」。開いた口がふさがらなかった。それでも、やりきれなければ落ちて行くのみ。私に残された道は、ただただ一生懸命に勉強するだけだった。「1日10時間勉強」が日常化してくると、時々、「本当に意味はあるのだろうか」、「何でこんなに頑張らないといけないのか」と思う日もあった。それでも長い長い夏を耐え抜けたのは先生のある言葉があったからだ。「良い努力は裏切りません。でも、悪い努力は裏切ります。」先生はこの言葉をよく言っていた。私はこの言葉が好きだった。辛いときや、あきらめかけたときは決まってこの言葉を思い出し、自分を鼓舞していた。そして迎えたお盆特訓。他の校舎の子たちと受ける授業。いつもの先生とは違う先生方。全てのことが新鮮で、良い刺激となった。自分が苦労して解いた問題をいとも簡単に解いてしまう子。自分が知りようもない知識を当然のように知っている子。正直、自分の学力に自信があった私にとってお盆特訓は気合いを入れなおす良い機会にもなった。
とても暑く、忙しかった夏の反動で気がゆるむ秋。私も例にもれず気が抜けていたんだと思う。定期テストで過去最低点をたたき出した。さらにはV模試の結果も伸び悩んでいた。母親に一度塾へ行き先生と話をするように言われた。塾の先生はいつもと変わらぬ様子で話を聞いてくれ、自然と涙が出た。先生は「夏の努力は必ずいきてるよ。気をとりなおして頑張ろう。」と言ってくれた。この先生との懇談があったから、私は辛い秋を乗り越えることができた。
ついに迎えた本当の受験シーズン。学校でもまわりの子たちが目の色を変えて頑張り始めたのがヒシヒシと伝わってきた。この頃から私は「後悔しない受験」について考えるようになっていた。私の目指す高校は、県内でもかなりレベルの高い高校で毎年定員オーバーしている。不合格になる可能性だって充分にある。もしそうなったとき、後悔のない受験だったと言えるのか。一体、後悔しない受験って何なんだ。毎日そんなことばかり考えていた。そして正月特訓が始まった。今度の特訓はショックの連続だった。3日間毎日行われる総合テストの結果は最悪。志望校のレベルに見合う結果では決してなかった。悔しくて悔しくて涙が出た。ナーバスな気持ちを引きずったまま最後のV模試を受けた。成績は大きく伸びていた。本当に本当に安心した。夏の努力は無駄ではなかったんだと実感できた。
特色選抜は不合格だった。でも不思議と焦ってはいなかった。もちろんショックではあったが、この1年間ずっと一般選抜に向けてのトレーニングをつんできたから自信がついていた。残りの日々は頑張るしかなかった。自習、自習、自習。それだけが安心材料だった。一般入試の日。高校へ向かう車の中で母親は泣いていた。それは1年間の私の努力に感動していたからだそうだ。この時、私は気がついた。「後悔しない受験」とは高校に合格することではなくて、合格をつかみとるために、日々ひたむきに努力することなのだと。朝一に塾から届いたメッセージも、わざわざ朝早くに電話をくれた祖父母も送り出してくれる両親も一心に私を応援してくれていた。ならば私はその気持ちに応えなければならない。結果は誰にもわからない。でも、やれるだけのことを全力でやる。それが私にできる恩返しだった。緊張はしたが、不安はなかった。それは、周りの人々が私を信じてくれているし、何より自分が一番自分の努力を知っているからだった。
いよいよ合格発表の日。さすがに心臓が破裂しそうだった。そして自分の番号を見つけた時、涙が止まらなかった。両親は私に「泣ける受験をさせてくれてありがとう」といった。そこで私は「後悔しない受験」を実現できたのだと思えた。辛いときたくさんの優しい言葉で支えてくれた塾の先生や1年間遠い距離を送迎してくれた両親、他にもたくさん協力してくれた周りの方々には感謝してもしきれない。周りの協力なしではこの合格はできなかった。私はここまで生徒に寄りそってくれる塾はないと思う。だからこそ声を大にして言いたい。私は志門塾が大好きだ。
長浜北高校 合格
眞川 聖
近江校
双葉中学校
私が志門塾に通い始めたのは小学5年生の時だった。小学5年生にもなって算数の通分を解くことができなかったが、強い志を持った先生達のおかげで私は長浜北高校へ進学することができた。
中学3年生の春、これから頑張ろうと思いつつも、やはり欲に負け、家でゴロゴロする日々を送っていた。この時の私はまだ「塾に通わされている」という気分でいたのだろう。自習室に行くことはほとんどなく、学校のテストの3週間くらい前からしか自習室に通わなかった。気がつけば夏休み、夏休みが自分の実力を伸ばすチャンスだというのに、私は勉強をする気になれなかった。私の心の奥底に「まだ半年あるし、大丈夫」という謎の安心感があったからだろう。けれどある日、姉に「そんな状態で志望校行けるとでも思ってるん?」と言われた。本当にその通りだと思った。私はこの半年間何をやっていたんだと後悔した。それでも私は変わることができなかった。中学3年生の10月、普通ならば毎日自習室に通っていてもおかしくはない時期だ。私は学校の中間テストにしか力を入れておらず、中間テストが返ってきた後も間違えたところを復習しなかった。中間テストが終わったある日、校舎長から受験についての詳しい説明を聞いていた時だった。私は初めて真剣に受験について考えてみた。塾に通わせてくれる両親、応援してくれる友達や先生達のことを思うと本当に申し訳なかった。私は次の日から毎日自習室に通うようになった。疲れて行きたくなかった日もあったけれど、みんな応援してくれているのにその気持ちを裏切ることはしたくなかった。だから毎日塾に通うことができた。
今思うと苦しいことやつらいこともあったけれど、とても貴重な経験になった。志門塾では強い信念と志を学ぶことができた。志門塾で学んだことを忘れず、これからの人生を歩んでいきたいと思った。
彦根東高校 合格
北島 大河
近江校
双葉中学校
私は、正月特訓で大きく成長できたと感じます。12月までは、部活や生徒会活動があったということもあり、あまり勉強に集中して取り組めていませんでした。正月特訓のランキング発表などのイベントを通して、私に火がついた気がしました。一緒に受験に取り組む仲間は少なかったものの、一人ひとりの結び付きが強く、より強固な絆で結ばれたと感じます。「受験は集団戦」というように共に頑張る仲間の存在は大きいです。正月特訓で校舎対抗のランキングが出た時には、悔しい思いをしました。入試までには見返してやるという気持ちで、毎日勉強に取り組みました。その中で大きかったのは、仲間の存在だけでなく、先生の助けや家族の支えです。夜遅くまで何度も質問をする私に先生方は、1つ1つしっかりと向き合って答えてくれました。不安で悩んでいた時には、「できる」「自信を持って」と声かけをしてくださり、自信につながりました。家族は送り迎えだけでなく、毎日「おつかれさま」と言ってくれました。多くの人の協力が私を強くしました。多くの人の思いに応えたいと強く思うようになりました。周りの人の支えが当たり前だと感じていた私に支えがあることの大きさ、支えてもらえることへの感謝の気持ちの大切さを、受験は教えてくれました。1人だと感じる事があっても、必ず誰かの支えがある。協力や助け合い、支え合いの重要性を受験で学びました。苦しい事や難しい事を乗り越えるには、人と協力することが最も効率的な方法であり、最も必要とされていることであると感じました。