受験体験記

志門塾の子どもたちが書いてくれる体験記は長いものが多いですが、長さを感じさせません。

志門塾の受験体験記は変わっていると言われます。何の制限もなく子どもたちに自由に書いてもらっているためか長文になる場合が多いです。私たち講師が嬉しくなるのは行間に子どもたちの人間的成長が垣間見える時です。学力だけ優れている人間ではいけないと伝え続けてきたことが届いたと思えるからでしょう。志門塾の受験体験記は、そのまま私たち講師にとって自分への戒めや励みです。

「挫折は、成功の始まり」 そこで僕の火はついた。

岐阜高校 合格
向井 健人
トップレベル選抜・岐阜
厚見中学校

令和2年3月18日水曜日午前9時0分0秒。掲示板に合格者受験番号が張り出された。257という番号だけを僕は必死に探した。

「あった。」

これが僕の第一声だった。そして、その声と同時に涙が大量にあふれでてきた。その瞬間に足が動きだし、飛びついた。その先にいたのは、澤田先生だった。

僕の家は、2つある。自分の家と志門だ。僕は、志門で最高の時間を過ごし、最高の先生に出会い、最高の友達と勉強を頑張った。僕は、みんなが勉強しているから僕もやろう、という考えで勉強していた。友達が休んでいたら、自分も休むなど、自分の勉強に対する気持ちの中に、『甘え』というものが存在していた。しかし、中2の勉強合宿で変わった。初日のテスト、僕の名前が呼ばれることはなかった。とっても悔しかった。友達に合わせて、流されながら勉強をしてきたつけが回ってきたのだと感じた。だから、僕は、夜まで頑張った。みんなは、楽しんでいる。遊んでいる。誘惑はたくさんあった。しかし、こんなときでもやはり友達がいてくれた。だから僕は、頑張りきることができ、最終テストでは友達と共に檀上に登ることができた。

中3になり、中学生から受験生へと変わった。勉強はとても苦痛だった。多くの課題が出て、たくさんテストがあったからだ。しかし、勉強を頑張っている自分がそこにいた。ただただ友達に負けたくない一心だった。テストで結果がでたとき、親に褒められた時、うれしかった。そんな時から、勉強するのが苦痛から普通になっていった。

勉強合宿では、たくさんの刺激を得た。自分より頭の良い友達がたくさんでき、僕の気持ちの火がさらに強くなった。一日中勉強を楽しくでき、イベントもあり、勉強するのが楽しくなっていった。しかし、ある時を境に火は消えていった。僕は今までと同じように勉強をしていた。それなのに、成績は下がっていった。なかなか這い上がれなかった。滝高校も不合格だった。2月9日。僕の火は完全に消えてしまった。そんな時、母が僕に手紙をくれた。その中の言葉に僕は救われた。「挫折は、成功の始まり」そこで僕の火はついた。不合格になったのは、力が足りなかっただけだ。ならもっと頑張ってやると勉強にすべてを費やした。ほぼ毎日塾に通い、質問をし、見せる物はしっかりと見せて、ひたすら努力した。火を消すことなく、3月10日まで一人ではなく、友達と頑張った。そして、岐阜高校に合格することができた。

しかし、この合格の裏には、たくさんの人の支えがあった。母は、6年間ずっと塾の送迎をしてくれた。また、僕の時間に合わせてご飯を作ってくれたり、弁当も作ってくれた。時には、僕に喝を入れてくれた。父は、僕をたくさん助けてくれた。僕が夜遅くや、朝早く勉強していた時、僕と一緒に起きてそばにいてくれた。合格したのは、自分ひとりの力だけではなかった。そのことをしっかりと覚えておき、今後もどんな事にも火を消さずに頑張っていく。

全員で合格したいと強く思った。

岐阜高校 合格
岩下 璃乃
RESPECT長良
東長良中学校

私は、この1年間で受験は大切な仲間と乗り越えるものだと強く強く実感した。

小学6年生の3月に入塾し、それから3年間、自分を変えてくれる大好きな仲間と出会い学習をした。中学1年生の頃は、学校の定期テストの点数も塾の統一テストや月例テストの点数も悪く、当時は岐阜高校合格など夢のような話だと思っていた。いくら勉強しても伸びなかった点数にとても悩まされた。けれど、塾にはいつも一緒に頑張る仲間がいて、一人一人が自分と戦っていた。その姿に毎日のように刺激を受け、勉強の仕方を工夫した。そして、中学2年生になって、点数がとても伸びた。その時、努力し続ければ岐阜高校合格を実現させられるのではないかと思った。私の受験は、中2の6月、この時に始まった。毎日のように塾に行き、時間があれば自習室に行った。周りで頑張る仲間を見て、一緒に合格したい気持ちでいっぱいになり、自分自身も勉強に熱中できていた。しかし、苦しかったこともある。それは、部活との両立だ。ソフトテニス部に所属していた私は、とても良い環境に恵まれていた。時間があればコートを借りて、指導をし、多くの試合経験を積ませてくれる熱心なコーチがいた。部全体としての目標達成に向けてハードな練習が続いた。火曜日、木曜日の夜練習が毎週あり、土曜日と日曜日は一日中の練習だった。塾に行くことのできる時間が減り、不安になることもあった。けれど自分の中の岐阜高校合格という意志は強くなるばかりで、決めたことを途中で投げ出すことを許さない自分の芯が支えとなった。塾も部活も一緒だった仲間の2人もいて、自分は1人で戦っているのではないことを日々、実感することができた。そして、中学3年生になり、岐阜模試が始まった。夏の合宿への参加権を得るチャンスにもなり、志望校判定が毎回行われる岐阜模試だ。私は岐阜模試がとても好きだった。毎回自分の中で目標点数を決め到達できないと、とても悔しかった。しかし、嬉しさもあった。自分には、まだ伸びしろがある、まだまだいける、そう思えたからだ。伊藤先生もたくさんの声をかけてくださった。自分を応援してくれる人を喜ばせたいという気持ちも大きくなった。第1回の岐阜模試での点数は、あまり良くなかった。夏の合宿に参加するために部活も勉強も必死にやり、英数テストではとても満足のいく点数がとれた。努力は裏切らないと確信する経験になるとともに、合宿への参加権を勝ち取れた。そしてむかえた合宿は、最高に楽しかった。たくさんの仲間をつくり、全員で合格したい気持ちになり、自分をさらに熱くさせた。頑張る仲間を見て必死に努力して苦手をなくしてきたが、第3回岐阜模試の点数には、納得がいかなかった。同じ校舎の子の中には、点数が上がった子が多くいる。どうして自分は、点数が伸びないのかとも思ったが、第3回の岐阜模試も私をさらに熱くさせた。そして、少しずつ岐阜模試の点数が上がってきた。新年を迎え、正月特訓が行われた。とても楽しかった。できるようになったことが実感できた。苦手だった数学の図形応用も解ける問題が多くなった。そして、なによりも先生方が最高だった。いつ見ても元気で熱心で笑わせてくれる先生方の思いも感じることができた。

正月特訓が終わり、ハチマキをつけて補習授業が行われた。自分の苦手な分野を再復習し定着させることができた。自分が入試で戦うための武器を増やすことができて本当に良かった。岐阜模試の第5回・6回、学校の定期テスト、実力テストが終わった。点数はあまり良くなかった。両親を不安にさせるばかりだったが、私は原因が分かっていたので、前向きに捉えた。問題を最後まで読んでいなかったり、見直しが足りていなかったりしたのだ。言い訳のように聞こえ、こんなことで点数を下げている自分に腹が立った。しかし、伊藤先生は、「入試前にこうやって練習して改善点を見つけられて良かった。」とおっしゃっていた。この言葉のおかげで安心して努力し続けることができた。第7回岐阜模試とプレテストは、目標点数には届かなかった。けれど伊藤先生の言葉を思い出し、点数を前向きに受け入れミスを絶対になくそうと努力した。

入試1週間前になった。新型コロナウイルスの影響で自習室は中3のみだった。見慣れない教室だったが全員の熱量は同じで、全員で合格する意志で溢れていた。学校はバラバラだが、3年間で築いてきた私たちの友情関係、信頼関係は、とても熱く何よりも強いものだった。入試2日前になり、中1のときから一緒にお弁当を食べていたごはんの時間も残り1回になった。最後に先生方のお話を聞き、全員で意志を確かめる時間として出陣式が行われた。何があっても自分を見捨てずに、熱心に教え続けてくださった伊藤先生と河村先生に出会えたこと、共に悩み、笑い、努力し続けた仲間と出会えたこと、志門塾に通わせてくれて、送迎をしてくれて、いつでも応援していてくれる家族が見守ってくれたことは、私の貴重な宝物だと強く感じた出陣式だった。

そして、ついに3月10日、入試の日になった。正門で伊藤先生と握手をした。先生と家族を幸せにするのだと心の中で宣言した。緊張よりも自分が3年間で積み上げてきたことがとても大きく自分を安心させた。いつも通り安心して頑張れた。

入試が終わってから1週間、私に不安はなかった。後悔がなかったからだ。全力で挑むことができた証拠だった。

3月18日、私は母と岐阜高校へ行った。直前になり急に心臓の鼓動が速くなった。午前9時になった。ドキドキしながら、掲示板に近づいた。そして、自分の番号を発見した。努力し続けて良かったと心から思い、先生方と家族への感謝でいっぱいになった。一人では載せられなかった番号。「316」という数字は、私にとって一生の宝物になるだろう。志門塾に通い、人としても成長することができたことは、自慢できるくらい、私にとって幸せなことだ。

次の壁は、大学入試だ。感謝したい人を喜ばせるために頑張り、報われるまで努力し続ける自分でありたい。

毎日がんばることで限界を超えられた。

岐阜高校 合格
大橋 ひなた
本荘校
本荘中学校

私は高校入試を通して自分を成長させることができ、周りの家族や友達、先生の存在のありがたさに気づくことができました。

受験する学校を決める時、周りに自分より成績がいい子が居たりして正直不安な気持ちも多くありました。しかし友達など周りの人たちと話しているうちに、不安な気持ちはみんな同じだから、少しでもその不安をなくすためには自分が努力することが最も必要だと気づきました。それからは毎日悔いのないように勉強しようとがんばりました。毎日悔いのないようにがんばることで充実感が得られ、今までは自分で決めてしまっていた限界を超えられたような気がしました。自分がこんなにも成長できたのは周りの人の支えがあったからです。私が毎日塾でがんばっている姿を見て喜んでくれる家族。私たちのために毎日塾を開けてくださる先生。一生懸命がんばる姿で刺激を与えてくれる仲間。多くの人のおかげでがんばることができたので周りの人には言葉では表せないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。

入試を通して、自分に自信を持てるようになり、周りへの感謝の気持ちも持てるようになり、成長した自分になれたと思います。

多くの経験が自分を大人にする。

岐阜高校 合格
T.T
長森校

私は、中学校入学時に一つの夢を持った。その夢を叶えるために、高校を決めた。しかし、高校はあくまで夢への中間地点だ。どの高校へ行くかが全てではない。そう思い、中学1年生の頃、自習室へはあまり通わなかった。しかし、気がついてみると毎日自習室に通う自分がいた。なぜなのか自分でもわからない。だけど、なんとなく仲間に影響されていたからだと思う。仲間の背中を見て、勉強すると時間が短く感じられた。勉強でじっとしている時間が、苦ではなかった。そして、志望校への思いが強くなっていた。

受験生になって、私は「努力は実を結ぶ」と信じていた。先生が言っていた。「実を結ばない努力があるとするならば、それは努力と言えるものではない。」と。本当に努力したのに、失敗した人が聞くと嫌な言葉に聞こえるかもしれない。だけど、このように考えた方が、より自分のレベルを上げられるのではないか。失敗しても立ち直りやすいと思う。合格発表の日、ある塾のチラシにこんな言葉があった。「高校は、夢への道のスタート地点です。」つまり、中学校生活は夢への道を作ってきたということだ。道はもう作られている。どのようにその道を進んでいくのか。歩くのか、走るのか、岩だらけの道を進むのかは高校や夢によって異なる。ただ、どれだけ失敗しようと、道を進む固い意志があれば、必ず最後まで到達できる。ここまで書いていて思うことがある。受験は個人戦ではなく団体戦なのか。どちらも当てはまるのではないか。道を作るために、昔の人の技術が必要になるように、個人で物事を実行し成功させることは密接に誰かと関わっている。受験生になった私は、勉強に集中できるよう友達をあまり作らないようにしていた。しかし、仲間は作るべきだと思う。道を作る、合格するために密接に関わっているのが仲間だ。私は、自分と同じ環境を過ごしてきた人が仲間だと考える。この仲間は人によって何なのかは違う。ただ、自分を支えてくれる存在という点では同じだと思う。本当に信頼できる仲間とはお互いを仲間と認めている時に成り立つ。なぜなら、どちらか一方だけならば、支え合いの関係がなくなってしまうからだ。支え合い、共に創造していく。これが真の団体戦へとつながるのではないか。

入試後、私は本当に自分に自信がなかった。ずっと不合格だと思っていた。合格発表の日でさえ、9時ではなく、10時近くに、わざと遅れて行った。同じ学校の子と顔を合わせたくないので、人が少ない時をねらった。私は合格していた。しかし、なぜかうれしくはなかった。ただ、安心していた。高校の説明が終わった後、私は友達にさそわれ、よく知らない子と写真を撮った。そのよく知らない子はとても「良い奴」だった。私は人のことを悪く見てしまうことがある。相手の言動や性格などの、表面に出ている心からそう見てしまう。しかし、表面に出ている心は内面に出ている心とは異なることがある。受験を通して、人の心は複雑だと学んだ。逆に自分の心も複雑だと思われているのかもしれない。一緒に勉強してきた仲間には悪い面もあれば良い面もある。私の祖父は、「人間はみんな良い奴だ。」と言っていた。私の母もそう言っている。まだまだ私には、そう思える器がない。大人にならないとわからないことは多くある。大人になるということは、多くの経験を積むことと同じだ。

受験という一つの経験を通して、勉強だけでなく、人格も形成された。今では勉強よりも仲間や先生との関わり方、支え方などの人格の方が大切だと思う。人格形成を通して真の学力をつける。まず人格形成。そして真の学力。この順番に間違いはないと思う。今まで自分と関わった全ての人々に感謝していきたい。

いつか恩を返す。

岐阜高校 合格
柘植 一毅
島校
島中学校

「428」この番号を、私は決して忘れない。

私が志門塾に入塾したのは2年生の秋。それまでは、短期講習のみ受講していた。入塾するまでは、岐阜北高校を志望していた。特に理由はなかった。私の考えを大きく変えたのは、志門塾への入塾と、尊敬しているT先輩だった。

入塾する前までは、定期テストで目標点を達成したのはたった1回。全然自分に満足していなかった。しかし、志門塾に入塾すると、得点力はみるみる上昇し、「もっと上を目指す」という気持ちになった。また、尊敬するT先輩は岐阜高校に合格。それを知り、「岐阜高校を目指す」という意志が高まった。そして、合格するために、自習室へ行く回数を増やし、必死に努力した。しかし、現実は、甘くはなかった。

第1回の岐阜模試、国語が壊滅的、第2回、数学が壊滅的。スイッチが切れかけた。自信を失いかけた。しかし、私のやる気や勉強に対する意欲が、100を越えるほど急上昇した行事があった。それが「お盆特別合宿」だった。この合宿では、レベルの高い人たちが集まっていて、とても刺激を受けた。また、友達も多くでき、良きライバルとして、お互いに合格を目指してがんばろうという気持ちになった。そして第3回の岐阜模試。思うような結果を出すことができた。その後も好調、不調の波が続いたが、努力を続けることができた。正月特訓から第7回岐阜模試までは好調だった。この調子なら合格できるかもしれないという希望が、少しずつ芽生えていった。しかし、入試直前の模試の結果が、私の希望を絶望に変えた。入試直前なのに、志望校に合った点数よりかなり低かった。とてもあせった。不安だった。そんなとき、先生は私に踏ん張る勇気と力をくれた。それから入試本番まで、私は自習室で勉強をし続けた。何度も何度も先生に質問して。何度も何度も親に送り迎えをしてもらって。好調と不安を繰り返して。期待と不安を抱いて……。

そして迎えた当日。とても緊張していた。国語の本文の内容が頭に入ってくるかと不安になった。それでも、両親も志門の先生方も、明るく背中を押してくれた。会場には知っている志門の人がたくさんいた。それだからか、全く緊張せず、むしろ入試を楽しむことができた。自己採点を終えたときはとても不安で、どうしても前向きな気持ちになれず、そわそわした1週間を過ごした。だからこそ、「428」の番号を見つけたときはとても感動した。友達もみんな受かっていた。夢のようだった。努力が実って本当に良かった。経験したことのない達成感を感じた。

ここまで努力できたのも、こんな良い経験ができたのも、支えてくれた親や先生方のおかげだと強く思う。不安で不安で、全く前が見れていなかった私に、合格へのレールを敷いてくれた、どんなに不調でめげそうになっても励ましてくれた、いつも分かりやすい授業で、勉強の楽しさを教えてくれた井本先生や佐伯先生。いつも一番近くで見守ってくれたお父さんやお母さんに、感謝しきれないほど感謝している。

志門の先生は、私達が合格できるように、来る日も来る日も授業をして、背中を押して、励ましてくれた。それに対して、私はどうだろうか。合格することができたから、責任は果たせたかもしれない。でも義務は果たせていない。この先も目標に向かって努力を続け、良い成績を残し、期待に応え、いつか恩を返すことが義務だと思う。その義務を果たすために、この入試を通して手に入れた合格以上のものを生かして、この先もがんばっていきたいと思う。

いつも私に寄りそって寄りそって、合格へと導いてくれた先生方や両親への感謝を忘れず、未来へと前進していきたい。

「入試は団体戦」改めて強く感じた。

この仲間とならもっと頑張れる。

長良高校 合格
林 心子
茜部校
加納中学校

私は受験生活を通して学んだことがたくさんある。辛いことや苦しいことがあっても、それを乗り越え、続けて努力することの大切さだ。

3年生の初めの頃、私は勉強がとても嫌いだった。自分なりに頑張っているつもりだったけど思うように点数がのびないことが多かったからだ。でも、今その時のことを思い返せば、勉強量が全然足りなかったのだと思う。また、「受験生だけど、もう少しあとから勉強を始めればいっか。」という気の緩みがあったのだ。そしてあっという間に夏になった。自分では「本気でやらなければいけない。」という焦りがあった。しかし、その気持ちを行動に移せない自分もいた。そんな中でほとんど毎日ある夏期講習が始まった。毎日毎日、勉強ばかりはとても辛かったが、茜部校のみんなで決め、自習室にも毎日行った。そんな時私はあることに気がついた。「この仲間とならもっと頑張れる」と。茜部校の仲間はとてもにぎやかで、授業も楽しく受けることができた。時にはふざけすぎて、先生に怒られることもあったが、いつでもにぎやかな仲間が周りにいた。だから私は辛い勉強でも頑張ることができた。茜部校の仲間と一緒に毎日自習室にも通い続けることができた。

そしてついに年が明けた。勝負の年だ。自分の苦手な所をとことんやった。なぜこうなるのか。自分が納得できるまで質問をし続け、だんだんと克服していくことができた。どんどん「できた。」と思えることが増えていった。私は、自分の分からなかったことが分かると思えることがなにより嬉しかった。私は自信をもって入試本番を迎えることができた。

そして当日。国語が始まる前、口から心臓が飛び出そうなくらい緊張した。でも、今までやってきた自分と支えてくれた先生、家族、一緒に頑張ってきた仲間を信じ最後まで諦めずやり切ることができた。あっという間に1週間が過ぎ、合格発表の日がやってきた。当日になると、急に不安な気持ちになったが、自分を信じた。あった。自分の番号を見つけた時、本当に嬉しかった。最後まで仲間と精一杯頑張れて本当に良かったと心から思えた。

私は受験生活を塾の楽しい仲間と先生がいてくれたから乗り越えることができた。そして諦めないことの大切さを知った。そして一番に私のことを応援してくれた家族にも感謝を伝えたい。ありがとう。

周りの人の協力があり、人は完成する。

長良高校 合格
原 真之介
日野校
長森中学校

僕は中学2年生の冬に志門塾という塾に出会いました。僕の中で志門塾という塾はスパルタ授業で、先生方も常に誰かをしかっているというイメージでした。とにかく怖い所で、正直あまり行きたくありませんでした。先生と懇談する時、とても緊張していました。いったいどんな顔でどんな怖い先生が来るのだろうかと心臓がバクバクしていました。すると来たのは、眼鏡をかけた細身の先生でした。僕はとても驚きました。それと同時に、この塾は僕の成績を伸ばしてくれるかもしれないと直感しました。それから授業にも加わるようになり、知っている仲間もいたため、少しずつ楽しくなってきたと感じるようになりました。

僕は中学3年生になり、受験生という立場になったころから、先生方も熱が入り真剣な表情になるときも出てくるようになりました。

夏期講習が始まりました。受験生にとってはとても大事な時期であり、負けられない戦いがスタートしました。朝から夜までずっと勉強を繰り返しました。今思い返せば、よく頭がおかしくならなかったなと思うほどとても勉強しました。僕にとって一日中勉強をするということは、初めての経験でもあったためとても緊張していました。しかし、毎日勉強をしているうちにそれが当たり前の生活となり、だんだん慣れていきました。夜に行うプリントを使って行う学習では、時間がかかりくじけそうになるときもありました。でもそれらを支えてくれたのは塾の先生や両親です。両親は毎日送り迎えをしてくれて、仕事から帰り疲れているのにもかかわらず、自分を支え続けてくれました。いつも自分を応援してくれて、成績が悪かったときも家族でじっくりと話し合いました。

夏期講習が終わり、岐阜模試がやってきました。今までの岐阜模試の点数の中で、一番高い点数をとりました。しかし僕はこの模試でとった点数で有頂天になり、このまま点数を維持できなくなってしまいました。その次の岐阜模試はとても低く悲しい点数を取ってしまい、その後に続く模試もずっと低いままでした。僕は本当に高校に行けるのかなと日々心配していました。岐阜模試は難しく、自分のモチベーションを下げるだけのテストへと変わってしまいました。

受験前の最後のテストであるプレテスト。僕はプレテストの結果を見て、ようやく少し自信をとり戻しました。しかし、まだ僕が目指している高校の合格点には今一歩届きませんでした。実践演習も直前講習も始まっていて、僕は社会しかほとんどできませんでした。しかし、テストを解いていくにつれて自分は社会ができるんだという自信がつきました。僕はこの塾に入ったおかげでテストに慣れることができました。そのため、時間配分に気をつけたり、ここの問題は5分でできるようにしようと目標を立てて解くことができるようになりました。しかし、新型コロナウイルスの影響で授業の回数が少なくなり、後は自習室での勉強へと変わってしまいました。本当はもっとしたかったけどこればかりは誰のせいでもありません。ひたすら先生と口答チェックの繰り返しです。特に社会はこれ以上できないくらい暗記をし、問題を解き続けました。理科も分からないところは何回も質問しました。そのおかげで理科に自信をもつことができるようになりました。

受験までの準備は整いました。あとは自分の今までの努力を全てテストにぶつけるだけです。そう思うようになってから受験がだんだん楽しみになってきました。迎えた本番、最初の国語がとてもよくでき、その後の教科もいつも以上にでき、自分の中で今まで一番テストの点数が高いような感じがしました。

そして合格発表の日がやってきました。僕はそれほど緊張せずに、自信をもって立っていました。でも合格発表の紙がめくられ始めたときは少し緊張しました。そして自分の受験番号があり、僕は母と声を出して喜び合いました。今までの努力は無駄ではなかったと強く思いました。自分の仲間もみんな受かって一生に一度、最初で最後のすばらしい体験をさせてもらったと思い、とてもうれしく感じました。

しかし、僕が合格するまでの道のりは決して楽なものではなかったと思います。家族、友達、先生いろいろな人の協力、応援があったからこそ合格できたと思います。両親の送り迎えはもちろん、塾の先生のすばらしい授業、友達と切磋琢磨したこと今思い返してみると様々な思い出が蘇ります。何事にも一人ではできません。周りの人の協力があり人というものは完成します。それを痛感する出来事となりました。これからも支えてくださる人を大切にして、生きていきたいと思います。

番号を見つけて泣ける受験をした。

岐阜北高校 合格
浅野 星凜
七郷校
岐阜西中学校

合格発表の瞬間の気持ちを、私はきっと忘れられないと思います。

中学1年の夏に、私は志門塾七郷校に入塾しました。最初の期末テストであまり点数を取れなかったことがきっかけでした。志門塾といえばできる子が行く塾、というイメージがあった私は、最初こそ身構えてはいたものの、明るく接して下さる先生や友達のおかげで、いつのまにか塾にいることも苦ではなくなっていました。

入塾してからの期末テストは、自分でもびっくりするくらいに点数がのびました。周りに点数をほめられる度に、私は自分に自信を持つことができました。この感覚が、その時の私にとって最高に幸せなものだったんだと思います。

しかし私は、努力を続けることがどうしても苦手でした。自分より下を見つけては安心して、上を見ようとしない人間でした。期末前に頑張って、終わったらやらない。塾に来て頑張っていた子がいるのももちろん知っていたけど、私はその子たちのようになろうとは思いませんでした。自分よりやっていない子を見つけては、「私はこの子よりやっているから大丈夫だ」と、言い聞かせるようにしながら中学2年生までを過ごしました。

このような気持ちは、3年生になってもなかなか変わりませんでした。「受験生」と呼ばれるようになったのに、自分の過ごし方に危機感を持つことができませんでした。そのくせ私は、岐阜北高校に行きたいという気持ちは変えようとはしませんでした。

そのまま迎えた夏休み。私は今までより頑張ってみようと決めました。塾に朝お弁当を持って来て、夕方は1回帰って、また夜に来る。あんなに勉強したのは、本当に生まれて初めてでした。普段やってこなかった私にとっては辛い日々だったけれど、一緒に頑張る仲間がいたことや、頑張りが反映されたテストの結果は、私の心の大きな支えになってくれました。

しかし夏休み明け、私は頑張ることをぱたりとやめてしまいました。また、ふわふわしている学校の仲間と自分を比べて、安心感を覚えてしまいました。それからまた自分にスイッチを入れるまでには、何ヵ月もかかってしまいました。その期間の間に、私は何度もお母さんに怒られました。点数が出ないのに一向に頑張ろうとしない私を見かねてのことだったのだと思います。とうとう私は、岐阜北高校へ行く、という目標を諦めるようになりました。自分には無理だな、と思って、少し下のレベルの高校を口に出すようになりました。それに対しても、お母さんは怒りました。目標を持ってやりなさい、と何度も言われたけれど、自分には到底手の届かない場所のように感じて、あと一歩を踏み出すことができませんでした。

私の気持ちが固まったのも、受験本番からたった数週間前のことでした。第7回岐阜模試でも、プレテストでも、北高を受けるのに充分な点数を取れなかった私には、志望校を北高に決める勇気がありませんでした。お母さんと一緒に、自分の番号を見つけたかったからです。先生と懇談をする度に、どうしても涙が出てくるようになりました。厳しい現実を見る度、目をそむけたくなりました。やった期間こそ皆と比べて短かったものの、頑張ったことが点数に表れないことほど苦しいことはないと、その時初めて感じました。

最終的な志望校を決める最後の3者懇談。ありえないくらいの北高のオーバー数。自信を持てる点数も無かった私は、沢山悩みました。また、私は自分の気持ちを口に出すのが苦手でした。「どうする?」と先生とお母さんに迫られた時も、数分間声を発することができませんでした。けれど私は、自分の声で「北高を受けたいです」と伝えました。お母さんと泣いて決めた志望校。絶対受かるぞ、という気持ちで、先生に助けをもらいながら、本番まで努力したつもりです。少しずつ安定した点数が出るようになり、先生方には大丈夫、という声を何度もかけてもらいました。私自身も、自信を持てるようになっていました。

受験当日、私は思った以上に緊張していませんでした。やってきた勉強量が、私の気持ちを支えてくれました。「受験」を楽しむこともできました。けれど、帰ってからお母さんに「できたよ」と言うことができませんでした。安心させるつもりだったけど、テストの結果に、決定的な自信が無かった私は、「難しかった」とだけ言って、お母さんを仕事に見送りました。

自己採点では、ありえない点数が出ました。完全に落ちたと思った私は、先生に報告もできないくらい大泣きしました。合格発表まで、どうしても立ち直ることができませんでした。

合格発表当日は、正直渋々連れられて行きました。番号がないのにどうして行くんだと何度も思いました。貼り出された瞬間、喜ぶ声が聞こえて、耳を塞ぎたくなりました。その数秒後、「あった、あったよ!」と、お母さんが私の番号を見付けてくれました。信じられなかった私は、何度も番号を見返しました。本当だと分かった途端、勝手に涙があふれてきました。お母さんも、「良かったね」と泣いてくれました。大形先生にずっと言われていた「番号を見付けて泣ける受験」を、私はこの日達成することができました。

受験を終えた今、行きたい高校を諦めずに挑戦して良かった、という気持ちでいっぱいです。岐阜北高校合格まで導いて下さった大形先生と長谷川先生、質問対応でお世話になったホームズの先生方、送り迎えやお弁当を作ってくれたお母さんとお父さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。高校に入ってからも、頑張り続けられる自分になれるよう努力します。

後輩の皆さんに大切にしてほしいのは、諦めないこと、挑戦することです。今、自分には無理だと諦めていることも、挑戦して頑張ってみたら、案外実現するかもしれません。挑戦は怖いことだと思うけど、後悔するよりずっといいです。まだ今からでも間に合います。ぜひ、後輩の皆さんには、後悔しないように頑張ってほしいです。心から応援しています。

見えない所で努力している子が沢山いた。

岐阜高校 合格
熊谷 柚芭
北方校
本巣中学校

去年の春に、私は志門塾北方校に入りました。同じ中学校の子が誰もいなくて不安だった私に、校舎長の江口先生は優しく声をかけてくださいました。

江口先生の授業は、要点が端的にまとめられていてとても分かりやすく、興味深いものでした。また、テスト前になると、大量の演習プリントを用意してくださったり、生徒の不安な気持ちを汲み取って悩み相談をされていたりしました。そんな塾生思いの先生を見て、この先生となら、悔いのない受験にすることができる、と確信しました。

夏になり、夏期講習が始まりました。300ページ近いテキストとともに、私は夏休み中ほぼ毎日塾に通いました。毎日予習、復習、テストに追われていましたが、それらを1つずつこなしていくたびに、自分の力になっているという自信になりました。

合宿では、これまで掲示板で名前しか見たことのなかった子にたくさん出会いました。作文が得意な子、計算をとてつもないスピードでこなす子、習っていない歴史の人物を説明できる子。普段の生活の中ではなかなか出会えない才能をもった子がゴロゴロいて、舌を巻きました。そんな子たちがたくさん話しかけてくれるのがとてもうれしかったし、自分の世界を広げることもできました。自分と同じように見えないところで努力している子が多くいる。それを強く実感することができ、改めて勉強をがんばろう、という気になれました。

しかし、第4回の岐阜模試の結果を見て、私は落胆しました。初めて順位が落ちてしまったのです。そんな私の様子を見て、江口先生が声をかけてくださいました。

「今落ちといて良かったやん。あとは上がるだけや。次、次!!」

その言葉は、鉛のようだった私の心を、スッと軽くしてくれました。また、テストの結果ごとに一喜一憂していた私の態度を見直すきっかけにもなりました。今振り返ればそこで落ちたことで、それ以降たとえ順位が落ちても、「結果」だけで終わらせずに次に向けて前向きに取り組むことができるようになったので、落ちておいて良かったと思います。失敗を嘆くのではなく、そこからどうするかを考える。これが、何においても必要なことであると学べた出来事でした。

正月特訓は、高校部岐阜校で朝から晩まで行いました。苦手な単元をつぶすための徹底した授業、良問ばかりのテキスト、先生方の熱い言葉どれもが、受験に向かう私たちの心にさらに火をつけました。

そして、直前講習が始まりました。合宿にいた子と一緒に授業を受け、互いに刺激し合いながら、予想問題を解きました。難問も多々ありましたが、絶対に合格するという気持ちで取り組み続けました。

入試当日。この1年間積み重ねてきた努力を全て思い出して、自信をもって本番に臨むことができました。一番不安だった数学が終わったとき、受かったと思いました。残りの教科も、多少つまずいたものの平常心で取り組むことができ、見事合格することができました。

さて、これまで私の1年間について述べてきましたが、ここからは後輩のみなさんに伝えたいことを述べます。まず、勉強を楽しみましょう。これは、校舎長の江口先生がいつも言われていたことです。みなさんは、ゲームが好きですか。勉強をゲームだと思えば、ほら、楽しそうに思えてきませんか?流石にこれは冗談ですが、自分だから絶対にできない、どれだけ頑張っても意味がない、そんなことを考える必要は一切ないんです。前向きに取り組めば、絶対に楽しくなってきます。実際に私がそうでしたから。あと、塾と自分を信じましょう。志門塾は本当に素晴らしいです。先生の言葉を信じて、最後まで取り組み続けましょう。

受験をするには、この2つで十分です。悔いの残らないよう、頑張ってください。

今までのことを後悔するよりも、今、勉強をする事の方が大切だ。

岐阜工業高等専門学校 合格
安武 愛十
羽島校
竹鼻中学校

僕は中学校1・2年の時は全然勉強をしていなく、部活ばっかりしていました。そして、中学校3年生になったときに岐阜高専に行きたいと思い、夏期講習から志門塾に通いました。しかし、夏期講習は中体連があったため、ほとんど行けませんでした。だから、僕の受験勉強は夏休みが終わってからと、普通の人よりも少し遅いスタートでした。

志門塾に入ったときは、岐阜高専に入るのは難しいと学校の先生にも志門の先生にも言われました。だから、僕は1回、第1志望校を岐阜高専から長良高校に変えてしまいました。しかし、志門の先生から

「志望校を変えずにがんばってみたら。」

と言われ、第1志望校を岐阜高専に戻しました。この言葉があったからこそ自分はがんばれたのだと思います。

志門塾に通うようになってから、昔の自分では考えられないほど、多くの時間、勉強するようになりました。

僕は極度の人見知りで、初めの頃は塾になじめずにいて、先生に質問をしたり、他の学校の人としゃべれなかったりしました。しかし、受験日が近づくにつれて、どうにかして、合格しようと思い、先生に質問をするようになりました。また、勉強時間も少しずつ長くなっていきました。そのおかげもあり、岐阜模試や学校の実力テストの点数がどんどん上がっていきました。また、学校の定期テストも点数が上がり、1・2年よりも内申が上がりました。このように、自分ががんばっている成果が目に見えるとうれしくなり、もっとがんばろうと思いました。自分の努力が点数として、目に見えることは自分のモチベーションを上げることにもつながり、受験当日までがんばることができました。

「中学校1・2年からがんばっておけばよかった」と思うことが何度もありましたが、その時は「昔のことを後悔するよりも、勉強をする方が大切だ」と思い、ひたすら勉強をしました。

受験日が近くなってくると、自分の中でネガティブな考えが多くなるようになりました。しかし、志門の先生から「愛十なら大丈夫だ。」と何度も言われ、自信を保ったまま、受験に向かうことができました。

学校の先生からはずっと「難しい」「難しい」と言われ続け、受験が近くなっても言われました。しかし、志門の先生や学校の友達から色々な言葉をもらって、自信を持ち、自分を保つことができました。

入試当日はとても緊張をしていました。しかし、2つ目の教科から緊張がなくなっていき、自分の力を発揮することができました。休み時間では、凡ミスをしてしまったことに気づき、落ちこんだ時もありましたが、志門の先生が、「自分が点をとれなかったら、他の人も点をとれていないと思った方が気が楽になるし、それぐらい自分に自信を持った方が良い。」と言われたことを思い出し、次の教科も自信を持って挑むことができました。そして、試験が終わった後は「やりきった」と思うことができ、合格することができました。

僕はこの受験を通して、自分の周りの環境や人々に感謝をしなければならないと思いました。たぶん、僕の周りの誰か一人でもいなかったら岐阜高専に合格していなかったと思えるほど、周りの環境や人々が自分に与えた影響は大きかったと思います。だから、これからも周りの環境や人に感謝をしながら生きていきたいです。また、そういった恵まれた環境にできるようにしていきたいです。

僕は、1・2年の時にまったく勉強をしなかったから3年生になって、大変な思いをしました。だから、今度からこんな思いをしないようにするためにも見通しを持って、行動をしていきたいです。

受験生になって、勉強している間はとても苦しく、長く感じたけれど、その期間が終わると「あんだけ必死に勉強をしていて充実した日々だった」と思える、思い出に残る、素晴らしい日になります。

学生でいる期間は人生の中では少ししかありません。だから、学生の内は思いっきり楽しめば良いと思います。しかし、どこかで足を踏み外してしまわないようにしたいし、後輩のみんなにもそうしていってほしいです。

人生は一度しかないから、自分の決めた道を一生懸命突っ走っていってほしいです。きっとそれが自分の大切な宝物になるから…。

先生の言葉に支えられて、乗り越えられた。

長良高校 合格
不破 実穂
羽島東校
中央中学校

私には4つ上の長良高校に通っていた姉がいます。姉は私に「長良高校の体育祭はすごく楽しいよ」とか「長良高校はおもしろい先生がたくさんいるよ」など色々な話をしてくれました。その影響で、私は絶対に長良高校に行くと思うようになりました。しかし、私は中学校1年生や2年生の時はまだ大丈夫と受験に対しての気持ちがまったくありませんでした。3年生になっても、あと9か月もあるからまだいいやと本気になれませんでした。その結果、学校の実力テストや岐阜模試の点数はどんどん下がっていきました。

ある日の学校での3者懇談の日。私は学校の先生に、「長良高校は厳しい、別の高校に変えた方が良いよ」と言われました。その時私はとっさに自分の隣に座っていたお母さんを見ました。お母さんはとても悲しい表情をしていました。私はお母さんをこんな悲しい表情にさせないためにも、やっぱり高校を変えた方が良いのかなと思いました。色々な気持ちがまじり、私はメンタル面でもつぶれてしまいそうでした。そんな時、私を救ってくれたのは、小川先生でした。私は小川先生と2人で懇談をしました。小川先生は感情がぐちゃぐちゃの私に「全力でサポートする、大丈夫、自信を持って」と言ってくださいました。そして私の苦手な社会の点数がどうしたら上がるかなどのアドバイスをしてくださいました。そして私は、社会を重点的に学習をするようになりました。その結果、私は、岐阜模試で点数を上げることができました。次は高校入試につなげようと思いました。

高校入試、当日。私は、不安や緊張などから様々な思いになりました。その結果、小さなミスや問題の読みまちがえなどで点数を落としてしまいました。その点数を小川先生に伝えると「大丈夫だよ、自信持って」と力強く言ってくださいました。その言葉のおかげで私は少しだけ気持ちが軽くなりました。

合格発表、当日。再び不安や緊張などから心がおしつぶされそうでした。しかし、入試当日とは少し違う思いがありました。それは小川先生の「大丈夫」という言葉があったからです。そして、自分の番号があった時、私は早く小川先生に伝えたいと思いました。小川先生に感謝の気持ちをとても伝えたかったのです。小川先生を信じて志望校を変えなくて良かったと心から思いました。そしてついに、私は春から気持ちよく長良高生として過ごすことができることに喜びを感じています。

支えがあるからこそ頑張れる。

長良高校 合格
浅井 直人
柳津校
境川中学校

私は、今心から大きな山を乗り越えることができて良かったと思っています。私が今、このような気持ちでいられるのはたくさんの支えのおかげだと思います。

私が入塾したのは、中学1年生のときです。その頃から、特に理由は無かったけれど岐阜高校に入りたいと思っていて、勉強も嫌いではありませんでした。だから、テスト前には勉強を毎日して、中1・中2のテストに臨んでいました。しかし、私には1つ弱い部分がありました。それは、テスト前以外では勉強をしていなかったということです。まだ、入試というものが遠い存在だと思っていた私は、普段は勉強しておらずテストだけ頑張って満足していました。そのため、テストが終わると勉強を継続できず、せっかく覚えたことを忘れてしまうということもありました。

そんな私も中学3年生となり、受験生になりました。継続的に勉強するという習慣が無い私がそのまま過ごしていたら、今の自分は無かったと思います。私にやる気を持たせてくれたのは、塾や学校の先生方、親が言っていた「目標に向けて頑張り続けることが大切」という話です。塾では、実際に受験で落ちてしまって後悔したという生徒もいることを聞いて危機感を覚えて、継続することは大切なんだということを学びました。

そして、私は4月から毎日自習室に行って、入試に向けて勉強をしました。そのおかげで、中3の前期のテストで良い点を出せたし、岐阜模試でも上位に入ることができました。中3の前半まで、調子良く入試に向かうことができていました。そんな私がさらに頑張ろうと思ったきっかけがあります。それは、夏の特別合宿に参加したことです。130人のメンバーと共に過ごし勉強した5日間は私にとって、とても貴重な経験となりました。毎日「トライアル100」というテストがあり、そこでいつも上位に入っている人を見て、自分なんかよりも頑張っている人がいることを知りました。自分はまだまだ、もっと頑張ろうと思ったのは周りのメンバーたちのおかげです。その合宿後は、気持ちをもっと集中させて合宿で出会った人たちにも負けないよう努力しました。

その後も、私は毎日勉強づくしの日々で、周りが遊んだ話をしていると少しうらやましくもあったけれど、目標を達成するんだという気持ちを持って、立ち向かいました。そしてあっという間に2ヶ月前、1ヶ月前…と過ぎて、仕上げの時期になっていました。周りは大丈夫だよと言ってくれていたけれど、正直不安でした。本当に大丈夫か、万が一があるかもと思っていました。でも、最後の2回の岐阜模試で450点以上をとれて、塾の先生もこのままいけば良いよと言ってくれて安心しました。

ついに当日、緊張しました。今まで頑張ってきたからと何度も自分に言い聞かせました。しかし、自信がありませんでした。難しいと思ってしまってさらに自分を追い込んでしまいました。入試後の1週間は不安でいっぱいでした。

運命の3月18日、母と共に見に行きました。自分の番号が載っていたのを見て、とても嬉しく涙が出そうでした。母も喜んでくれて本当に安心しました。母にはこの1年、毎日送迎をしてもらって、弁当を作ってもらってたくさんのことをしてもらいました。この支えが一番大きく、感謝しています。

1年を通して、入試は自分で問題を解くけれど、その自分にはたくさんの人の支えがあることが分かりました。入試は団体戦というのはこういうことでもあると思います。これから入試に向かう人たちには、そのことを忘れないでほしいです。一人じゃなく、支えがあるからこそ頑張れていることを忘れずこれから頑張っていってほしいです。私も、これからもそのことを忘れず次のステージへ向かっていきます。

支えてくれた人を喜ばせるためにも……。

岐阜高校 合格
M.T
那加校
那加中学校

本気で受験勉強を始めたのは夏期講習が始まったころからでした。その頃から合格するまでずっと自分の第1志望の高校に行く姿を思い浮かべていました。しかし、合格したいというのは気持ちばかりでなかなか行動に移せませんでした。自習室に行く時間になると何かと理由をつけて行くのをやめたり、苦手な教科の勉強をしなかったりと弱い自分に甘えてしまったことが何度もありました。その自分の弱さが岐阜模試の結果にも表われました。数学では焦って問題文が頭に入らず、ひどい点数を取ることばかりでした。そんな時自分の支えになったのは同じ塾の仲間でした。毎日自習室に通い、たくさん質問に行く仲間の姿が自分を奮い立たせてくれたのです。11月頃からはほぼ毎日自習室に行き、自分の苦手に向き合い、課題に取り組みました。

12月には分野別問題集が配られ、一つ一つ丁寧に解き進めました。塾の先生には教科別の質問だけではなく、自分が本番で緊張して実力を発揮できないだろうということも相談しました。先生は「できることを全てやり切れば緊張もしないのではないか」と言ってくださいました。その言葉を信じて間違えた問題をやり直したり、ノートにまとめたりなどして自分が間違えやすい部分をなくしていきました。

迎えた入試前日の夜は、驚くほど眠れませんでした。当日、もっと緊張してしまうのかと思っていましたが、目の前にある問題を解くだけだと落ち着いていました。数学の解答用紙の回収時に他の子の答案が見えて、自分が関数のグラフの書き方を間違えていることに気付いてしまいました。悪いことばかりを考えてしまい、数学後の休憩中は何も考えることができませんでした。そんなとき浮かんだのは、これまで自分を支えてくれた方々でした。毎日送り迎えや食事を作ってくれた両親、一番近くで見守り導いてくださった先生、一緒に勉強した仲間たちの顔でした。「支えてくれた人を喜ばせるためにも」と思うと、残りの3教科をしっかりやり切ろうと力が湧いてきました。

合格発表日、自分の番号を見つけたときは本当に嬉しかったです。自分が想い描いていた姿が現実になった瞬間でした。今までの努力が無駄ではなかったことに誇らしさでいっぱいでした。この受験を通して得た力や学んだことを次のステージで生かすとともに、支えてくれた方々に感謝を示すことができるような高校生活を送ります。

後悔のない受験にする!

岐阜高校 合格
加藤 正也
トップレベル選抜・大垣
大垣南中学校

「後悔のない受験にする!」これが僕の中学校生活の大きなキーワードでした。合格発表の日、掲示板で自分の番号を見つけた時、この言葉を思い出し、「実現することができた。」と笑顔があふれました。

僕は小学5年生の時に志門塾のGRANに入りました。入塾した時は勉強が好きではなく、最初は自習室にもほとんど行きませんでした。でも、面白い授業や様々なイベントを通して、「勉強ってこんなに面白いんだ。」と気づくことができました。GRANでの2年間で、勉強に対する自分の姿勢を変えることができ、もっと高いレベルを目指したいと考えるようになりました。

そして中学1年生の春、僕はトップレベル選抜大垣に移ることを決断しました。見た事もないような高得点を取る仲間、何度チャレンジしても解けるようにならない問題に囲まれ、選抜コースの厳しさを思い知りました。辛いと思うときもありました。でも、もっと高い点数を取りたいという思いとは裏腹に、さぼってしまう自分がいました。そのため、定期テストの点数も内申点も上がらず、厳しい現実に何度も苦しめられました。そして、絶対行けると思っていた中3のお盆特別合宿は、事前テストの点数が悪く、参加できませんでした。

そんな僕に転機が訪れたのは、夏休みにあった岐阜高校の高校見学でした。きれいすぎる校舎、広すぎるグラウンドに息をのみました。そして、「絶対ここに受かってやる!」と強く思いました。

それからは、岐高に受かる一心で、これまでの自分からは考えられないほど勉強漬けの毎日でした。そんな中で僕の支えになったのは、先生や家族のサポート、そしてあのキーワードでした。そこから徐々に成績も上がり、合格が見えてきました。しかし、第5回岐阜模試、僕は数学で40点台を取りました。最初は信じられませんでした。でも、その時調子が良かった僕にとっては、入試は何が起こるか分からないと気づかせてくれる大切な経験となりました。

公立高校入試2か月前から、僕は弁当を持って塾に行き、自習室に誰もいない時間から勉強しました。最後に気を抜いて、後悔してしまうのは絶対に嫌だったからです。

結果的に、僕は合格することができました。でも、後悔しないために最後まで努力したプロセスこそが、僕に大きな成長を与えてくれたと思います。また、毎日弁当を作ったり送り迎えをしてくださったりした両親、いつでも親身になってくださった先生は、大きな支えになりました。最高の受験でした。これからも頑張ります。

高校受験がゴールじゃない。

大垣北高校 合格
牧野 皓紀
担任制
大垣西中学校

僕にとってこの受験は、自分との戦いだった。

僕は中1の春に担任制に入塾した。中学とは違う新しい環境で、目標をもって勉強に取り組んでいるみんなの姿を目の当たりにして衝撃を受けました。担任制の先生の授業は分かりやすく、学校の期末テストの点数は上がり、自分の中でも自信を持てるようになっていきました。中3になり、自習室へ通う機会が多くなり、授業が終わったあとも10時半まで自習室にいることが習慣となっていきました。ところが、自分ではがんばっているつもりでも、思うような点数がテストでとれなくなっていきました。周りの子にテストの点数で追い抜かされ少しのあせりや不安も感じるようになりました。それでも、僕はなんとかなるだろうとどこか軽い気持ちでいました。そんな気持ちでむかえた岐阜模試は悲惨な結果となりました。稲垣先生から面談で集中して取り組むために睡眠時間をきちんととり、朝早く起きることを約束し、生活面から正すようにと言われました。そこで、生活を見直し、少しずつ点数ももどり、手応えを感じながら、ひたむきに勉強に取り組む半面、それでもどこか気がゆるんでしまう自分がいました。何が自分に足りないのか、悩み、志望校に迷いながらどんどん日にちばかりが過ぎていきました。最後の面談で、稲垣先生から「今まで、苦労せずにやってきたことが、甘さとなって今がある。でも、それに気づくことができた。だから、自分に逃げずにがんばろう。」と言われました。苦しいのは自分だけじゃない、みんな努力してがんばっているのだと気づかされました。そして、ラストスパートを真剣にがんばりました。

成果を残すだけとなった試験当日、岐阜模試やプレテストと同じ平常心で挑むことができました。そして、1週間後の今日、3月18日合格発表をむかえました。北高教室前に合格者の受験番号がはりだされ、自分の受験番号を見つけた瞬間、大きな喜びと共に最後までがんばってきてよかったと思いました。稲垣先生の言ってくれた言葉の中にある「高校受験がゴールじゃなくて、ここからが、本当の自分との戦いだから」を心にとめて高校でも自分に負けずに突き進んでいきます。

3年間、支えてくださった担任制の先生方に出会えて本当に良かったです。ありがとうございました。

受験は青春。

大垣北高校 合格
加藤 享典
GRAN
東中学校

「受験は青春」

村林先生が時々話していた言葉。今思い返すと、まさにその通りだと思う。

僕が志門塾に入塾したのは小学4年生の春。塾というものがどんなものか分からなかったけど、「家の近くに新しい塾ができたから。」ということで、このGRANに入った。

幼い頃から負けず嫌いだった僕は、その当時から、西濃地区で最もレベルの高い大垣北高校に行きたいと思っていた。しかし、受験というものを知らない自分にとって、「受験なんて…。」「どうせ受かるだろう。」そんな気持ちが心のどこかにあった。

中学3年生になって、初めての岐阜模試。今までのテストで取ったことのない点数だった。しかし、順位は決して悪くなかった。「こんなもんか。」正直そう思った。今思い返せば、その時に戻って、自分を引っぱたいてやりたいと思う。

夏休み前のガイダンスで、村林先生が夏休みの過ごし方について話された。朝から夜までひたすら勉強。確認テストもある。夏期講習のテキストから宿題も出される。正直耐えきれるかなと思った。

ここまでの話を振り返ると、受験体験記に書けるような内容ではないと思う。「受験体験記もキレイ事書いて終わるのだろうな。」と、その時の自分もそう思っていた。

しかし、夏休みが始まってみると、つらくなかった。大変さも感じなかった。むしろ楽しかった。朝からGRANの仲間と勉強して、昼から最高の先生達の授業を受けて、夜にはまたGRANの自習室に戻って勉強する。そんな日常が自分にとって、宝物だった。僕の受験を1つの物語にするとしたら、この夏休みが、物語のスタートになるだろう。

そんな充実した日々を送る中で、お盆特別合宿があった。「今年の岐阜学区は賢いぞ~。」そう聞いていたからこそ、燃えた。誰にも負けたくない。自分の中でその気持ちは大きかった。この気持ちがあったから、この合宿で大きく成長できたのだとも思う。合宿では色々な仲間に出会えた。みんな本当に賢かった。だから負けたくないと思えた。授業もハイレベルで難しい内容だったけど、楽しむことができた。自分にとって、この経験は本当に大きかった。

この夏休みは、今までの人生の中で最も充実した、濃い夏休みだった。

夏休みが終わってから受験が終わるまで、一度もつまずくことなく、全力疾走する予定だった。でもつまずいた。第6回岐阜模試。得意な数学で初めて頭が真っ白になった。初めての経験だった。切りかえようと思ってもできなかった。引きずってしまった。情けなかった。判定もはじめてB判定になり、順位も上位100位から外れた。心が折れそうだった。でも、村林先生や冨田先生はそんな僕に優しく声をかけてくれた。今思うと、本当にそれが心の支えになった。

そこから立ち直ったあとは、受験まで突っ走ることができたと思う。今までやってきたこと。ただそれだけを信じて、一日一日を積み重ねられた。

高校入試は、人生で一度きりしかない。たった1日しかない。一番大切なことは、当日、自己最高点を取ることかもしれない。でも僕は違うと思う。一日一日の積み重ねつまり、日常を大切にすることだと思う。夏からの自分は受験勉強を楽しんでやってきた。何月何日に何の勉強をしたかなど、全く覚えていない。でも、ここに至るまでの日々に大きな価値があるのは事実だと思う。だから「受験は青春」と心から思うことができた。

これから受験を迎える後輩のみなさんにはこれを理解して欲しい。受験は辛いものでも、苦しいものでもなく、楽しいものだということです。えらそうなことかもしれないけど、僕は身をもって経験しました。楽しめば結果もついてくる!僕はそう信じています。

最後に、何度も言い合いになったけど、応援してくれた両親、いつもあたたかく見守ってくれた祖父母、いつも優しく向き合ってくれた村林先生、冨田先生、どんな質問にも答えてくれた小川先生、堀田先生、いつも笑顔で迎えてくれた、森先生、永尾先生、ホームズの鈴木先生、小林先生、フロンティアードでお世話になった先生など、感謝を伝えたい人はたくさんいます。そんな人達のおかげで合格することができました。本当にありがとうございました。

この志門塾で経験したことは、自分の人生の青春の1ページに大きく刻まれたと思う。

合格できて本当に良かった。

今まで本当にありがとうございました。

周りの仲間がいたから、乗り越えられた。

大垣北高校 合格
大橋 沙雪
静里校
西部中学校

合格発表前日の夜、緊張には慣れているはずなのに、なぜか眠れなかった。次第に強くなる雨の音を聞きながら、志門塾で過ごした3年間を振り返った。

私は、中学1年生の中学準備講習から、志門塾の一員として勉強に取り組んできた。最初は、頑張っているはずなのに成果がのびず、他人ばかりが良く見えて劣等感にとらわれるという日々を繰り返した。私は頑張っているのにと、自分を否定することはせず、現実から目をそむけることもあった。そのような自分の弱さに気づかせてくれたのが志門塾だった。志門塾には、私なんかよりも努力している人が何人もいて、それを励ましながら支えている先生方もいる。彼らの姿に悔しさを覚えたと同時に、今までの自分は努力に限界をつくっていた、ということを気づかせてくれたのだと感じた。志門塾は私に、努力の可能性と投げ出さずにやりきることの大切さを教えてくれた。これに気づくことがなかったら多分今の私はない。今まで以上の努力ができるようになっていた私は、自信にあふれていた。

しかし、中学2年の秋頃、そのような自信などなかったに等しいというくらいに、私の勉強に対する意欲は消えていった。体調の悪さが原因だった。志望校を1つ下げてしまおうか、とも思っていた。しかし、塾の先生方はいつでも、そのような必要はない、今まで通リに頑張っていれば大丈夫、と声をかけて下さった。先生方は、まるで私の親であるように、いつも私のことを気にかけて声をかけて下さった。自分の体調が安定するまでかなり時間はかかったが、その間も先生方のおかげで自分に失望しきらずに、目標に向かって努力し続けることができた。

このようなことを乗り越え、私は受験生となった。いつかは入試で、合格の座をうばいあう周りの仲間、そして、この1年間を受験生として闘う私自身という「敵」と高め合いながら進んでいこうと決めた。だから、志門塾という存在は私に良い刺激を与えてくれるものになった。

お盆特訓や正月特訓では、同じ志を持った仲間の努力、頑張りをこの肌で感じることができた。1日10時間以上も勉強に取りくむことは初めてだから、苦に思うこともあったが、周りの仲間がいたから全て乗り越えることができた。

きっと今の私は、様々な困難に立ち向かい努力し続けたから在るものだ。その努力の魂こそが私の受験であり、私の求めていたものだった。

3月18日、雨予報だったのに晴れた。入試の奇跡なのだ、と思えた。それと同時に緊張をかみ殺した。8時30分頃に高校に着いた。そこには、志門塾で3年間共に過ごした仲間と恩師がいた。時間が進むにつれて増す緊張を感じながら、その時を待った。そして、9時になった。数字がズラリと並んだ紙がはり出された。177番を探し、縦にその数字たちを見た。176の下には181番があった。一瞬、最悪を想定した。横に数字たちを見た。176の隣に、177番はあったのだ。

私は、合格したのにもかかわらず、冷静を保ったままその歓喜のときを過ごした。私の受験は終わった。こんなにまで心配していた日々が馬鹿馬鹿しいくらい、あっさりと終わってしまった。でも、まだ終わりではない。ここからがスタートだと思って進んでいこうと、今まで以上に頑張れる高校生活にしようと、私は決心した。

家族の言葉が私を強くしてくれた。

大垣東高校 合格
堀井 萌衣
垂井校
不破中学校

3月18日、午前9時。合格者の番号が書かれた大きな紙が貼り出された。不安な思いを抱え、紙を見に行くと、私の番号も書かれていた。見つけた瞬間、私は嬉しくて泣いてしまった。

私は3年生の夏から志門塾に入った。それまでは全く塾に行く気はなかったが、母の提案により、志門塾へ行くことを決心した。2年生の頃から大垣東高校に行きたいと思っていた私は、家庭でしっかり勉強に取り組んでいた。しかし、第2回岐阜模試において、今まで見たことのない点数を取ってしまった。その時、私は「まだ時間はあるから、これから一生懸命取り組めばいいや。」と考えていたが、それは簡単なことではなかった。

夏期講習の中で、たくさんの解いたことのない難しい問題があった。けれど「理解したい。」と思うようになって、ほとんど毎日自習室へ通った。迎えた第3回岐阜模試で点数を上げることができた。自信がついた私は、これからも岐阜模試で良い点数を取ることを決めた。しかし、習う範囲が増えていき、勉強に追いつけなくなっていった。自分では頑張っているつもりだったが、点数はどんどん低迷してしまった。学校の先生からも「東高は危ない。」と言われた。私はこの言葉に絶望し、志望校を大垣南高校に変更することも考えていた。けれど、家族はこう言ってくれた。「今までずっと東高を目指してきたのに、変えてしまって本当に大丈夫なの?後悔すると思うよ。」この時私は気づいた。私は逃げていた。公立に落ちて、私立に行くことを恐れていた。私立に行くと、とてもお金がかかってしまう。塾に通わせてもらっているのに、これ以上親に迷惑をかけたくないと思っていた。しかし、それは少し間違っていたのではないか。家族の言う通り、南高に変えていたら私は絶対に後悔していたと思う。目標に向かって頑張れていなかったと思う。このことに気づかせてくれた家族のおかげで、志望校を変えないで努力することを決心することができた。正月特訓では、苦手な数学を中心に講座を受けた。講座のない時間も、自習室で一生懸命取り組んだ。特訓で学んだことをもとに、第6回岐阜模試を受けた。手応えは良かったが、自己採点をすると、思っていたよりも点数が伸びていなかった。こんな状況でとても東高を受けられないと考えた。きっと、志望校を変えた方が良いと告げられるだろうと思った。しかし、面談の時、山本先生がこのように声を掛けて下さった。「萌衣さんは東高から南高に変える必要はない。このまま、安心して頑張って。」この言葉に、私はとても救われた。山本先生は生徒一人ひとりのことを考えていて、すごいと思った。自分が気づかない間に、多くの人から助けられていた。これまで、何度も勉強が嫌になり、諦めそうなことがあった。けれど、垂井校の仲間が毎日自習室で頑張っている姿や、マイナス思考の私を毎日そばで支えてくれる家族、一人ひとりの学習の状況に応じて声を掛けたり、分からない所を丁寧に教えて下さる先生方のおかげで、乗り越えられた。受験は一人では絶対に乗り越えられないと知った。ここまで支えてくれた人達に感謝したいと思い、入試まで残りわずかな期間でたくさん勉強した。直前講習や入試演習で理解できなかったところは、繰り返し解き直しを行った。入試プレテストでは、今までで一番良い点数を取ることができた。とても嬉しかったし、自信にも繋がった。入試まで残り1週間になり、日が経つにつれて、不安な気持ちが高まっていった。入試前日、私はいつも通リ塾へ行き、いつも通リ勉強した。帰り際に、「受験、楽しんで来てね。」と山本先生が言って下さった。一生に1度しかない高校受験を、全力で楽しもうと私は思った。

当日は、「楽しむ」というよりも「緊張する」という気持ちが勝ってしまったが、今までやってきたことを出し切ることができた。自己採点をしたら、思ったよりも点数が取れず、心配だったけれど、なんとか受かることができた。仲の良い友達も受かり、とても嬉しかった。

この受験を通して、私は成長することができた。けれど、成長できたのは、周りの人達が居てくれたからだと思う。周りの人達のおかげで、必死に学ぶことの大切さや、合格を手に入れた時の嬉しさを知ることができた。支えて下さった方、本当にありがとうございました。

後輩達へ。受験することはとても怖いことだと思う。でも一人で戦うわけじゃない。みんな一緒だからきっと頑張れると思うよ。周りの人に感謝して、諦めず頑張ってね。

今まで頑張ってきたから、最後まで自分を信じたいと思った。

大垣西高校 合格
浅野 真帆
安八校
東安中学校

「もうやめたい」。何度も心の中で思ったこの言葉。「この点数では絶対に不合格だ」と思いあきらめかけていた私に「真帆さんなら大丈夫」と声をかけてくれた先生、一緒に頑張ってきた仲間がいたから、私はここまで頑張ることができたと思う。

私は小学五年生の頃に志門塾に入った。塾に行くことを何よりも楽しみにしていたことをよく覚えている。私は勉強に対して何も思っていなかったため、統一テストでも点数が低く、遊んでばかりだった。そしてあっという間に中学生になった。

中学生になると授業が週3回になり夜10時までやることが少しつらくなってきた。私はその頃、3年生の先輩を見ては「よくあんなに勉強できるな」としか思わず遊ぶ日が続いて、期末テストは低い点数ばかりだった。

2年生の時、私は3年生の先輩に対してあこがれを持つようになった。毎日自習室にいる先輩たちかっこいい。自分もあんな風になりたい。そう思い、11時まで残ったり、毎日自習室に行くようになった。そして、これからは同じ学年の子よりも何時間でも多く自習室に行こうと決めた。

3年生になった。今まで通り、毎日のように自分から自習室に行く日が続いたが、点数が上がらないままだった。

受験生としての夏休みが始まった。夏期講習の予定表を見た時、受験生は毎日授業があるのかと驚いたが、いつも塾に行っていたためそこまで抵抗がなかった。

夏休みが終わっても私は塾に毎日行っていた。でも本当は塾に行きたくなかった。なぜなら、どれだけ頑張っても点数は上がらないまま、上がったと思ったらまた下がるの繰り返しだったからだ。これだったら塾に行っても行かなくても同じなのでは?と思う日が続いた。そんなとき、後藤先生が声をかけてくれた。「1年生の子が前、『あの先輩いつも塾にいる。すごいな』って言ってたよ」。私はそれを聞いて驚いた。後輩が自分の事を見てくれているんだ。今まで頑張ってきて良かったと思い、それからも塾に毎日行き続けた。

みんなが塾に一日残るようになった。みんなより勉強しなければいけない。でも私は今これをやっていて大丈夫なのか。私はあせった。机から顔を上げると、みんなが勉強をしている。不安なのは私だけではないはずだと思い、勉強を続けた。

入試が近づくたびに後藤先生との懇談が増えていった。私は落ちることが一番怖かった。落ちる可能性があるんだったら志望校を変えた方がいいのではないかと思う中、後藤先生は私に「真帆さんが本当に行きたい高校に行かせてあげたい」と言ってくれた。私はすごくうれしかった。私は自分の行きたい所があっても落ちたくない不安の方が大きく、学校の先生には受かるか分からないと言われ、親には「本当にここでいいの?」と言われている時に、後藤先生が「このままでいきましょう」と言ってくれたので、心の底からうれしかった。

そして入試当日、私は前日にもらった先生からのメッセージを読み、勉強をした。そして入試が始まる前に塾に電話をした。先生と話しただけだったが、緊張をほぐして入試を受けることができた。

1週間後の合格発表。私は自己採点をした時から不安だった。とても低かったからだ。午前9時、私は不安で見られなかった。でも今まで頑張ってきたから最後まで自分を信じたいと思い、自分の番号を探した。そして自分の番号を見つけた。あきらめなくて良かった。隣を見れば涙を流してくれている母の姿。私は今まで頑張ってきて良かったと思った。

私が大垣西高校を受けるのは危険だっただろうなと思った。そんな中でも「受けていい」と背中を押してくれた後藤先生には感謝しかない。指導してくださった先生方、一緒に頑張ってきた仲間たちにも感謝でいっぱいだ。

私はあきらめなくて良かったと思う。もし志望校を変えていたら、ここまで頑張ることはできなかっただろうし、合格発表の日に自分の番号を見つけた時にあんなに喜べなかったと。そして私は、この一年で本当にいろいろな人に支えられているな、と思うことができた。本当にありがとうございました。

ライバルのおかげで、本気で頑張れた。

大垣北高校 合格
若原 愛莉
揖斐川校
揖斐川中学校

合格発表当日、自分の番号がはり出されるかどうかとても緊張して友達と待っていました。とても不安な気持ちでいっぱいでした。そして発表の瞬間がきました。自分の番号を見つけたとき、やっと肩の力が抜けました。お母さんも私の合格を聞いて涙を流して喜んでくれて、頑張ってきて良かったと心から思える受験になりました。

私が受験勉強を始めたのは、2学期に入ってからでした。まだ半年もあるんだから大丈夫だと最初はとても甘い気持ちで勉強をしていました。だから、岐阜模試の点数も全然上がらず、目標としていた400点にはほど遠い実力しかありませんでした。受験まであと4か月近くになり、私も危機感を感じ始め、やっとたくさん勉強するようになりました。平日は、3時間以上、休日は8時間以上と決め、毎日取り組みました。目標通りにできない日もたくさんあったけど、努力し続けました。その結果やっと目標にしていた岐阜模試の400点台をとることができました。少しずつ力がついてきたなと思っていました。でも、直前講習や入試対策演習では全然点数が上がりませんでした。私だけ置いていかれているような気がして、どうせやっても意味ないんだと思いました。次第に勉強時間も短くなってしまいました。そんな時にまたやる気にさせてくれたのは、ライバルの存在でした。同じ高校を目指すその子の勉強に対する頑張りを見て、私も負けていてはいけないなと思い、本気で頑張ることができました。努力した分だけ、結果もついてくるようになり、本当に嬉しかったです。この頑張りがあったからこの合格をつかむことができたのだと思います。ずっと支えてきてくださった塾の先生方、家族、仲間の存在には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。そして、努力に勝る天才はいないのだとこの受験を通して実感できました。この1年間の努力は自分にとっての大きなかてとなり、大きな成長となりました。この経験を忘れることなく、これからも頑張っていきたいと思います。

才能の差は小さいが、努力の差は大きい。

大垣北高校 合格
馬渕 陽
大野校
大野中学校

中1の夏から志門塾に通い始めました。最初のうちは、勉強するのが面倒くさい、塾に通っていればいいだろうという気持ちがあったため、「テスト前だけ勉強をする」というそんな1年間が過ぎていきました。しかし、中2の後期、今までとれていた定期テストの点数がなかなか上がらず、下がっていく一方になってしまいました。だから僕は、日頃の学習の仕方を見直し、受験生としての準備を始めました。

岐阜模試の第2回、僕は今までにとったことのない低い点数をとってしまいました。このままでは、合格出来ないと感じ、お盆特訓で必死に勉強し、その後も学習を継続させ、真剣に取り組みました。その結果、岐阜模試第3回、第4回、第5回、第6回では、すべてB判定を取ることができました。しかし、第7回でC判定をとってしまい、とても落ち込みました。平日4時間、土日は8時間学習を続けてきたので、これ以上はもう無理だとあきらめかけていました。しかし、そこで僕を励ましてくれたものがありました。それは、家族からもらったお守りです。お父さん、お母さん、お姉ちゃんが作ってくれたお守りに入っていた手紙を読んだとき、僕はとてもうれしく感じました。その中で一番心に残っている言葉は、「自分が分からない問題は、みんな分からない」です。この言葉を見つけたとき、心につっかえていたものがなくなり、学習に身が入るようになりました。そして、プレテストでは、目指していた点数をとることができました。

3月18日水曜日午前9時。自分の受験番号を見つけた時、とてもうれしかったです。自分の努力が報われたような気がします。僕が受験勉強中いつも自習室で目にしていたのは、「才能の差は小さいが、努力の差は大きい。」という言葉です。

一年間、信じて取り組む大切さ。

大垣南高校 合格
伊藤 桜来
海津校
城南中学校

合格発表当日、私は「受かる」という自信で満ちあふれていました。周りの子よりも落ち着いて発表まで待っていました。そして、発表された瞬間、自分の望んでいた結果を見ることができてとても安心しました。

私が入塾したのは中学3年生になった春休みです。それまでは他の塾に入っていました。しかし、小学生の頃から算数に苦手意識を持っていたせいで、中学の数学の点数は思うようにのびず悩んでいた末に、学校でとても人気だった志門塾に入りました。最初入った時は何が何だか分からず、人見知りだったので誰にも聞くことができず、校舎に入りフリーズした私を見かけて声をかけてくださったのが加藤先生でした。加藤先生は優しく声をかけてくださっていろいろ話してくださいました。あの時はすごくうれしかったです。そして春休みが終わりました。

4月、私は母と父と高校入試対策のみ受けるという約束をしました。分からなかった数学も何となくコツをつかむことができ、第1回の岐阜模試はこのまま勉強しつづけたら受かるだろうという点数でした。でもまさかあの時から悪夢が始まっていたなんて知るよしもありませんでした。受験に対して何も思わないまま過ぎました。

5月、そろそろ塾にも慣れてきた頃、学校で実力テストがありました。長谷川先生が絶対に点数を落としてはいけないと言っていたのを思い出してしっかり勉強しました。結果はとても良かったので少し自信がつきました。

7月、第2回岐阜模試がありました。返ってきた数学の点数を見てびっくり。難しくなるとは聞いていましたがまさかこんなに低い点を取るなんて思わなかったです。もう笑うしかありませんでした。そしてあまりにもショックだったのかしばらく数学の時間になると必ず体にじんましんができるようになりました。私も母もびっくりです。

そして迎えた夏期講習、ほぼ毎日授業があり、予習、復習をきちんとしなければいけませんでした。第2回の数学があまりにも悪かったので心を入れかえて必死に勉強しました。でもこの夏休みの時、本当に数学が上がるのか、自分には先輩のように点数が上がる自信がないけど大丈夫なのか、などいろんな気持ちが混ざって不安でしかたなかったのを覚えています。そして迎えた第3回岐阜模試。なんと驚くことに140点も上がったのです。判定も良く、とてもうれしかったです。すごく自信が付きました。

9月、10月。今スケジュール帳をもう一度見ると予定がいっぱいで真っ黒です。そうです。テストです。思い出すとよくあんな予定がいっぱい入っているのにやりきったよな、と思います。毎週のように検定や試験があり、毎日のように塾へ行くのは少しキツかったです。でもとても良い機会になったと思います。しかし、模試の点数は思うようにとれません。きっと他の試験や検定との両立がうまくできなかったからです。しまいには、第1回の点数を下回る結果になってしまいました。

12月、塾から分野別問題集が配られました。私は1回やってもとても不安だったので4回ほどやり直した記憶があります。冬休みの正月特訓も刺激的でした。英語の授業の時、となりの北志望の女の子が見せつけるように丸を打ち、ドヤ顔をしてきたので仕返しをしたらケンカになってしまったのがすごく記憶に残っていて楽しかったです。そして迎えた第6回の岐阜模試は、目標としていた点数に少しだけ足りていませんでした。とてもショックでしたがポジティブに考えることを加藤先生が教えてくださったので何とかのりこえました。少しだけ自分が強くなった気がしました。その後、長谷川先生と話し合いをして、疑問点ゼロで帰ること、自分に素直になることを約束しました。終了後は私立の受験がありました。1ヶ月もありませんでしたが、先生たちの助言をもとにすごく勉強をしました。元々落ちると思っていましたが、大垣日大高校のアカデミーコースを受験しました。テスト直前、かぜをひき学校を休んでしまったけど長谷川先生が大丈夫と電話をしてくださったおかげで不安がなくなり当日精一杯実力を出せました。そのおかげで落ちなかったと思うのですごく自信になり、ますます公立の受験が楽しみになりました。ただ、その後がすごく苦しかったです。

2月、夜11時まで特別特訓をする時期がきました。毎回テストを受けて点数を出しましたが、良い結果ばかりなんてことはなく、悪い結果もたくさんありました。毎日自分の苦手な理系をやっているのにもかかわらず点が上がりませんでした。思考も全てマイナスな考えで生活していて、普段通りやっていたこともできなくなってすごく自分の中で最悪な状態だったと思います。今思えば、2月あたりが自分にとっては一番嫌な時期でした。第7回の岐阜模試もそこまで点数が上がらず厳しくなってきました。さらに、1週間後の最後のプレテストは様々な教科は上がっていたものの得点源だった英語で落としてしまい良い結果は出ませんでした。でもその結果が返ってきた2日後ぐらいに、長谷川先生が「できない教科は誰が決めたのか。それは単に自分の中の意識の問題ではないのか。」と話してくださいました。その言葉を聞いた瞬間私はハッとして数学への意識を変えました。毎日いろいろな先生と理系科目に取り組み続けました。すると、できなかった単元もできるようになり、だんだん合格の可能性が見えてきました。そこから必死に頑張って勉強しました。入試2日前、突然目の前が真っ黒になり、フワッと全身の力が抜け、私は過呼吸になりました。近くにいた長谷川先生を見た瞬間、真っ白になり意識を失いました。3分ほど経ち、意識を取り戻しました。きっと入試が怖くてすごく緊張していたからだろうなぁと思いました。次の日、帰る時、加藤先生が「今までちゃんとやってきたから大丈夫。自信を持って。」と声をかけてくださり、不安で頭がいっぱいだったのが一瞬で安心に変わりました。本当にうれしかったです。そして、当日、いつも通リテストを受けました。そこまで緊張はしなかったです。コンディションが最高のまま受けることができました。すごくうれしかったです。

ここまで私に自信がついたのは、長谷川先生や加藤先生の言葉、さらに母からの言葉があったからでした。先生方に、何度も声をかけていただいたり、いろんな考え方を教えてくださったりして成長することができました。4月、長谷川先生がおっしゃっていた言葉を信じて1年頑張りました。それは、「物事は全て自分が思った通リになること。」です。本当にそうだと思います。私は、数学の点数を上げたいと思ってポジティブ精神を保とうとしました。入塾前、すごく悪かった点数が、夏休みを終えてから少しずつですが模試を受けるごとに上がっていきました。今までの模試の結果を見ると、夏休み以降、一度も数学の点数が下がったことがありません。そこに気付いた3月2日、私はすごく自信がつきました。今まで数学に対して何度やっても無駄だ、どうせ私には才能がないと考えていていつも自分を卑下していました。長い間数学に苦しめられていた原因はその考えでした。でも入試とかで、すらすらと解くことができて、勉強に対しての意識が良くなかったこと、必ずポジティブ精神を保つこと、それに、努力は絶対に裏切らないし、苦手なことは毎日コツコツやればいつかできるようになること、才能がないなんて自分を卑下しすぎないことを学びました。難関校に行ける人は元から才能があるのでしょうか。同じ授業を受けて自分と同じカリキュラムで生活しているはずです。それなのに差が出てくるのは考え方の違いだと思いました。私は少し後悔をしています。あぁ、もっと早く考え方を変えるべきだったなぁと。でも自分の考えを見直すきっかけとなったのはまぎれもなく志門の先生方のおかげです。本当にこの紙面に書ききれないくらい感謝したいことがあります。でもやっぱり一番感謝したいのは母と父です。体調を何度も確認してくれて毎日のように送り迎えをしてくれて、進路の相談をした時も、一生懸命情報を集めてくれて本当にうれしかったです。

今自分の机の上に南高の新しいテキストが山積みなのは、周りの人達に助けられたからです。この1年本当に濃い年だったし、すごく思い出になりました。志門塾で学んだこと、分かったことは高校に行っても続けていきたいです。私の夢は学校の先生なので、いつか志門塾の先生のような誰かに希望を与えられるような人になりたいです。そのために、苦手なことから逃げずに頑張っていきたいです。ありがとうございました。

解答に要する時間を意識するだけで点が伸びる。

多治見北高校 合格
山中 結月
多治見駅前校
陶都中学校

私は、中学準備講習から志門塾に通い始めました。塾へ通い始めてから入試までいろいろな欠点を克服し、いろいろなことを学ぶことができました。授業の内容を理解し、わからないことがあれば質問をして苦手を克服することができたことがあります。それは、時間を意識することです。

入塾したばかりの頃、私にはテストは時間が決められているという概念が全くなく時間内に全ての問いに答えることができていませんでした。また、一緒に受けていた人たちが、解き終わりペンを置くのを見て、さらに焦り解ける問題も落としていました。だから、特に数学では、取ったことのないような点数を取り、伸び悩んでいました。「みんなは何で全部解ききれるのか。」「自分はなぜこんなところでミスをしているのか。」テストの度に同じ気持ちになりあきらめかけていた時、先生がアドバイスをしてくださいました。「わからない問題は捨てて次へ進むことも大事。一周して戻ってきてまた考えればいい。」このアドバイスをもとに初めは戸惑いながらも考えてもわからないと思った問題を飛ばして次へ進み、時間を意識するようになりました。だから、時間が足らず取り組めない問題はなくなりました。苦手であった数学も時間意識を持つことで得意な科目と並ぶほどの点数を取れるようになりました。数学に限らず他の教科でも点を上げることができ、入試当日も乗り越えることができました。時間を意識するだけでこんなにも点が伸びることを知ることができ、アドバイスをしてくださった先生にはとても感謝しています。

後輩へ。

時間配分を考えていても、緊張や焦りでミスをしてしまうことがあります。特に数学は一つのミスが大きく点に影響してしまうので重大です。テストが始まるまでどんな問題が出題されるかわかりません。だから、考えても分からない問題は飛ばし、次へ進み、また戻ってきてから考えることを臨機応変にやってほしいです。後輩の皆さんに私の経験が少しでも役立ってくれたらうれしいです。

受験は個人戦ではなく団体戦。

多治見北高校 合格
曽布川 晏奈
多治見駅前校
陶都中学校

中2は部活、中3は勉強。これは自分の中で決めた自分の中の柱となるものでした。

私は部活のバスケが好きで、中2までは休日も平日もずっとバスケに夢中になっていました。だから、進学したい高校なんて考えていなかったし、定期テストの点数も悪かったです。自分の中では一生懸命テスト勉強をしてテストに臨んでいました。でも、点数は伸びませんでした。今考えると、そのころは点数なんて気にしていなかったし、平均点よりも高いからいいやくらいにしか考えていなかったから伸びなかったのだなと思います。勉強をしていなかった分、中2までは部活に力を十分入れることができました。

中3になって、志門塾に入りました。すると、今までのテストと比べて、特に苦手な教科の点数がグンと急に上がりました。これを見て、自分が一番驚いたし、今までの勉強法は間違っていたことがはっきりわかりました。本当にうれしかったし、頑張ろうと思った瞬間でした。だから、毎回の授業が楽しかったです。

しかし、今までずっと力を入れていた部活の中体連は勝ち進み、夏休みの8月の初めまで続きました。その前に引退して受験モードに次々と入っていく周りの人たちを見てだんだんと焦る気持ちが大きくなりました。部活を終えた後の私は勉強へのやる気がとても強かったです。

それから、勉強に打ち込むために自習室をたくさん活用しました。家で集中して勉強できない私にとって自習室は本当にありがたかったです。たくさん勉強をしても岐阜模試の点数は少しずつしか上がらないという現実から目を背けようとして、私立高校にしようかなと思ったことがありましたが、塾で一緒に頑張っている仲間を見る度にそんな思いは消え去りました。これこそ、受験は個人戦ではなく団体戦なのだなと思いました。学校の友達がだんだん志望校を公立から私立に変えているのを見て、自分は公立志望で頑張れたのも塾の仲間がいたからです。

今までの努力と周りからの温かいサポートを受けて、私は部活と勉強を両立し志望校に合格しました。中学校3年間は本当に濃く楽しかったです。先生、本当にありがとうございました。これからも頑張ります。

「努力」を「継続」することが大切。

多治見北高校 合格
吉村 桃佳
多治見駅前校
平和中学校

私は、5年生の春に志門塾に入りました。勉強を楽しいと思って塾に通っていました。しかし、中学入学後、授業についていけなくなったり、周りの環境に圧倒され勉強することが嫌になりました。そんな私を変えてくれたのは、志門塾です。2年生になりこのままではダメだと思い、勉強を頑張るようになりました。2年生では1年生の時よりも成績が上がり、3年生に進級しました。

そして、受験生としての一年が始まりました。春は、クラブの引退や修学旅行などがあり、勉強をあまりしていませんでした。私が勉強に本腰を入れ始めたのは、夏休みが始まってからです。夏休みの初日からほぼ毎日塾に通い、勉強漬けの毎日でした。わからないところは、先生が丁寧に教えてくださいました。夏休みにたくさん努力した結果、岐阜模試では目標にしていた点数を取ることができました。その後、夏秋講習、秋期講習、冬期講習、直前講習と努力をしました。しかし、努力をしてもなかなか点数が伸びず、私の心は揺らぐばかりで、何度も「北高を受けることをやめたい。」と思いました。そんな私に先生がたくさんのサポートをしてくださいました。先生は何度も「大丈夫。」と言ってくださいました。このたった3文字の「大丈夫。」という言葉のおかげで、「絶対に合格する!」と思って頑張ることができました。

そして、迎えた入試当日。私はリラックスして臨むことができました。これまでやってきた努力を信じて、できたからです。合格発表の日。自分の番号を見つけた時の喜びは忘れられません。

私が多治見北高校に合格できたのは、周りの人の支えがあったからだと思います。根気よく教えてくれた先生、精神面で支えてくれた両親、一緒に頑張った塾の仲間の存在のおかげで、合格を勝ち取れました。これからも周りの支えに感謝しながら、勉強を頑張ります。

この受験で「継続は力なり」という言葉の意味を理解できました。「努力すること。」それはとても苦しく辛いものです。でも、楽しく幸せなものであることも学べました。これから生きていく中で大きな壁にぶつかることもあると思います。そんな時のために、「努力」を「継続」することが大切だと思います。

中1からの積み重ねが大切。

多治見北高校 合格
中村 健人
多治見駅前校
多治見中学校

僕は中学1年生の春に志門塾に入りました。そのときガイダンスがあり、将来のことについて考えるきっかけを与えてくれました。そのガイダンスでは、3年後にある高校受験のために、1年生から内申点を取ることが大切だと知りました。中3になってから頑張ればいいということではなく、すでに勝負が始まっているということがわかり、中1からずっとテストなどを頑張ってきました。それが受験の成功につながったと思います。ただ中2のころは、内申点を取ろうと思っても、受験の実感がわかず、気がゆるんでしまうこともありました。しかし、なんとか乗り越えました。中3になり、受験生となってからは、岐阜模試で良い点を取ったり、悪い点を取ったりと色々ありましたが、中1、中2で積み上げてきた内申点が僕に自信を常に持たせてくれました。だから、内申点を気にすることなく勉強に集中できました。そして、最後の岐阜模試、入試プレテストでは最高点を更新し続けることができました。

このようになれたのは、村瀬先生、父、母の支えがあったからこそです。しっかり感謝したいと思います。そして僕を合格へ導いてくれたものはもう一つあると考えています。それは中1からの積み重ねです。積み重ねてきたものは強いと僕は信じています。積み重ねが大切だと受験で知りました。

だからこれからもコツコツ積み重ねることを大切にして人生を歩んでいきたい。

仲間の頑張りを知り、合格へとつなげることができた。

多治見北高校 合格
安藤 柊香
多治見駅前校
陶都中学校

今思えば、この1年間はあっという間だったかもしれない。入試前は一日一日がとても長く感じた。早く受験が終わってほしいという思いもあったし、もっと完璧な受験への体勢を整えてから、その日を迎えたいという思いもあった。

私が志門塾に入ったのは、中学3年生の夏である。友達の誘いで、夏期講習を始めた。今まで学校以外で集団で授業を受けたことがなかったため、初めはなんか不思議な感じがした。みんなが同じように先生の話を聞いて、同じように勉強しているからだ。塾に入ったことで、受験への意識が変わった。夏休み前までは、志望校に合格したいという気持ちはそれほどなく、ただひたすら勉強していた。しかし、夏期講習を受けるために塾に入ったことで、私だけでなく、みんなそれぞれが、志望校に向かって頑張っていることを知った。この夏期講習を受けて、多治見北高校で高校生活を送りたいという気持ちが強くなった。さらにこの思いが強くなったのが正月特訓である。年が明けてから、8時間半後には勉強を始めていた。1月1日から、3日間、朝から夕方まで勉強した。この特訓では同じ高校を受ける人が集まっていた。参加している人を見て、私もいっそう頑張れたし、この人たちと一緒に高校に行きたいと思えた。そして、冬休みが終わり、直前講習が始まった。毎回5科目の中の3科目のテストを行い、採点をし、総合の点数により、講習を受ける席が決まった。席は後ろの方が成績が良かった。始めの2、3回の講習は一番後ろの席をキープしていた。しかし、4回、5回、6回と講習を重ねるうちに一つずつ席は前に移動していった。受験が近づいているのに、本当にこれで大丈夫なのかと思った。一生懸命勉強しているのに席は上がらない。その時、自分だけでなく、周りの人も自分と同じように、いや自分以上に努力しているのだろうと改めて気づかされた。

自分はやっていることだけしか考えてなかった。しかし、それ以上に勉強している仲間を見ると、努力が足りなかったのだと思えた。そこから、自習室に前より多く通ったりして、最後の講習では一番後ろの席に戻ることができた。正直、嬉しかった。

コロナの影響で学校が休みになってから、受験まではほぼ毎日、自習室に通った。こんな時でも校舎は開いているのだ。受験までの何日間、共に頑張る仲間の姿を見て、同じ高校に行きたいとのりきれた。

塾に通う中で、仲間の頑張りを知り、合格へとつなげることができた。塾や仲間、そして送迎、悩みや話を聞いてくれた家族に感謝だ。

当たり前の事ができない、しない事が一番危険。

多治見高校 合格
伊里 優花
京町校
笠原中学校

中学1年の中頃、みんなが3年間の中で一番点数がいいと言う中、私は最も悪い点数を取った。

驚いた。恥ずかしかった。誰にも見せられなかった。スタートからずっこけた私のテスト。このテストを見た母親の勧めによって、それまで入っていた塾をやめ、志門塾に入った。先生の前で行った英語のテスト。あの時の先生の顔と言葉は忘れない。引きつった笑顔。「すごいね」の一言。それもそのはず。当時の私の英語は、文頭、文中、文末関係なく小文字と大文字がごちゃごちゃ。ピリオドは忘れる。文は読めたものじゃなく、スペルは珍解答。40点ギリギリのテストを見ても、「まあ、中学は難しいから。」と不安な思いが無かった。一瞬でこの状況が分かってしまう程ひどいものだった。

入塾後、自分の状況がどれ程ひどいものなのかを思い知らされた。けれども、私は焦るばかりで、どうすれば良いか分からなかった。先生に言われた勉強方法を実行したが、続けることができなかった。これだけ勉強をしていればもう十分だと思ってしまった。伸びない成績に頭をかかえ、素直に勉強をするようにした。音楽を聞きながらやっていた勉強を改める事。ワークをしっかりやる事。当たり前の事ができない、しない事が一番危険だ。受験を目前にした1月には、長い間苦手だった長文を克服することができた。その理由は、先生の指導通りに勉強したからだ。

今頑張っている1、2年生に伝えたい事は、とにかく素直になる事。そして信じる事。どんな学年になっても、どんな時でも必ず伸びる。自分を導いてくれる人を信じ、素直になる事を忘れないでほしい。

全力をつくすことができた。

多治見北高校 合格
松本 佳奈
京町校
多治見中学校

私が志門塾に入る前は、毎日宿題しかやらず、定期テストの前も学校で出された課題をただやるだけでした。受験勉強も何をやったら良いのか分からず、まったく学習の習慣がついていませんでした。

そこで、姉がお世話になっていた志門塾へ夏期講習だけのつもりで入りました。夏休み中毎日塾に来て勉強しました。塾はもっと厳しくてピリピリしている所だというイメージがありました。しかし、そんなイメージとは違って授業も楽しく、先生との距離が近かったので和やかな雰囲気の中すごし、塾に行くのが楽しみになりました。

入試に向けてここで頑張ろうと思いました。夏休みが過ぎて学校が始まっても、塾に来て勉強し、学習する習慣がつきました。入試に近づくにつれ正月特訓・直前講習を受講し、分野別・年度別問題集などであせるなど苦しい時期もありました。それでも、仲間と励まし合い高めあって、乗り越えることができました。

そして、入試本番では、とても緊張して、ただただ不安でしたが、先生の作ってくれたお守りを持って、全力をつくすことができたと思います。合格発表まではすごく不安でしたが、合格した今は達成感でいっぱいです。あの時頑張って良かったと心から思いました。

逃げずに挑戦することが大切。

多治見北高校 合格
牧田 萌百花
小泉校
小泉中学校

私は、学校の授業をもっと真剣に受けていればよかったと後悔しています。1年生は点数もまだ良かったのですが、2年生から少し気が抜けてしまい、点数をキープすることが難しくなりました。気を抜かずに授業の内容をしっかり覚えていれば、3年生になってあせりながら勉強をしなくてもよかったのではと、今になって思います。

私は夏から塾に入ったけれど、「高校なんてどこでもいい」と思い、本気で勉強をし始めたのは3年生の冬でした。正確に言うと1月からです。正月特訓を受けてたくさん自分の知らないことがあることに気づきました。それをきっかけに、毎日塾に行き、先生に質問を大量にして分からないことをつぶしていきました。このように毎日勉強をしていくと、「そういえばこんなこと学校の先生が言っていたな」と思うことが多くなり、普段の学校の授業で教えられてきたことが様々なところで出てくることを知りました。学校の授業は「ワークを後ですれば大丈夫だ」と軽い気持ちで受けることが多かったです。だから、受験勉強のとき基礎ができていないなど抜けていることが多かったのだと思います。基礎を一から勉強する時間は、1月から本気で勉強を始めた私にはありませんでした。その結果、毎日塾に行き、あせりながら勉強をすることになりました。なんとか時間を上手く使って効率良く覚えられるよう工夫しました。そして、岐阜模試では良い結果が出せないまでも、私立入試では自分の力を発揮することができました。かなりギリギリの時期に点数が上がり始めたため、多治見北高校を受けるかとても悩みました。けれど私は逃げるのがきらいなので、ここまで頑張ってきたなら挑戦してみよう!と思い、多治見北高校を目指すことにしました。

本番で落ち着いて自分の力を発揮することができ、無事合格できてとてもよかったです。練習でできなくても、本番で急にできることがあるので、逃げずに挑戦することは大切だと学びました。

私は、受験勉強に力を入れるのが遅く、さらに普段の授業をおろそかにしたことで、細かいところをしっかりできずにあせりながら受験勉強をすることになってしまいました。やっぱり受験は中学生になってからすぐに始まっているのだと分かりました。今回の失敗を生かして、高校では常に気を抜かず高校1年生から勉強に励もうと思います。

「これで落ちても悔いはない」と思った。

彦根東高校 合格
堀田 歩叶
長浜校
びわ中学校

僕は今回の受験を通して、たくさんの人と関わりました。その中でも特に塾の先生方と家族は僕の大きな支えとなりました。

僕が彦根東高校を受験しようと思ったのは3年生の6月頃でした。僕は3年生から入塾したので、1・2年生の内申はズタボロでした。その頃は内申点が受験を大きく左右させるものだと知らなかったからです。入試において、内申点があるのとないのとでは大きく違います。その内申点の大切さを知ることができたのは入塾してからでした。先生に行きたい高校を聞かれたとき、最初は「家から近い」という理由で虎姫高校を志望していましたが、自分がこれから先にしたいことを実現できる高校である彦根東高校に魅力を感じ、途中から志望校のランクを上げました。志望校を彦根東高校へ変更してから初めての「Vもし」でとても悪い成績をとってしまいました。そのときの懇談では、今の状態では厳しいと言われてしまい、そこから僕は一日の大半の時間を勉強に費やすようになりました。部活動も終わり、勉強に集中できるようになってから受けたVもしで判定が上がりました。それでも内申点が足を引っ張っていたので油断できませんでした。それから少したってもう一度行ったVもしでの判定は下がっていました。受験2ヶ月前ぐらいだったので、志望校を変更するという案も出てきていました。しかし、塾の先生方や家族は僕が彦根東高校へ行きたいという強い意志を持っていたので、とことんまで付き合ってくれました。そのおかげで直前のVもしで今までで最もいい判定が出て、自信を持って受験することができました。

受験前日の夜から準備をして、当日は万全の状態で会場へ行きました。僕は、大きな自信を持って受験したので、「これで落ちても悔いはない」と思っていました。

受験が終わってから、発表されるまではとても長く感じられました。発表前日の夜は体が熱くて、よく眠れなかったのを覚えています。掲示板を見て、自分の番号を見つけ出したときはうれしくてたまりませんでした。こんなにうれしいことが起こるんだなと思いました。その後、たくさんの受験に関わって下さった方々に受かった報告をしました。そのとき初めて、こんなにもたくさんの人が応援してくれていたんだなと感じました。

高校へ入学しても、感謝の気持ちを忘れないようにしていきたいです。

人事を尽くして天命を待つ。

彦根東高校 合格
吉川 星太
長浜校
びわ中学校

私は、この受験を通じて、大切なことを学ぶことができました。それは、良い習慣を身につけることです。勉強が嫌いだった私は英検がきっかけで中2からほとんど毎日塾で勉強するようになりました。慣れるまではつらかったですが、勉強することが「当たり前」になってからは勉強を苦だと感じることは少なくなりました。このように一時の努力で習慣を身につければ、それからの苦労を帳消しにすることができます。いわば「やらないで後悔するよりやって後悔したほうがいい」ということです。仮に、習慣が身につかなくてもそこに費やした努力は無駄にはなりません。後輩の皆さん、自分を信じて努力し続けてみてください。必ず良い未来にたどり着くことができます。

努力することだけでなく、感謝することも大切です。人間は一人で生きていくことはできません。親や友人、塾の講師の方々など私達を支えてくれる人達がいて初めて私達自身が何かを成すことができます。受験を体験するまでは、誰かに支えられているという実感を持てませんでしたが、入試まで後1週間という時期に気付きました。特に私をいつも励ましてくれたのは友人です。新型コロナウイルスやその他様々な要因が重なって自分も苦しい状況にも関わらず、最後まで毎日一緒に塾に来てくれました。そんな友人の姿にいつも感銘を受け、3年間挫折することなく努力し続けられました。

最後に後輩のみなさんへ。

まず、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります。これは、自分の全力をかけて努力したら、どんな結果になろうとも悔いは残らないということを指します。つまり、自分の努力次第で未来を変えられるということです。自信をなくしてしまったときなどにこの言葉を思い出して机に向かってみてください。何か解決につながる手引きが得られるかもしれません。

次に、努力の仕方について綴りたいと思います。私は、努力をするためには具体的な目標を立てることが必要だと思います。「志望校合格」という目標を掲げたとします。次にその目標を達成するために平日は4時間、休日は12時間勉強するという様に一つの大きな目標からだんだんと具体的な目標にしていくと自分がしなければならないことが明確になり、効率よく勉強することができます。

これは、あくまでも一例です。鵜呑みにせず、自分で考え、自分に合った努力の仕方を身に着けることが大切です。