受験体験記

志門塾の子どもたちが書いてくれる体験記は長いものが多いですが、長さを感じさせません。

志門塾の受験体験記は変わっていると言われます。何の制限もなく子どもたちに自由に書いてもらっているためか長文になる場合が多いです。私たち講師が嬉しくなるのは行間に子どもたちの人間的成長が垣間見える時です。学力だけ優れている人間ではいけないと伝え続けてきたことが届いたと思えるからでしょう。志門塾の受験体験記は、そのまま私たち講師にとって自分への戒めや励みです。

仲間がいたからこそ、合格することができた。

岐阜高校 合格
山田 萌杏
島校
島中学校

「受験は団体戦」。私はこの言葉の意味が受験が終わるまで分からなかった。周りはみんな敵。そう思っていた。しかし、今は「受験は団体戦」という言葉を理解できる。毎日送り迎えをしてくれた両親。ちょっとした疑問でも、私が分かるまで教えてくれた先生。日々の中でいつも支えられてきたと思う。しかし、私の一番の支えになったのは同じようにがんばってきた仲間だと思う。

私が岐阜高校に行きたいと言い始めたのは小学生の頃からだ。まだ、あまり何も知らず、父親が行っていたから、一番偏差値が高い高校だからという単純な理由だった。中学生になり、定期テストがあるようになった。私はテストの点や統一テストの点から、自分は岐阜高校に行けるかもしれないと思うようになった。しかし、私は1年生のとき自習室にはみんなほど行っていなかった。私が自習室に行くようになったのは、尊敬するT先輩やY先輩が多く自習室に行っていたからだと思う。二人の先輩は岐阜高校を目指し、朝から晩までずっと勉強していた。これだけやらないと岐阜高校には行けないんだと思い、前よりも自習室に行くようになった。しかし、春休みに入り、コロナでの休校もあって勉強への意欲が下がってしまった。最低でも宿題だけやればいいと思うようになり、勉強時間が短くなった。4月ごろからZoomでの授業が始まり、オンラインでの自習室も開くようになった。私は最初、授業しか受けていなかったけど、友達に「一緒に自習室入ろうよ」と言われたのをきっかけに自習室を時々使うようになった。そこであることに気づいた。同じ高校を目指している子が必ずいたことに。このままでは負けてしまうというライバル心が芽生え、私は自習室をさらに使うようになった。その後、学校再開後も自習室を使うようになった。

自習室を多く使うようになり、自分の力が伸びていると思いながら挑んだ岐阜模試。なかなか点数が伸びず、周りの子にもどんどん抜かされ、あせりを感じていた。これ以上どうしたらいいのか分からなかった。そんな中で、自分の気持ちを持ち直せたのは、同じ高校を目指した仲間の存在があったからだと思う。どんなに点数が悪くても、ポジティブに考え、前を向いて進んでいるのを見て、自分にはまだまだやれていないことがあると思うようになれた。お互いにからかい合いつつも、分からない部分を教え合ったり、意見を出し合って考えたりと刺激し合いながら受験に臨むことができた。受験会場では、自分の近くに刺激し合った仲間がいたため、落ち着いて解くことができた。

私は仲間がいたからこそ、受験も落ち着いて受けることができ、高校に合格することができたと思う。「受験は団体戦」。私はこの言葉を忘れずに大学受験や、これからの人生を進んでいこうと思う。

勉強だけでなく、一人の人間として成長できた。

岐阜高校 合格
野田 紗矢
長森校
長森南中学校

私は、天才ではありませんでした。だから努力が必要でした。でも、仲間のおかげでその努力ができました。そして志望校に合格することができました。

私は中学校に入学した頃から志門塾に通っていました。小学生の時にほとんど勉強をしていなかった私は、急に難しくなった勉強についていくのが大変でした。だからその分勉強しました。1、2年生の時もたくさん勉強したけれど、3年生の勉強量はその倍以上ありました。

今年度の受験は本当に大変でした。3月、4月、5月と休校になり、塾も休みになりました。家で一人で勉強というのはやっぱりつらかったです。また、「受験生になった」という意識がほとんどありませんでした。このままで良いのかととても不安な気持ちになりました。休校が終わり、塾も始まると自分の勉強する居場所ができたと安心しました。それと同時に周りの仲間の集中力で緊張感が出てきました。この時やっと自分が受験生だと実感しました。

夏休みになるとお盆特講がありました。毎年泊まりですが、今年は日帰り5日間の講習でした。1年生や2年生の時の自分なら、この特講に参加しようとは思わなかったと思います。なぜなら、私は慣れない環境へ行くのが怖く、極度の緊張を感じてしまうからです。しかし、私は長森校のみんなのおかげで変わりました。全員が目標に向かって走っているのを見て「自分だけめそめそしててはいけない」と思えました。そして私は参加しました。特講に参加したことで新たな仲間であり、ライバルでもある仲間からとても多くの刺激を受けました。そこからまたやる気がわいてきました。でもなんだか長森校に戻るととてもホッとしました。居心地の良い場所でした。

私は中学3年の願書書きの直前まで岐阜高校か岐阜北高校か迷っていました。また、上位を取り続けなければいけないというプレッシャーを自分で感じてしまい、つらかったです。そこで光となってくれたのが周りの人たちでした。親、先生、仲間が「自分で選んだ道なら絶対大丈夫」と教えてくれました。結果だけが全てではないことも教えてくれました。私は自分で「より高い所を目指したい」と思い岐阜高校に決めました。

第6回岐阜模試では、今までとったことのないくらい低い点数をとりました。とても悔しくて家で泣いてしまいました。この悔しさを胸に抱き、仲間の背中を見て頑張りました。すると、第7回岐阜模試、入試プレテストと、点数がぐんぐん上がりました。入試本番は「この問題を今、長森校の仲間も解いているんだ」と思いながら受けました。朝までの緊張が全くなくなりました。安心して頑張ることができました。

岐阜高校を受けられたこと、ずっと支えてくれた親、私の進む道を示してくださった先生、最後まで全力で一緒に乗りこえた仲間にとても感謝しています。勉強だけでなく、一人の人としても成長できた年でした。生涯忘れることのない思い出がいっぱいです。今、スタートに立ちました。もっと頑張って高校生活も楽しみたいです。

私を信じてくれた家族へ恩返しできる受験に。

岐阜高校 合格
早川 凜
RESPECT長良
東長良中学校

私は、受験を通して仲間や家族の大切さを学んだ。

小学6年生の冬ごろ、私の両親と自分と伊藤先生の4人で懇談をした。「今のままでは岐阜高校にも受からないし、夢を叶えることも難しいぞ。」そうはっきりと先生がおっしゃった時、悔しさが込み上げてきた。この時、自分が抱いている高い目標を絶対に達成すると決心した。

中学生になってからは時間があれば自習室へ足を運んだ。自習室へ行けば必ず仲間が居てくれる。分からない問題を教えてくれたり、笑顔で話しかけてくれる仲間の存在は本当に心強かった。しかし、統一テストの点数は全く伸びなかった。どれだけ勉強しても点数がついてこない。伊藤先生と共に点数が伸びない要因を分析した。そこで分かったのが、社会の記述の内容の薄さと数学だった。この時から私は、社会の教科書を寝る前に読んだり、授業のノートを何度も見直したりした。数学は、河村先生が私に手を貸してくださった。テストが近付いてくると、カウンターで毎日のように特訓をした。その努力の甲斐あって、中1の最後の定期テストでは数学・社会共に良い点数をとることができた。そこから、苦手の克服の仕方を知った私は社会が私の一番の得意教科となり、数学の苦手意識もなくなっていた。

そして中学3年生、受験生となった。しかし、新型コロナウイルスの影響で学校にも塾にも行けなくなった。リモート授業も自宅で一人で勉強をすることも、私にとっては初の事でとても心細く、不安が大きくなっていくばかりだった。その後、やっとのことで対面授業が再開。仲間との距離は遠くなっても楽しく温かい雰囲気はいつものままで、改めて仲間の大切さを実感することができた。対面授業が始まってすぐに、先生からお盆特別合宿の話を聞いた。今年は合宿ではなくお盆特講。私は悲しかった。でも、特講に行きたいと思う気持ちは変わらなかった。特講への切符を勝ち取るには、岐阜模試と英数テストを突破する必要がある。中2の時に克服したはずだった数学の壁に再びぶつかった。私は不安でしかたがなかった。でも私は、仲間や家族の励ましを力に努力し続けた。そして、特講への切符を勝ち取ることができた。母は泣いて喜んでくれた。特講までは宿題が大変だったが、熱い雰囲気に良い意味でのまれ、頑張ることができた。5日間の特講は私の心を刺激した。全力で授業をしてくださる先生方や、同じ目標に向かって共に歩み高め合える仲間に出会えたことで、より岐阜高校に合格したいという気持ちが強くなった。しかし、特講を終えてからの岐阜模試は右肩下がりにどんどん成績が落ちていった。涙があふれる時が多くなった。でも私は腐らずに自習室に通い続けた。正月特訓も校舎での補習授業も一生懸命に受けた。分野別も年度別もブラックノートも、何度も何度もやった。そして入試直前のプレテスト。成績を上げることができた。残りの日も変わらず自習室に通い続けた。出陣式の日、ここまで頑張れたのはなぜかを考えてみた。切磋琢磨し合えたかけがえのない仲間の存在、私に真摯に向き合い励ましてくださった先生方の存在。そして苦しい時や辛い時、私の隣にいてくれた家族、毎日弁当を作って塾へ送迎してくれた両親、家族が私を信じてくれなかったら今の私はいなかっただろう。こんなことを考え、私は自分の受験のテーマを「恩返しできる受験」にした。そして受験当日。不安はなかった。自分の力を最大限に発揮することができた。

合格発表までは2週間以上の間があった。自己採点の結果はまだ合格が安心できる点数ではなかったため、毎日かかさず神社へお祈りに行った。母も付き合ってくれた。後で聞いた話だが、母は受験までの間、ほぼ毎日一人で神社に足を運んでくれたらしい。本当に嬉しかった。私は自分の思いを言葉にして伝えるのが苦手で、その時は母にありがとうが言えなかった。

そして合格発表当日、両親が一緒に来てくれた。午前9時。見つけた。私の番号を。嬉しすぎて声が出なかった。隣にいた両親は泣いていた。私はその時やっと伝えることができた。「今までありがとう」と。私の親友も合格し、二人で抱き合った。また、共に頑張ってきた校舎の仲間とも喜びを分かち合うことができた。私は、あの時の情景や感情を一生忘れることはないと思っている。それぐらい濃いものとなった。仲間や先生、家族には合格という形で恩返しができた。次は大学受験。努力し続け、また恩返しできる受験にしたい。

そして受験生のみなさん。テストの成績があまり良くなかった時、不安になるのは当たり前。でもそこで努力を止めたら今まで積み上げてきた力が無駄になるし、後悔が残るだろう。また私がそうであったように、どんなに努力しても報われないこともある。そんな時も腐らずに自分を信じて進んでほしい。「努力は報われる」という言葉がある。しかし私は「努力はたまーに報われる」という言葉に置き換えて考えてきた。こう考えれば少しは楽になると思う。そしてなにより受験は団体戦だ。仲間や家族がいなければ、受験は乗り越えられない。今周りにいる仲間や家族を大切にして、努力を止めず自分を信じて進んでいけば心に残る最高の受験になるはずだ。

最後に、私の受験に携わってくださった伊藤先生、河村先生、関先生本当にありがとうございました。3年間共に頑張った仲間、支えてくれた家族、本当にありがとう。

受験は勉強だけでなく、思考も進化する。

岐阜高校 合格
多賀 研人
トップレベル選抜・岐阜
本荘中学校

新中3になる頃、新型コロナの流行で学校も塾も休校になってしまった。久しぶりに幼稚園児の頃のような生活になり、野放し状態の僕は完全に理性を失っていた。あふれ出る欲に忠実に従い、遊びほうけていた。自分を自分で律することができなかった。受験生ということに実感が湧かなかった。そして、少し時間が経ったらZoomでのオンライン授業が塾で始まった。Zoomは実際の授業と違い、緊張感が全く無かった。そしてより疲れが増した。僕はこの二つの要因を言い訳に授業を真剣に受けていなかった。本当にクズだと思う。ほぼ勉強をしないままコロナ休みが明け、学校が再開された。そして、3年生になると受ける岐阜模試をほぼ同じタイミングで受けた。いつも大体120位近くとっていたが、この模試で僕は350位くらいになってしまった! とてもショックだった。テストの手ごたえはどちらかというと良かった。だが、実際は見たこともない点数をとっていた。コロナ休みで全く勉強しなかったせいで、何が合っていて何が間違ってるかも分からなくなってしまった。ここで、僕の脳内で独自に緊急事態宣言が出され、脳がおかしくなり、めちゃくちゃポジティブに考えるようになった。「ここから逆転したら、俺凄くね?」と考えた。そして根性が試される8月になった。僕はお盆特講よりお盆特訓の方が今の自分には必要だと思い、お盆特訓を選択した(正確にはお盆特講を受けるための試験に落ちた。くやしい)。お盆特訓で、8講座中7講座選択した。とてつもない日程だった。特訓中は8時から20時まで講座を受け、帰ってから25時くらいまで次の日までの課題をこなした。今考えると頭がおかしいと思う。だが、頭がおかしくなけりゃ、夏にだれよりも勉強しようという気になれないだろう。そして夏が明け、模試があった。その模試で110点ぐらい点数を上げ、何とかスタートラインに立てた。その頃にはもう、勉強をかみくだいて考え、一つ一つの「できるようにする事」の集合だと考えた。その後からは日々少しずつ進歩していった。感じ取れないほど小さな進歩だ。一朝一夕では勉強はできるようにはならない。植物のように毎日水やりを続けて地道にできるようにしていくものだ! ということを知った。最後の岐阜模試、僕は471点をとって全体19位までのぼりつめた。そして岐阜高校に合格した。今はまだ自分が合格したことを実感していない。合格したからといって分かりやすく生活に変化があるわけではない。受験では勉強だけができるようになるのではなくて、思考も進化する。僕が学んだことは、

  • 勉強は長い目で見る。
  • やり続けることで勉強を義務から習慣に変えることが大切。
  • 努力に比例して世の中の全てのことに対する視野が広くなる。
  • 受験はがんばればがんばるほど楽しくなる!!

受験が人生で一番楽しかったです。あと、自分で勉強しようとすることも大切だと思いました。

絶対に諦めない。

岐阜高校 合格
山田 祥太郎
日野校
藍川中学校

私は、受験を通して諦めないことの大切さを学びました。

中学1年生の頃は、そこまで勉強に力を入れていなくても、塾や学校の課題をこなすことで高得点を取ることができていました。しかし中学2年生になると、部活がこれまで以上に厳しくなり、部活を理由に勉強をサボるようになりました。当然、点数や順位も下がっていきました。しかし、それでも私は、部活を建前に自分を守るだけでした。

そんな時に、新型コロナウイルスが流行し、学校が長期の休校期間に入りました。今まで部活を言い訳にしてきた私は、その状況でももちろん勉強をせず、ひたすら遊んでいました。今思えば、その期間にもっと勉強をしておけばよかったと後悔しています。学校が再開し、部活を引退した私は、遂に「部活」という最大の盾を失いました。そうしてやっと私は勉強と戦うことになったのです。

これまで最低限の勉強しかしてこなかった私にとって、自習室や授業の延長はとても苦でした。しかし今まで逃げてきた分を取り戻すために必死に勉強をしました。そんな時にちょうど、正月特訓がありました。普段は接することのない他校舎の生徒を見て、自分の未熟さや甘さを痛感しました。このままで岐阜高校に合格できるのか、諦めたほうが良いのではないか、そんな不安な気持ちに押し潰されそうになりました。私はがむしゃらに勉強し続けました。

そうして迎えた第6回岐阜模試。自分の全力を尽くしました。しかし結果はC判定。今までの自分が許せず、悔しく、逆にこの結果が自分を大きく変えました。毎日塾に通い、朝早くから夜遅くまで勉強し、家に帰ってからも、自主的に勉強するようになりました。勉強時間が増えたことにより、第7回岐阜模試やプレテストで点数が取れるようになり、大きな自信になりました。そして無事に念願の岐阜高校に合格できました。何度もくじけそうになったけれど、決して諦めなかったことが合格の鍵になったと思います。どんな時も励まし、支え、引っ張ってくれた家族や先生方には感謝しかありません。

これから受験をするみなさんは、後悔しない勉強をしてください。

「笑顔」と「仲間」が最強の武器。

岐阜高校 合格
渡邊 愛
北方校
糸貫中学校

『180』

その数字を見つけた瞬間、私は「あった!」と叫び、目に涙を浮かべ、母と喜び合いました。

私は中学1年生の時、志門塾に入りました。今まで、塾というものに行ったことが無かった私にとって、塾はとても新鮮な場でした。毎回行くのが楽しかったのを今でも覚えています。1年生の秋頃。私は今の校舎長である江口先生に出会いました。そして、私の統一テストの結果を見た江口先生は、私に言いました。「あなたには100位以内に入る力がある」と。その言葉を聞いた私は、今よりももっと上を目指したいと思い、本格的に勉強を始めました。その成果もあり、冬休み明けの第5回統一テストでは、初めて北方校で1位を取る事ができました。あの時は、本当に嬉しかったです。そして、中2になり、私は自分の順位を順調に上げていきました。勿論、北方校1位という順位もキープし続けました。その時の私は、何となく勉強していても1位は取れるのだというような優越感に浸っていました。周りの仲間が追い上げてきている事をも知らずに。

3年生になり、受験生として初めて受けた岐阜模試。私は初めて1位ではなくなりました。1位だったのは、私の友達でした。今まで1位をキープし続けていた私にとって、この結果はかなりの衝撃的なものであり、受け入れがたいものでした。そのため、順位表を見る度に、かなり落ち込んでしまいました。しかし、その子との点差は、たったの2点です。今思えば、2点の差なんて、まだ容易に埋められるから、そこまで落ち込む必要は無かったと思います。けれども、あの時の私は、目前の結果ばかりを重視し、前向きに捉える事ができていませんでした。そのため、第2回岐阜模試では、点数が30点近く下がりました。懇談の時、江口先生から、「最近、愛さんは辛そうに勉強しとる。もっと楽しまなきゃ。周りと比べたら苦しいから、昨日の自分より今日の自分という意識を持とう」と言われました。負けず嫌いな私にとって、ライバルの存在は良い刺激を与えてくれる最高の仲間でもありましたが、自分の能力の低さを突きつけ、自尊心を削ることになる原因にもなっていました。だから、ライバルという存在を自分のプラス要素にできるすばらしい仲間と捉えようと思いました。

夏休み。私は今までの人生の中で一番勉強しました。朝は8時に来て、夕方まで自習。夜はZoomで繋いでオンライン自習という、とてもハードなスケジュールを日々送っていました。その理由はというと、勿論、第3回岐阜模試で60点以上アップさせなければならなかったからです。私は50点アップを目標としていました。だから、毎日毎日塾に通い続けました。しかし、また私は圧倒されてしまいます。ライバルの存在に。その子は、塾から帰宅してもすぐZoomで繋ぎ、自習していたのです。それは、その時の私には到底できないことであり、その子の能力の高さに度肝を抜かれました。そして、私のライバル意識はさらに強まり、次第に自分の勉強に集中できなくなってしまいました。その子をはじめ、他のライバル達のシャーペンの音や、丸をつける音までをも気にしてしまい、完全に集中できなくなってしまった私は、ケアレスミスも増え、勉強が辛くなっていきました。

そして迎えた第3回岐阜模試。その子の席は私の左隣でした。そして案の定、私は全く集中することができませんでした。周りのシャーペンの音や、問題用紙をめくる音を聞く度に、焦りを感じ、落ちついて解くことも、深く考えて解くこともできませんでした。その日の午後。自己採点を終えた私は目の前が真っ暗になったような気分でした。周りが「私60点上がったよ!!」「私もめっちゃ上がった!!」と声を上げて喜ぶ中、私の点数の伸びは、たったの6点でした。すごく悔しくて、苦しくて、恥ずかしくて、私は涙をこらえながら江口先生のもとに行きました。そして、報告用紙を渡した途端、私の目から次々と涙が溢れ出しました。悔し涙でした。皆は点数を大幅に上げたのに、私は6点しか上がらなかった。もうどうすればいいか分からない。絶望的な気持ちでいた私に、江口先生は「次、頑張ろう」と前向きな言葉を掛けてくださいました。それと同時に、私の直すべき点を教えてくださいました。これがきっかけで、私は、自分の事に集中すること、そして前向きに捉えていこうと決心することができました。

その後の私の意識は大きく変わりました。一つ一つの問題に集中するようになり、いつのまにか耳について離れなかった周りのシャーペンの音も、解答用紙をめくる音も消えていました。前まで多くあったケアレスミスも格段に減っていきました。そして、勉強が楽しいという思いが徐々に芽生えていったのです。秋期テキストも夏期より丁寧に解きました。特に、9割を取れていなかった理科、社会は3回解きました。

そして迎えた第4回岐阜模試。伸び幅は8点でした。だけど、第3回の時とは異なり、その結果をすんなりと受け入れることができました。自分でも手応えがあったのです。確実に解ける問題が増えていると感じていました。だから「自分はまだ伸びるかもしれない」と思い、さらに頑張ることができました。一番の苦手科目だった数学にも果敢に挑戦しました。その結果、第5回岐阜模試で、私は過去最高得点を取ることができました。苦手な数学は8割を超え、理科、社会も高得点を取ることができました。そして、なんとケアレスミスは一つもありませんでした。その事は、自分にとって大きな自信になったし、やっと報われたというような感覚で、心から喜びました。

しかし、12月。私は夏期の時に悩んでいた事が再び起こってしまいました。分野別をどのぐらいのスピードで進めれば提出期限に間に合うかを、私は考えていませんでした。そのため、周りの仲間に大差をつけられていたのです。追いつこうと必死で頑張っていた私は、とても辛い思いをしました。また、勉強が辛くなっていき、当然、提出期限にも間に合いませんでした。

本格的な冬を迎えた頃。学校の最後の定期テスト対策が始まりました。あまりにやる事が多く、本当に大変でした。しかし、優先順位をつけてやることで、一つ一つこなすことができました。正月特訓でも、数学の講座の勉強をする傍ら、定期テスト対策を行いました。今まで全く解けなかった数学の大問5。分かりたいという思い一心で、緊張したけれど先生達に何度も何度も質問しました。この成果は、学校の定期テストや、数学の演習で顕著に表れました。だからとても嬉しかったです。

1月中旬。私立受験に向け、勉強を始めました。私は鶯谷高校と、もう一つ、挑戦してみたかった滝高校を受験することにしました。しかし、滝高校の過去問を解いた途端、私は大きな不安を感じました。今までこんなにもバツがつく解答用紙など、目にしてこなかったからです。あまりにも厳しい現実を突きつけられたような感覚でした。さらに、塾で仲の良い友達も受験する事を知りました。そこで私は「どちらかが落ちたら、もし私が落ちたら・・・」という不安にかられ、勉強にも全く手が付かなくなりました。過去問も全く頭に入ってきませんでした。しかし、こんな苦しい思いを誰かに伝えることもできず、一人で抱え込んでしまいました。そして私は「不合格」という結果を手にしました。悔しさのあまり私は大泣きしました。どうすればいいか分からなくなりました。その日塾に行った私は、江口先生に「駄目でした」と伝えました。塾では絶対に泣かないと決めていたのに、私の目から涙は止まりませんでした。そんな私を気遣い、江口先生は懇談室で勉強するようにと勧めてくださいました。そして、「次の方が大事。頑張ろう」と言ってくださいました。私は「岐阜高校は、絶対合格してやるんだ!!」と決意し、絶対に自分に負けないのだとスイッチを入れました。その後始まった演習。丁寧に解き直しをし、分からない所はすぐに先生に聞いて、苦手を徹底的に攻略していきました。初めはあまり好きではなかった誤答処理も、どんどん楽しくなっていきました。

そして迎えた第7回岐阜模試。私は481点をとり、総合でも5位を取ることができました。嬉しくて嬉しくて、たまりませんでした。そして、入試に向けての大きな自信になりました。その後の2週間は、あらゆる時間を全て勉強に費やし、全力でやりきりました。終わらなかった課題もあったけど、今やるべき事を決め、全力でやりました。

3月3日の入試当日。私は母の車から降りた途端、なぜか一粒の涙がこぼれ落ちました。緊張、不安といった感情がある中、私は今までの事を振り返りました。成績が落ちても戦い続けた自分。朝から晩まで勉強した自分。仲間と頑張れた自分。「大丈夫だ。できる」。そう自分を信じることができました。そして、1問1問に魂を込めて向き合い、楽しみながら解答することができました。

そして私は、岐阜高校に合格したのです。

この1年を通して思ったこと。それは、自分の能力を把握することの重要性です。私は大の負けず嫌いです。だから、よく周りを基準にして自分を評価してしまいます。ライバルという存在がプラスに働くのならば、それは自分を計るものさしという視点で見てもいいかもしれません。だけど、自分と他の人との能力は違います。だから、自分の能力を把握して、自分の能力に応じた対策を講じる必要があると思います。結局、最後は「自分」と戦うからです。そして、もう一つ思ったことがあります。それは、「合格」は決して一人では摑めないものだということです。この1年、私は本当に多くの人に支えられてきました。平日も休日も、休みなく送迎をしたり、弁当を作ってくれた家族。一緒に努力してきてくれた仲間。そして、どんな時でも私を見捨てず、とことん付き合ってくれた塾の先生方がいなければ、私は決して、この1年を乗りきれなかったと思っています。だから、私を支え続けてくれたすべての人に、声を大にして「ありがとう」と伝えたいです。

後輩の皆さん。受験は自分との戦いです。恐らく、1人1回は必ず壁にあたります。だけど、大丈夫。「笑顔」と「仲間」という最強の武器があれば、必ず乗り越えられます。前向きな気持ちを持ち続け、夢を叶えましょう。

最後に。この高校入試は私の人生の大きな宝となりました。今後も、夢に向かって全力で走り続けます。ありがとう!!

自分を変えなければならないと感じた。

岐阜北高校 合格
大野 裕靖
粟野校
岩野田中学校

僕が粟野校に入ったのは小学生の時でした。入塾したての時は自分から進んで勉強をしたりする習慣がなく、課題をやらずに塾へ行ってしまうことがよくありました。そんな中、塾の先生や親などが怠惰な生活を続けてしまう僕に、あたりまえの事ができるように指導してくれました。そのおかげで塾のテストの順位表に名前を載せることができました。その時はとてもうれしかったし、これからも勉強に励むための糧にもなりました。

時が流れて中学生になりました。初めての定期テストでは8割ほどの点数をとることができました。「まずまずな点数がとれているし、このままこの勉強の習慣を続けていれば中学校生活はなんなく過ごせるだろう」と考えていました。そして迎えた2回目の定期テストでは点が少し減少していました。「たまたまだろう、気にするほどのことではない」と考えました。3回目の定期テストでは点がさらに減少していました。1年生が終了するときには、テストの点数が初めの点数と比べ40点ほど減少していました。怠け始めている自分を自覚しました。しかし「受験まであと2年もあるし、今気にすることではない」と思い、開き直りました。

2年生になりました。怠けた自分を自覚しつつも直すことができず、今まで通りの怠惰な生活を続けていました。勉強は宿題など必要最低限のことだけをやって、あとはオンラインゲームにあけくれる日々でした。テストの点数はもちろん低下しました。宿題を出さなかったり、わざと早退したりしていたので内申もボロボロになりました。「いい加減に直さないと本当に良くない状況になるのでは」と考えることはありましたが、直せませんでした。罪悪感を抱えながらゲームをしても面白くありません。しかし、やめることができません。

コロナでの長期休暇を楽しんでいたら、自覚がないまま3年生になっていました。受験まであと1年になりました。緊張感を持って受験勉強に取り組まなければならない状況になりました。しかし私は「遊ぶのは今日1日だけ、1年365日のうち1日休んだところで点数はそんなに変わらない」と考え、3年になっても怠けていました。第4回の岐阜模試を受けた時に、ふと小学生の時のことを思い出しました。順位表に名前が載って、何でも頑張れたときの輝かしい自分と、今、怠けに怠けて点数も内申もボロボロな自分を比べてみじめさを感じました。そのときに初めて自分を変えなければならない、と感じました。そこからはほぼ毎日自習室に通い、ゲームはできる限り時間を減らして一生懸命受験対策に取り組みました。しかし、今までまじめにやってこなかったので、1年の地理の用語や2年の理科がわからないといった、とても初歩的な部分でつまずいたり、テストではケアレスミスが多かったり、あと一歩で解けそうな問題がわからなかったりなど、自分の思い通りに点数をとることができませんでした。それでも粘り強く努力をし続けることで、定期テストでも9割ほどの点数をとることができたし、岐阜北高校にも入学することができました。3年の最後に自分が目一杯努力できたのは、学校の先生や塾の先生、そして僕の両親など、多くの人達が僕の進路のことを自分のことのように深く考えてくれて、また所々で僕のことを支えてくれていたからだと思います。合格した今、そういった人達への感謝でいっぱいです。

最後まであきらめず、努力して良かった。

岐阜北高校 合格
山内 悠矢
羽島校
羽島中学校

僕は、中1の夏から志門塾に入った。野球部に所属をし、チーム状況により1年生からレギュラーだった僕にとって、この塾に入ることはとても不安だった。本当についていけるのかとか、すぐやめちゃうのかなとか色々な感情があった。正直1、2年生の時から普通にきつかった。夏は特に体力をけずられるから、本当にきつかった事は今でも覚えている。そんな状況だったが大切にしていた事が一つある。それは、宿題は必ずやるということだ。部活にも力を入れている子は、引退するまで勉強をする時間は少ない。だから、プラスの勉強をするなんて無理だ。とりあえず、宿題をしっかりやるということだけを意識して頑張った。

中2の時に、びっくりする出来事が起こった。それは、当時とても仲の良かった子が同じ塾に入ってきたのだ。誘ったのは自分だけど、まさか入ってくるとは思ってなかった。正直うれしかった。その子はとても頑張り屋さんだったので授業がない日は、自習室に行っていた。その姿にあこがれ、自分も自習室に行くようになった。だけどある日、自習室に自分とその子しかいなくて、2人で話をしていたら先生に見つかって怒られ、自習室を1週間禁止にされた事を今でも覚えている。その時に学んだのは、日常の生活と塾は別々であるという意識を持ち、メリハリをつけることだ。今思えば、あの時怒られていて良かったなと思った。もう勉強したくないなと思っても、「まだあいつやっとるから自分も頑張らんと」という気持ちになることができたのは、その子のおかげだと思うので、いいライバルを見つけることができたのが合格の要因でもあったと思う。

中3になると、新型コロナウイルスの影響でいろいろな事が制限された。大好きな野球の大会も次々と中止となり勉強のモチベーションも上がらなかった。でも、そのモチベーションを上げてくれたのが、シャープペンシルだ。僕は、とってもシャーペンが好きで、いい点数をとったら買ってもらえたので勉強を頑張ることができたと思う。自分の勉強に対するモチベーションを向上させる事を見つけるのも大切な事だと思った。

少しコロナの影響がおさまりつつあったため、野球の大会も2つだけ行うことができた。3年生になると主将をやることになったので、正直勉強は後回しになっていた。でもなんとか食らいつこうとした。塾にいる多くの子は大会がなくなり引退して受験モードに入っていた。でも自分は、まだ部活の大会があるので、とても曖昧な気持ちだった。時短のため野球の服装で塾に行き、途中で抜けて部活に行くこともあった。野球の休憩中には、小テストの勉強をすることもあった。部活を引退しみんなよりも遅れて受験モードに入った僕にとって、塾の先生の言葉は恐怖でしかなかった。夏休み前に散々「夏が勝負だ」と言われていたので、本気で勉強に向かうことができなかった僕にとってダメージは大きかった。でも、あきらめずに頑張るという精神を成長させてくれたのは、野球部に所属し、必死になってプレーをしたおかげだと思う。でも思った以上に模試の点数が伸びず悩む時期もあった。第7回までの岐阜模試で1回も400点を超えたことはなかった。正直岐阜北高校に願書を出すのではなく、加納高校に出すべきだったなと思う時もあった。最後のプレテスト前日、奥井先生にかけてもらった言葉は、強く心に残っている。「悠矢は大丈夫」。小さな事かもしれないけど、僕にとってはとても大きかった。その言葉のおかげもあり、プレテストでは第7回の岐阜模試から約50点も上がり、400点も軽々超えることができた。あの時期にこの点数が取れたことは、大きな自信になった。

自分が思う合格の要因は、ライバルを見つけることができたこと、宿題はしっかりやれたこと、部活に真剣に取り組めたことだと思う。受験当日、周りの子はめっちゃ勉強してて、頭いいように見えた。でも塾のメンバーからもらったメッセージを何度も読み返し、落ち着くことができたので気楽にテストに挑むことができた。自分を最後まで支えてくれた、家族や塾の先生、仲間などには、感謝をしたい。

最後まであきらめず努力して良かったと思った。

仲間の姿に刺激を受け、勉強に励んだ。

加納高校 合格
海野 玲生
那加校
那加中学校

合格発表当日。雨の中、多くの人が校舎の壁の前に立って、その時を待っていた。僕も両親とともに、その時を待っていた。ガラスの窓に受検番号がたくさん書かれた紙がはり出された。その場にいた人々全員が、一斉に目を向けた。「よっしゃ」とガッツポーズをする人や泣き出してしまう人もいた。僕は、後方に立っていたため、はり出された紙めがけて、人ごみをかきわけていった。目に入る番号が自分の受検番号へと近づいていった。ほどなくして、その瞬間が訪れた。自分の目に映った「1111」という番号。自分の受検番号を見つけたのだ。その瞬間、自分の心の中に喜びという感情がこみ上げてくるのが分かった。自然とガッツポーズをしていた。両親にそのことを伝えると、うそかと思うくらいに喜んでいた。自分の今までの努力が報われたのだ。

中学3年生の夏。僕は志門塾に入った。自分のテストの点数が低かったことと、本格的に志望校を決めたことが、塾に入るきっかけだった。そのときの点数では合格することは絶対にできないような高校を第一志望にした。親からは反対されることはなく、「塾に入ってがんばれるだけやってみたら」と背中を押してくれた。

塾の仲間は、それまでの僕では考えられないような勉強量をこなし、難易度の高い問題にも挑戦していた。そんな仲間の姿に刺激を受け、僕も勉強に励んだ。面倒くさいと思うこともあったけれど目標のためにがんばった。それでも岐阜模試の結果が上がらないこともあった。上がったとしても、志望校の合格ラインには届かなかった。もう無理だと思った。そんなとき支えになったのは、同じ校舎の一人の男の子だ。その子は毎日自習室に行き、途中で集中を切らしたりすることもなく、黙々と勉強する子だった。僕が自習室に行けていなかった時期の授業の休み時間に、「なんで自習室来ないの?」と言ってくれた。彼からしたら何気ない疑問だったのかもしれないが、僕はその言葉に救われ、もう一度がんばろうと決意し、毎日自習室に行き勉強した。その後、模試の成績も上がり、プレテストでも良い成績を残せた。努力することで実力もついてきた。あとは、受験当日に、自分の実力を出しきるだけだった。当日の英語の試験では、リスニングが聞き取れず焦ってしまったけれど、所属校舎の先生の「後のことは振り返らない」という言葉を思い出し、その後の試験をやりきることができた。受験で力を出しきり、合格することができたのはたくさんの人の支えがあったからだ。塾の仲間や先生、そして、毎日の塾の送迎などいろいろな場面で僕を支えてくれた両親には感謝している。ありがとうございました。

あの時の友達の言葉。

加納高校 合格
安田 英里香
柳津校
笠松中学校

今日、私は加納高校に合格しました。本当に嬉しかったです。私にはこんなエピソードがあります。

私は3年生最後のテストで、年間で一番悪い点数をとってしまいました。すごく落ちこんで「もっと頑張れば良かった」ととても後悔したし、その時は加納高校をあきらめようと考えていました。その日の学校帰りに、友達に点数を聞かれたので、点数と一緒に加納高校をあきらめることを伝えました。すると、友達は

「そんなのゼーッタイダメ!! 今、あきらめちゃダメ!! 一緒に頑張ろうよ!! 私と一緒に!!」

と、言ってくれました。その時、私は涙が出そうになるくらい嬉しい気持ちになりました。「ここまで一緒に頑張ってきたのに私だけあきらめようとして情けないな」とも思いました。テストで無くした自信はまだまだ戻っていなかったけれど、友達と一緒に頑張ることが自分の自信にもつながっていったと思います。

私は、その日から少しずつ自信を取り戻すために、それまで以上に勉強しました。塾の先生や一緒に競いながら勉強している友達の力を借りながら、いろいろな問題を解いて、様々な力をつけました。自分の決めた進路に自信が持てるまで3ヵ月ぐらいかかったけれど、受験当日は自信を持ってテストに向かうことができました。

私は、あの時の友達の言葉や塾の先生たちの支えがなかったら本当に加納高校を受験することも、合格することもできなかったと思います。自分一人で考えこむよりも、友達や信頼できる先生に話して一緒に考える方が、勉強も楽しいし理解できて嬉しくなれることも分かりました。最後の3ヵ月、自信を取り戻すために勉強を頑張って本当に良かったなと思います。今は、新しく始まる高校生活が楽しみで仕方ありません。これからも、自信のもてる勉強をして、自信をもって自分の進路を進んでいける人に成長していきたいと思います。

今日、私は加納高校に合格できました!!

仲間がいたから頑張れた。

長良高校 合格
坂 碧華
茜部校
岐南中学校

私は、小学6年生から塾に入り、中3の夏まで、そこまで本気で勉強をやったことがありませんでした。中1の初めの頃から中3の初めで、成績ががた落ちしました。わかりやすく言うと、実力テストの点数が約100点下がりました。ですが正直、それだけ下がったときさえ「まあ、大丈夫だろう」と余裕な顔でいました。

焦りだしたのは中3の夏からです。その頃、周りの子のやる気はどんどん上がっていき、その分点数が上がっていきました。その時、学校、友達、親に、同じ言葉を言われました。それは「大丈夫なの?」という言葉です。それは、他の人からしたら軽い言葉かもしれませんが、一気にバッと言われたことで、それが深い深い意味が込められているような感じがしました。私はその時、これからの人生を大きく変える転機が来たような気がしました。それからは、積極的に自習室に行って少しでも学力を上げようと気持ちも高まっていきました。その年の夏は、今まで経験したことのない感情が次々とわき出てくる季節となりました。

私が勉強を毎日バリバリやる生活の中で、唯一の支えだったのが「仲間」です。正直言って、仲間がいなかったら今の私はなかったんじゃないかなと思います。みんなの言動に影響されて自習室に行ったりすることがあったし、何より、周りがやるから自分もやる、という集団塾ならではの魅力のおかげだと思いました。どんなときも塾に何人か仲間がいて、ご飯を食べたり、ちょっと休けいしたり、話で盛り上がって大爆笑したりと、みんながいたから勉強が頑張れたのだと私は思います。親や先生や学校のみんななど、支えとなってくれ、感謝している人はいっぱいいるけど、勉強に対する苦しさをやわらげてくれたのは塾のみんなです。めちゃめちゃ感謝しています。改めて、仲間って大事だなって思いました。

最後に、勉強をしていく上で、日常生活面において一番大切だと真剣に思ったのは「睡眠」です。眠いと集中できないという私の体質からしたら、しっかり睡眠をとることが本当に必要でした。だから、学校から帰ってきてから1時間は何があっても寝るようにしていました。本当に受験直前まで続けていました。

私は中3の夏に本気で勉強をやり出しましたが、それを中学校3年間続けるのは本当に苦痛だと思います。だから「楽しむときは楽しみ、やるときはやる!!」というベースを胸に生活することが大切だと思います。高校生活でもこれをしっかり頭にインプットしながら、新しいコトを見つけ出してこれからの人生につなげていきたいです。

「泣ける受験」をした。

長良高校 合格
國江 悠太
七郷校
岐阜西中学校

勉強と野球の両立をしたい、それが中学1年生の時の思いでした。はじめは学校の定期テストで良い点をとることができていたけれど、どんどん右肩下がりの状態が続いていました。中2の夏、1学期末のテストで今までにない点数をとってしまい、もうそろそろ本当にやばいと思っていました。そして塾に入ろうと決め、探していました。僕と同じで野球をやっている子から志門塾に誘われ、夏期講習だけ入ってみることにしました。はじめは本当に夏期講習だけにすると決めていました。しかし、七郷校で授業を受けて、大形先生も長谷川先生も本当に優しくて勉強するのが楽しいと感じ、このままなら必ず点数も上がっていくと自分の中で確信しました。だから僕はこのまま志門塾七郷校で勉強を続けたいと強く思い、お母さんに自分の思いを伝えました。お母さんもはじめから夏期講習だけだと決めていたので驚いていました。でも僕が言ったことを受け入れ、応援してくれました。僕の将来のことを考えてくれていることに気づき、夏期講習が終わってからも七郷校で頑張ることに決めました。

七郷校の同じ学年のみんなは本当に勉強が良くできて一緒に頑張れるか不安でした。土日は朝から夜まで野球があったのでほとんど塾には行けず、土曜日の授業も休むときが多かったです。塾に入ってから2年生が終わるまでは勉強よりも野球の方を一生懸命取り組み、自分が思い描いていた両立には程遠かったです。定期テスト前だけ勉強を頑張ればいい、それが2年生のときの自分でした。それでも塾に入ってからの学校の期末テストでは2回連続で自己最高得点を取り、やっぱり塾の力は凄いと感じていました。

そして2年生の終わりが近づくと同時に新型コロナウイルスの感染拡大が始まりました。それによって僕たちは学校にも塾にも行けなくなり、苦痛な日々を過ごすことになりました。Zoom授業で、大形先生や長谷川先生の「この休校期間の過ごし方が大切、今の頑張りが受験に響いてくる」といったような言葉を聞き、家で一人でも勉強を頑張ろうという気持ちになりました。その時、もう自分は受験生であることに気づき、少しずつ勉強を頑張れるようになりました。

そして塾が再開されすぐに夏期講習、お盆特訓が始まりいよいよ受験が始まっていくんだと少し実感がわきました。岐阜模試も始まり志望校を書く時期にもなってきてその頃から少しずつどこの高校を受験するか悩む時期へと入っていきました。その頃の自分の願いはやっぱり、勉強も野球も両方一生懸命できる高校でした。しかし、僕は野球のクラブチームで、チームの中心選手として頑張っていたため、野球チームの指導者さんやお父さんからは「県外の野球の名門に行ったほうがいい」と言われてました。本当に悩んで、家族内で大声で言い合いもしました。そんなときは受験なんて嫌だ、塾に入らなければよかったなどと思っていました。けれどやっぱり、僕が言い続けていた『勉強と野球の両立』をずっと応援してくれていたお母さんが一番の支えになり、お母さんがいたからこそ自分で自分の選択を一つに決めることができました。そこからの自分は強かったです。岐阜模試でも自分の行きたかった高校はA判定、偏差値も上がってきて「これなら受かる」と自分の中で少し余裕ができていました。しかし、その余裕が1月の模試で悪い結果を出してしまいました。懇談で大形先生に少しきついことも言われました。でもそのことがあったおかげで、そこから僕は大きく成長できました。「受験まであと40日、あと40日間走り切れ」。大形先生のこの言葉が僕の心に火をつけてくれました。その言葉通り、僕は毎日学校が終わってからすぐに自習室に行き、今までにないぐらい勉強しました。そして最後の岐阜模試、プレテストでしっかり自分の納得できるような点数を取ることができ、自信を持つことができました。

受験当日、自信はあったけれど、国語の試験が始まる前に今までにない緊張がありました。そして国語が始まり、思った以上に落ちついてスラスラ解くことができ、楽しくできていました。国語が終わり、自分の心の中でいい余裕ができ、これならいけると思いました。その後の教科も落ち着いて解くことができ、夜の自己採点が楽しみになりました。自己採点では、思ったとおり自己最高得点を取ることができました。本当に受験は楽しかったです。

そしていよいよ今日、合格発表当日。9時ちょうどに番号がはり出されました。今までにないドキドキがありました。僕は自分の番号を見つけることができ、何も発することなく、ただただ自然と涙が流れるだけでした。自分が泣くなんて思ってもいませんでした。自分でも今思うとびっくりです。けれど、今まで大形先生や長谷川先生が言っていた泣ける受験ってこのことなんだと思います。どこの高校を受けたとしても、自分の今までの頑張りは自分の中からは消えないし、あの『141』を見つけた瞬間は一生忘れないと思ってます。本当に最高の受験でした。ここから先、僕は自分の夢に向かってもっと成長します。勉強と野球を両立させる環境は整いました。あとは自分がコツコツやるだけです。4、5、6、7年後、神宮球場で野球ができるように、まずは絶対に東京六大学に進学します。そのために自分がやれることをカツコツ積み上げていきます。この志門塾七郷校に入って本当に良かったです。大形先生、長谷川先生、本当に感謝しかないです。これからもよろしくお願いします!

志望校への強い気持ちと支え。

各務原西高校 合格
I.E
蘇原校
桜丘中学校

自分の受検番号を見つけたとき、涙がこぼれてきていた。勉強に費やしてきた時間は決して無駄ではなかったんだと思った。

志門塾に入塾したのは中学3年生の時、志望校に行けるようにするため自分から進んで入った。塾に入ってみると思った以上に大変だった。学校のワーク、さらに塾の宿題。最初は両立できなかった。だんだん慣れてきた。でもテストの結果にはなかなか響かなかった。学校の標準学力テスト、岐阜模試も点数が伸びなかった。すごく悔しくて心のどこかでだんだんあせっていた。入試までの日にちが数えられるようになってきたころ、毎日のように自習室に行くようになった。分からない問題も質問して分からない問題をなくそうとした。それでもなかなか点数は上がらない。「もっと早くから真剣に勉強すればよかった」などたくさん後悔した。昨年の先輩たちが言っていた「後悔しないように」という言葉の意味は、こういうことだったのかと思った。最後の入試プレテストの結果はイマイチで、判定は「D」。これまで一度も志望校の判定にAやBやCがつくことはなかった。でも両親や塾の先生、学校の先生は、自分の行きたい高校を選びなさいと言ってくれた。志望校を受けるには、まだ厳しいと自分では分かっていたが、やっぱりその高校に行きたいと思った。入試まで何度も心が折れそうになった。その時は本当につらかった。でも、塾の先生が励ましてくれた。入試1週間前テストでなかなか点数がとれなくて泣いてしまったときも先生が励ましてくれた。

入試当日は緊張しないつもりでいたが、やっぱり大勢の受験生を見て手と足の震えが止まらなかった。しかし、入試直前に塾の先生から「入試のアドバイス」を教えていただいたおかげで、集中してテストを受けることができた。そして結果発表当日、その日は雨が降っていた。気持ちもどんよりして、とても不安な気持ちになっていった。両親たちも結果発表当日まで私立高校の話ばかりしていたので、不安はとても大きかったのだと思う。そんな苦労をのり越えて自分の受検番号が見えたときは肩の力がふっと抜けた。あの努力は決して無駄ではなかったんだと思ってほっとした。本当にうれしかった。合格できたのは、私のことを信じて行きたい高校を受けさせてくれた両親のおかげでもあり、塾の先生たちが勉強の進め方や分からない問題を分かるまで教えてくれたからだと思った。自分の力だけでなく、たくさんの人の支えがあったからこそ志望校に受かったんだと思う。今後は、志門塾で鍛えあげられてきた「宿題をやりぬく力」を忘れず、高校生になっても頑張ろうと思う。また、高校受験はゴールではなく、スタートだと思って、次の大学受験も頑張りたいと思う。

解けない問題を自力で解こうと頑張れた。

岐阜高校 合格
島田 拓弥
トップレベル選抜・大垣
大垣東中学校

「後悔だけは絶対にするな。全てやりきって受験しなさい」

夏が終わり、年が明けても受験スイッチが入らない僕に、励ましと言うよりは、母からの怒りの言葉として受け止めてしまった事を、岐阜高校に合格した今も後悔している。勿論、僕だって定期テスト勉強や塾の授業、沢山のテキストや学校の提出物など、中1から頑張ってきた。受験だって「完璧に勉強して受けよう」と思ってはいたが、時間が足りなくなり入試当日を迎えてしまった。そして夜の自己採点、あの時、母の言葉を素直に受け止め、完璧に勉強していれば防げたミスが悔やまれる。今更だけれど、受験の目標は500点であるべきで、500点取るための頑張りが必要だったのだ。その頑張りが足りなかった。こんな僕が合格できたのは、やはり志門塾のお陰だ。塾の先生の授業、沢山のテキストが僕の力になったと思う。

僕は小学校の卒業式の日に志門塾本部校に初めて行った。先生も仲間も温かかった。中学生になった時は、自分のレベルやテストの難易度も知らず、「450点取ればいいかな」と思っていたが、定期テスト対策も手厚く、初めての定期テストでは、それを大きく上回ることができた。そして僕の苦手な国語は「10分国語」のお陰で安定した点数を取れるようになった。そこから僕は目標を高く持つようになり、トップレベル選抜・大垣に移る事になったが、本部校で充実した時間を過ごせて良かったと思う。

中2から選抜・大垣に移り、難関の授業が始まった。周りは凄い子ばかりで、最初不安もあったけれど授業内容が楽しかった。先生方が熱心で、解けない問題を自力で解こうと頑張れた。正解できた時は凄く嬉しくなり、その積み重ねで難関講習が楽しくなった。滝高校合格と鶯谷高校を特待で合格することができたのは、難関講習の成果だと思う。授業に遅刻したり、急にオンラインに変更したりと、勝手な僕に最後まで温かく声かけしてくださった先生方には本当に感謝している。最高の結果に導いてくださった先生方、本当にありがとう。

コロナ禍の受験生。その影響で、とうとう1年間、父は単身先から帰って来られなかった。それでもテストの日はいつもLINEで応援してくれた父。修学旅行で合格祈願の御守りを買ってくれたり、自分のやりたいことを我慢して協力してくれた妹。そして塾の送迎やお弁当作り、何もかもひとりで僕の受験をサポートしてくれた母。ありがとう。

反省点から始まった冒頭だが、今はホッとしながらペンを取っている。「合格出来て良かったな」。ここからは、後悔しないようにまた頑張ろうと思う。

合格を祝い合えることを嬉しく感じた。

大垣北高校 合格
國枝 菜々子
外渕校
江並中学校

私が志門塾に入ったのは、中学2年生の春期講習からでした。先に入っていた私の姉が「塾で勉強をするのがとても楽しい」と言っていて気になったのと、志門塾に入っていた友達がすすめてくれたからです。春期講習の1日目、初めて塾で授業を受けたとき、私も姉と同じように「勉強をするのが楽しい」と思いました。授業をしてくれる先生がとても面白く、長い時間の授業を退屈に感じることがありませんでした。また、学校とは違う集団で学習する環境も、周りの子達から多くの刺激を受けることができる、とても良い環境でした。中学2年生の1年間の志門塾での学習を通して、私は苦手だった理科への苦手意識がなくなりました。そして一番の苦手だった社会では、目を背けがちだった1年生から変わって、勉強することができるようになりました。苦手意識があると、それだけでその教科の勉強をすることはとても苦痛で、何も頭に入って来ないのだということを、とても強く実感しました。

中学3年生になり、受験生にもなったとき、机に全く向かえないでいる自分がいました。コロナウイルスの影響によって学校が臨時休業になったこと、塾での授業がオンラインになったことで、自分から勉強をしようとしなければ勉強をしなくてもよいという環境ができてしまったことが、大きく影響していました。学校から出された課題も登校日前日までほとんど手をつけず、自分のためではなく、終わらせて提出するために雑に取り組んで、登校日当日に終わらせました。自分で勉強をしないことが悪いのに、それがとても苦しく感じました。受験生にとって勉強をすることは当たり前のことなのに、それに反して勉強に向かえない自分に嫌気がさしました。「勉強がしたい」という気持ちは、いつも「勉強から逃げたい、ゲームがしたい」という弱い自分の気持ちに負けてしまいました。分かっているのにできない自分によって自分の首を絞めることになり、それが苦しくて何度も泣きました。何をするにも苦しくて、家をとび出して、自転車をこいで時間をつぶすこともありました。

でも、そんな状態を変えたのは、志門塾と友達でした。塾の自習室が利用できるようになったとき、友達が「一緒に自習室に行こう」と誘ってくれました。ずっと会えなかった友達に会うことができるのがとても嬉しくて、何度も一緒に塾へ行きました。塾に行く目的は最初は友達に会うためであり、とても不純なものでした。でも、それで少しでも勉強に取り組めることが、勉強に上手く取り組めず苦しかった私にとっては、とても嬉しいことでした。そうしていくうちに、少しずつ勉強の習慣が自分に戻ってきて、学校で分散登校が始まる頃には、勉強に取り組めず苦しい思いをすることはなくなっていました。

しかし、勉強に関して苦しくなることは、まだまだありました。3年生の内申は受験のためにとても大切です。私は、授業中の挙手と発表が得意ではなく、その分提出物をしっかり出したり、テストで点をとっていく必要がありました。特にテストでは、テスト週間になると、どの教科も一生懸命に勉強しました。しかし、分からないところがあったときに、テストだけでなく、「受験生としても大丈夫なのか」ととても心配になりました。私は心配性の部分があるため、それが大きく自分の重荷となることもありました。

また、志望校がなかなか決まらなかったこともとても苦しかったです。自分の志望校について考えるとき、周りの子はすでに志望校が決まっていて、私だけが乗り遅れたような気持ちにいつもなりました。志望校を決めるために、先のことをよく考えるように学校の先生に何度も言われました。しかし、私にはそれができませんでした。先のことを深く深く考えたときに、最終的に見えるものが何もありませんでした。志望校について考えることがとても苦しく、自分の決断力の弱さも改めて感じました。志望校を見つけることから逃げそうだった私を引き止めてくれたのは、塾の先生、友達、母でした。塾の先生は私の学力に合った高校をすすめてくれました。高校の先について悩む私に、「今が全てを決めるときではないのだ」と教えてくれました。塾の先生から話を聞いたとき、あせっていた気持ちが楽になって、「もう一度よく考えよう」と気持ちを改めることができました。母は、本当に何度も私の進まない志望校の話に助言してくれました。なんとなくの候補の高校を見るために、車で連れて行ってくれました。高校の小さな情報を得る機会を与えてくれて、志望校を決めるときの大きな助けとなりました。友達も何度も相談にのってくれて、「一緒の学校に行こう」とも誘ってくれました。これらのおかげで、夏休みが終わる前に志望校を決めきることができました。志望校が決まってからは、学校での学習も、塾での演習も少しずつ身が入っていきました。新しく知ることや、分からなかった問題が分かるようになることがとても面白くて、勉強の楽しさを改めて感じました。

しかし、入試の日が近付くにつれて、あせる思いが増していきました。自分の学力で志望校に合格することができるのか、とても不安になりました。志望校を変更するべきかと気が揺らいだとき、母は「あとは、駆け抜けるだけ」と言いました。塾の先生は「みんな同じ。あなただけじゃない」と言いました。私はその言葉を聞いて、自分がまだ本気ではないこと、周りの子も明るく見えるけど、同じ気持ちなのだということに気付きました。それからは、自分の志望校だけを見て、勉強を続けました。自習室にもよく通うようになって、質問もたくさんしました。誘惑に負けそうになったとき、自分の友達が勉強に集中している姿が浮かんで、「負けていられない」と机に向かうことができました。入試までの日数が残り少なくなる頃には、自習室が3年生で埋まっていました。自習室で勉強していて、ふと顔を上げると、熱心に手を動かして、机にはりつく姿がすぐ目に入って「自分だけじゃない。頑張ろう」と思えました。

流れるように時間は過ぎて、あっという間に入試当日でした。入試も流れるように終わりました。あまり緊張することなく、あっさりと終わりました。何とも言えない不思議な気持ちでいっぱいでした。約2週間後の合格発表日も不思議と落ち着いていました。緊張していたのかもよく分かりませんでした。番号がはり出されて自分の番号を見つけたとき、自然に涙が流れました。入試当日と同じような不思議な気持ちでいっぱいでした。同じ高校を受けた友達と「おめでとう」と言い合いました。そう言い合えることをとても嬉しく感じました。

私はこの受験を本当に多くの人に支えられ、応援されて乗り切ることができました。熱心に指導してくださった不破先生、今泉先生、いつも送迎して応援してくれたお母さん、お父さん、一緒に頑張ってくれた友達、ずっと応援してくれていた人、本当にありがとうございました。この1年間で学んだ多くのことを忘れず、高校生活を楽しく充実したものにしていきたいと思います。ここが「終わり」ではなく「始まり」だと思って、この受験を心に刻んで生きていきます。

想いに応える受験を。

大垣北高校 合格
大橋 由菜
養老校
高田中学校

私のこの1年は、多くの人の支えを実感した1年でした。仲間、親、塾の先生、誰か一人でもいなければ、私は合格できませんでした。

第5回の岐阜模試まで、私は400点以上を取ったことはありませんでした。B判定はもらえても、A判定には十数点届かない。周りの友達は「十分だ」「大丈夫」と言ってくれていました。その点数を許せなかったのは、私と母でした。正直、大垣東高に変えようと何度も悩みました。周りのみんなはどんどん伸びていくのに、私はずっと変わらない。結果を出せない自分が情けなくて、もういっそ諦めてしまおうかと思いました。そのたびに母に叱られました。叱られるたび、「やっぱりやらなきゃ」と奮い立ちました。私は諦めても、母は諦めていなかったからこそ、私ももう一度立ち上がれました。必死に勉強し、第6回では420点、第7回では過去最高の450点で、A判定をもらえました。母には感謝してもしきれないほど、励ましてもらえました。

もう一つ、私が諦めなかった要因があります。それは「多くの人に応援されている」ということを知ったからです。「受験は団体戦」とよく言われますが、受験を経験していなかった頃の私は、よく分かっていませんでした。しかし、この1年を通して、私は多くの人の支えを知って、この意味を痛感しました。家族は毎日私を塾へ送迎してくれました。クラスのみんなは、私が不安になればいつも励ましてくれました。養老校のみんなは、一緒にお昼を食べてくれて、私が分からない問題を教えてくれました。学校の先生方は、質問に丁寧に答えてくださったり、入試対策の授業に積極的に取り組んでくださったりしました。担任の先生は、クラス全員に手づくりのお守りをくださいました。塾の非常勤の先生方は、いつも分かりやすく教えてくださり、時には、私の悩みも聞いてくださいました。加藤先生は、私の作文や証明をいつも添削してくださったり、何度も質問に答えてくださいました。大倉先生には、3年間授業していただき、また、何度も私の相談にのってくださいました。この人たちを裏切る訳にはいきませんでした。受かると信じてくれていた人たちを、悲しませたくありませんでした。だから私は、どれだけつらくても、やめたくても、諦めずいることができました。みんなには感謝でいっぱいです。

多くの人たちの支えの上に私の合格はあります。もし誰か一人でも信じてくれなければ、今の私はありませんでした。人に恵まれ、環境に恵まれているのだと実感しました。確かにつらい1年ではありました。周りの子達との差には劣等感を抱いたし、やりたいことを全部我慢しました。でも合格発表の日、自分の番号を見つけた時は「この日のためにがんばったんだ」と思えました。そんな受験を、これから受験を控えるみんなにもしてもらいたいです。受験の必勝法は、難しい方程式を解くことでも、美しい表現の作文を書くことでもありません。自分を支えてくれる人の想いに応えること、たったこれだけです。頭の片隅にでもこのことを覚えていてくれたらうれしいです。それでは、思い出に残る受験をしてください。

自信を与えてくれた受験。

大垣北高校 合格
稲川 真央
担任制
大垣東中学校

私にとって、受験は自分に自信を与えてくれるものになった。中学校に入る前までは、自分が大垣北高を受けているなんて考えてもいなかった。だけど今、憧れだった北高に合格し、沢山の人に「おめでとう」と言ってもらえる自分がいる。合格発表が終わり、「苦しいこともあったけど、がんばってよかった」と心の底から思うことができた。

私は昔から、勉強の効率がとても悪かった。1回の学習では理解できず、何回も教えてもらったり、何回もくり返しやらないと忘れてしまい、塾の授業についていくのが苦しい時期もあった。1枚の単語テストのために7日間も使って勉強して、他の子と比べて悔しい思いをした事もあった。そんな私に先生は自習室の終了時間が過ぎても、私が分かるようになるまで、何度も何度も教えてくれた。そして、私が良い点数を取った時は自分のことのように一緒に喜んでくれた。母は、効率の悪さで悩んでいた私に「効率が悪い分、コツコツ努力できるのが真央の良さだよ」と自分の良さを認めてくれた。まわりの人達が応援してくれたおかげで、中学生のスタートで自分を変えることができた。

中学校での3年間はあっという間だった。難しい単元も多かったけれど、毎回の定期テストを大切にし、自分の強みである「努力」を続けたことで乗りこえることができた。

受験生の夏、私はバレエの全国コンクールに出場した。バレエの練習時間が長いこともあり、お盆特訓や授業も行けない日が多かった。夏のコンクールが終わった後も、受験の1週間前までレッスンに通い続けた。先生との最後の懇談で、「最後までバレエをやっておいで」と言ってもらった時、私を信頼してくれていると感じ、とてもうれしかった。そして、1年生からの積み重ねの大切さを実感した。あんなに効率の悪かった私が、最後までバレエと両立しながら北高に合格できたなんて、今でも信じられない。だけど、この経験は私の弱さを自信に変えてくれた、一生忘れられない宝物になった。

一人でも欠けたら、合格できなかった。

大垣北高校 合格
渡邉 楓恋
本部校
大垣北中学校

「ありがとう。」
今、一番伝えたい言葉はこの言葉です。私に勉強と学ぶことの喜びを教えてくださった全ての先生方。毎日私が寝るまで起きていてくれた母。塾のお金を出し、毎日励ましの声をかけてくれた父。私の予定に合わせるために、様々なことをガマンしていてくれた妹。見守ってくれていた祖父母。いつ、どんな時も机に向かう姿と笑顔を見せてくれた、共に戦った同級生。「何もできなくて悔しい」そう言いながらも応援してくれていた先輩や後輩。これらの人達が一人でも欠けたら、私は合格できなかったと思います。

塾の先生が私達に「勉強は逆転勝ちできる唯一の方法だよ」と何回も言っていました。下剋上受験であった私には、はっきりと言うことができます。「その通りだ」と。

中学3年生の春、私は「大垣北高校に行く」という目標を立てました。その時の私にとってはとんでもなく遠い目標でした。しかし先生は「頑張ろう」と背中を押してくださり、私の「ミッションインポッシブル」な受験がスタートしました。学校が休校の中、受験生と分かりつつも中々机に向かえない自分がいました。もし戻れるなら、この時に戻り、勉強したいぐらいです。友達にも会えず、塾もZoomになったので、受験という雰囲気が分かりませんでした。

そのまま岐阜模試第2回が終わりました。結果は北高を目指す子達の平均ぐらいでした。少し安心し、「もっと上げたい」という思いでお盆特訓に参加しました。志門生のみんなと一緒にいると自然と勉強もはかどりました。そのまま第3回岐阜模試を受けました。今までより頑張ったし、上がっているだろうと思いましたが、上がったのはたった20点ほどでした。周りの友達は上がっているのに、自分はあまり上がっていない。悔しいと感じました。勉強時間を増やすも、少しずつしか上がらない点数を見るのは苦しかったです。夏から先生と交換ノートをしていましたが、点数が上がらないことが申し訳なく、ノートを渡さなくなりました。

お盆特訓が終わると、次は正月特訓があります。受験が近づき志望校を決めるような時期が来ると、私の志望校への思いは一段と強くなりました。正月特訓の3日間は、誰よりも濃い3日間にしようと全力を出しました。特訓が終わってすぐに行われる第6回岐阜模試。思うように点がとれず、母と少しけんかをしてしまいました。喜ばせたい人を喜ばせられなかった悔しさ、悲しさ、苦しさは今も忘れられません。

「次に上げるから。信じて」この言葉を言い、目標を下げることなく最後の岐阜模試を目指しました。先生を、家族を、自分を笑顔にすることだけを考えて勉強しました。学校から家に帰るとすぐお風呂に入り、夕食を食べて、仮眠をとったら18時から塾へ。授業を受けできるだけ自習をして家へ帰る。家族と先生方の全面協力のもと、このような生活を送っていました。「学校や塾で寝ないように」と母は声をかけてくれました。岐阜模試が近づくにつれて、私の目標への思いも強くなり、勉強に集中できる時間も増えました。「これ以上はできない」と思えるほど勉強をやったと、自分では思っています。第7回岐阜模試。本番さながらの緊張感の中、テストを受けました。一つ一つを丁寧に解いていき、なんとなくできたという手ごたえはありました。ようやく点数が上がり、合格点をとることができました。合格したわけでもないのにすごく嬉しかったです。この時初めて、学ぶことの喜びを感じました。

そのまま波にのれることを願い、当日を迎えました。普通にいつも通りに家を出ました。会場に着くと、全員がとても優れているように見えてとてもこわかったです。その中で私が落ち着いて解けたのは、自分のやってきたことに自信があったからだと思います。当日の自己採点は、今まで以上に緊張しました。「大丈夫」たったその一言に助けられて合格発表を迎えられました。自分の受検番号を見つけた時の嬉しさは、世界で私しか感じたことのない特別な感情でした。合格は、今までの苦しさを簡単に吹き飛ばすほどのパワーがありました。

私にこの感情を与えてくださった全ての人達に伝えたいです。「ありがとう。」

「負けたくない」という思いを抱いて頑張った。

大垣北高校 合格
松岡 凌駕
スイトテラス校
大垣西中学校

今回の受験は、私にとってとても貴重な体験となりました。例年と比べ授業数も少なく、「受かるのか」という疑問から始まる1年間でした。休業が終わってからは、よりハイペースな授業で、より不安になっていきました。

そのまま冬休みに向かい、苦手な部分も少しずつ目立つようになりました。そこで冬休みからは、得意教科の予習より、苦手教科の復習を重点に勉強をしました。苦手を無くすために、過去に解いた塾のテキストを解き直したり、教科書を空き時間に見たりしました。正月特訓の問題も2回ずつ解いたりして、とにかく問題に取り組む時間を増やすようにしました。

1月からは、テストを毎日のように解きました。実際にやってみると、どこまで理解しているかがよく分かりました。できた問題は次もできるように。できなかった問題は、次は間違えないように。時間を計って解くなど、より本番に近い形でできるようにしました。これにより、岐阜模試の偏差値も上がりました。そして、それが不安を自信に変えていきました。

2月の終わりから3月は、ほぼ毎日自習室に通いました。共に戦う仲間と勉強をし、「負けたくない」という思いを抱いて頑張りました。だからこそ、諦めずにやりきれたと思います。

そして受験当日、そこにはもう不安はありませんでした。これも、塾に通って頑張ったからこそです。

受検番号を見て思ったのは、3年間努力して良かったということです。この自信を胸に、これからも様々な場面に挑み続けたいです。

受験で知った父の思い。

大垣東高校 合格
柿本 理琴
GRAN
大垣東中学校

合格発表の日、自分の受験番号を見た瞬間、一瞬時が止まったように感じました。うれしくて涙が止まりませんでした。

私の受験は、簡単なものではなく、とても大変な挑戦でした。なかなか岐阜模試で結果が残せず、涙が止まらなくなる日はたくさんありました。今年は例年とは違い、自粛期間から始まりました。学校や塾に行けない分、受験生なのになかなか勉強に取り組めない自分がいました。「明日からやるから、今日はいい」と言い訳をする自分もいました。みんなが夏期講習を必死にやっている中でも、私は勉強をいい加減にしてしまっていました。もちろんそれは結果となって現われてきます。点数が取れていないのに「悔しい」と心の底から思えない自分が、嫌でしかたがありませんでした。

私が本気でやらないといけないと思ったきっかけは、お父さんが自分の体験を話してくれたことでした。「俺は、高校受験がうまくいかなかったからあなたにはそんな思いをしてほしくない。今、やれなかったら一生後悔する」この言葉が私の心に火をつけました。それからは授業がない日にも自習室に行って、平日6時間、休日12時間を基本に勉強を続けました。そうすると、テレビやスマホを見ないように意識するということがなくなり、自然と見なくなりました。私は、もちろん勉強をすることが嫌いだったし、塾に行くのも嫌でした。でも勉強を続けていると、できなかった問題ができるようになることが何よりも一番の楽しみでした。「勉強ってこんなに楽しいんだ」と思うことができ、気づいたら勉強をしているという習慣が自然につきました。

また、受験は学習面だけでなく、精神面でも強くしてくれました。少し悪いことがあってもへこたれないくらいの強い心にしてくれました。「涙を流した分だけ強くなれる」という言葉は本当なんだと感じました。もし、あの時悔し涙を流していなかったら、入試まで心が持たなかったと思います。涙を流すことができるのはとてもすばらしいことです。後輩のみなさんには、岐阜模試などで結果が残らなかった時には悔し涙を流すことができるぐらい、一つ一つを一生懸命やってほしいです。一生後悔することがないように。目の前にある課題を全力でやってください。今のがんばりが結果となって出てきます。「努力は無駄にならない」この言葉を信じてやってください。また、あなたのそのがんばりが、学校や塾などの周りの仲間を助けることができます。「あの子もがんばっているから自分もがんばろう」こう思わせることのできる人になってください。

合格発表の日、自分の受験番号を見つけた時、涙が止まらなかったのは、それほど本気でがんばることができたからだと思います。今、私は志門塾のGRANでみんなと一緒にがんばれて本当によかったと思っています。後輩のみなさん、今、100%の力を出し切れていますか。誰よりもがんばれていると胸を張って言うことができますか。勉強をサボっている一瞬の幸福ではなく、春の真の幸福を得るためにやってください。

最後に遅い時間でも送り迎えをやってくれたお父さん、お母さん、いつも支えてくださったGRANの先生方、本当にありがとうございました。そして一緒にがんばってきてくれた友だちに心から感謝を伝えたいです。

受験勉強をしていた日常が宝物になった。

大垣東高校 合格
近藤 彩由
安八校
輪之内中学校

私は、中学3年生の夏に入塾しました。初めて受けた第2回の岐阜模試では今まで取ったことのない低い点数をとってしまい、とても悔しかったことを今でも覚えています。しかし、夏休みに入り、部活を引退した頃から私の勉強への意識が変わっていきました。入塾した頃は授業を受けるだけでいいと思っていましたが、自習室で頑張っている仲間たちの姿を見て、私も頑張ろうと思いはじめました。また、朝から自習室に行って勉強するということが日常になり、そのおかげで第3回の岐阜模試では、第2回から100点近く上げることができました。第3回の点数を見た時は本当に嬉しかったし、頑張って勉強をすることで点数はついてくるということを、身をもって感じることができました。正直、このまま勉強していれば簡単に点数が上がるのではないか、と油断してしまう自分がいたことも事実です。しかし、入試本番でとらなければいけない点数をとることはできていなかったので、だんだんと「頑張りたい、そして点数を上げて合格したい」という思いが強くなっていきました。第4回から第6回までは点数が大きく上がることはなく焦りを感じた時期もありましたが、「勉強したい」という思いは強くなっていくばかりだったので、焦りというより数字として自分の頑張りが表われることがとても楽しみでした。

しかし、私にはもう一つ越えなければならない大きな壁がありました。それは、数学です。年明けから数学の小問プリントが始まりました。私は図形が苦手だったので、とても苦労しました。数学の問題は分からないことが多く、何度解いても不正解だったこともありましたが、後藤先生が優しくヒントを出してくださったり、私が解けるまで待ってくださったおかげで、最後まであきらめずに問題と向き合うことができました。また、小問プリントを頑張り続けたおかげか、岐阜模試の数学もだんだん点数が上がり、入試では苦手意識をもっていた図形の問題を、すべて正解することができました。人一倍時間をかけて解いた小問プリントがあったからこそ、私は大きく成長することができたのだと思います。

迎えた入試前日。明日が入試だという実感はあまりありませんでしたが、今まで一緒に頑張ってきた安八校の仲間達や、今までたくさん支えてくださった先生方の顔を見て、受験生として過ごした1年間を思い出しました。思えば、コロナウイルスの影響で休校からスタートし、一人で孤独に机に向かっていた日々。その後入塾して、新しい環境の中で本格的に受験勉強が始まったことなど、私にとって、とても変化の多い1年ではありました。私なりに頑張った1年だったし、悔いはありませんでした。安八校から帰る時に後藤先生と柳瀬先生からもらったメッセージカードを読んだらさらに自信がわいてきて、強い思いをもって入試に臨むことができました。

入試当日。朝、起きてから「いよいよだ」と思って少し緊張していました。しかし、出発直前に後藤先生と柳瀬先生とZoomで話すことができ、今までお世話になった先生方二人に送り出してもらえたおかげで、緊張がほぐれ、リラックスした気持ちで入試に向かうことができました。入試が始まってからも、いつも通りテストを受けることができ、いつも以上の力を出しきることができました。社会のテスト終了の合図がなった時、本当に受験が終わったのかと思い、スッキリした反面、さみしさもありました。「受験が終わったら嬉しいだろうな」と今までは思っていましたが、いざ終わってみると、「受験勉強が楽しかったな」と思い、今までの日常が私にとっての宝物だなと感じました。

そして、期待と不安を胸に、迎えた合格発表。自分の番号を見つけた時は、とても嬉しかったです。本当に努力が報われたなと思って、言葉にできないくらい感動しました。今年は倍率が高く、不安も大きかったのですが、不安が大きかった分、受かった時の喜びもとても大きかったです。

この1年間で、私は大きく変わることができました。何度も壁にぶつかり、苦しいこともありましたが、どんな時でも支えてくれた家族や先生方のおかげで、立ち上がって、前向きに頑張ることができました。この安八校で過ごした日々は私の心にいつまでも残り続けると思います。安八校で頑張ることができて本当に良かったです。

先生のためにも、結果を残したい。

大垣南高校 合格
市村 奈実
東部校
東部中学校

私が志門塾に入塾したのは、中学2年生の時でした。中1までの自分は、正直、大垣南高に受かる程の点数はなく、進路も明確に決まってはいませんでした。素敵な先生方や良い環境に恵まれ、中2前期中間テストでは、72点アップすることが出来ました。その時に初めて、大垣南高に行きたいという目標を見つけました。しかし、点数があまり安定せず、私立単願への変更をすすめられました。でも自分は、自分の決めた目標を簡単に変えたくはありませんでした。「なんとか点数をとるから待っててほしい」ということを両親に伝え、3年生がスタートしました。部活も引退し、いよいよ本格的な受験勉強を開始しました。しかし周りに比べて、全然頑張れていない自分が大嫌いでした。わかっているのに、周りに追いつこうとしない自分に腹が立ったし、自分の中でたくさんたくさん悩みました。涙を流すことも多くありました。受験は決して簡単なことではないと痛感させられました。

年が明け、1月になり、受験まで本当にラストスパートという時期に入りました。カウントダウンカレンダーも少しずつ減っていき、「もうすぐなんだ」と実感しました。しかし、その時期になって、1年生の範囲がほとんど理解出来ておらず、問題が解けないことが多くありました。とても焦っていた私に声をかけてくださったのは非常勤の先生でした。社会が苦手だった私に、毎日時間を作ってくださり、丁寧に教えてくださいました。疲れているのに、そんな顔を全く見せず明るく対応してくださる先生を見て、自分も「誰かのために、一生懸命になれる」人になりたいと思うようになりました。だからこそ、先生のためにも結果を残したいと思い、毎日毎日必死に努力しました。辛くない日は少なかったです。でも、前よりも確実に成長している自分がいるのが、本当に嬉しかったです。質問カウンターと自習室を何度も行き来して、受験前日までしっかりやり抜きました。

受験を通して、自分の決めた目標に向かって頑張り続ける辛さ、それを乗りこえる大切さに気付いたり、憧れの人に出会うことが出来ました。合格発表で合格していた時、一気に涙があふれ、母も喜んでくれました。自分は本当にたくさんの人に支えられてここまで歩んでこられたと思います。これから先生きていくうえで、忘れられない経験です。本当に感謝の気持ちで一杯です。

後悔できないくらい勉強した。

岐阜高校 合格
仲澤 早絢
多治見駅前校
西可児中学校

私は小学生の頃から勉強ができる方だった。中学1年生、進路のことを友達に聞かれ、なんとなく岐阜県一伝統のある「岐阜高校」と答えた。

中学2年生、先輩になり部活も忙しくなった。部活と勉強の両立が難しく、テストの点数が少し下がった。でも、「岐阜高校」というのは変わらなかった。勉強が得意だからというのを理由に見栄を張っていただけだった。

中学3年生、授業で進路について考えることが増えた。最初は、「目標は高く」というので、変わらず「岐阜高校」と答えていた。岐阜高校を目指していれば、どこの公立の高校にも受かると思っていた。部活を引退し、勉強に専念した。この志門塾には中2の頃からテスト会員としてお世話になっていたが、中3の夏期講習から本格的に通い始めた。今まで別の塾に通っていたが、まず、テキストの分厚さに驚いた。受け取った時にずしっと重たくて、「こんなもんできるか」と思っていた。今まで、進路や入試を甘く見ていたことに気づいた。最初は勉強量が圧倒的に増え、苦痛だった。でも点数が伸びたり、分かる問題が増え、辛いと感じることは少なくなった。

そして、初めて、「岐阜高校」を高校見学で見に行った。素敵すぎる校舎、楽しかった模擬授業に心を打たれ、「この学校に通いたい」と思った。今までになんとなく思い描いていたものが、いきなりはっきりとした目標に変わった瞬間だった。

進路が決まって最初に受けた岐阜模試。結果は「D」。落ち込んだけど、やる気に火が付いた。そこから猛勉強をした。志門塾で受けたお盆・正月特訓。さすがにしんどかった。もらった分野別・年度別問題集。「うそだろ?」と思った。先生から渡された大量のプリントにも必死に食らいついた。入試が近づくたびに塾に行く頻度、勉強時間が増え、ストレスでにきび・口内炎ができ、初めて白髪が生えた。それでも死ぬ気で努力した。後悔できないぐらいに勉強した。

入試当日、意外と緊張しなかった。むしろ数学は楽しかった。なぜか謎の自信があった。でも、合格発表の日が近づくと緊張して眠れない時もあった。それでも、8割「合格できる」という自信があり、自分が合格して喜んでいる姿が想像できた。

発表当日、学校へ行くまでの足が重たかった。緊張からなる腹痛に耐えながら番号を確認した。「189」。あった。夢かと思った。涙が出た。努力は報われると実感できた。辛い事に耐えてよかったと思えた。支えてくれた人、全員に伝えたい。「ありがとう。あなたのおかげだよ」

岐阜模試で合格に必要なことを身につけることができた。

多治見北高校 合格
木田 舞
多治見駅前校
平和中学校

私は中学3年生の夏期講習をきっかけに志門塾へ入りました。私は講習だけを受けていました。講習では中学1・2年生分の復習をはじめ、基礎問題から応用問題まで塾の先生方がとても分かりやすく教えてくださいました。

私は入塾した時は問題の解き方のコツなど分からないことが多くありました。しかし、講習や何度も行った岐阜模試などを通して、必要なことを入塾前よりも身につけることができました。

他にも私は英語が苦手でした。ですが先生の分かりやすい説明、そして志門塾の集中できる自習室などの環境で何度も練習をくり返すことにより、岐阜模試で、良い結果が得られるようになりました。そして実際の入試では自己採点で自分の納得できる点数を得ることができました。

私は志門塾に入塾して良かったなと感じています。もちろん先生の説明が分かりやすかったのもありますが、塾生皆のレベルが高く、個人的にとても刺激になりました。また塾の仲間との関わりを通して、分からない問題を教え合ったり互いに励まし合ったりでき、志門塾に入って、受験をすることができて良かったです。

このような整った塾の環境がさらに努力しようと思えるきっかけになり、多治見北高校合格へとつながったと思います。この体験を忘れず、さらに難しくなる高校の勉強にも努力をして、自分の夢に少しでも近づけるように頑張りたいです。

仲間たちに刺激を受け、勉強への意欲が高まった。

多治見北高校 合格
大矢 真理子
多治見駅前校
東可児中学校

私はこの春、多治見北高校を受験し、合格することができました。受験を通して私は、とても多くの人に支えられてきました。だから私は、多くの方々に感謝をしています。

まず、塾の先生方です。私が8月に塾に入ってから、たくさんのアドバイスをしていただきました。分からない問題は、丁寧に解説をしていただいたり、あたたかい言葉をたくさんかけていただいたりしたおかげで、私はとても前向きに勉強に取り組むことができました。志門塾の先生方は、とても明るく、一人一人に丁寧に対応してくださるため、気軽に相談することができ、嬉しかったです。

次に、塾で一緒に勉強した仲間たちです。本格的に受験勉強に取り組む前は、私は勉強がとても退屈に思っていました。しかし塾に入ってから、必死に勉強する仲間たちに刺激を受け、勉強への意欲も高まりました。時に声をかけ合い、楽しく学べてよかったなと思いました。

最後に、家族です。家族は、いつも私を近くで見守り支えてくれました。様々な面でサポートしてくれたおかげで、私は安心して受験勉強に取り組むことができました。私にとって家族の存在はとても心強かったです。

私は、たくさんの方々の支えがあったからこそ、自信を持ってやりきることができたのだと思います。本当にありがとうございました。これまでやってきたことを無駄にはしないよう、高校でも頑張っていきたいと思います。

これからも、周りの人への感謝を忘れずにしていき充実した学校生活を送っていきたいです。

入試本番は塾で学んだ力のすごさを実感する瞬間だった。

多治見北高校 合格
伴野 蒼
小泉校
小泉中学校

私は、中学1年生の夏期講習に志門塾に入りました。

2年生までは、勉強と娯楽の両立ができていました。しかし、3年生に上がり勉強に集中しなければならないほど、勉強が難しくなりました。とにかく勉強する日が続きました。そんな中、塾での勉強は効率が良いので、勉強の毎日でも楽をすることができました。そんな毎日が続き、ついに公立入試の日がやってきました。

今年の入試は例年とは違い、新型コロナウィルス感染予防のため、入試中はずっとマスクをしていました。過去問を何度もやり、入試に対する決意もできていましたが、緊張していました。問題を配られてからの待ち時間の静けさは、今までに感じたことのないほどのものでした。その静けさの中で、緊張が決意におおいかぶさり、不安でいっぱいでした。不安の中での入試はとても大変で、最初の教科でとても疲れました。一つ目の教科が終わってからの休み時間に、塾でもらった復習用の教材を読んでいました。それが自分の心を落ち着かせてくれて、とても助けになりました。入試本番に志門塾のすごさを実感する瞬間でした。

この経験を生かしていきたいです。これからの勉強に集中していこうと思います。

自分の実力以上に周りのサポートに助けられた。

多治見北高校 合格
角田 琉星
多治見駅前校
土岐津中学校

私は遅くにこの志門塾へ入塾し、それまでは中々勉強に励むことができませんでした。しかし、入試の日がせまるにつれ不安を抱えるようになりました。そして周りにうながされるように、志門塾へ入塾しました。そこは想像以上に楽しく、塾に入ったことをきっかけに勉強に対する姿勢も変化し始めました。

そしてその成長は結果にも表われるようになりました。中学の実力テストで前回からの平均点が下がったのにも関わらず、僕自身のテストの点数は前回よりもアップしていました。受験勉強をしている中で、このように自分の成長を実感できたことが更なる勉強への意欲の向上につながりました。自ら勉強に取り組む姿、多治見北を受験すること、どれも以前の自分からは想像もできませんでした。しかし、以前はやる気が無かった僕でも見事、多治見北高等学校を合格することができました。それは自分の実力以上に周りのサポートに助けられたからだと思います。送迎をしてくれる家族、学習の援助などをしていただいた塾や中学校の先生方、その他色々な人の助けがあったおかげでここまで来ることができました。

今までもこれからも周りの人や環境への感謝を忘れずに、勉強に限らず色々な事に取り組んでいきます。そして努力でいつか恩返しができるように、今度は、高校生活・大学受験を精一杯頑張りたいです。

高校受験を楽しんでください。

多治見北高校 合格
堀江 茉子
京町校
多治見中学校

私は多治見北高校に合格しました。私がこの学校にあこがれ始めたのは小学校の高学年の頃からです。その頃はなんとなく「行きたいな」と思っていただけでした。ですが、小学校6年生の時に志門塾に入り同じ中学校の仲間や先生、家族と話していくうちに、「私も絶対にあの学校に行くんだ」という熱い思いを持ち、勉強に打ち込むことができるようになりました。「勉強を頑張っているのは自分だけではない」と感じることができ、とてもうれしかったし、「自分も頑張ろう」と思うことができました。

私は5教科の中で数学が一番苦手でした。何回かくじけそうになったこともありました。私はあまり塾の自習室に行って勉強することはありませんでしたが、塾の先生が、声をかけて丁寧にプリントをくださったり、解説してくださったりして、どんどん数学やその他の教科の応用問題が解けるようになっていき、「どんどん新しい問題を解きたい」という気持ちになっていきました。今では、勉強をして自分の頭の中に新しい知識を取り入れたり、たくさんの問題が解けるようになるのが楽しいと感じることができるようになり、勉強をすることが好きになっています。

今の自分では、志望校に行けないと感じている人はいませんか?。もう無理だと自分の気持ちにうそをついている人はいませんか?そんな時は、一度周りの人に心の内を打ち明けてみるのも良いかもしれません。きっとあなたの味方になってくれる人がいるはずです。苦手なことがあるのはあたりまえです。しかし「その苦手をどうするかがあなたの運命を変える」と言っても過言ではありません。あきらめずに立ち向かってください。あなたの周りの人は絶対にあなたの味方です。やり抜いてください。受験の年は大変でしょうけど、その1年をやり抜いていけば楽しく充実したあなただけの3年間を迎えることができます。辛い事があってもその先のあなただけの未来を思い浮かべたり、たくさんの人に相談して一歩ずつ夢に向かって進んでいってください。あなたは一人ではありません。志望校が同じである仲間や頼れる先生方が絶対に後押ししてくれます。コツコツ積み重ねてあなただけの特別な3年間を楽しんでください。そして、一生に一度しかない、高校受験を楽しんでください。

分からないところは何でも聞いた。

多治見北高校 合格
続木 優太朗
小泉校
小泉中学校

僕は、メンタルがとても弱かった。中1、中2の前期あたりまでは、テストがそこまで難しくなかったため、そこまで気にしていなかった。しかし、中2の後期からテストが難しいと感じ始め、成績が落ちていった。そして、成績低下による焦りや、勉強方法が分からないなど、いろいろなことが積み重なり、テストで少し分からなかった問題が出たら、パニックになって何も考えられなくなった。

僕は最初、塾に入るつもりはなかった。高校も独学でいくつもりだった。しかし、夏に行った模試でとんでもない点数を出してしまった。「これはやばい!」と思い、僕は3年の夏期講習から志門塾に入った。

僕がこの受験でとにかく意識したことは、「分からないところを全て聞く」ことだ。僕はもともと、分からないところを残しておくことが嫌いだった。しかし、塾に入ってない頃は、周りに聞ける人があまりおらず、分からないところを残したままにせざるを得なかった。だからこそ、塾に入ったからには分からないところは何でも聞いてやろうと思った。そうして、分からないところを何でも質問し、それに対して熊田先生や廣瀬先生が分かりやすく教えて下さった。そのおかげで、テスト以外の時では、難しい問題が解けることが多くなっていった。

僕の学力は、自分の努力や塾のおかげで上昇していったと思う。しかし、いざテストになると、緊張で脳が働かなくなり、あまり点数が伸びていかなかった。岐阜模試の結果を見るたびに、「俺、本当に受かるんか?」と思っていた。だからこそ、もう僕は自信を常に持つことにした。自分はあんな難しい問題を解いたんだ。分からないところは何でも聞いたんだ。テストの時毎回そう思うことで、分からない問題に直面した時、落ち着いてできるよう心がけた。もちろん、そう思ってもパニックになることもあったし、良くない点数をとったこともあった。そんな時は、「次はできる!」とポジティブに考えるようにした。

そうしたら、最後の最後で点数がとても上がった。受験本番もそこそこうまくいった。結論、僕はこの受験で「分からないところは何でも聞くこと」、「ポジティブに考えること」が大事だと分かった。

身近な先生、親を信じてほしい。

多治見北高校 合格
浦野 弘也
京町校
多治見中学校

僕はお調子者で、かなりヤバい人間でした。提出物は出さない。点は低い。内申点も低い。「とてもじゃないが良い高校には行けない」と思いました。

そんな時、いろんな先生や親は、あきらめず、僕を何度も何度も叱ってくれました。僕の気持ちは大きく揺れ動きました。僕は、先生や親の言葉を信じて頑張り続けました。そのおかげで、僕は点数も心も大きく成長しました。

僕は、先生を信じて良かったなと思います。親も信じて良かったなと思います。僕は後輩に「身近な先生、親を信じてほしい」と伝えたいです。先生や親を信じて頑張ることはとても大切だということを、志門塾での受験を通して学びました。

志門塾で培った力を高校でも継続して、さらに成長できたらなと思います。そのためにも、高校でも志門塾に所属し、高校の3年間、悔いのないようにしていきたいなと思います。

自分を信じて、全力でやりきった。

彦根東高校 合格
小島 みり
彦根校
彦根中央中学校

ある日、私は先生からお盆特訓に向けての厚いテキストをもらった。その瞬間から私の勉強に向ける熱意が強くなった。お盆特訓でテストが行われることを知ったからだ。周りがどれだけできるのか分からなかった私は、そのテキストに必死に取り組み、毎日勉強した。社会はほとんどできなかったけれど、テキストをする事でどんどん偏差値が上がった。お盆特訓での努力が実を結び、1位を取る事ができて、自信がなかった私を変えてくれた。そのきっかけがあったからこそ、勉強はやればやるほど自分の力になってくれることを実感することができた。

しかし、喜びは長くは続かなかった。何でもできると思っていた自分が、不安な自分に少しずつ変わってしまったのだ。テストをすればするほど自分が苦手とする事がわかり、とても苦しかったからだった。できない事が多すぎる。逃げたかった。できない子になっていく自分に嫌気が差して何度も泣いた。その時、親に「泣いても何も変わりゃしない、できない事を次に向けてできるようにすればいいだけや」と言われた。励ましの言葉なのだが「私だってやってたんや」と少しだけ反論したくなったが、納得する思いの方が大きかった。テスト後に元気がない時は毎回そう言って立ち直らせてくれた。

テストをしていく事は自分の弱点を突き付けられること。怖かったし不安でもあった。そんな事を考えていても時は過ぎる。ついに3月に入った頃、入試が目の前にあるというのに、私はなぜか色んな事に理由を常に求める思考に陥った。「なぜこれはこうなのだろう」そんな風に考える自分が怖くなった。「このままでは受験に向かえない」という気持ちでいっぱいになった。しかし、先生は話を聞いてくれて私の心を楽にしてくれた。その機会があったからこそ受験に対しての強い決意が持てた。

そのまま受験に向かった。思っていたよりも緊張はしていなかった。自分を信じて、全力でやりきって受験が終わった。この一日のためにずっと努力してきた自分はすごいと我ながら感じた。自己採点をするまでドキドキしていたけれど、採点をしたあとはなぜか安心していた。合格発表まで忘れようと思い、本当に忘れそうな雰囲気で卒業をし、ついに発表の日を迎えた。親と見に行き、自分の番号が怖くて見れなかった。そして母が「あった!!」と言った。とてもうれしかった。自分の努力が認められたこと、周りの人がサポートしてくれた事など、今までの自分を思い出した。多くの人の助けがあってこその合格だった。たくさん迷惑もかけてしまった。その分、話もたくさんした。家族という大切な存在、塾という家のような場所、先生、仲間に感謝の気持ちでいっぱいになった。本当にありがとう。

ありがとう!

両親へ合格を届けたい。

彦根東高校 合格
牧野 優生
長浜校
虎姫中学校

私は小学生の頃、とてもバカでした。鉛筆を持つことがとにかく嫌いで、勉強もほとんどしていませんでした。小6のある日のテスト。私は生まれて初めて0点を記録しました。「これはさすがにやばい」と感じた私は、その日から真面目に勉強していくことを決意しました。これが、私が志門塾に入塾しようと思ったきっかけです。最初は不安もありましたが、自分はバカだという自覚は持っていたので、退塾することなく、今日まで続けて来られました。

中学生になると、今までの何倍も勉強量が増えました。中1では中々点数を上げることができなかったり、剣道とうまく両立していくなど、苦しい時間が続きました。中2では、少しずつ友達もできて成績も上がってきたので、少しずつ塾に通うのが楽しくなってきました。合宿にも参加して、トップレベルの人たちを知り、より勉強にやる気が出ました。

そして、中3に進級し、受験生になりました。最初のV模試で良い結果が残せず、再び苦しい時間が始まります。しかし、苦しい期間を乗り越えて、無事、第1志望の高校に受かることができました。そんな1年間の中で、私が最も成長したと感じたのは、夏のお盆特訓です。他校の人と友達になり、互いにテストで勝負するなど、高め合うことができました。あの3日間は自分の成長のきっかけであり、最も印象深い思い出です。

夏休みが終わり2学期が始まると、実力テストや確認テストなど、テストの回数が増えていきました。点数も伸びていかず辛い思いを何度もしました。この頃に支えてくれたのが国語の先生でした。国語が苦手だった私を、いつも先生は励まし、応援してくれました。私は、お盆特訓や秋の期間を通して、自分は自分よりもレベルの高い人たちに囲まれているときの方が、ライバル意識が高まって、より成長できることを知りました。このような理由から志望校のレベルを一つ上げて、彦根東高校を目指すようにしました。このとき、反対せず「頑張れ」と声をかけてくれた両親や先生には、とても感謝しています。そして、雪が降り始め、冬になりました。緊張はより高まり、吐きそうになったときもありました。このときもまた両親に支えてもらいました。毎日の送り迎えなど、両親も辛かったはずなのに、それでも自分を支えてくれていた両親には、絶対に合格を届けてあげたいと思いました。しかし2月の特色選抜、私は落ちました。難しい壁だとは分かっていてもやはり悔しかったし、自分よりも努力していないと思っていた人が受かっていることへの苛立ちもありました。一般入試までのこの期間はとても長く、辛く、苦しかったです。

高校に入学したら、まず1学期の中間テストで、特色合格の96人全員よりも良い点数を取ります。そして卒業後は、京都大学に行って教育について学び、教師になろうと思います。生徒から信頼され、正面から向き合うことのできる教師を目指します。

最後に、来年受験をする後輩たちへ。受験シーズンはほとんどの時間が苦しく、泣きたくなるような期間です。その苦しみを楽しんで努力すれば、1年後絶対に笑顔になれます。この世には、理不尽と思えるほどすごい才能を持つ人がたくさんいます。でも死ぬ気で努力すれば、どんな人とでも戦い抜くことができます。絶対に。だから、努力を続けていける受験生になってください。

みんなで頑張り、競い合える場所。

虎姫高校 合格
金澤 太河
長浜校
長浜北中学校

僕は中学2年の夏休みから志門塾に入りました。志門塾に入る前は全然勉強してなくて、テストの点数が下がり続けてやばいなと思って塾に入ろうと思いました。小学校の時、ずっと塾には行きたくないと思っていたけど、志門塾長浜校の見学に行ったときは雰囲気が良くて、自分からこの塾で頑張ろうと思えました。

夏期講習が始まって、いままでの夏休みよりも勉強の量が増え、2学期になるとテストの点数が合計で100点近く増えたので驚いたしうれしかったです。中でも一番上がったのが英語です。定期テストで一番低かった時は30点ぐらいでまじでやばいと思っていたけど、塾に入ってからは、定期テストで80点以上を安定して取れるようになって、内申も英語は2を取ったことがあったけど、最近は5を取ることができました。僕は暗記が苦手だったので、定期テスト対策の基本事項をやるのがつらかったし、きつかったけど、その分点数が上がったので、努力を続けるのは大切だなと思いました。

2年生の終わり頃に、新型コロナウイルスが広がり、学校にも塾にも行けなくなったときは、塾での勉強ができなくなって、家でしか勉強できなくなり、僕は家で集中して勉強できないのでどうしようと思っていました。しかし、志門塾はプリントを配布してくれたり、Zoomを使って授業や自習室を行ってくれたりして、家でも勉強できるようにしてくれました。そのおかげで学校が再開してからも、テストで順位を上げることができたのでうれしかったです。

志門塾では、みんなが勉強を頑張っていて、自分よりも頑張っている人が多くいたので、みんなに置いていかれないように頑張ろうと思えました。入試が近づいてくると、授業で行った演習の順位が貼り出されるようになり、順位を見て自分が今どの位置にいるのかを理解することで、勉強へのやる気が生まれました。お盆特訓や正月特訓では、毎日上位30位が発表され、自分がその中に入っていなかった時は悔しい思いをし、知らない人とも競い合える場だったので、大変だったけどいい思い出になっています。

僕が1年半の間塾に通っていた時、一番の支えとなっていたのは両親だと思っています。毎日塾への送り迎えをし、弁当も作ってくれたし、本当に感謝しています。

僕が受験した虎姫高校は、定員が割れて、その時は複雑な気持ちになったけど、高校に入ってからも塾での努力は絶対に役に立つので、高校も頑張っていこうと思いました。

高校での勉強は、中学校のときとは比べものにならないほど難しくなると思います。しかし、中学校のときに志門塾で学んだ勉強の方法を活かして、自分に合った将来を見つけるために頑張っていきます。

涙を流した日もあったけど、小学生のころからの夢が叶いました。

米原高校 合格
和田 志津
近江校
米原中学校

私は、米原高校に行くことが小学生からの夢でした。姉のかっこいい姿を見て、ずっと行きたいと思っていました。私は勉強が苦手で、受験生になるまではあまり頑張ることができていませんでした。苦手な教科から逃げていたので、ずっと苦手のままでした。ただ、3年生の夏は、毎日10時間を目標に塾で勉強しました。平日だけでなく、土・日も昼食と夜食の弁当を塾に持って行きました。テストで結果が出るように頑張りましたが、なかなか結果が出ず、涙を流してしまう日が何度かありました。受験まではまだ時間はありましたが、とても不安でした。塾で自習しているとき、勉強することが辛くなり、途中で帰ってしまうことも何度かありました。そんなときも、家族は何も言わず迎えに来てくれました。涙を流していたときには、「心配することはないから大丈夫」と言ってくれました。家族にひどいことを言ってしまったこともありました。自分が受験生だから仕方がないとどこか思っていましたが、私だけでなく家族のみんなも辛くて私のことを心配してくれていました。そのことを思うと、なぜ私はひどいことを言ってしまったのだろうと思います。辛い思いをしているのは私だけではないと、そのとき知りました。

受験勉強は辛いことだけではなく、うれしいこともたくさんありました。テストの結果が良かったときです。好きな教科で結果が良かったときもうれしかったですが、一番うれしかったのは、苦手な教科で結果が良かったときです。そのときは、やっていてよかったといつも思っていました。うれしいことは他にもあり、分かることが増えたことです。分かることが増えたということは、しっかりと覚えられるようになったということだからです。分かる言葉が増えると自信がつきました。「しっかり勉強しているし覚えられているから大丈夫」と思えました。でも、分かった言葉が増えてくると「なぜ簡単なことを3年生で覚えようとしているのだろう」と思うこともありました。「1年生や2年生の頃から受験のことを考えておけばよかった」と思ったこともありました。それでも自分のことを応援してくれる人がいるから一生懸命やりました。

私が受験を通して学んだことは、自分の周りの人を大切にすることです。自分が思っている以上に、家族や先生は私のことを心配し、応援してくれました。だから、自分が辛いときでも、ひどいことは絶対言ってはいけないと思いました。また、自分以外にも辛い思いをしている人がいることを学びました。自分の家族や、同じ受験をする友達、その家族などです。また、今年は新型コロナウイルスのこともあり、世界中の人が辛い思いをしていました。「自分が一番辛くて大変」と思うことは間違っていると学びました。

また、成長したことは、苦手なことを少しずつでも続ける力です。合格という目標を作り、それに向かって少しずつでしたが、苦手な教科を勉強するようになりました。1日1つずつ丁寧にやり、それを続けることができました。また、家族への思いも変わりました。辛い思いやひどいことを言ってしまっても、「ここまで支えてくれたから大切にしたい」と思うようになりました。辛かったときに話を聞いてくれたから、自分もそうしたいと思うようになりました。

小学生からの夢だった高校に合格することができ、春から行くことができます。夢を叶えることができたので、今後は勉強も部活も一生懸命取り組み、楽しみたいです。また、姉と同じ、学校の事務員になれるように、高校の勉強もしながら、次の夢に向けても勉強したいです。高校受験で早くやっておけば良かったと思ったことや、これはやっておいて良かったと思ったことをしっかりと覚えておき、後悔のない高校生活にしたいです。

また、家族に辛い思いや心配をさせてしまったので、次の受験ではそうならないようにしたいです。今しっかりと目標があるからこそできることがたくさんあるので、今やれることをやりたいです。計画的に受験勉強をして涙を流さないようにやりたいです。

また、受験勉強中にやりたいと思っていたことができるようにしたいです。家族や友達と遊びに行くことや、一日中マンガを読むなど、高校に行ったら勉強や部活で大変になると思うので、春休み中にやりたいです。そして、高校生活で良いスタートができるようにしたいです。

家族の支えがあったからこそ合格できた。

米原高校 合格
K.I
彦根校
彦根中央中学校

中1の頃、私は提出物を出さず、定期テストの勉強もしていませんでした。そんなある日、母は泣きながら私を叱りました。さすがに効きました。その時から私は、勉強をまじめにするようになりました。それにより、私のテストの点数は50点ほど高くなりました。

中2になった時、私は志門塾に入りました。しかし、その頃私はゲームという沼にはまっていて、中1の勉強をしていなかった時期と同じ点をテストで取っていました。

それから数か月後の中3の夏、私も受験を意識するようになりました。私は、夏の終わりに足を引っ張っていたゲームをやめました。それから私の力は伸び続け、定期テストで2回連続して400点を超えることができました。そしてV模試では、偏差値60以上という結果も出ました。しかし、その後伸び悩みました。定期テストの点も下がり、V模試の偏差値も志望校に届かないという事がおこり、それは入試本番まで続きました。入試後、私の心は死んでいるみたいでした。みんなとテストの話をしても、みんなと違う答えだったりして「落ちたな」と発表の時まで思っていました。

発表当日、私は今までの人生で一番、電話のことを嫌っていたと思います。不合格の時だけ鳴る学校からの通知の電話・・・。「今すぐに鳴ってしまわないか」「いや、トイレに行ってる時に鳴ってしまうかも」「高校に見に行く途中で鳴ったら嫌だな」などと思っていました。合格発表の場所まであとわずか。入試本番以上に胸がざわついていました。私は父といっしょに受験番号があるか見に行きました。気をまぎらわすために、父と「日本の林業はどうなるか」や「国が所有する土地はすべての土地の何割ほどか」という話をしていました。うわのそらだったことは言うまでもありません。校門前に近付くと、私と父は静かになりました。少し離れた所には、受験番号が発表された紙が壁に貼ってあり、すでに合格を確認し、喜ぶ親子の姿が見えました。それを見た時、よりいっそうの緊張が私を襲ってきました。合格発表の紙の前に行きながら、自分の番号を探しました。ありました。私は自分の番号を見つけたのです。父は「よくやった」と言って私の肩をたたきました。胸のざわめきは無くなり、軽い気持ちになりました。LINEで母に報告をして家に帰り、塾の先生に電話をして私の高校受験は終わりました。

受験中、私は学校の先生、塾の先生、そして家族にずっと支えられていました。私はその支えの上で合格することができました。とても感謝しています。私を支えてくれたみなさん、ありがとうございました。

僕を応援してくれるすべての人のためにも絶対合格すると決心できた。

長浜北高校 合格
土田 一輝
近江校
双葉中学校

僕がこの受験で学んだこと、それは何事もあきらめず努力し続けることだ。

僕は同じ学年のみんなと学力を比べたら、下から数えた方が早いところにいた。年が明け、受験生だというのにもかかわらず、学校が終わって帰ってきてはゲームやスマホを触る毎日が続いた。新型コロナウイルスの影響で学校が休校になったときも、塾のほうでZoomを使って学習をしていたものの、授業が終わったらゲームやスマホ、宿題が終わったらゲームやスマホといった毎日が続いた。

休校が終わり、塾の方でも勉強できるようになって、気づいたらもう夏休みに入り、塾でお盆特訓のテキストをもらった。お盆特訓の最初にやったテストでも良い点を取れず、僕が校舎平均点の足を引っ張っているのを感じた。しかし、僕は変われなかった。お盆特訓のテキストは触れていないし、テストでも良い点を取れないままお盆特訓が終了した。高いお金を親に出してもらい「行ってらっしゃい」と言ってくれたのに、少しのことしか頭に入っていなかった。そのことについても今思えば、やれることはあったのにと思う。

秋に入り授業が進んでいくなか、授業中に校舎長から「お盆特訓でやったやろ」と言われることが多く、その時も「どうしよう、わからん」などと思うことが多かった。お盆特訓はムダだったのかなと思ったが、少しは頭に入っているから大丈夫とポジティブに考え、次に進んだ。

学校での三者懇談が始まり、実力テストでも順位は上がってきていると言われ、少し調子に乗っていた。また、最初のV模試で、長浜北高がB判定だったときも調子に乗っていた。しかし2回目、3回目となるうちにどんどん学力が下がっていき、ついにはD判定となってしまい、僕は焦った。校舎長にも「勉強してないやろ」と言われ、本当に変わらなければいけないと思った。校舎長には変わるのが遅いと思われるかもしれない。しかし、僕はなんとか志望校にとどくように頑張ったつもりだ。だが分野別問題集を提出日までに提出できず、あげくの果てに言い訳までもした。「やはり北高は無理か」と内心思いはじめ、親にも言えないまま日々が過ぎた。そこで志望校を下げるか迷いながら年が明けた。目標もないまま、僕はただやるだけ。言わばパフォーマンスのような日々を送り、ただひたすら“書く”ことしかやっていなかった。すると学校の担任の先生から「進路を決めないといけない」と言われた。学校の放課後「どうする?」と聞かれ、「下げます」と答えた。先生には「分かった、でも気は抜くなよ」と言われた。しかし後日、「もう一度だけ懇談しよう」と言われて、父、母、僕で学校へ行った。担任の先生と主任の先生がいて、五者懇談になった。正直僕の気持ちは変わらないと思っていたが、主任の先生に「長浜北高にしよう」と言われた。「下げた志望校は絶対あふれるから北高にしよう」と。僕はいけるかなぁと思いつつ、北高にした。

月日が経ち、目標ができた僕は頑張っているつもりだった。しかし、まだ緊張感が無いと言われた。何がダメなんだろうと疑問を抱いたまま、私立や公立の入試日が近づいてきた。私立は良かったが、やはり公立となるとどことなく緊張する。校舎長との懇談でも「危ないから腹をくくれ」と言われてきた。僕は必死に毎日を頑張った。先生になんと言われようが自分なりに頑張ると。

入試が近くなってきたとき、プレテストを行い、結果をもとに決めていくのだが、校舎長、母、僕との三者懇談で、やはり危ないという言葉が出てきた。校舎長が他の校舎長の方たちと会議をしているとき、僕が北高に受かる、受からないの確率は5:5と言われたそうだ。しかし、ある一人の校舎長だけは6:4と言ってくれた。その話を聞いていたとき、校舎長の目に涙があるのがわかった。その涙がうれしかった涙なのか安心した涙なのかはわからない。だが、そこまで僕のことを考えてくれていると感じたときには、僕にも涙が流れてきた。それからは、校舎長や僕を応援してくれている人を悲しませたくない、その一心で頑張り続けた。自習室でもダルさ、睡魔が襲ってきたときもあった。しかし、顔を洗い、ダルさも吹っ飛ばしひたすら勉強した。親も塾が終わったら「よー頑張ってきたな」と言ってくれ、学校の友達にも「一緒に北高の制服着よな!」と言われ、自分のためにも、周りの人達のためにも絶対合格してやるという感情がたくさんあった。

入試当日、僕は全てを出しきるつもりでテストを行った。しかし、そこでさらなる試練が待っていた。2時間目の数学のとき、急に倦怠感、頭痛、吐き気が襲ってきた。途中で早退するわけにはいかず、別室で倦怠感などと闘いながら5教科を終わらせ帰宅した。親には「無理かも」と伝えた。すると、「初めから落ちるなんて考えるな、大丈夫、きっと受かる」と言ってくれた。何度も何度も、合格発表の日までずっと。

合格発表当日。父と一緒に北高に行った。落ちたら合わせる顔がないと思いつつ、自分の受検番号を探した。そして僕は自分の番号を見つけた。何度も見直した。父に合格したと伝えたらその場で抱きしめてくれた。大泣きしながら「よく頑張った」と髪がぐしゃぐしゃになるまで。家に帰り、母にも報告をした。家族全員で泣きながら抱き合った。そして僕は「ありがとう」と心の底から言えた。父と母は何も言わず、ただ僕を見て笑ってくれた。