受験体験記

志門塾の子どもたちが書いてくれる体験記は長いものが多いですが、長さを感じさせません。

志門塾の受験体験記は変わっていると言われます。何の制限もなく子どもたちに自由に書いてもらっているためか長文になる場合が多いです。私たち講師が嬉しくなるのは行間に子どもたちの人間的成長が垣間見える時です。学力だけ優れている人間ではいけないと伝え続けてきたことが届いたと思えるからでしょう。志門塾の受験体験記は、そのまま私たち講師にとって自分への戒めや励みです。

最高の友達と最高の環境で切磋琢磨できたことが幸せだった。

岐阜高校 合格
向井 彩優香
トップレベル選抜・岐阜
厚見中学校

合格発表の当日の朝、結果を見に行くのが少し怖かった。落ちていたらどうしようなどとネガティブなことばかり考えていた。9時になり、合格発表の紙がはり出されるのと同時に自分の番号だけ探した。自分の番号を見つけた時は、とてもうれしかった。言葉に表せないくらいうれしかった。友達や親と抱き合って一緒に喜び合うことができた。

私は、小学3年生の時に志門塾に通い出した。小学生の時は、特に何も考えずにただ通っていただけだった。中学生になり、学校での定期テストがあり、しっかり勉強をしないといけないと感じ、先生にやると良いと言われたことをこなしていた。しかし、自分は勉強をやる習慣があまりついていなく、あきらかに勉強時間が短かったと思う。その結果、自分の思うような結果が出なくて、落ち込んだ時もあった。塾のテストの結果によって授業の席が変わるのは自分にとって良い刺激であったと思う。

自分が勉強に真剣に取り組み出したのは第4回の岐阜模試の後だった。先生にそろそろちゃんとやった方が良いと言われ、次の日から、行ける時は毎日自習室に行って勉強をした。それまでは全くと言っていいほど自習室に行って勉強をしていなかった。今思うともう少し前からしっかり勉強していれば余裕をもって受験に臨めていたと思う。自習室では友達が一生懸命勉強している姿がたくさんあった。その姿は自分にとって良い刺激となった。受験日が近づくにつれて自習室に行って勉強することが全く苦痛ではなく、逆に楽しかった。学校から帰ってきて塾に行き、一日がとても早く過ぎていくように感じた。自分はこのトップレベル選抜岐阜というコースで受験勉強ができて本当に良かったと思う。困っている時には話を聞いてくれたり、厳しい言葉をかけてくれたり、面白いことを言ってみんなを笑わせてくれた最高の先生に出会ったこと。切磋琢磨し合いながら一緒に勉強できた最高の友達に出会ったこと。とても自分は恵まれているし、幸せだったと思う。自分の行きたい高校に合格できたことはゴールではなくこれからの人生のスタート。今まで過ごした日々を忘れずに高校生活も頑張りたいです。

ゴールの見えない厳しい道への挑戦。みんなを見返してやろうと夢中で勉強した。

加納高校 合格
野田 愛理
本荘校
本荘中学校

私は中学1年生で志門塾に入った。勉強が好きなわけでも、頭が良くなりたいわけでもなかったため常に勉強に力は入っていなかった。テストで良くない点数を取ってしまっても、このままではだめだと思うけれど、行動にはうつせなかった。そのたびにお母さんに塾をやめた方がいいと言われ、やめようと何十回も思った。だけど3年間続けてこられたのには理由がある。同じ塾で、本荘校で頑張っている仲間と最強な先生がいたから。勉強から遠ざかっていた私に、変わらなくてはいけないと思わせてくれた。そんな私にもずっと行きたかった高校がある。加納高校。手を伸ばしても届く場所ではなく、夢の高校だった。私なんかが行ける場所ではないとずっと諦めていた。加納高校に行きたいなんて恥ずかしくて家族にすら言えなかった。受験生である3年生になって、受験が目の前にきたとき怖くなった。本当に高校生になれるのか、本当にこのままでいいのか。自分の中で本気で考えて、家族に加納高校に行きたいと言ったとき、お母さんはとても無理だろうという表情をした。絶対に行ってやると心に誓って塾に行った。とにかく行けるだけ、先生に嫌われるくらい自習室に行こうと思った。正月特訓のときに加納高校を目指している塾生の子がたくさんいることを知った。頑張りきれていない自分が恥ずかしくて、現実を見せつけられた。土日は塾でお弁当を食べて夜遅くまで自習室に残った。夢中になって勉強をしていると夜の11時なんてあっという間だった。先に帰るみんなを見ると自分は何をしているんだと諦めたくなるときもあったけれど、みんなを見返してやろうと毎日思った。目標がある勉強は信じられないくらい楽しかった。

そして3月、私は加納高校に合格した。信じられなかった。私よりも喜んでくれる家族の顔を見て安心した。ありがとう。その言葉しか出てこなかった。夜遅くにいつも迎えにきてくれて、「おつかれ。」と毎日声をかけてくれてありがとう。朝早くからお弁当を作ってくれてありがとう。ゴールが見えない道でも背中を押してくれてありがとう。家族がいなかったら絶対合格できませんでした。感謝してもしきれません。本当にありがとう。
そして、夜遅くまで私の勉強につきあってくださって、応援してくださった先生がいなかったら、こんなに頑張ることはできませんでした。本荘校の仲間がいたから頑張ってきた自分を信じることができました。本荘校で本当に良かった。やめずに3年間頑張った自分、厳しい道に挑戦した自分も、ほめてあげたいです。

最後に、頑張ることのすごさと素敵な思い出を残してくれた受験にありがとうと伝えたいです。

仲間がいることで得られた心の成長が、大きな「自信」を手に入れさせてくれた。

岐阜高校 合格
遠藤 峻介
長森校
那加中学校

僕は、志門塾を「進学塾」だと思っていた。志門塾に入る前の自分は、目標に向かって努力をせず、点数も上がらなかった。しかし、点数が上がらないのは、過程ではなく、環境が悪いのだと勘違いをしていた。だから、カリスマ講師がいて、過去問が手に入る志門塾を「進学塾」だと思ってしまっていた。このように、塾に入ってしまえば勝ち組だという考えを持ったまま、中学2年生の夏に塾に入った。

確かに、志門塾長森校には、カリスマ講師がいて、数多くの過去問が手に入った。しかし、想像もしていなかったのは、志門塾長森校に必死に努力する仲間の姿があったことだ。その光景を見て、「塾に入ってしまえば勝ち組」という自分の中の常識がくつがえされた。頭を抱えながら苦手を克服しようとする姿、たくさんの語句を覚えるためにノートに書き続ける姿、教科書の文などに蛍光ペンで線を引き、情報を得ようとする姿など、自分が取り入れなくてはならない英単語や重要語句以上の姿がそこにあった。だから、「ここで、この仲間と勉強したい」と思えた。2年生の間は、定期テスト以外では仲間と自習することが少なかったが、受験生になると、毎日多くの仲間と自習し、仲間の姿から刺激を多くもらった。部活動で忙しく、勉強するのが面倒くさいと思いながら塾に来ても、必死に勉強する仲間がいて、前向きに頑張ることができた。努力の成果が結果につながらなくても、毎日明るく塾に来る仲間を見て、「次こそは絶対に結果につなげてやる」と楽しく努力することができた。

この1年間は、仲間に支えられながら、15年間で最も努力することができた1年になった。また、心が大きく成長する1年にもなった。

コツコツと努力する継続力がついただけでなく、大変なことや苦しいことをポジティブに乗り越えていく心の持ち方、自分を支えてくれている人や物に対する感謝の気持ちを教えてもらうことができた。

このような日々があったからこそ、僕は、大きな「自信」を手に入れることができた。これは、日々の過程や心の成長が創り上げたものだ。岐阜模試の結果や志望校合格では100パーセント得られないものでもある。この大きな「自信」を手に入れさせてくれた志門塾長森校は僕にとって、「進学塾」を超えた「心学塾」になった。

これから先も、目標に向かって歩まなければいけないことや大変で苦しいことがたくさんあると思う。その時には、高校受験を志門塾長森校にあずけたことにより得られた「自信」を思い出し、やり抜いていきたい。また、常に元気で明るく前向きに頑張る「イイヤツ」になっていけるように頑張っていきたい。
最高の受験をありがとう。

受験勉強において大切なこと。
それは、自分を信じて貫くこと。

岐阜高校 合格
荒井 駿
島校
島中学校

友達からしょっちゅう質問が来ました。

「いつも何時間勉強してるの?」
「2時間ぐらいかな。」と答えると皆、「うそやん。」と返します。

きっと、4時間とかの答えを期待していたのでしょう。でも僕は時間をかけるほどよいとは思いません。

僕は受験期で多くの勉強をしました。でもそれは、自分にとっての多くで、他の人の方が圧倒的に多く勉強していたと思います。全ての時間を勉強に費やすイメージがあった僕は、「これでいいのか」と思う部分もありましたが、全くあせってはいませんでした。その理由は、岐阜模試で良い結果が出ていたから。膨大なデータ量と合格実績がある志門塾がいけると判決していると考えるとあわてる必要もなく、余裕を持つことができました。
余裕を持つことと天狗になることは同じではありませんでした。お盆特講、毎回の岐阜模試で上には上がいることを思い知らされました。

僕が上の人に追いつくためにとった行動は、自分を貫くことです。これまでそんなに勉強時間が長くなかった自分が急に長くしても体調を崩すだけでした。そんなことより、自分を信じて、自分のやり方を貫くことにしました。新しい問題より前の解けなかった問題を解いて、当日や前日に見返すことができるノートを作って、好きな数学をリフレッシュを目的に解いて。そんな自分のやり方が貫けたから、岐高に合格ができました。

まとめると、受験勉強において大切なことは、自分を貫くことだと思います。僕のように、質を大切にするもよし、量を大切にするもよしだと感じます。あとは、志門塾に身をまかせて、食らいついていけばいいです。信じる力を大切にしていきましょう。

一番の敵は自分。
過去の自分を越えて、やっと受験という大きな壁を乗り越えられる。

岐阜北高校 合格
中島 陽翔
粟野校
岩野田中学校

僕は、高校受験というものはとても簡単なもので、普段の学校の定期テストと同じように勉強すればいいと思っていました。そのため、1年生、2年生のうちは楽しても高校へ行けるし、受験は乗り越えられると思っていました。

しかし、3年生になって進路を決めるということの難しさを知りました。僕は部活を行っていたため、3年生という受験学年になっても今までと勉強量が大きく変化するということはありませんでした。そのため、夏の最後の大会が終わり本格的に勉強を始めなければならなくなった時、良いスタートがきれませんでした。さらに、どこの高校でも入ることができれば良いと考えていました。このような感じで夏休みに入りました。夏期講習の期間には1・2年生の復習を集中的に行いました。さらに夏期講習の期間は、朝から夜まで塾ですごすという日々が続きました。このような生活をしたのは人生で初めてだったし、今ではこの期間が僕を変えてくれたと思っています。授業で行ったことを、自習室へ来てもう一回頭の中にたたき込む。この勉強法は今までの自分のやり方とは違い、劇的に自分の取り組む姿勢が変わっていきました。この夏期講習での勉強の成果もあり、少しずつ模試やテストの点数にもつながっていきました。しかし、全てがうまくいったわけではなく、たくさん失敗もあったし、苦しい思いもしました。今までよりも勉強時間が増えているのに点数が上がらない、わからない問題が増える…など逃げ出したくなることが何回もありました。そんな時、自分の心の支えとなったのは周りの存在でした。仲間というのは自分の中で一番大きな存在でした。自習室に来るとみんなが机に向かって一生懸命勉強している、わからない所をどんどん質問しに行っている、そのような姿を見ていると、自然に自分も負けていられないと思うようになり、机に向かうことができました。さらに塾の先生方の存在もとても大きかったです。進路について悩んでいる時、面談で背中を押してもらったり、とても難しい問題でも質問に答えてくださったりしました。そして家族の存在は本当に僕の心の支えとなっていました。このように受験生になって自分は本当に周りの人に支えてもらって生活できているんだなと思ったし、その支えが志望校合格という結果につながっていったと思うので、心から感謝したいと思っています。

そして僕は、夏休みの終わりの進路希望調査で、第一志望を岐阜北高校とし、合格へ向けて全力で取り組むようになっていきました。僕は内申があまり高くなく、同じ高校を目指す中では低い方でした。そのため点数をとらなければなりませんでした。しかし、模試での結果もなかなか上がらず、このラインは越えなければいけないというラインにも手が届きませんでした。正直志望校を変更するかどうかも悩みました。それでも今までやってきた自分を信じるという気持ちが強かったため、変更せずそのままにして受験しようと決めました。周りの人が何を言おうと高校に行くのは自分だし、受験をするのは自分です。最後の判断をするのは自分ということを忘れないでほしいです。なので、自分の気持ちを大切にしてほしいです。そして一番の敵は自分だということを忘れないでください。遊びたい、ゲームをしたい、寝たいという様々な欲望があると思います。そんな時の一番の敵は自分です。過去の自分を越えて、やっと壁を乗り越えることができます。実際に僕は中1、中2とそこまで力を入れてやっていませんでしたが、3年生になって、今までやっていなかったという壁を乗り越えることができました。

自分を信じて頑張り続けることで必ず結果につながります。1日単語を1つ覚えることや、1ページ地理や歴史の教科書を読むなど、小さな努力の積み重ねが志望校合格という大きな結果へとつながっていきます。受験は誰もが乗り越えなければならない大きく高い壁です。周りの人の支えに日々感謝しながら自分の決めた道へ進むことができるよう、頑張りましょう。

「やってきたことは裏切らない」と証明できる素晴らしい経験だった。

岐阜高校 合格
市原 有希菜
北方校
真正中学校

私の受験は楽しかったし、人生で体験したことのないくらい良い経験だったと思う。でも、本音を言えば辛かった。合格という結果をもらった今でも、受験は辛いものだという印象は消えない。ただ、間違いなく自信をもって言えることが1つある。受験は最高だということだ。

私は中2の冬から志門塾に入った。当時、岐阜高校に行きたいとは思いつつも、どれくらい点数をとらなければならないのか、何をすれば良いのか全く分かっていなかった。中3になって、いざ受験学年になると、岐阜模試の結果で判定が出た。私は初めの結果で、合格圏に入っていたので大丈夫だと過信し、あまり勉強に対して本気ではなかった。岐阜模試の結果は、回を重ねてもあまり変わらず、勉強に対する姿勢も変わらなかった。しかし、それは私にとって後に仇になることだった。

私は小さな頃から緊張したりストレスがかかったりすると、急激にお腹が痛くなるという症状が出る。急激にくるため、自分でもいつくるか分からず、学校の授業でも抜け出してしまうことが多々あった。薬も飲んでいるし、上手くつきあっていくしかないのだが、受験に対する緊張やストレスがあったのか、中3になってから症状が悪化した。特に、11・12・1月くらいは塾に行くこと自体が少なくなり、オンラインで授業を受けることがほとんどだった。自分でも点数がとれているという過信から、症状を言い訳にして、少し休みすぎているなと自覚はあったものの、つらいのは事実だしと思って、そのスタイルを貫いてしまった。結果、課題はたまり、岐阜模試の結果は少しずつ下がっていき、自分のメンタルも最悪な状態になっていった。なんでもっと早く塾に入って、本気で勉強しようと思わなかったのか、なんで課題があると分かっているのに、コツコツやらなかったのかと考えてしまい、自己嫌悪に陥った。そんな矢先、2月の初めに私はコロナに感染した。回復までに1週間ちょっとかかり、その期間、私は全く勉強できなかった。とうとう後がなくなってしまったのだ。自己嫌悪に陥っている場合ではなかった。私の負けず嫌いな性格、そして江口先生の「まだ伸びる」という言葉で、残り3週間、私の全てを懸けて本気で勉強しようと思えた。そこからの私は自分で考えて無駄な時間を削り、遅れてしまった分をとり戻そうと必死だった。周りの子だって必死だから、とても怖かったし、つらい時間だったことに間違いはない。それでも向かうは「合格」しかないのだからとにかくやった。受験前日。塾から帰った私は心ではそれほど緊張しておらず、落ち着いていた。しかし、体は違った。夜11時に激しい腹痛に見舞われ、嘔吐した。夜は11時に寝ようと思っていたのに、結局寝れたのは12時すぎだった。正直無理かもしれないと思った。人生とはそう甘くないと思い知らされたような気分だった。それでも当日は自分にできることは精一杯やった。落ちていても仕方ないと思えるくらい悔いはなかった。

私にとって受験はつらかった。つらくて怖かった。でも「やってきたことは裏切らない」と証明できる素晴らしい経験だった。自分が高まったかは、自分ではよく分からないけど、やった事実は自分の中で大きく残ることはよく分かった。中3の時よくこんな事を言われた。

「体調管理も実力のうち」

私はこの言葉が大嫌いだ。実力でどうにかならないものだってある。では、どうするのか。事前にたくさんやって準備しておけば良い。やったことは常に自分の武器になる。例えどんな状況でも。前日に吐いたって合格できる、納得のいく悔いのない受験にできる。それは私が身をもって体現した。だから私はこれからの受験も、やった事実に自信を持って立ち向かっていけると思う。

また私には大きな支えがあった。「分かってくれる人」だ。自分と同じ症状を持つお母さんは、常に親身になって私の言うこと、思うことを尊重してくれた。医者であるお父さんはたくさんのアドバイスをくれた。兄弟たちも私のことを理解して、そっといろいろな気づかいをしてくれた。そして江口先生、水木先生、船津先生をはじめとした北方校の先生方はオンラインでの授業参加の私のためにプリントを用意したり、「無理しなくていいよ。体調第一ね。」と言ってくれたりした。「分かってくれる人」の存在がどれだけ私を勇気づけ、前向きにさせてくれただろう。その存在は、私にとって計り知れない程大切だった。本当にありがとう。

何度も書いたが、受験は本当につらい。でもそれ以上に何か大切な自分にとって、大きなものを得られる最高のものだった。時に、受験は人々に嬉しい結果と残酷な結果をもたらす。しかし、私は結果よりも自分が努力した事実や自分のまわりの環境などからたくさんのものを得られることの方が、受験の本質を捉えたことだと思う。私の場合は特に「自分がやってきた事実へ自信を持つことの大切さ」と「自分を分かって支えてくれる周りの人々の大切さ、そしてその人たちへの感謝の大切さ」という大きなものを学び得た。私はこれからもずっと、今回の受験で得たものを大切に次へと進んでいきたいと思う。

受験は人生の中でも大きな試練だ。その自分に与えられる試練を、自分が歩んできた軌跡を最高だと思えるのは、この宇宙で自分一人だけしかいないと私は思う。

自分の行きたい高校に挑戦する。ただそれだけのこと。

加納高校 合格
牧野 実乃里
羽島東校
羽島中央中学校

私にとって受験はとてもいい経験になりました。私が志門塾に入ったのは中学3年生の春でした。中1・中2では負けず嫌いという性格もあり、テストで良い結果を出したくて勉強を頑張っていました。高校も1つも知らずにいました。そんな過ごし方が一番ベストかは分かりませんが、絶対に受験への自信になったと思います。自分は頑張ったと胸を張って言えます。志望校決定を通して私が思ったことは、意志の強さの大切さです。私は中3になるにつれ加納高校に憧れを持ち、行きたいと思うようになりました。この感情が最後の志望校決定に繋がったと私は思います。第1回の岐阜模試は、定期テストでは見たことないような低い点数でした。それから停滞した時期もありましたが、だんだんと点数が上がっていきました。そして、塾の先生に岐阜北高校へ進む道も考えられるよと言っていただきました。私にとって岐阜北高校は遠い雲の上のような存在だったので驚きました。それでもしばらくは加納高校を第一志望にしていました。志望校決定が近づいてくる中で、私は岐阜北高校の可能性を知りたくて第一志望を岐阜北高校へ変えました。しかし、考えるだけで不安でした。中学校に志望校を提出する時期が来ました。私はこの期間が今まで生きてきて一番辛い期間だったのではないかと思っています。家ではずっと泣いていました。泣いていた理由は自分にとっての正解が分からなかったからです。今まで勉強を頑張ってきたと思っていたけれど、自分には志望校に対する気持ちが他の人よりないと感じました。こんな状態で不安も残る高校に挑戦することは私にとってよいのか。高校生活で頑張っていけるのか。全く想像ができませんでした。周りで支えてくれている両親や学校の先生、塾の先生に話を聞いてもらいました。両親は「私立の高校に行くのは悪いことなんかじゃないから、それを恐れる必要はない。自分の行きたい学校に挑戦する。ただそれだけのことだよ。」と言ってくれ、私の本当の気持ちがやっと見つかりました。何日も悩んだけれど、私の行きたい高校は加納高校でした。塾の先生に自分の気持ちを話しました。急にそんなことを言って迷惑ではないのかとも思いました。でも正直に話しました。先生はうんうんと話を聞いてくれました。とても嬉しかったです。

最後に自分で決めれば良いからまた決まったら教えてね、と言ってくれました。私の性格を分かってくれているのか、とても安心しました。それからの1か月絶対に合格するという気持ちで精一杯取り組みました。ここで力となったのが、一緒に頑張る志門塾生でした。私は塾に入る前、ずっと一人で戦っていました。だから、自分は頑張れていると思っていたし、他人の頑張りも知りませんでした。でも今は周りを見れば、私より頑張っている仲間がいました。自習室に早く来る、先生方が作ってくれたプリントをしっかりやり切る、分野別や年度別問題集をやり切る。みんながみんな頑張っていました。だから私は、受験が終わる最後の最後まで火を絶やさずにこれました。周りの仲間にはとても感謝しています。志門塾に入って良かったし、素敵な先生方に教えていただけて本当に幸せでした。そしてそれを実現させてくれた両親にも感謝しています。結果は合格でした。私の3年間が報われた気がしています。私は中学生活を頑張れて幸せです。こんな経験がもう一度できるよう高校生でも自分らしく頑張っていきます。

それまでは無理だと諦めていた学校を第一志望にした。

岐阜工業高等専門学校 合格
百地 咲久哉
那加校
那加中学校

私は幼いころから、建築士になりたいという強い夢があった。

中学校1年生、2年生のころは、違う塾に通っており、基本はしっかりとマスターできたけれど、応用問題などを十分に解く力を伸ばすには不十分な環境であった。今のままではいけない、何か自分を大きく成長させる塾はないのか。そう思っていたころに出会ったのが、志門塾那加校である。そこでは、自習室も完備しており、先生も2~3人いていつでも質問できる環境が整っていた。体験授業を受けてみると、高いレベルのみんなと受ける授業が楽しくてしかたがなく、即入塾を決めた。毎日自習や授業を重ねていくうちに、今まで苦であった勉強が、楽しむものとなり、学力もぐんぐん上がっていくようになった。そこで今までずっと諦めていた岐阜工業高等専門学校 建築学科を第一志望とし、今まで以上に勉強に力を入れた。しかし、とうてい今のままでは受からないと心の底では思っていた。そんな私を支えてくれたのが、塾の先生方である。正月特訓を終えた後、必死で国立高専の過去問を解き、わからなかった問題を一緒に夜遅くまで残って考えてくれたり、予想問題を準備してくれたあの事は決して忘れないし、どれほど嬉しかったことだろうか。そして夜遅くでも送迎してくれたお父さん、お母さん、そして受験勉強が忙しくて関われなかったペットや兄弟にどれほどの負担をかけたことか、本当にあやまりたいし、感謝をしたいと思う。そして、同じ教室で授業を受けてくれた仲間にも感謝をしたい。そのような方たちの支えがあったからこそ、見事岐阜高専 建築学科に合格できたと思う。私は受験とは、結果ももちろん大切ではあるけれども、一番大切なのは、その過程、友達、先生、家族、私と関わってくれた人々、将来に対する強い思い、今まで重ねてきた努力であると実感した。

自分でも厳しいというのはわかっていたが、
岐阜高校が良いという気持ちしかなかった。

岐阜高校 合格
青井 愛華
蘇原校
桜丘中学校

岐阜高校という存在は中1の時の私からすると、とても遠くて見えないものだった。中1の定期テストでまあまあいい点数を取れたと自分では思っていたが、「その点数ではこれから厳しくなる。」と父に言われて、しぶしぶ塾を探し始めた。そして初めて塾の体験をしたのが、志門塾蘇原校だった。他の塾も体験するつもりだったが、蘇原校の先生、授業の雰囲気をとても気に入り、蘇原校に入った。塾に入ってから、学習の理解度がみるみる上がり、定期テストで安定して高得点が取れるようになった。定期テスト対策は自分にとってとても大変なもので、いつも提出に追われていたが、なんとか終わらせようと思えたのは仲間がいたからだと思う。いるだけで「自分もがんばらなきゃ」と思えた。中3になって、夏期講習と部活の両立の大変さがわかるとともに、岐阜高校を目指したいと思うようになった。岐阜模試では、ほとんどC判定で精神的には良くなかったが、みんなと同じ勉強量では無理だと実感し、自習室に通うようになり、わからないところを質問するようになった。また、正月特訓で他の校舎の人たちとも一緒に勉強することで、自分にはこんなに多くの仲間がいるんだと思って、高校合格への気持ちが高まった。第6回岐阜模試の後に三者懇談があり、「今のままでは、受かる可能性が20%ぐらいです。今のままだと厳しいと思います。」と先生に言われた。父は私が決めた高校を受ければ良いと言ってくれた。厳しいのは自分でもわかっていたが、その頃には岐阜高校が良いという気持ちしかなかった。もちろん気持ちだけでは無理なのでどの授業でも真剣に受けて、勉強時間をさらに増やし、質を上げることもがんばった。

そして入試当日、なぜか私はいつも通りだった。特に緊張することもなく、テストができたけれど、点数はあまり良くはなかったと思う。でも、今までやってきたことを思い出して楽しく解くことができたので、自分はとても良かった。父は自分に対してあまり心配をしていないように見え、少し見放されているような気がしていたが、入試後に、合格ラインをたくさん調べて、きっと大丈夫と言ってくれたことで、私のことをしっかり考えて、信じてくれていたんだと思った。

中1の頃には、見えないほどの存在だった高校への合格が決まった時に、塾の先生の顔が一番に浮かんできた。今まで自分を支えてくれ、質問といって、文句をいっても笑ってくれた。本当にいろんなことを教えてくれて、私をすばらしい場所につれていってくれた人。今はこの言葉だけ伝えたい。「ありがとう」

誰かに頼る勇気を持つことも大切で、
それができるのは強い人です。

大垣北高校 合格
森 麻亜子
トップレベル選抜・大垣
大垣西中学校

受験当日、試験終了後、車に乗り込んだ私の一言目は「受かった」でした。過信ではなく、社会の解答時間が終わり、鉛筆を置いた瞬間、確信しました。根拠は、今までの自分の頑張りです。私の部屋には、大量のテキストやノートが、努力の証のように積み重なっています。受験が近づくにつれ、不安も大きくなっていったけれど、「これだけ頑張ったんだから、大丈夫」という自信を持たせてくれました。3年間、頑張り続けてくれた自分に、感謝しています。

私が感謝するべき人は、自分自身だけではありません。受験に向けて勉強をしていく中で、私は、たくさんの人に支えられてきました。授業の中で、受験に必要な勉強だけでなく、人として、どう生きるか、学ぶ意味を教えてくださった寺部先生。勉強する意欲を生ませる魔法を持つ宮部先生。どんなに小さな私の疑問にもとことん向き合い、納得するまで付き合ってくださった多くの先生方。忙しい中、毎日のように送迎をしてくれたお母さん、お父さん。誰か一人でも欠けていたら、私はこの受験を笑顔で終えていなかったかもしれません。本当に、ありがとうございました。

誰かに頼るということは、決して自分が弱いからということではありません。受験勉強を通して、私があらためて学んだことです。実力が足りないと感じて、辛くなったとき、誰かに話を聞いてもらうことで、心が軽くなることもあります。分からないことを、分かっている人に聞けば、自分の知識になります。一人で受験を戦い切ることができる人は、強いです。でも、誰かに頼ることができる勇気を持つ人も、同じように強いです。だから、不安で押しつぶされる前に、誰かに頼れば良いのです。これから、受験という大きな戦いに挑む後輩のみなさんに、先輩からのアドバイスです。後悔のない受験をしてください。

努力することは、本当に楽しいことなのだと受験で知ることができた。

岐阜高校 合格
林 陽奈
担任制
大垣東中学校

3月17日午前9時。一斉に紙が貼り出され、すぐ目に飛び込んできた自分の受検番号。番号を見た瞬間、飛び跳ねながら家族・友達と抱き合い喜びを分かち合った。今までにない最高のご褒美に達成感で胸がいっぱいになった。真っ先にこみ上げる嬉しさの次に感じたこと。それは「5年間、努力し続けてきて良かった。」という純粋な気持ちと「やっぱり努力は裏切らない。」という確信だ。

私の努力は、小学校5年生から始まった。小5当時は、入塾テストが平均点以下で周りの仲間に追いつくのに必死だった。初めは、できない問題に触れることが多く大変な日々だったけど、テストのたびに「何点取る!」「あの子に追いつく!」と1つ1つ目標を明確にし、同じ問題を何度も解き直し自信につなげることで乗り切った。『分からなかったことをそのままにせず、質問したり解き直したりすることで必ず納得するまでやりこむ』このことを教科関係なしにひたすら実践し、継続することにこだわった。すると、どんどん解ける問題が増え点数も上がり、小6の頃には上位層に食い込めるほどの実力をつけることができた。そして「勉強が楽しい!」と思えるようになり、何よりも心強い勉強のエネルギーを得ることもできた。「コツコツカツコツ」という担任制の合言葉の中で『自分は、初めはできなくてもコツコツ苦手をつぶし、自信をつけて力を身につける努力タイプだ』と、自分の特徴を見つけられたこと。「努力を積み重ねて結果を出す」という感覚を身につけられたこと。この2つを小学校のうちに自分のものにして、自信を持って、中学校に進学できた経験は、中学校3年間ずっと私の強みになった。そして「岐阜高校に行く!」という夢も中学生になると同時に強く持つようになった。

夢と自信を持ち、やる気満々で中学校に入学したものの、コロナ禍のスタートで4・5月の2ヶ月間休校が続いた。塾もオンライン授業になりずっと家にいる生活。「せっかく中学生になったのに…。」と一度はがっかりしたものの、画面越しでの稲垣先生の言葉で心に火がついた。「この長期休暇は、毎日コツコツ勉強すれば周りに大きな差をつけることができ、自分の力を大きく伸ばせる絶好のチャンスだ。」この言葉を聞いた時、今までは中学校生活を奪われたただの時間のように感じていた毎日が、好きなだけ納得するまで勉強を楽しめる貴重な毎日だと感じられるようになり、より一層強いやる気が湧いた。そして毎日、早起きしコツコツ机に向かう日々が始まり予習から復習まで思う存分できる楽しい時間が連続した。また、社会や学校の状況がどうであれ、自分らしく毎日精いっぱい努力をしている自分が好きになり、休暇が終わる頃には、もう好きなだけ勉強できる時間がないのかと、寂しく感じるようになっていた。小学校で身につけた力が発揮できる機会は延期になったものの、小6の延長線のまま自分らしく努力できる期間があったこと。これは、私の中学校生活の基礎となり、新しい場所でも「努力できれば大丈夫だ」と、自分を落ち着かせてくれる材料にもなった。中1・中2の2年間。全てが上手くいったわけではないが、「上手くいった時は、より一層努力を続け、失敗した時は、もう一度原点に立ち返り一から努力を始め、新しい目標に向けて仕上げる。」この流れだけは、絶対に崩さずに取り組んだおかげで一度も勉強を苦にすることなく、充実した毎日を送ることができていた。

いよいよ迎えた受験生。「岐阜高に行く!」という夢に一番近づける1年間。「今まで通り自分のペースでコツコツ頑張れば大丈夫!」と、気合を入れて準備をした。しかし、今まで通りのことを思う存分することはできなかった。それは、学校の定期テストが無くなったからだ。初めは、学校の制度が変わってもペースを崩さなければいいだけだと思っていたが、不規則に予告も無しに次々入ってくる単元テストに完全に操られてしまった。さらに、中2の頃から無くなった学校のワークも廃止のままで、単元テストのためだけに勉強し、定期テスト前のようなしっかり復習できる時間も全く取れず、学校のテストが一段落ついた頃にやってくる岐阜模試。もちろん岐阜模試に向けて勉強するものの、まとまった時間は取れず、本来の自分の力が発揮できない日々が続いた。試験後、復習して演習すればできると分かっているのに、やる気は十分あるのに、やりたくてもできない勉強。このもどかしさは、何よりも苦しかった。思い通りの勉強ができず苦労する毎日だったが、私にはいつも支えてくれる塾の先生や仲間、そして4年間頑張り続けてきた過去の自分がいた。模試のたびに不安になる私に「今までの努力があるから大丈夫!自信持って!」と励まし続けてくれる先生からの言葉や、状況が違っても必死に夢に向かって頑張る仲間からもらう刺激は、苦しんでいた私を前向きな気持ちにさせてくれた。岐阜模試も力を発揮しきれない面はあったものの、点数がガタ落ちすることはなかった。これはきっと、特に中学2年間の中で何があっても毎日止めることなく継続してきた努力の力だと思う。実際、模試のたびに過去の自分を思い出し「今までの積み重ねがあるから大丈夫!今できるベストの努力を続ければいい!」と自分を励ましていた。受験を終えた今、小学校の延長で休校期間から取り組んだ努力、過去の自分の姿が今年1年間一番の支えになっていたと強く思う。今までの努力と周囲からの励ましを信じ、今のベストを尽くし続け、迎えた直前期。入試直前になっても学校の単元テストは無くなることはなく、最後の追い込みに入り切ることができず不安になることも多かった。そんな中、校舎の先生と一緒に「プロセス」を開き、もう一度自分が目指すこと、今するべきことを確認し合った。今までに何度も聞いていた話をただ確認しただけだったが、今自分がやるべきことがより明確になった気がして一気に気持ちが落ち着いた。そして最後に「点を取るのも大事だけれど、合格すればいいんだよ。」とそっとかけてもらった言葉のおかげで、単元テストから離れることはできなかったが、自分のやるべきことに集中できた。入試3日前。最後の懇談で「何があっても大丈夫!今までやったことをただ出してくるだけ。」と、稲垣先生に激励してもらった時は、「大変な1年だったけど頑張ってきたから大丈夫!」と今年一番自信を持つことができた。プレテストで過去2年間でのいつも通りの点数が取れた時は、「もう大丈夫!」と自然に感じていた。

合格発表で自分の番号を見つけると、涙が出るほど喜んだ。そして、努力の力強さを感じた。受験生の1年間はとても大変で理想の努力を積めない時期もあったけど、やっぱり5年間の努力は強かったと実感した。努力で夢を叶えられたことが幸せだった。
今年1年。思わぬ逆境に苦労した日々だったが、最後は毎日の努力が勝った。このことは受験だけでなく社会でも通用すると思う。だからこそ、まずは、努力でつかみ取った夢の舞台で思う存分勉強して努力して楽しみたい。努力って本当に楽しい。

受験当日、緊張でふるえる私の心を優しくつつんでくれたのは家族でした。

岐阜高校 合格
林 璃伊夏
GRAN
大垣東中学校

私は岐阜高校を受験し、見事合格することができました。私が岐阜高校に合格できたのは、友人と家族、そして学校や塾の先生方がいてくださったからだと思います。

岐阜高校を目指していた中で、先輩方や周りのみんながあったように私にもつらい時期がありました。それは最後の2か月間です。この受験直前期にボーっとしてしまったり、直前講習で理・社で高得点がとれなかったりするなど、厳しく、つらいものでした。自習室に行くのも嫌だと感じることもありました。そんな時、私を支えてくれたのはある友人でした。その友人とは、夏休みが終わった後ぐらいから、週2日、塾の無い日に一緒に自習室に行き、一緒にごはんを食べようと約束をしていました。志望校は違いましたが合格したいと思う気持ちはずっと一緒でした。そんな友人を裏切ってはならない。そう考え、自習室に行くのが嫌でも塾に行き続け、残り2か月間を乗り越えていくことができました。
受験当日、緊張でふるえる私の心を優しくつつんでくれたのは家族でした。受験当日、仕事があるのに学校の前までついてきてくれた母。応援しているからねと最後まで応援してくれました。また、岐阜高校まで、私は電車とバスで行ったのですが、財布の中からお金を取り出そうとした時、姉2人からの「がんばって」という手紙を見た時は本当に泣き出しそうでした。たまにけんかもするけれど私のことを応援してくれているのが分かり、とてもうれしかったです。祖父、祖母から「いってらっしゃい」と言われた時も背中を押してくれたような気がして勇気をもらいました。このように、家族からの、大きくあたたかい愛情が私の緊張をほぐしていってくれたのだと思います。そのおかげで、当日は今までの力をすべて出しきり、ミスなく丁寧にいつもどおり解くことができたと思っています。
そうしてむかえた合格発表の日。自分の受検票をにぎりしめ、午前9時を待ちました。そして1つずつ番号を確認していき自分の番号を見つけた時、今までの努力や苦しかった時期でもふんばったことが思い出され、それが実ったのを感じ、うれしさが込み上げてきました。4月からはこの学校で過ごすんだ、と思うと楽しみな気持ちでいっぱいでした。
後輩のみなさん、受験は1人1人ドラマがあると先生から言われましたか。私は中3の4月にこう言われた時、自分で自分のドラマをつくるなんて無理だと思っていました。ですが、塾の宿題を一生懸命にやること、友人を大切にすること、そしてスマホなどの誘惑に負けず、自分を信じること。これを1年間全力でやり続ければ、自分だけの最高のドラマができると思います。ぜひ楽しんでがんばってみてください。

最後に、村林先生、世古口先生、伊東先生、近藤先生、そして非常勤の先生方、いつも楽しく分かりやすい授業をしてくださったり、分からないことを分かるまで教えてくださってありがとうございました。みなさんの全力の応援、「○○ならできる!」という信頼が私の自信につながりました。小4から塾に通い、家、学校そして塾という風に第3の家のように思ってきました。志門塾を選んで、そしてGRANに通えて本当によかったと思っています。高校生活はあっという間でとても忙しいと思いますが、勉強も、部活も、遊びも全力で楽しんでやっていきたいと思います。今まで本当にありがとうございました。

勉強に本気で向き合えば、やった分だけ伸びることを実感した。

大垣北高校 合格
潟辺 真央
スイトテラス校
興文中学校

合格発表で自分の受検番号を見つけた時、全てが報われたような気がした。

私が本気で勉強に向かうことができたのは、第4回岐阜模試の結果があったからだと思う。第4回の岐阜模試で、点数が下がり、偏差値が下がり、クラスも下がった。それまで同じくらいの順位だった友達とも大きな差をつけられた。志望校を変えるかも迷ったけど、夏に大垣北高校へ高校見学に行った時から、自分の視野にはそこしかなかったため、変えることはなかった。それから私は、本気で勉強に向かうことを決めた。7時に来ていた自習室は、学校から帰ればすぐに向かい、6時、5時と早く行くようになった。夜も10時以降まで残って勉強することが多くなった。問題を解いて解答を確認し、教科書に1回1回戻ってノートに書きためることをくり返した。自分だけクラスが落ちるような経験は二度としたくないという苦しい思いから、何度も机に向かい、ペンを持つことができたと思う。次の岐阜模試からは、点数がどんどん伸び、D判定からB判定へと変わった。その嬉しさと、また落ちたくないという気持ちから、最後の日まで勉強し続けることができた。やる気になれず、1日家でゆっくりする日もあった。全てが上手くいったわけではないけれど、最後まで走り続けることができたのは、仲間のおかげだと思う。私が毎日自習室に行っていた理由はみんながいるから、だった。一緒に笑った仲間でもあったし、本当に良きライバルでもあったと思う。そして最後の岐阜模試で一番上のクラスへ上がることができた。最高の気分だった。勉強に本気で向き合えば、やった分だけ伸びることを実感した。勉強をはじめるのが少しでもおそかったら合格はなかったかもしれない。だから、少しでも早く勉強に本気で向き合ってほしい。

夜おそくになっても迎えに来てくれたり、塾の時間に合わせてご飯をつくってくれたりした母や父、最後まで応援してくれた友達、少しでも分かりやすいように考えて教えてくださった先生方など、たくさんの人のおかげで乗りこえることができたと思う。周りに感謝を忘れず、勉強も部活も全力で頑張る高校生活を送りたい。

受験を通し、周りの人達の支えに気付かされて知った「タフであること」の意味。

鈴鹿工業高等専門学校 合格
R・H
静里校
西部中学校

この高校入試を体験し、「タフであれ」という校舎長の言葉の意味を知ることとなる。
1年前、中学2年生も終わりを迎えようという頃、静里校に入塾した。初日からテストがあると言われた時は一瞬びっくりしたが、いつも通りにやれば大丈夫だと思っていた。しかし、テストを受ける中で、一緒にテストを受けている人よりこのテストで悪い点をとるのだと直感した。理由は明白であった。それは志望校に合格するという目標をすでに強く心に決め、そのために何をすべきか見通しを持ち、これまで一歩一歩確実に歩みを進めてきたことである。それに対し、宿題以外の家庭学習しかしてこなかった自分と比べ、そこに大きな差があることは火を見るより明らかだった。

半年後、夏休みも間近となり、少し心もざわつく頃。夏を制するものは受験を制すという校舎長の言葉と共に夏期講習は始まりを迎えた。夏期講習では各校舎から大勢の人が集まり、知らない人達の中で知らない先生に知らない環境という限りなく受験に近い雰囲気の下行われた。慣れない環境で始めのうちは戸惑うことも多かったが回を重ねるごとにその感覚が薄れていくことに気付いた。それに気付いたのは授業のふとした時だった。ここにいる全員が入試への覚悟を持ち、ただひたすらに学び、自らの夢をこの手につかもうとする想いを感じた。一人ひとりのその想いはお互いをそれぞれ支え合い、つき進める力のように感じた。その想いに自分も自らの想いを持ってひたむきに応えようとする時、すでに慣れない環境に不安などはなかったのである。受験とは団体戦だ。受験生全員がチームメイトだ。全員が1つの目標を達成しようとする姿は大きな力となって自分を支えてくれる。
さらに数か月後、受験まで3か月を切り、受験に向け慌ただしくなる頃。塾では毎日入試対策が行われる日々が始まっていた。毎日がテストや授業で、遊べる時間がなく、正直「今日は休みたい」とも思った。しかし、今日の1日でもし合格できなかったらという後悔をしたくないと思い、入試対策の日々をやり切ることができた。やり切って受験も間近という時、受験に対する不安はなく、休みたいと思った日でも1日も欠かさずやり切れた自分には自信が満ちあふれていた。

受験日当日午前8時55分、5分後に始まる試験を前に多くの人が顔を強張らせる。しかし、自分はそうではないと確信している。固く覚悟を決め、チームメイトたちの大きな支えを受け、自信に満ちあふれた自分に不安という感情が入り込む隙間はない。きっと校舎長の言う「タフであれ」とはこういうことだろう。

受験を通し、周りの人達に支えられて生きていることに改めて気付かされた。タフであるとは確かに自分自身の努力も必要だが、周りの人達の支えがあってこそだ。また、自分の誠実さを、努力をつきつめれば自然と支えてくれると信じている。しかし、必ず支えてくれる人達の想いを無下にしたり、感謝を忘れたりしてはならない。食べるのにも寝るのにも生きている中で必ず誰かの支えを受けている。この1年タフになるために努めてくれた先生、仲間、そして自分のこれまでの15年とこれからを最も身近で支えてくれる家族に、なによりこの言葉を伝えたい。ありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。

会うことがなくても、名前を知ることがなくてもいい、将来自分は誰かの支えでありたい。

自分だけの勉強プランで「努力できない自分」を克服。
努力は絶対裏切らない。

大垣東高校 合格
児玉 朋花
垂井校
不破中学校

私は、受験生生活を通して「自分の弱みをどれだけ補えるか」という力の大切さを思い知った。

私は、もともと努力することが大の苦手だった。ピアノ、水泳、英語など、この他にもたくさんの習い事をしていたが、練習も何もしなかったので、何の成果もあげられなかった。そんな私だが、性格はめちゃくちゃ悪かった。小さい頃から、努力家で頭も良かった兄と、いつも自分が比べられていると思い、兄が成果をあげる度に兄をねたみ、自分ができないのを全て親のせいにしていた。しかし、いつも親のせいにしていた私を親は見捨てなかった。私が正しい道を歩めるように厳しく、努力することの大切さを教えてくれた。私のことを叱った時は、必ず最後に、「あんたは、できる子だから」と優しく抱きしめてくれた。しかし、バカな私は、「怒るから、頑張れないの」と親の気持ちをふみにじり、自分のことを肯定し続けた。努力することをしなかった私は、家で勉強する時は、いつも隣にゲーム機を置いて、ほとんどゲームやマンガで時間を過ごし、両親の足音が聞こえたら、急いで隠してシャーペンを握る日々だった。そのため、テスト前には相当焦り、夜中の2時まで勉強をして、全力で詰め込むという日々を送っていた。直前に急いで勉強していたおかげか、定期テストの点数はそこまで悪くはなく、私が受験を油断する材料のひとつとなった。
そして中3となった。基礎講習、夏期講習、夏秋講習を本気で取り組まず、塾の時間しか勉強をしていなかった。しかし、岐阜模試の点数はそこまで悪くなく、大垣東高校のB判定をキープしていた。だから、特に焦ることもなく、両親の前では、「必死に頑張っています」とアピールしまくっていた。その時私はなぜか、「自分は何もしなくても東高ぐらいなら余裕でいける、選ばれた人なんだ」と思い込み、調子に乗っていた。そんな姿を見た母は何も言わなかった。

そして、秋期講習を迎えた。「このままで大丈夫だろう」と思っていたが、それは大きなまちがいだった。第5回岐阜模試を終えると、自分よりも成績が下だった友達が、自分よりも良い結果を出すようになった。そしてフロンティアードの教室も、自分では到底届かないような上のクラスまで上がっていった。私は、相当焦った。私は思い返した。自分が自習室でしゃべっていた間、その友達は何をしていただろうと。答えはひとつしかなかった。それは、「努力」だった。きっとその友達は、志望校合格を叶えるために、苦しくても、つらくても自分に打ち勝って努力し続けたのだ。そう思った時、いつも隣で笑っていた友達が急にまぶしく見えた。いつも近くにいた友達が、急に遠くにいる手の届かない存在になってしまったように思えた。私は、自分の胸から込み上げる何かがあった。それは「勝ちたい」。その一言だった。それからは、がむしゃらに勉強した。しかしそれが続いたのは1週間ほどだった。私はなぜだろうと考えた。なぜ、私は集中力が続かないのだろうと。そんな時、浅野先生と面談があった。私はなかなか集中できないのはなぜか。友達のようになりたい。周りが何の勉強をしているのかが気になり、自分がしていることは無意味なのではないか。思っていたことを全てぶつけた。その時、浅野先生は、私に優しく声をかけてくださった。

「友達がまぶしく見えるのは、その子だけが持っている強味で誰もが簡単に手に入れられるものではない。勉強に対するやり方を自分で決め、自分と真剣に向き合うことが大事」。
私は、この言葉を聞いて、自分の弱味である「努力できない」ということを克服するためにプランを立てた。

  1. 学校から帰ってきてから、すぐに塾へ行き、授業までの間、自習する。
  2. 毎朝5時半に起き、苦手な証明問題、方程式に3題ずつ取り組む。
  3. どれだけお腹が痛くても自習室へ足を運ぶ。
  4. 分からないところは、自分でじっくり考えてから質問へ行く。

このプランを立ててから、「絶対に守りたい」と強く思うようになった。このプランを立てたのは、2月初めだった。それからの受験日まではとても苦しかった。苦手な理数は、点数が上がらないし、友達はどんどん点数をのばしていくし。毎晩、布団の中で泣いた。しかし、勉強をあきらめたくなくて、必死で踏ん張った。

そしてプレテストの日を迎えた。第7回岐阜模試は、378点しかなく、とても不安だったが、なんとか、415点をとることができた。すると今までの不安は消え、よい気持ちで、受験当日を迎えることができた。当日は、努力の成果があってか、理科はいつも40点台だが、90点をとることができ、自己採点で400点を超えることができた。

3月17日、午前9時、私は大垣東高校へ合格することができた。

最後に、私がみんなに伝えたいことは、やはり努力をすることだ。それがなかなかできないのなら、自分だけの勉強プランを作成して欲しい。きっと努力できるだろう。努力は絶対に裏切らない。

受験勉強をしていく中で、新たな夢が見つかるなんて思ってもみなかった。

大垣北高校 合格
野田 蒼生
安八校
輪之内中学校

「大垣北高校」という学校を知ったのは小学5年生ぐらいだったと思う。高校について深く考えたこともなく、当時は「高校に行けたらそれでいい」という気持ちでいた。それでも、西濃トップである大垣北高校には少し興味があり、志望校にして頑張ることに決めた。
中学生になって初めて受けた統一テストは過去最低点。第5回の統一テストで大垣北高校を志望校に書いたもののC判定だった。中3になっても、岐阜模試でB判定以上をとることは大きな壁だった。その時に、初めて私は弱音を吐いた。岐阜模試が返却された日、校舎長の冨田先生の前で泣いていた。周りの子はどんどん結果を出しているのに私は出せない。私より後に塾に入ってきた子の方がよくできている。そんなことを考えながら私は受験生生活を送っていた。

そんな状況でも、3年間塾をやめることなく続けられたのには2つの理由がある。1つ目は先生の存在。どんな時もずっとそばで支えて応援してくれた先生がいたから、どんなに辛い時も頑張ることができた。岐阜模試の点数が悪くても、「必ず伸びるよ」「大丈夫だよ」と優しい顔で言ってくれて、前向きになれた。2つ目は同じ中3の仲間の存在。毎日自習室に来てただ静かに勉強していた姿。皆がいたから良い刺激を受けて頑張ることができた。
私が結果を出せるようになったのは中3の秋頃。とにかく復習をたくさんして、分からないところをなくすような気持ちで取り組んだ。そして岐阜模試では、大垣北高校B判定以上を連続でとることができた。また、入試直前の演習でも、9割をとることが多くなった。私はこの時初めて、「北高に行けるかもしれない」という自信を持つことができたのだ。
私には最近まで将来の夢というものがなかった。自分が本当にしたいことは何なのか。その道に進んで正しいのか。とにかく疑問ばかりが浮かんでいた。でも、受験が終わってしてみたいことができた。それは、「誰かに何かを教える」こと。私は将来教師になりたい。今までたくさんの人にたくさんのことを教えてもらってきた。だから次は、私がたくさんの人に教えられるようになりたい。とはいっても、私が教えたいのは音楽。小さい頃からピアノを弾くことが好きだった。歌うことが好きだった。受験勉強の合間に取り組んでいたことも音楽だった。それくらい、私は音楽が生きるうえで必要なものだと思っている。
受験勉強をしていく中で、新たな夢が見つかるなんて思ってもいなかった。でもこうして、高校に合格して、夢に向かって歩み始めようとしている。人生って全く想像できない。高校に興味のなかった私が、夢もなく過ごしていた私が、自分だけの新たな道を進んでいる。目標を諦めずに頑張ってきて本当に良かったと感じる。

受験を終えて思うことは、「諦めないで良かった」ということ。中3になったばかりの私は、「北高なんて行ける訳がない」と思っていた。一時は志望校を変えようと悩んだこともある。それくらい自分に自信が持てず、苦労していた時だった。でも、1年間たくさんの人に支えられ、最終的に志望校を一度も変えることなく取り組むことができた。それができたのは、「最後まで絶対に諦めない」という気持ちが自分の中であり続けたからだろう。
高校に入ると、知らないことばかりが待ち構えていると思う。今まで以上に、辛いこと悲しいことも増えるだろう。でも、いつかの自信のない私を捨てて、これからは常に前を向いて生きていきたい。自分一人で物事を解決するのではなく、仲間を頼っていくことも大切。充実した高校生活を送るために、そして自分自身の夢を叶えるために、毎日を楽しめる人になりたいと思う。

頑張っている仲間に負けたくない気持ちと、
弱い自分に勝ちたい気持ちの両方があった。

大垣北高校 合格
下野 夢依
池田校
池田中学校

この1年間で、私は勉強面でも、精神面でも大きく成長することができた。

私はもともと勉強が嫌いで、楽しさなど全く感じられなかった。だが、いつも点数は周りより高いことが多かったため、勝手に勉強を得意だと思い込んでいた。しかし、3年生になって初めて受けた岐阜模試で、自分の小ささを思い知った。そこからは毎日自分と戦い合った。どれだけやっても解けない数学の図形。一向に流れがつかめず、間違いだらけだった社会の歴史。文章の意味が分からず、周りと差を感じた国語。心が折れそうになる日々を送るうちに、だんだん自分に自信をなくしていった。もう、勉強を得意とは思えなくなっていった。

しかし、塾に行けば必ず勉強している仲間がいた。そんな仲間に負けたくない気持ちと、弱い自分に勝ちたい気持ちが合わさって、ひたすら勉強を続けた。どんなに難しい問題でも、仲間と力を合わせれば怖くないことに気づき、仲間の大切さを知った。

私が受験生としての1年間で得たものの中で、最も大きいものは仲間や家族との「絆」だ。この1年、周りの助けがなかったら、私は今頃大垣北高校に合格していないだろう。

自分1人で自分と向き合うことも大切だが、それには限度がある。自分と同じレベルの仲間と共に教え合い、張り合って競い合うことで、自身の学力向上だけでなく精神面での成長につながるのだ。仲間と切磋琢磨し合ったおかげで、自分自身の自信も持てるようになり、勉強に対するイメージが変化した。これも、自分において大きな進化である。

また、家族がいなければ、自分はここまでこれていない。毎日、朝早くから夜遅くまでの塾通いをサポートし、弁当を作ってくれた母親や父親、弟には感謝しかない。

今日まで、私はたくさんの人に支えられて生きてきた。おかげで、自分に自信を持ち、めいっぱい成長しながら目標に向かってつき進むことができた。この高校受験に、一切悔いはない。

この素晴らしい受験は、必ず私の一生の宝物になる。今まで関わってきた人達に精一杯の感謝を伝えながら、これまでのように悔いのない人生を歩みたい。

これからの私の人生、何があるか分からないが、周りの人達や機会に恵まれていることを自覚しながら、自分のペースで、一歩一歩進んでいきたい。

テストでの成功は、自分の努力によるものだと気付き、
その成功体験はその後の自分を支えていた。

多治見北高校 合格
大崎 将
京町校
南ケ丘中学校

僕は中学2年生の春期講習に、親と友達からの勧めと、既に塾生だった兄の影響で、入りました。入塾する前の僕は、軽めの勉強で、成績はほぼトップ。得意な数学では誰にも負けたことが無く、自分は天才なんじゃないかと、とても調子に乗っていました。
ですが春期講習で、僕の自信は粉々に砕け散りました。自分より早く問題を解き、自分より高い得点を取れる人がいました。自分よりも下だったはずの友人に、いつの間にか追い抜かされたりもしました。志門塾内のテストでは、100位以内にギリギリ入っていました。自分よりも上がこんなに居るのかと、心の底から絶望しました。

ですがこの悔しさが、僕の心に火を付けました。僕は必死に、勉強をしました。すると、前期中間テストでは、僕よりも上に行った友人達を、圧倒的な差を付けて、追い抜き返すことができました。「このテストでの成功は、才能でも何でも無い。自分の努力による物なんだ!」こう気付いた僕は、前よりも努力ができるようになり、力強い自信を身に付けました。

それからも、僕は幾度となく失敗を繰り返しました。ですが、努力を積み重ねて成功した、2年生の前期中間テストの経験は、僕の背中をいつも押してくれて、成功へと結び付けてくれました。

努力が必ず実を結ぶとは限りません。ですが、志門塾という適切な環境で、何百時間という膨大な時間なされた努力は、必ず実を結びます。皆さん頑張ってください!皆さんの努力が実を結ぶよう、心から祈っています。

折れそうになることもありましたが、
最後まであきらめずに頑張って良かったと思います。

多治見北高校 合格
蟹江 友美
京町校
南ケ丘中学校

私が志門塾に入塾したのは、2年生の春でした。自分1人ではなかなか勉強できず、テストの点数が下がってきたころ、この塾に入りました。最初は知らない人が多くて、ついていけるか不安でしたが、すぐに仲間とも先生とも仲良くなることができました。また、宿題が多過ぎて期限までに終わらないことも多々ありました。そこから、計画を先生と一緒に立てたり、進捗状況をこまめにチェックしてもらうことで、少しずつ勉強する時間が増えていきました。2年生の初めは4時間でもきつかったのに、今では1日8時間は普通にできます。

私は、塾で過ごす日々の中で多くの人に支えられてきました。まずは、塾の先生。毎回授業が面白かったり、覚えやすいように語呂あわせもたくさん作ったりしてくださいました。私が質問を聞きに行くと分かるまで優しく丁寧に教えてくださいました。また、掲示物にも手が込んでいて、廊下を通るたびに勉強になるし新しい知識を知ることができました。そして、少しつかれた時にする雑談も楽しくて、笑顔になりました。だから私はこの校舎を大好きになり自信をもって話すことができます。次は、家族。3年生になると、朝から夕方まで自習をすることが多く毎回お弁当を作ってもらっていました。いつも大変そうだったけど、作り続けてくれました。また、送り迎えもしてくれました。本当に家族には塾に通わせてくれて感謝です。このように先生、家族、そして仲間がいてくれたからこそ合格できました。本当にありがとうございました。

最後に、受験は自分との闘いで折れそうになることもたくさんありました。テストの結果が下がったり、のびなかったり。でも、最後まであきらめずに頑張って本当に良かったと思います。

私は、ずっと多治見北高校に行きたくありませんでした。行けるラインは越えているけど、絶対ついていけない、もうそんなに勉強したくないと思っていました。だから、いろんな人から「北高行けるよ」と言われても全然うれしくありませんでした。みんなは上に上に行けるように頑張っているのに最後の方まで気持ちが高まりませんでした。でも、たくさん悩んで相談して、今後の進路を考えて北高に行くと決めてからは、勉強できるようになりました。

周りの人のおかげでここまでこれた。
自分一人の力では今の自分はいない。

彦根東高校 合格
多賀 泰斗
彦根校
彦根中央中学校

私は中学1年生の学年末テストの結果がとても良いと言えるものではなく、定期テストの点数は横ばいどころか下がり続けている状態だった。けれども、自分自身あまり気にしておらず、こんなもんだと思っていた。そんな私を見かねて母が塾を探し始め、志門塾を見つけてきてくれ、体験授業に行くことになった。正直、行くのを悩んだが、私はこんなものではないと思うところもあり、騙されたと思って行くことにした。行った結果、授業は楽しいし、何よりも自分に力がついていくのを実感できた。結果、定期テストの点数は大幅に上がり、志門塾ならまだまだ伸びるのではと思い、入塾することを決めた。

中学3年生になっても受験が近づいているという実感はあまりなかった。受験を強烈に実感したのは、お盆特講に参加したときだった。お盆特講では毎朝テストがあり、その日の終わりに順位発表があった。このテストはまさに戦いだった。こんなにすごい人もいるのかと驚く一方で、勝ちたいという競争心が生まれ、燃えた。校舎内や学校内の友達との競争とは違う、初めて会った人たちと競争するという体験ができ、入試に近い体験ができたと思う。この経験のおかげで、入試本番でも緊張しすぎることはなかったんだと思う。

事実、入試が近づいてきてもそこまで焦りや不安は感じなかった。むしろ今までやってきたことをぶつければいいんだと思えていて、逆に楽しめていたようにも思う。入試当日、目立って変わったことをするわけでもなく、緊張しすぎることもなく入試を受け、案外こんなものかと思っていたくらいだ。これは今までに自分一人ではやらなかった勉強量をやってきたから感じられるのだろうと思った。

とはいえ、合格発表で自分の番号を確認したときはやはり嬉しく、安心した。

入試を通じて得られたのは安心感だけでなく、たくさんの教訓を得られた。1つ目に、努力を惜しんではいけないということ。努力したことがそのまま入試につながるから。2つ目は不安や悩みは親しい人に話すこと。何をしていても人には不安や不満がたまるものなので、人に話して気持ちを楽にすることはプラスに働く。3つ目に、結果に一喜一憂しすぎないこと。自分の出した結果から反省すべきところは反省し、次にいかせばいい。挙げればキリがないが、将来にも役立つことを得ることができた。

努力をするのは自分で、入試を受けるのも自分だ。しかし、両親や塾や学校の先生などの協力なくして合格することはできない。特に私の場合は塾の先生方に大変お世話になった。それに塾で一緒に勉強する友達の存在も大切だと思う。競争することで、一人のときよりも得られることは多いからだ。

どんな倍率になろうとも絶対に気を抜かないということを最も大切にしてきた。

翔西館高校 合格
佐々木 花音
彦根校
彦根中央中学校

私が志門塾に通うようになって驚いたことが2つある。1つ目は、授業の多さと宿題だ。週3日で毎回行われる英単語テスト、数学や英語のプリント。以前通っていた塾と比べ、とても多かったので驚いた。2つ目は、毎週土曜日に行う高校入試対策講習。自分の苦手なことがぷかぷかと浮かび上がり、焦りと驚きが毎回私の心をズタボロにした。しかし、これら2つが私を変えてくれたきっかけでもある。1つ目の授業と宿題では、なにもしない時間の焦りやどうしようもない悩みなどをおさえてくれ、親とのけんかが減った。そのことで気持ちの面でも楽になれた。それと、あまりテスト前の緊張をしなくなった。それが一番私を変えてくれただろう。日に日に入試が近づくにつれ、どんどん増えていく合格祈願のお守り達からのプレッシャーを、どんどん読めるようになっていく英語の長文、数学の問題の解き方がわかったときの喜びが消し去ってくれた。それが私の自信をつくってくれたように思う。

そして、公立高校入試の3週間前に突然、私の心に火がついた。今のままではダメだと思ったんだろう。それからひたすら社会や理科の単語を覚えた。毎週土曜日が私にとって勝負の日となった。わからなかった問題はしょうがないと思えたが、ケアレスミスだけがとても腹立たしかった。こう思うようになったのも志門塾に通ったおかげだ。

入試までの残り日数が手で数えられるようになった頃、周りの友達の顔は暗かった。志望校の最終倍率が出て、受験者の人数が定員ぴったりだとわかったとき、同じ高校を受ける友達には当然喜んでいる人もいた。しかし、私の表情は変わらなかった。どんな倍率になろうとも絶対に気を抜かないということを最も大切にしてきたからだ。

そして迎えた入試当日。入試が始まる前は少し焦ったが気持ちをうまく切り替えられた。そう、やってやるって。相当集中していたのではないだろうか、入試はすぐに終わった。ただ、合格発表までがとても長く感じた。合格発表の日、先に発表を見た友達がみんな笑顔だったので、もし私だけ番号がなかったらどうしようと、とても不安だった。掲示板のそばに行って、自分の番号を確認すると、「…あった、え?あった!…」頭の中がその言葉でいっぱいになった。とても嬉しかった。

志門塾の先生方、家族のみんな、本当にありがとうございました。私は勝ったよ。

志望校に合格するために、私は3つのことを続けていました。

米原高校 合格
右川 雅結
近江校
米原中学校

私はこの1年間、受験勉強を真剣に取り組みました。そして、2月に行われた特色選抜で米原高等学校に合格することができました。

私は志望校に合格するため、主に3つのことを行ってきました。

1つ目は、何があってもどれだけ疲れていても毎日勉強を続けることです。これを始めたきっかけは、吹奏楽部でよく言われる、「1日さぼったら3日やっていないのと同じ」ということを思い出し、勉強にも同じことが言えると思ったからです。そして、毎日勉強していくと、覚えられるだけではなく、「楽しい」という気持ちが出てくるようになりました。

2つ目は、趣味との両立です。よく、受験生だから趣味のことをしたらいけないという人がいます。(そのような人を否定するわけではないですが…)私は、毎日推しにパワーをもらいながら乗り越えました。「今日の勉強・塾をやり終えたら、今日の更新を見ることができるから頑張る。」という気持ちで毎日過ごしていました。また、受験が終わったらやりたいことなどを考え、何があっても特色で合格を勝ち取ろうという気合いでも乗り越えました。

3つ目は、毎回の定期テストや模試の結果を受け止め、間違えた所をすべて見直し、得意に変えていくことです。また、毎回の塾の模試で、偏差値や順位が上がっていくのを確認し、自信に変えていきました。

これらのことと、家族・塾の先生・学校の先生の支えと応援があり、無事に合格できたと思います。担任の先生から特色選抜で受かったと聞いた時、本当に受かったのかという不安と、喜びが混ざり合いました。ですが、高校からの入学許可証を手にした時は、本当に受かったんだなととてもうれしくなりました。

4月からは、高校生としての自覚を持ち、何事にもチャレンジしていきたいと思います。また、勉強の内容も難しくなるので、春休みのうちに中学校の復習と高校の先取りを行っていきたいです。