岐阜学区

岐阜高校 合格
滝本 優南
穂積校
穂積北中学校

感謝の気持ちでいっぱいのすばらしい一年。

 心臓が飛び出しそうなくらいのドキドキと不安の中で、母と岐阜高校に向かった。そして、プロムナードに貼られているたくさんの番号の中で見つけた私の受検番号。あの時の驚きと喜びと感動は、今でも鮮明に頭に残っている。
 私がこの志門塾に入塾したのは、中学3年生の4月8日だった。私はこの14年間、塾というものに入ったことがなかったが、小学2年生の時から岐阜高校に行きたいという夢を持っていた。当時は受験のつらさや、岐阜高校の良さもわかっていなかった。ただ、レベルの高さだけに憧れを持っていた。それから7年。中3になって、初めて岐阜高校の見学に行った。美しい長良川の近くで、ガラス張りの多いあの校舎、そして、いきいきとした先輩たちを見て、ちゃんと岐阜高校に行きたいと思えた。しかし、今までずっと勉強をさぼってきた私には、手の届かない高校だった。テストでは、一度も450点を超えたことがなく、第2回岐阜模試の数学は、30点ぐらいだった。岐阜高校を目指している子はたくさんいるのに、こんな点数のままでは合格するはずがないと思い、夏休みは必死に勉強した。ほとんど毎日塾へ行き、総復習をした。特に苦手だった数学は何度も演習した。
 そして、お盆特別合宿。107人という限られた人数だったため、岐阜高校を志望している人がたくさんいた。クラス分けでは、私は下のクラスだった。岐阜高校を志望しているのに、下のクラスだったことはとても恥ずかしく、悔しかった。その気持ちと、合宿費を出して参加させてくれた母のためを思って、6日間、必死に勉強した。朝は4時に起きて、誰よりも早く自習室で勉強した。そのこともあって合宿では、良い結果を残せた。この合宿で出会った他の校舎の岐阜高校を志望している子との関わりを通して、もっと頑張らなければという刺激を受けた。また、先生方が涙を流して語ってくれた体験談を通して、受験は自分だけのものじゃないことを学んだ。
 夏休み後も頑張ろうと思ったが、学校行事や学級委員の仕事の疲れで、塾へ行かず、寝てしまう日が多くなった。最後の岐阜模試も430点すらなかった。自分への怒りと焦りから、少し情緒不安定になった。そんな時、支えてくれたのが母と先生たちだった。夜遅くなっても迎えに来て、いつも励ましてくれた母。塾へ行けばいつも笑顔にしてくれる先生たち。周りの人の支えがあったからこそ、受験は自分だけのものじゃないことを思い出し、頑張ることができた。
 そして、入試プレテスト。わずか2週間の追い込みで初めて450点を超えることができた。嬉しいという気持ちはあったが、悔しい気持ちもあった。それは、ケアレスミスが多かったからである。どんなに力はあってもミスが多ければ、わからないことと同じになってしまう。ケアレスミスが多かった私は、母を不安にさせてしまった。その時、助けてくれたのは先生だった。ミスをしないポイントを教えてもらい、演習を一緒にやってくれて勇気も出たし、力もついた。その後も多くの人に支えられながら全力で走り続けた。入試直前にもらった先生の色紙を見て涙が出てきた。今までの頑張りは、常に志門塾の中だった。学力の支えだけでなく、心の支えまでもしてくれた志門塾に入って本当に良かったと心から思った。
 入試当日。岐阜高校の門には、志門塾の先生がたくさんいた。そして先生たちと笑顔で握手をし、会場に向かった。それまで氷のようにガチガチだった心が、溶けていくようだった。会場には、見たことがある志門塾生がたくさんいて、全く緊張しなかった。だから、自分の全力を出すことができた。この安心感も、自分が志門生だからだと思った。しかし、問題は難しく感じ、自己採点をしてとても不安になった。考えれば考えるほど苦しくなって、落ちたと思った。発表までの1週間、私は母と先生に謝る言葉を探していた。
 発表当日。見たくなかったが、掲示板を見たら、確かに自分の番号があった。驚き、喜び、感動という様々な気持ちがあったが、一番大きかったのは感謝の気持ちだった。ずっと私を支えてくれて、合格を自分のことのように喜んでくれた母と先生。私1人では決してつかむことのできなかった栄光。苦しいことはいっぱいあった。あきらめかけたことも何度もあった。それでも前を見て走り続けたからこの幸せがあると思った。
 これから受験をするみなさん、点数が伸びない時期があっても大丈夫。きっと頑張れる。つまずいた問題こそ、未来を切り開くひとつの扉だから。努力を続けるのは簡単ではないが、感謝の気持ちがあれば前へ進める。すぐそこにある栄光を信じて頑張れ。

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岐阜高校 合格
後藤 拓実
茜部校
加納中学校

目標を定めることの意義。

 まだ色々と実感が湧かず、ここに何を書いて良いかも分からないが、高校受験を通して自分が感じたことは、「学習の為の学習」ではなく「自分の為の学習」をすべき、という事である。
 まあ訳の分からん事を書かずに直訳すると、より質の高い学習をすることが大切という事だ。当たり前かも知れないが、どんな学習が効果的なのかというのは一人一人違うのだから、自分に適した学習環境を整えるのは案外難しい。自分の受験勉強は、自分に合った勉強法を模索する所から始まった。
 しかし、なかなか見つからないものである。夏までに自分が取り組んでいたのは、単純暗記くらいのものであった。「学習の為の学習」と冒頭で述べたが、まさしく自分の勉強法はそれだったと思う。「勉強した」という自己満足しか得られない。それでいて、大して勉強に時間を割いていた訳でもなかった。
 自分の一つの転機となったのはお盆特訓だった。自分が苦手分野に全くついていけない。周囲には頭の良いライバル。この時点で自分は「苦手対策をすべきだ」とようやく認識した。
 お盆特訓を通して、自分に足りないものをもう一つ見つけた。自覚である。受験生であるという自覚が圧倒的に足りていなかった。周囲は既に部活も終わり勉強モードであった。その環境に、実際に自分を置いたことで、ようやく自分を奮い立たせるに至った。
 学校で務めていた生徒会の仕事が終わり、まず最初に取り組んだことは、既出の通り苦手対策だった。苦手を見つける際も、対策をする際も、塾という環境はとても有り難いものだった。資料がとにかく豊富で、先生方のアドバイスも的確なのだ。秋が深まるにつれて、自分の為の勉強を、少しずつするようになった。また、この時期から、毎日自習室に通う様になった。同じ部活だった仲間が毎日長時間学習するのを見て、負けないようにという心構えになった。こうして考えると、自分は随分周囲に影響され、支えられたように思う。
 やがて、志望校選択の時期に差し掛かった。この時点で僕は、志望校を決め切れていなかった。夏の見学会で魅力に感じた岐阜高校は、圧倒的に高い目標であった。模試で400点を割っていた自分が入るなんて雲を掴む様な話だ、身分不相応だと自信を失くしていた。そんな時に、父からこんな言葉を貰った。「不合格でも良いから、行きたい所を受けろ」と。この言葉によって、自分の中で決心がついた。自分にとっては高い所にあるが、はっきりした目標を定めることができた。
 目標を定めることで、自分の中で変わる部分はあったと思う。目標があれば、そこに向かって努力できる。より学習に意欲的に取り組むようになった。それまで行ってきた苦手対策も含め、実践的な学習を取り入れた。そして、テストの数字も良くなってきた。目標があるだけで心構えも違い、心の持ち方次第でここまで中身の濃い学習が出来るのか、と思った。
 受験勉強には精神的な要素も重要になってくる。その点で、目標を持ったこと以外に、私立高校の特待を取れたことは大きかったと思う。受験に臨む上で、大きな自信となったからだ。先生にも「順当に行けば受かる」と声を掛けて頂き、これも自信になった。入試前は不安になり、しばしば情緒不安定になったが、先に述べた自信や目標があったからこそ、前を向くしかないと割り切ることができた。この頃には、勉強は苦ではなく楽しいものになっていた。問題集や過去問が豊富に揃っている環境だからこそ、多くの問題に触れることも出来た。
 受験当日は、あまり緊張していなかった気もするが、それ以外の記憶がないので、結局緊張していたのだろう。1週間後、「73番」はそこにあった。
 紆余曲折を経た中で、自分の為になる勉強をするには環境を如何に整えるかが大切かを実感できた。その上で、志門塾という環境は、とても頼れるものだった。自習室に来ると、何故か集中できる。変なガスでも撒かれてるんじゃ無かろうかと思うくらいだ。先生方も、親身にサポートをして下さった。茜部の校舎、細田先生、不破先生、加藤先生、授業して下さった多くの先生方には、感謝の思いしかない。また、毎晩送迎してくれた母、多くの言葉を掛けてくれた父にも、感謝している。過去の先輩方が何故こんなに感謝の言葉を残しているのか、その身になって解った気がする。自分としては、より高い場所を目指し努力し続け、最終的に実りある人生を手に入れることで恩返しとしたいし、ここで得たプロセスを無駄にしないようにしたいと思う。

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岐阜高校 合格
谷藤 拓海
長森校
長森中学校

思い出作れるレベルの受験生生活。

 僕が初めて志門塾長森校に来たのは、中学3年の6月の下旬。1学期末テストが過去最低の点数で、危機感を抱き、夏期講習の説明を聞きに来た。僕は最初、その夏期講習の日程を聞いた時、冗談だろと思った。週7日で、1日朝の8時30分から夜の10時まで。その勉強時間に驚いた。しかし同時に楽しみでもあった。勉強づくしの夏休みを過ごしたことはなく、どんな生活になるのか予想がつかなかったからだ。今までとは違う理由で夏休みが待ち遠しくなった。夏休みの間たった1ヶ月ほどでも、各教科の勉強の仕方や間違えた問題の直しを行う大切さ、反復して解くことの大切さなど数多く学べたし、先生達の生徒に対する真剣な姿勢を実感できた。僕には2学期末テストで過去最高点を採るという目標が、理由の1つとしてあったので尾関先生に夏期講習以降も長森校で一緒に勉強したいと誘われた時に迷いはなかった。しかし父が、僕が塾に入ることには賛成ではなかったため、自分の気持ちは決まっていても、なかなか入塾することは決められなかった。母の協力もあり、父を説得し僕は塾に入ることができた。
 テスト期間中は夜11時までとなり、勉強時間が長くなった。僕は塾に行く前ではなく、いつも帰った後に夕飯を食べていた。帰る時間が遅くなっても母は待っていてくれて夕飯を準備してくれた。父も僕の体調を気にかけてくれた。中学3年の2学期末テストは、3年間で最も重要なテストになるので、自習室のピリッとした緊張感のある空気がいつも以上に強くなっていた。それもあって僕の集中力もいつも以上だった。テスト範囲を徹底的に勉強した結果、2学期末テストで過去最高点を採ることができた。とても嬉しかった。期末テストで満足のいく結果が出たのは初めてだったし、先生達から教わったことの成果を出せたことと、親の期待に応えられたことが何よりも嬉しかった。
 12月頃からは、いよいよ入試のための勉強が始まった。僕は最初、岐阜北高校を志望していた。岐阜高校に挑戦するには自分の得点力に自信がなかったし、夏休みの高校見学で岐阜北高校を見に行き、きれいで雰囲気の良い学校だと思ったからだ。しかし、冬休みに岐阜高校を見に行ったとき、岐阜北高校との違いに驚いた。校舎も、グラウンドやテニスコートも、存在感や迫力も全て岐阜北高校を上回っていた。最終的に僕は岐阜高校に行こうと決めた。その後行われた岐阜模試で思いどおりの結果が出なかった時があったけれど、1問1答を作り、苦手を克服した。岐阜高校に行きたい気持ちが強くなってきたから、志望校を下げることはしたくなかった。入試前も、塾は夜遅くまでだったが、母は待っていてくれた。両親から勉強のしすぎじゃないかと心配されたり、注意されたりした時もあった。でも仲間がそれぞれの志望校に向けて一生懸命努力している最中に、自分だけ頑張るのを止めることはできなかった。僕は勉強は好きではなく、強い気持ちで勉強できない時もあったけれど、掲示物の言葉や先生との会話で、どうして岐阜高校を受けたいのかをもう一度考え直し、勉強を続けていくことができた。この塾に入らなければ、仲間と共に努力する受験なんてできなかっただろうし、こうして受験体験記を書いて、形にして残すこともできなかったと思う。この受験が素晴らしいものになったのは勉強しやすい環境を作ってくれた先生方、支えてくれた父と母、共に歩んできてくれた仲間のおかげです。それをしばしば忘れ、限界を決めて努力をしない時が何回もあった。今では、その無駄だった時間をもっと勉強に使えばよかったと思う。今まで学んだことを高校でもしっかりいかせるようにしたい。80歳になっても覚えているかという話に関して、僕は断言できます。覚えているでしょうね。僕にとってこの受験が思い出の1つになることは間違いありません。この経験が大切なものであったことを忘れないでいたいです。ありがとうございました。

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岐阜高校 合格
渡邊 旭希
島校
島中学校

周りの当たり前のような丸の音が、悔しかった。

 私は、志門塾で3年間勉強できて良かったです。最初は、塾が嫌いでした。部活が忙しくて疲れていたり、仲の良い友達がいなくて塾のある日は憂うつでした。2年生になって友達が入っても、やっぱり塾で勉強するのはめんどくさくて、何度もやめたいと思いました。だけど3年生の夏頃からは、私にとって塾はなくてはならないものになりました。私はその頃まで志望校が決まっていなくて、ただなんとなく勉強をしていました。岐阜高校に行きたいと強く思ったきっかけは、高校見学と合宿です。高校見学で初めて岐阜高校に行きました。行ってみて、雰囲気の良さにビックリして、直感的に私はここで勉強したいと思いました。合宿は、私にとってとても貴重な体験でした。周りは自分よりもできる子ばかりで、自分はなかなか丸がつかないのに、周りからは当たり前のように丸の音が聞こえるのが悔しかったです。また、たくさんの友達をつくることができて、その子たちと一緒の高校に行って、一緒に勉強したいと強く思えました。長い期間で辛かったけど、先生方や友達のおかげで楽しい合宿になりました。しっかりとした目標を持てたことで、夏休みは頑張り切ることができました。夏休みが終わってからも毎日自習室に通いました。だけど岐阜模試の点数は大きく変わらず、他の子たちが、どんどん点数を上げて迫ってくるのが怖かったし、あせりを感じていました。だけど毎日自習室には通い続けました。自習室に来ると、私よりも早くに来て一生懸命勉強している人がいて、良い刺激になりました。学校ではそんな刺激を受けることはできないので、塾があって良かったです。いつの間にか毎日塾に行くのが当たり前で、家にいる時間よりも塾にいる時間のほうが長いくらいでした。最後の最後まで大丈夫と言われていても、不安しかありませんでした。だけど面談して良い勉強法を考えてくださったり、意味の分からないような質問にもとことんつきあってくださった先生方のおかげで、受験当日は落ちついて臨むことができました。3年間送り迎えをしてくれた母にもとても感謝しています。夏休み頃からは送り迎えが毎日続いて、夜も遅くて大変だったと思います。それなのに私は、ストレスなどから文句を言ったりしたことも数えきれないほどありました。本当に申し訳ないです。合格できたのは、母のおかげです。きちんと感謝の気持ちを伝えたいです。この受験で私は、頑張りきること、周りの人に感謝することができました。このことの大切さを教えてくれたのも志門塾です。この3年間で学んだことを忘れずに、これからも頑張り続けていきたいです。

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岐阜高校 合格
野村 朋加
トップレベル選抜・岐阜
本荘中学校

自分を変えるチャンスをくれた高校入試。

 高校入試は、つらくて不安だらけだった。でも、自分を変えるチャンスをくれたとも思う。
 私は、選抜コースに所属させてもらっていたけど、学力はだんとつビリだった。教えられたことを素直に実行出来ず、考えて勉強するのではなく、暗記する感覚で勉強していた。そのことを知りながら、中3になった。でも、「大丈夫。受かる。」と思う自分がいた。それは、部活動や習ってきたスポーツで、一心不乱にやらなくても何となくうまくいっていたからだと思う。自分の考えの甘さを実感したのは、滝高校に落ちてからだった。夏頃までは、「無理だから、受けない。難しいから勉強したくない。」と思い、勉強をちゃんとやっていなかった。しかし周りの子が本気で難関の特別授業を受け、受かろうとする姿を見て、私も受かりたいと思った。でも、やりきったという感覚がないまま入試をむかえた。落ちた時の自分への嫌気さと悔しさは、今まで感じたことがなかった。そこから、本気で岐高に受かりたいと思った。二度とこんな悔しくて、やるせない思いはしたくなかった。公立も落ちたら、耐えられる自信がなかった。しかし、学力が急激に上がるはずもなく、合格確率は20%と言われた。さらに、プレテストでは430点で岐高にこだわる必要はないと思うようになった。でも、岐高の生活以外想像出来なかった。プレテストの翌日、お母さんが澤田先生との懇談をお願いしてくれた。その時、私は岐高を受けることを選択し、変更しないと決めた。澤田先生は、11時半まで補習すると言ってくれた。すごい嬉しかった。だから、入試まで2週間やりきると決め、最初の1週間は家に帰ってから2時頃まで勉強した。でも、苦じゃなかった。勉強していると、安心して、気持ちを落ち着かせることが出来た。絶対に受かりたかった。入試の1日前は、緊張と不安で落ち着かなかった。だから、朝泣いてしまった。その時加納先生が話をしてくれた。やるしかないと思った。志門塾の先生に、いい報告がしたかった。当日は、澤田先生に言われたことを実行した。問題用紙の上に「よめ」と書くこと。このことを考えていたら、思ったより緊張せずに、問題が解けた。自己採点では448点。微妙だった。だから、その後塾へ行った。先生の話のおかげで気持ちを落ち着かせて、発表まで過ごせた。発表当日。少し遅れたため、人がいっぱいでなかなか自分の番号が見つからなかった。私は92だった。下の方に90が見えた。不安で力が抜けそうだった。ないと思った。その時お母さんが、「あった。」と叫んだ。一瞬、理解出来なかった。夢かと思った。涙が止まらなかった。
 でも、決して私だけの力で合格させてもらったとは思わない。最後の最後まで、私を救ってくれた澤田先生と加納先生、応援の声をかけてくれた校舎の先生、私を信じて挑戦させてくれた両親のおかげだと思う。だから、私は入試を乗り越えられた。「ありがとう」を何回言っても足りないぐらい、私は周りの人に助けられた。これは、私が志望校を変えず、不安に押し潰されそうだったけど、やりきったからだと思う。楽になることを選択しなくてよかった。私は、今までにない感動を味わせてもらえた。だからこそ、これからの高校生活で「難しいから、勉強しない。」という選択肢をつくったらいけないと思う。自分が出来ることを、コツコツやっていきたい。
 高校入試は、周りに恵まれていることを教えてくれた。でも、このことを知れたのは志門塾だったからだと思う。志門塾で良かった。選抜コースにいれて幸せだった。本当にありがとうございました。

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岐阜高校 合格
田島 怜一郎
岐阜本部校43
岐阜中央中学校

努力の意味を教えられた。

 第1志望高校合格までの道のりは、とても長いようで、短いものだったと思います。
 私は中学校入学時から、ただ漠然と、第1志望校は岐阜高校だと考えていました。しかし、3年生になるまでは、ある程度の勉強量で、ある程度の点数をとっているだけでした。3年生になり、岐阜模試を受験したとき、自分の位置がわかり、それを勉強の励みにしました。そして、夏期講習から、岐阜本部校生として志門塾で学び始めました。そのときが初めて自分が受験生であることを、本当の意味で理解した瞬間だと思います。しかし、私はまだ、受験までに残された時間が長いと考え、勉強に集中しきれていませんでした。特に夏休みは研究をしていて、それとの両立が上手くできていなかったと思います。研究で賞がとれたことに喜び、その後の体育大会などの行事で生徒会の仕事を優先している間に、できる時間があったのに勉強をしなかったことが、悔まれます。研究をしたり、学校行事に参加したりしても、勉強との両立はできます。それができなかったのは、自分に対して甘かったからだと思います。点数は、若干のタイムラグをもって、下がり始め、秋の岐阜模試で初めて100位以下になり、大きな屈辱を感じました。これは、自分にとってとても大きな意味のある、今思えばプレゼントのようなものでした。それまで、自分はある程度の努力である程度のものを得ることしかせず、本当の意味での努力をしたことがなかったと思います。神様に、努力の意味を教えられた気分です。
 結果がわかった次の日から、毎日のように自習室に通い、完全に勉強に集中できる環境で、勉強をしました。それにどれほどの効果があり、受験までに点数を上げられるか不安でしたが、塾の先生や周囲の友人の言葉に何度も救われました。特に、加納先生や武藤先生には、不安を勉強への意欲に変えてくれたという意味でお世話になりました。
 その結果、次の岐阜模試では再び100位以内に入り、努力が報われるときの喜びを感じました。少し浮かれそうになったとき、澤田先生が厳しく指導してくださったおかげで気があまりゆるまず、受験に対して向き合えたと思います。
 また、理科は一番点が取れる教科で、しかし、90点付近で点数が停滞していました。そんな理科の勉強の励みになったのは、島尻先生の言葉でした。週に1度会えるかどうかという先生でしたが、「100点取らな、100点。」という言葉から、高い点数へのこだわりが生まれ、プレテストでは100点を取ることができました。
 そして当日、校門で交わした澤田先生との固い握手は忘れられません。そのとき、今までの1年間が思い出されて、夏の頃の自分と、今の自分とは違うと思えました。傍島先生が「問題文読めよ。」と言ったことも、しっかり自分のことを見てくれている安心感から、自然と笑顔になりました。
 自己採点が予想より低く、不安だった受験後でしたが、合格という結果が、本当にうれしいです。
 思い返すと、私の側にはいつも誰か支えてくれる人がいて、その方々のおかげで、私は成長できました。また、努力をしたのは何よりも自分なので、特に秋を過ぎてからの勉強では、自信がつきました。そして何より、自分の努力を支え、いつも私を心配してくれた両親にも感謝しています。人は1人で生きているのではないという言葉を実感しました。友人、塾の先生、両親など、私を支えてくれた人に、感謝の念を伝えたいです。本当にありがとうございました。

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加納高校 合格
野々垣 雄太
北方校
北方中学校

この受験で得たもの。

 入試当日、僕はとても緊張した。周りを見るのが怖く震えが止まらなかった。でも今まで志門塾で3年間精一杯勉強してきたという自信や、そこで得たことが僕の支えになった。
 小学校6年生の後半、僕は中学準備講座を受けるため志門塾に入った。その頃の僕は勉強というものに全く関心がなく、テストで悪い点数を取ってもなんとも思わなかった。もちろん統一テストを受け結果をもらった時も、難しかったという事を理由にしてそのテスト結果を水に流した。
 その後、中学校に入学した。中学生活を楽しむ中で、週3回ある授業を受ける日々を送っていた。何も気にせずに通っていた塾の授業の成果を実感したのは、中学校で最初となる前期中間テストだった。小学校の時、自分とは天と地の差を感じる人と点数が並んだ。1教科ずつ毎時間返される度に自分の中で不思議な気持ちが生まれた。自分はそのテストの返却で有頂天になっていた。そのためテスト期間中の毎日の日々がなかったようにまた遊び始めた。その後、テスト3週間前からテスト対策が始まるのと同時にテスト勉強を始めるという一定期間で詰め込んで吐き出すという勉強法を1年間続けた。もちろん、それは一定期間だけの学力であり、統一テストでは少し上がることはあったけど、ほとんど横ばいだった。
 2年生に入り学校で生徒会に入ったこともあり、少し勉強がおろそかになった。統一テストも下がることもあり少しずつ自分の中で危機感が生まれた。そんな中で親が心配して声をかけてくれた。その後、生徒会の仕事と勉強を両立することができた。統一テストでも得意教科が生まれた。その頃から親の送迎に感謝するようになり、姉の言葉も自分のための言葉なんだと強く思うようになった。
 そんな思いを抱くようになり3年生に入った。第1回岐阜模試も結果を残すことができた。前期中間テストでも過去最高の点数で勉強量にも満足していた。しかし、その後の岐阜模試で下がりとてもショックだった。悔しくてしかたなかった。その後、校舎長などの言葉が大きな助けになった。そのまま入試まで頑張れた。
 この高校入試で、そして志門塾で得たものは、「感謝」「人からの支え」だったと思う。もっとたくさんあるのかもしれないが、今は合格したことの嬉しさよりもその気持ちが大きい。高校入試への取り組みを通して、人ってこんなに気持ちが変われるものなのかと感じている。両親・志門塾の山上先生や水木先生、そして友達の存在があったからこそ、なかなか思うように成果が上がらなかったときや気持ちが後ろを向いていたときも、前に進むことができたのだと思う。きっとこの先も「感謝する心」を忘れずに進んでいける自分でいられる。それを教えてもらったのが今回の受験でした。

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岐阜北高校 合格
志水 雅功
羽島東校
中島中学校

受験よ、ありがとう。

 私は、中学3年生になってから、この志門塾へ入学しました。1、2年生のテストの結果が思うようにいかず、内申も30を切ってしまったのが、入塾するきっかけとなりました。入塾してすぐにこの塾の凄さを身にしみて感じました。テストではしだいに点数があがり、過去最高得点をとることができたし、100点の答案も作ることができました。そうなれば当然、勉強が楽しくなって成績も急激に上がりました。そう思って勉強をすることを楽しんでいるうちに、「なぜ志門塾はここまで人を変えることができるのだろう。」と私は疑問に思いました。その答えを知ることになったのは、総塾長、成瀬先生の話を聞いたときでした。「志門塾は、ひとりひとりの人格形成を目指して教えているんだ。」、「天から与えられた試練をありがたいと思って取り組む姿が大切だ。」という話を聞いたときに私は「これだっ!!」と思い、体中に電撃をくらったように感じました。成瀬先生の話を聞く機会は何度かあったけれど、その度に私は、新鮮な気持ちになることができました。私はこの話を軸として勉強に取り組んできたのですが、受験勉強を進めていく上でもうひとつ支えとなったのが、私が通っていた校舎の校舎長でもある小川先生です。もし私が、小川先生と出会っていなければ、私は何の目標もなく、流れに身を任せるだけの人間になっていただろうと思います。私がこれらの事から伝えたいのは、出会いを大切にしてほしいという事です。先生や、同じクラスの仲間との出会いが受験に大きく作用すると思います。自分とは関係していないような言葉や人との出会いが、後から大きな力や支えになります。それを大切にすることができたからこそ、私は志望校へ合格することができたのだと思います。最後にひと言、志門塾は、私に「人格」という指紋を与えてくれました。

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岐阜高校 合格
山口 千尋
RESPECT長良
東長良中学校

自分のためだけじゃない。

 志門塾を通して得たこと、それは「合格」ではなく、「生き方」だと受験を終えた今、私が一番強く思うことである。
 私が小学校5年生くらいの頃、「岐阜高校・岐阜北高校を目指す校舎」というのに高校など何も知らなかった私だが、自らこの校舎で勉強したいと両親を説得したことを今でもよく覚えている。中学校に入学すると、勉強と部活の両立の大変さ、勉強の難しさを痛感した。しかし、入塾時からの目標「岐高合格」が私の原動力であった。自分で言うのも恥ずかしいが、小学校の頃は学校からそのままランドセルで塾に行ったり、中学校1・2年の頃は授業がない時は自習室、部活に行く前や帰りにも自習室とみんなよりちょっとは、頑張っていた気がする。中学校3年に進級して、いよいよ受験生なんだという思いはあるものの想像がつかず、いつも通りの自分に不安になる日もあった。お盆特別合宿は、私を強くさせた。校舎の外に一歩出ると、見知らぬ同じ高校を目指すライバルや自分にはとうていかなわない、圧倒的な学力の持ち主に驚いた。「もっとやらないといけない」「一緒に高校に行きたい」と思うようになった。でも、学校の定期テストや岐阜模試では受験するごとに落ちていく点数を見て、ようやく自分の実力を思いしらされた。私はやってもムダなのか。天才には勝てないのか、と。第4回の岐阜模試も、第5回も、第6回もテストが返される度に泣いた。友達にバレるのが嫌で、両親にバレるのが嫌で暗い自分の部屋のベッドで泣いた。効率が悪いのか、やってもやっても点数と結びつかないとはこんなにも辛いとは思わなかった。私の心が折れる寸前のとき、いつも私を察してくれるのは、校舎長の岩本先生だった。先生は頑張っている時は素直に私をほめてくれて、それが嬉しくて自習室に通い続けたことも理由の一つにあったかもしれない。模試の結果を見て落ちこんでいる私を気にかけて、懇談をしてくれる先生。結果はまだついてきてないけど、私の努力を認め「絶対通してやる。」という先生の言葉を信じて、これまでやってきて本当に良かったと思う。私立高校入試当日、意外と冷静だった自分に少し不安を感じたが、初めての試験に落ち着いて取り組めた。この時期になると、周りの仲間もいよいよラストスパートに磨きをかけ始め自習室に入ると、ぴりっとするような、いい雰囲気があった。岩本先生がよく口にする、「受験は団体戦。全員で受かるんや」をみんなが胸に刻み、お互いを想って勉強に励んだ証だろう。そんな時なのに、なぜか心がもやもやして勉強したくない日もあった。よし、やろうと思っても集中時間はわずか3秒のときもあった。なんとなく身が入らなくても、いつも通り塾に足を運べば昼食・夕食の2食を持ち、一生懸命机に向かう仲間の背中があった。辛いときほど、上を向いて何とか涙がこぼれぬように必死だった。小学校のときからずっと一緒に頑張ってきた仲間の存在とは、結構大きいものである。どんな時でも私を1番に考え、応援してくれた大切な家族。送迎の車内の中で、不安におしつぶされそうな私に口数少ない父がかけてくれた言葉の数々。毎日2食のお弁当を作り、誰よりも自分事のように心配し、私を優しく包みこんでくれる温かい母。早く塾に行きたくて走って帰る私を思って、荷物をもとうと学校の下校時に自転車で迎えに来てくれた弟。家族が一つになって、私の受験を応援してくれるのが嬉しくて胸が痛かった。家族だけでなく、祖父母や近所の人、先輩や後輩までもが思っていてくれることに気づいた。自分のためだけじゃない。目標に向かってとことん努力している姿を見せれば周りの人を幸せにできる。そう思って、可能性を信じて走り続けた。『才能がないなら、量かスピードで勝負せよ。』入試まで残り1か月を切った頃には、悔しくても泣いている暇はなくそんな時間があったら1分でも勉強しようと励んだ。願書もばっちり書いての変更期間。定員の多さに声が出なかった。またもや不安の波がおしよせた。自分では結論が出せそうになかったので岩本先生に懇談をお願いした。先生の言葉は、決して軽くはないが私をぐっと押してくれた。自分の恥を捨て全てを語ってくれた先生に比べたら、なんて自分は小さいのだろうと思った。何度も迷いこむ私を見捨てず最後まで信じてくれた先生。お父さんみたいな存在の先生のためにも絶対に合格してやると決意し、前に突き進んだ。入試当日、根拠もないのになぜか自信満々だった。朝から先生を見れてホッとしたまま、会場に向かうことができた。合格発表当日、自分を信じてその時を待った。1番上のぱっと見やすい位置にあった。自然と目頭が熱くなった。
 私は、志門塾を通して得るべきものは「合格」ではないと思う。いつでも何回でも私が本当に理解するまで教えてくれる校舎の先生方。受験を通して分かる友のありがたさ、家族の存在。自分だけじゃない。周りの人を幸せにするという生き方を教わりました。生徒と正面から向きあい、厳しさの中に優しさがある志門塾は私の誇りです。成瀬先生のお言葉『合格以上のものを手に入れる。』がちょっぴり分かった気がします。

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岐阜北高校 合格
松井 清花
七郷校
島中学校

すぐに七郷校が第2の家のようになっていた。

 私は3年生の12月に志門塾の合否判定テストの広告を見て七郷校にはじめて入りました。その時は志望校を書くのに自信がなく、ためらいながら書いて先生に提出しました。採点をすぐに終わらせて下さり、私と母は受けた日のうちに面談をしてもらいました。このテストの結果は予想以上に悪く、私の第1志望である岐阜北高校の判定はDで再考圏でした。それを見たとき先生には「志望校は下げるしかないですよ。」と言われる覚悟をしました。でも先生はそんなこと言いませんでした。問題を見ながら私のどこがいけないのか分析して、真剣に私と向き合って下さいました。そこで私は父に「志門塾に通って頑張りたいです。」と頼みました。父が苦労して仕事をしたお金を自分の勉強に使ってもらうから、私も絶対にやり切ろうと心に決めていました。
 しかし、私は小学校の時から習っているダンスを中学3年生になっても続けていました。1月21日にある全国大会まで、少しも休憩したくありませんでした。両立できるという決意をしましたが、どうしても疲れから眠たくなったり片方だけの子と競う厳しさから焦りが出て気持ちがおかしくなることもありました。でも、勉強も決して余裕ではないのに、ダンスをやりたいという私を応援して下さる志門塾の先生方が私にはついていました。
 無事最後の大会を終えいよいよ勉強一筋に頑張ろうとしました。しかし、返ってきた岐阜模試の結果で私は落胆しました。毎日自習室に来て一生懸命勉強していたつもりだったけどまだ足りていないことに気づきました。悔しい気持ちと合格できるのかという不安から涙が止まりませんでした。少しあきらめの気持ちもまざっていて、自分には無理だと思いました。でも先生方が「大丈夫や。」「信じてるから私のことも信じて。」と目を見て確かに言って下さいました。だから私はもう一度本気で勉強に取り組もうと思いました。そこからの毎日は辛かったようで、今考えると一瞬に過ぎていきました。12月に初めて入った七郷校ですが、すぐに第2の家のようになっていました。この場所に来ると必ず先生の顔や言葉で私の「この受験を納得のいくものにしたい。」という気持ちは強まっていきました。はじめの方、先生に会うと必ず問いかけられた「北高行きたいんやろ?」という言葉に全く自信なく答えていた「はい。」がいつの間にかはっきりとした返事と一緒に、大きくうなずけるようにまでなっていました。友達から「受からんやろ。」と言われても言い返せなかった自分から生まれかわったようでした。自分自身と「周りに何言われてもいい。」と言って下さった先生だけを信じていました。
 受験まで約1ヵ月になったとき毎週のように直前講習が始まり、緊張感の中50分間問題を解くことに慣れていきました。最後の講習の日まで良い点がとれることもとれないこともある波のある状態で、安定はしていませんでした。泣きながらお弁当を食べる日もありました。
 入試2日前の卒業式も受験のことで頭がいっぱいでした。問題を解いていると、当日にこんなミスしたらどうしようとか合格発表の日のことを思うと怖くて仕方ありませんでした。
 前日は朝から夜まで塾にいて、何度も何度も先生のところへ行きました。先生に次何したら良いのか聞いて、とにかく教科書に戻って最終確認しました。先生に背中をたたいてもらって、お手紙などももらって家に帰りました。帰り道、母は涙を流していました。私は寝る前に先生からのメッセージを読んで次の日が楽しみになりました。年末年始も勉強をしたこと。毎日先生にもらったプリント、たくさんのテキスト。どんなものだって解けるんだと構えて朝を迎えました。入試がはじまるまでの待ち時間、今から戦うのは一人だけど、たくさんの人がついているんだと感じました。そして、言われた時は理解できなかった「楽しかったって言いに来てよ。」という先生の言葉の意味が分かりました。それまで本気で取り組んで努力できたと言えるのなら当日は楽しめる。私は本当に3月9日が楽しかったです。
 4月から、第1志望である岐阜北高校に通わせてもらいます。この受験でつくった碧をもとに親や先生、仲間に感謝しながら過ごしていきたいと思います。身にしみて大事だと感じた「コツコツ」をこれからも続けていきます。

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岐阜北高校 合格
日下部 文香
羽島校
笠松中学校

「受験」という名のおくりもの。

 この1年間は、自分自身が「私、変わったな」と自覚できるほど、努力することができたと思います。
 春。3年生になって、ガイダンスを受けました。正直入試はまだまだ、先の話だと思っていました。能天気。ゲームに夢中。アニメ優先の私でした。
 夏。部活にラストスパートがかかり、忙しい日々が続きました。部活の幹部だったこともあり、打ち合わせなどが増え、疲れがたまり、とにかく大変でした。塾まで自転車で片道30分かかるため、少しずつ塾から足が遠のいていきました。今思えば、毎日行って、補習を受けて自習した方がずっとよかったと思います。疲れを理由に塾に行かず、適当に夏期講習を終わらせた私がいました。しかし、このころから塾のみんなの様子が変わり始めました。
 「あれ、私、完全に置いて行かれてる…。これ…ヤバくね?」
と思い始めました。この時、私は自分が変わることのできるきっかけを、周りからもらうことができました。
 秋。部活も終わり、土日も勉強ができるようになり、私は少しずつ自習室へ行くようになりました。そのころから、塾が、私にとって大切な場所、本気でがんばれる場所へと変っていきました。学校よりもずっと居心地がよくなり始めて、自然と勉強しなくちゃ!って思えるような場所になりました。
 ここからは、とにかく努力を積み重ねました。毎日コツコツ。少しの時間でも、なにかをやろうと思うようになりました。もう、昔の私ではなくなりました。
 そうして、入試当日。母に言われた言葉。
 「あなたが努力していたことを、誰よりも知っているよ。だから、いつも通りがんばってね。」
優しく、時に厳しい母の言葉が、なによりもうれしかったし、がんばろうと思えました。
 岐阜北を受験しましたが、成績はギリギリ。ボーダーラインぐらい。心が折れかけることも多かったです。そんな私を支えてくれたのは、藤田先生、奥井先生でした。進路懇談で、「大丈夫です!」と強く言ってくれた藤田先生。質問に分かりやすく、時に冗談を入れて楽しくさせてくれた奥井先生。この2人のおかげで、私は「努力できる自分」になれたと思います。
 これを書くのに、色々ありすぎてまとめられなかったし、文章も変になってしまっているかも知れないけれど、自分の思いを、書けたかなと思っています。
 最後に、今まで支えてくれた、たくさんの人々。家族、友達、塾の仲間、先生方。感謝しかありません。本当にありがとう。これからもがんばります。
 これから受験の後輩のみんな!たいしたことは言えないけど、これだけは言える!
 「努力は必ず報われるということを、合格発表で、自分の番号を見つけた時に感じることができる。努力をした分だけ、その時流れる涙の重みが、変わってくる。」

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岐阜北高校 合格
野々村 望
本荘校
岐阜中央中学校

がんばる仲間がいてくれたからこそ。

 私は入試を通してたくさんのものを得られた。
 私が1年生の時、高校への意識は漠然としていた。そのとき目指していた高校は、志望校というよりはあこがれの高校のようだった。その意識が変わりはじめたのは中学3年生の夏に行った高校見学だった。初めて見る高校生活は希望に満ちあふれていた。しかし、その時の志望校は、1年生の時目指していた高校とは違っていた。私は何度も何度も志望校をどこにするか悩んだ。その結果として選んだ先が「岐阜北高校」だった。
 志望校をはっきりと意識するようになってから、私の勉強に対する思いは変わった。土日の特別講習や正月の特訓、直前講習を受ける気持ちが変わった。朝早くから始まる辛さや、昼に太陽の光をあびない日々が続く大変さを感じながら、勉強というものが私のやりがいになっていった。その一方、私ががんばる理由が他にあった。それは、支えてくださった先生方、共にがんばる仲間、そして親だった。3年間私を見守り続けてくださった先生方にはたくさんの感謝の気持ちがある。自習室で遅くまで残ったときには、先生方が必ず笑顔で見送りをして下さった。たまに友達とぶつかることがあったり、親とけんかをしてしまったときにも、先生に相談したことで楽になったり、自分の考え方を改めることができた。また、ずっと一緒に戦い続けてきた塾の仲間にも、言いつくせない感謝がある。私が結果を出せず悩んでいるときには、必ず気づいて声をかけてくれた。朝から晩まで共にがんばる仲間がいてくれたからこそ私はがんばれた。岐阜模試の結果はいつも負け、何度も悔しい思いをした。仲間と比べ自分に自信を持てなくなったときもあった。でも、そこではげましてくれる仲間の声があった。だから「次こそは」という気持ちになれた。
 そんな中でも、本当に感謝の気持ちを伝えたいのは、自分の両親だ。私が志門塾に通えたのも、すばらしい仲間や先生に会えたのも、両親のおかげだ。毎月の月謝を払ってくれた。朝の5時に起きてお弁当をつくり、夜の11時に車を運ばせ、それから寝る。そんな大変な日々を送りながら私をはげまし続けてくれた両親だ。私はいつも、「疲れてるから」と言い両親への対応が雑になっていた。「ありがとう」の一言も言えていなかった。それでも支えてくれた家族には、はかりしれない思いがある。
 今、こうして岐阜北高生となれたことで今までの恩返しとして気持ちを伝えられたと思う。この入試を通して本当にたくさんのものにめぐりあえた。新なスタートをきる今、その思いを忘れずにがんばっていきたい。

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長良高校 合格
中村 佳乃
那加校
川島中学校

不安に思い、悩んでいた私を支えていたもの。

 私が志門塾に入ったのは、中3の夏休みからです。夏期講習のためのテストでは、数学・英語でひどい点数をとりました。さすがにやばいと思い、夏期講習に参加することにしました。夏休みは、ほぼ遊ばず、ほぼ毎日塾に通いました。そして、夏休み明けのテストで前回より100点上げることができました。夏休みが終わると、気がゆるみ、なかなか点が伸び悩んでいました。12月の終わりになっても、私はなかなか志望校が決まりませんでした。岐阜模試の点数が足りなかったからです。願書を出す頃もよく悩みました。志望校を下げようか悩んでいたとき、先生がよく励ましてくれたり、相談にのってくれたりして、とても親身になってくれました。私は、受験が終わるまで、不安しかありませんでした。試験日が近づくにつれて焦っていました。そして、受験が終わって採点をすると思うように点がありませんでした。合格発表までの1週間はとても怖かったです。そして、合格発表の日。試験の日より緊張していました。自分の受験番号を見つけた瞬間、お母さんと抱き合って泣きました。受験が終わるまで支えてくれた家族、先生方、友達に感謝しかありません。志門塾に入って良かったです。

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岐阜北高校 合格
藤澤 恒星
粟野校
岩野田中学校

中1から頑張ることが、入試当日の自分を支える。

 私は、中学校1年生から受験を意識して勉強していたわけではありません。私は中学1年の頃からすでに、志門塾に入っていました。しかし、この高校に絶対入りたいという思いもなく、真面目に勉強していました。真面目に勉強したこともあり、点数に困ることはありませんでしたが、目標がなかったので他の子と競争したりせず点数も大きく上がっていくことはありませんでした。
 2年生になっても、受験が近づいていることも実感がわかずそのまま、また1年が過ぎていきました。
 3年生になると、塾でも学校でも受験の話が出てきてようやく受験の実感がわきました。しかし、どこの高校に入りたいかは、はっきりとは決まりませんでした。最終的に、今までずっと第1志望校としていた岐阜高校をやめ、第2志望校の岐阜北高校を受験し、岐阜北高校に合格することができました。岐阜北高校を受験し、合格した今、自分では納得し、とても嬉しいです。後悔もありません。しかし、もし岐阜高校を合格していたら、違う道を歩んでいたかもしれないという少しモヤモヤした気持ちがあります。
 この受験を通して私はたくさん大切なものを得ることができました。
 私が受験に思い切ってのぞめたのには、自分の周りの人たちの存在がとても大きいです。受験勉強を一緒に取り組んできた友達、私たちに勉強を教えてくれた塾や学校の先生、毎日私たちの生活を支えてくれる家族に私はとても感謝しています。友達が頑張っているから自分も頑張ろうと思い、毎日毎日受験勉強で大変だった日々をのり越えることができました。時には、不安に思うこともたくさんありました。しかし、友達と同じ不安だったり、相談にのってもらったりとお互いを励まし、勇気づけ合いながら、ここまでやってくることができました。
 中学校の勉強を分かりやすく、分からないところは何度も先生は教えてくれました。成績が上がらず落ち込んでいる時は、背中を押してくれました。中でも、入試前日にもらったメッセージやはりせんで、気合いを入れてもらったことで、入試に対する思いが強くなり、「絶対合格したい」と思え、入試当日の緊張する中でとても大きな支えになりました。
 家族は毎日自分の体の状態や、心の状態を気づかい、支えてくれました。
 私は受験を終えてみていくつか思いました。1年生から真面目に勉強すること。目標をしっかり持って、勉強すること。他にも、いろいろありますが、勉強の面では大きくこの2つが重要だと思いました。受験の時に今までの内申も重要になってきます。実際、私はとても助けられたと思っています。勉強では点数で判断されることが多いでしょう。しかし、今まで頑張ってきたことは内申に表れ、受験の時に支えになってくれると思います。
 勉強以外では、毎日を大切に楽しく過ごすことが良いと思います。3年間はあっという間に終わってしまいます。後悔をしないよう楽しく過ごす。今まで真剣に頑張ってこれば、受験をするころには、身近な人達に感謝する気持ちが出てきます。これらのことを、これから受験を受けることになる人に伝えたいと思いました。受験は初め期末や実力のようなテストなのだと思っていました。それは事実だと思います。しかし、それだけではありません。受験は大きく私の心を変えました。今では、そう思います。

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西濃学区

大垣北高校 合格
髙木 庄太
養老校
高田中学校

受験を通して得た自分にとっての「幸せ」。

 4月。僕の受験生としての1年が始まった。この1年が自分にとって最高の時間になるとは夢にも思わなかった。僕は中学校1・2年生の時、なんとなく勉強して、なんとなく良い点を取って、なんとなく喜んできた。自分にはこれくらいの能力しかない。そう考えていた。4月から夏にかけても、「受験」という意識が持てないまま時は流れていく。家族からは、「受験生だぞ。勉強しろ。」と何度も言われたが、僕は無視をする。そんな毎日が続いた。うれしさも、楽しさもない、なんとなくの日々。僕はこれが普通だった。僕に「幸せ」はない。そう思っていた。
 転機が訪れたのは9月。第4回の岐阜模試だ。私の点数は急に落ち、私が志望する高校に受かるのが「危ない」と言われた。私は落ち込んだのだが、それ以上に驚いたことがあった。家族が泣いているのだ。本当に驚いた。なぜ家族のみんなが泣いて落ち込むのか。私はずっと考えた。その時私は校舎長の大倉先生が話してくれた事を思い出した。「受験。それは自分だけじゃない。親を見てほしい。共に喜んだり、悲しんだり、毎日送り迎えをしてくれたり、そんな親への思いを大切にしてほしい。」私は気がついた。私はいつも家族に支えられていることに。そんな家族を喜ばせたい。一緒に喜びを味わいたい。そう思った。それから私は受験に対する思いが変わった。毎日11時まで自習室で勉強をし、分からないところは質問をした。第5回岐阜模試。私は点数を上げることができた。本当にうれしかった。うれしかったことがもう1つある。それは友人の存在だ。僕が毎日11時まで勉強をする時、一緒に最後まで残って勉強し、また自分がつい、「疲れた」と弱音を言ってしまうと、「気を抜くな。俺もがんばるから一緒にがんばろう。」と言ってくれる友人がいたのだ。本当にうれしかった。心強かった。仲間と共に自分は成長することができた。
 受験が近づいてきた。緊張して眠れない日もあった。でも私はただ、ひたすら、今まで支えてくれた人の顔、言葉、合格する事を考えて勉強をした。そしていよいよ本番を迎える。
 当日。私はこれまでずっと、本番で力を出せない人だった。でも、本番は緊張感がいつもとちがう。
 私は落ち着いて最後まで取り組む事ができた。私は思った。なぜこんなにいつもの力が出せるのか。それは「努力だった。」「努力は自分を裏切らない。」今までの努力は自分の力となって必ずかえってくるのだと本当に思った。ここで私は受験を通しての「幸せ」を1つ手に入れた。それは、がんばっている自分が好きになれたこと。思ってみればこれまで仲間と共に夜遅くまで勉強をした自分、苦しかった。でも最後まで自分を信じて頑張ってきた自分。自分の殻を破れたし、毎日が充実していた。受験を通して、がんばる自分が好きになれた。
 1週間後。合格発表。いよいよだった。自分の番号を強く握りしめ、番号を待った。そして…。掲示板に自分の番号があった。私は本当に喜んだ。自分の努力が実った。家族も、塾の先生も、支えてくれた人みんなが喜んでくれた。ここで私は2つ目の「幸せ」を手に入れた。それは支えてくれた人を喜ばせることが自分の喜びであること。これまで支えてくれた人と共に喜ぶことが本当に最高の瞬間だ。
 志門塾の先生方。志門塾へ。私が本当に最高の受験ができたのは志門塾の先生方がいたからです。親身になって相談にのってくれたり、色々な事を熱く、分かりやすく教えていただいたこと、受験までの道のりは厳しかったけれど、それを乗り越えることができました。志門塾には本当に志の高い仲間がいます。私が友人と共に頑張れたのも、仲間のおかげです。感謝しています。ありがとう。
 家族へ。僕は家族のみんなのおかげで成長できました。夜帰りが遅くなっても僕を家で待ち、笑顔で迎えてくれたこと。毎日送り迎えをしてくれたこと。毎日本当にありがとう。僕にとっての心の支えでした。
 受験。それは本当に苦しいものでした。でも、自分を大きく変えるチャンスでもあります。僕はこの受験を通して幸せを見つけることができました。受験で変わった自分をきっかけに新たな道へ。僕はこれからも、自分の幸せに向かい1歩ずつ歩んでいきます。

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大垣東高校 合格
村上 花音
海津校
平田中学校

認めてもらうことの持つ力。

 私は3年生の夏期講習から志門塾に入塾した。それまでは他の塾に入っていて、3年生になってからようやく「今しっかりやらないと後悔する」と思うようになった頃だった。私の希望で両親にたのみこんで通っていた塾を辞めて、本格的にやる気になっていた。実際に夏期講習からやってどれだけ自分の力を伸ばすことができるかは全然分からなかった。しかし、続けていくうちに苦手だったところができるようになる喜びが分かり、夏休み明けの実力テストでも点数が伸び、第3回岐阜模試では100点上げることができた。もともとしっかりと理解して勉強できていなかったこともあるかもしれないが、ここでやればできると思うようになった。
 そのままの調子で秋期講習、冬期講習がいつの間にか過ぎていた。岐阜模試も第6回になり、もうすぐあと2ヵ月もすれば入試、という時期になった。私はそれまでこのまま上げていけば、合格できるだろうと甘い気持ちでいたのかもしれない。長谷川先生の話では第5回から6回、7回、プレテストで点数は上がっていって入試では自己ベスト!と聞いていて、自分も自然になるだろうと思い込んでいた。私は第7回から点数が伸びなかった。それどころか直前のプレテストでも、上がらずにボーダーラインを越えることができなかった。プレテストで自己採点が終ったときには、全身から血の気が引いて冷や汗をかいていた。一瞬何かの間違いかと考えたけれど結果は変わらずに、そのまま長谷川先生に報告した。報告する前は、結果を聞いて「志望校を落としなさい」と言われるのが怖くてなかなか切り出せずにいた。多分、自分でもそう言われても仕方ないと心の中で思っていたかもしれない。しかし、先生から返ってきたのは予想外の言葉だった。「東に絶対行きたいでしょう。それなら残りの期間、落ち込んだ顔をしてないで、にこにこ笑って過ごしなさい。」と、この言葉で「まだ諦めたくない」という自分の気持ちが不安や悲しみ、焦りに勝った。それからの1カ月は、やれることをやり続けた。数学が特に苦手だった私のために先生は夜遅くまで、直前まで特訓をしてくださった。そのおかげで、少しずつリズムがつかめて点数につなげることができた。
 そして入試まで残り2週間ほどの頃、精神的に少しずつ辛くなっていってしまった。両親からはプレテスト以降、「今その状態で本当にいいのか」と聞かれることも増え、「私は親に応援されていないんだな…」とまで思うようになった。しかし、日にちが過ぎるにつれて体調が悪くなり、勉強はそれでも続けていたが、入試直前の塾を休んでしまった。とにかくその時は、体調管理ができなかった自分への怒りが強かった。悔しくて悔しくて泣くことしかできなかった。母に伝えたら、がっかりさせてしまうと考え、不安だった。しかし、母は「今まで頑張ってきたんだから大丈夫だよ。」と優しく抱きしめてくれた。その瞬間、今まで張っていた力が抜けて楽になった。自分ではずっと周りの仲間に負けていて、全然頑張れていないと思っていたせいか、認めてもらえたと感じて嬉しかった。きっと私が気付いていなかっただけでずっと味方でいてくれたんだろう。
 合格発表の日。時間が近付くにつれて、緊張して冷静になれなかった。9時になり、紙が張り出されて周りからは大きな歓声が上がった。その中をかき分けて、紙を見ると、番号が、あった。ほとんど放心状態で、母に「あった」とだけ告げると涙がこぼれた。母も泣いていた。それと同時に、たくさんの人への感謝の気持ちで一杯になった。いつも親身になって話を聞き、応援してくださった長谷川先生、加藤先生。自分のことと同じように私の合格を願ってくれた親友。支えてくれて、笑顔にしてくれた仲間。最後まで味方でいることを辞めなかった両親。今日もここで笑っていられるのは全部、支えてくれた人がいたからだと、心の底から思うことができる。本当にありがとうございました。

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大垣北高校 合格
髙橋 佑衣
担任制
興文中学校

これからも走り続ける。

 私の受験、それは自分の弱さとの闘いであった。
 1つは、勉強なんてしたくないと思う自分との闘い。勉強、勉強の毎日。部活が無くて思いっ切り体を動かせないことからのストレス。そこまで勉強が嫌いではなかったはずなのに、どんどん私は勉強が嫌いになっていった。
 もう1つは、周りの人よりも自分は劣っているのだと、どんどん自信を無くしてしまう自分との闘い。志門塾には、担任制には、優秀な人がたくさんいる。点数はもちろん、普段の学習姿勢からすごい人ばかりだ。私は勉強ばかりで心が疲れきっているのに、周りの人は全然疲れていないように見えた。本来なら、良い刺激をもらうところなのだが、どうしても自分は、マイナスにしか捉えられなかった。
 そんな気持ちが何日も、何日も続いていた。だけど、私が晴れやかな気持ちで受験を終えられたのは、他ならぬ周りの人たちのおかげである。
 まず、担任制の3人の先生方。力を抜いて、と笑顔で励ましてくれた安藤先生。質問に行くと、親身になって話を聞いて下さった中村先生。そして、自分の不安な気持ちが少しでも自信につながるように、新しい道を示して下さった稲垣先生。おかげで私は、どんどんマイナスな暗い気持ちが無くなっていった。私立入試、岐阜模試を通じて私は、どんどん自分に自信が持てるようになっていった。
 それから、周りのみんな。自分が悩んでいることを伝えると、自分もだと教えてくれた。みんな、疲れていないように見えていたけれど、実は自分と同じ気持ちなのだと知った。みんな苦しさと闘っているのだと。ならば、自分も一緒に闘おうと思った。仲間がいてくれたから、私は、やっと暗い自分から抜け出すことができた。
 そして、志門塾という存在。お盆特別合宿や正月特訓を通じて、優秀な人がたくさんいることを知り、少しでも追いつきたいと思った。そんな人と、高校入試対策講習で近くに座れてすごく嬉しかった。それに、担任制の自習室で同じ目標を持った仲間と勉強できたことも、自分ががんばれた大きな要因だ。何か言葉をかわしたわけではない。ただ、同じ空間で同じようにもがきながらも頑張っている人が、そばにたくさんいるということが、より自分を強くしてくれた。
 だけど、やっぱり1番は両親の存在だ。2年生の頃は、塾に親が迎えに来てくれることを何とも思っていなかった。感謝もなければ、申し訳なさもなかったのだ。それが、受験勉強をすればするほど、感謝と申し訳なさを感じるようになった。私立入試の日に自分の好物を用意しておいてくれた母。無理すんなよと何度も声をかけてくれた父。自習室から家に帰って、車から降りるときは自然と「ありがとう」がこぼれた。
 だけど、まだまだ私は周りの方々への感謝を伝えきれていない。そう思えるようになった自分は、受験を通じて少しだけ大人になったのだろうな、とも思う。でも、恥ずかしくってまだ言えない。親に甘えたくなってしまう。
 だから私はこれからも走り続けようと思う。本当は、受験なんて、長い人生にある、1つの通過点に過ぎない。ただ受験とただのチャンスであり、それをどう生かすかが大切なのだ。そのチャンスを十分に生かせる体制が整っているのは、私は志門塾しかないと思っている。それで、私はそのチャンスを生かせたと思っている。志門塾の担任制でがんばれた自分を誇りに思っている。だけど、まだ物足りない。まだ周りの方々への感謝の気持ちを伝えきれていない。やらないといけないのは分かっているけれど、今の自分にはできない。しかし、どうすればできるようになるかは私は分かっている。何かに本気で打ちこめばいいのだ。そうすれば、自分自身が成長できると私は知ったから。これからは、大きな声で「いってらっしゃい」と送り出してくれた担任制の先生方のように、人を支えられる人間になりたい。そして、これからも自分らしく走り続けたい。

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大垣北高校 合格
竹村 健
垂井校
不破中学校

「今」ではなく、「可能性」を信じた。

 「勉強するのが楽しい。」1年前とは真逆のことを、今僕は感じています。
 僕は、中3の春期講習から志門塾に入塾しました。その頃の僕は、野球をするか、遊ぶかの2択で、勉強のことなど頭に全くありませんでした。受験生だし、勉強しないといけないということは分かっていても、なかなか勉強ができませんでした。そんな中、第1回岐阜模試を受けました。志望校は大垣東高校にしました。よく分からない問題が多かったことを覚えています。そして、1ヵ月後、第1回岐阜模試の返却と同時に行った山本先生との面談の日が、僕にとって忘れられない日になりました。結果はあまり良くないものでした。しかし、山本先生の口から出た言葉は、「志望校を大垣北高校に変更したらどうだ。」でした。びっくりして、しばらく何も頭に入ってきませんでした。しかしすぐに、山本先生を信じてがんばってみようと思い、面談が終わる頃にはもうすでに、志望校を大垣北高校にしようと決めていました。帰ってからすぐに、両親にそのことを伝えました。最初は驚かれたけれど、最後には「自分で決めたことはやり切りなさい。」と僕を応援してくれました。
 しかし、志望校を大垣北高校にして臨んだ第2回岐阜模試では全然上手くいきませんでした。結果は中学校の定期テストなどを含めても、これまで自分が取った点数の中で1番低い点数でした。まだまだ自分に甘いのだととても強く感じました。また、僕が講習を受けたフロンティアードのクラスや席順は成績順で、僕は4番目くらいのクラスでした。そこでも、自分はまだまだだと感じたし、とても悔しくて、もっともっとがんばろうと思いました。そして、もうこんな悔しい思いはしたくないと思い、ほとんど毎日自習室に行くようにしました。通常授業や講習でも、集中して取り組みました。すると、今まで分からなかったところが分かるようになったり、新しいことを覚えることができたりして、「勉強って楽しい」と思いました。それまで、1度でも思ったことがなかったのに、どんどんその気持ちが大きくなっていきました。お盆特訓では、自分の苦手なところをがんばりました。朝8時から夜8時までは、長いようで、とても短く感じました。そして夏休み明けの第3回岐阜模試。満足はできなかったけれど、確実に力はついているんだと思うことができました。フロンティアードのクラスも上のクラスに上がり、とてもうれしかったです。しかし、それ以降の岐阜模試では、目標の点数に届かず、悔しい思いをしました。昼スタや分野別問題集でも、正答率が上がらず、自信を無くしかけたこともありました。しかし、いろいろ考えていても仕方がないので、とにかく、たくさん問題を解き、ていねいに解き直しをするというのを繰り返しました。また、正月特訓や直前講習、プレテストなどを通して自信を付け、入試直前までがんばり続けました。
 そして、入試当日。今までがんばってきたこと、志門塾の先生、一緒にがんばってきた仲間を信じて、全力でがんばりました。今までやってきたことを全て出し切ることができました。終わった後はとてもすっきりした気分になっていました。合格発表の日は、とにかく笑顔でいました。(本当はとても不安だったけれど…。)そして、一斉に受験番号が出ました。自分の番号は…しっかりとありました。うれしすぎて、隣にいた子を叩きまくりました。本当にこれまでがんばってきて良かったし、志門塾に入塾して良かったと思いました。
 僕はこの受験を通して、「仲間とがんばり続けることの大切さ」を学びました。自習室に行くと必ず誰かがいて、そろそろ帰ろうかなと思う頃にもまだ誰かがいました。負けたくないからその子よりも長く自習室で勉強しようと思ってがんばった日が何日もありました。一緒にがんばれる仲間がいて本当に幸せだと思います。また、がんばり続けたから、「あれだけやってきたんだから大丈夫」と思うことができました。
 この受験は自分一人でがんばったわけではありません。先生、仲間、家族など多くの人に支えられてここまでがんばることができました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました!!
 後輩へ。難しいことは考えずにがんばってください。がんばり続ければ、きっと良い結果になります!!

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長良高校 合格
渡邉 美忠
大野校
大野中学校

後悔しない受験にするための決意。

 僕の本格的な受験勉強は、正月特訓で勢いをつけました。その頃から、毎日自習室に通うと決め、勉強しかしませんでした。今まで以上に努力をして2月のプレテストを迎えました。結果は、志望校の合格ラインをはるかに下回る点数でした。正直あきらめようかと思いました。そのため、校舎長、学校、家、多くの人に、「僕ってこのままだと、落ちますよね。」と聞きました。しかし、返ってくる言葉はみな同じ、「大丈夫、ここからの頑張りでなんとでもなる。」でした。しかし、もう2月も終わりに近づき、気持ちは焦るばかりでした。そこで、もう1度、校舎長に聞きました。「このままでは、やばいですか?」返ってきた言葉で決心しました。「受かる。受験することを決めるのは自分自身だから後悔のない選択をしよう。」このことばで長良高校に願書を出しました。すでに、60人以上のオーバー。そこでもまた、心が揺れました。しかし、自分に「受かる、受かる、必ず受かる」と言い聞かせました。そして、3月2日。願書の締切り。もう、やるしかない状態でした。そこからは、毎日自習室に通うのに、プラスして、1日5時間を目標にやりました。朝は、5時30分から7時までやり、学校でも、休み時間も、分野別で苦手な分野をやり、家に帰る前にも1度塾に寄り1時間。夜も自習室で4時間。自分の気持ちが落ちつくまでやり続けました。その頃は、勉強している時間が、1番落ちつく時間でした。あと1週間、あと3日。前日は、21時で勉強をやめ、寝ました。そして、当日。人生で1番緊張した朝でした。車の中でも、ミスノートを見たり、テキストを見たりと、最後の最後まで見直しました。しかし、体育館に入ってみると、緊張は、ありませんでした。なぜなら、「自分はここにいるだれよりも努力をした。」という自信があったからです。試験が始まっても、自信を持って解答できました。社会が終わる15分前は、何をしていいかわからないくらいでした。気づけばもう3月16日。発表の日。正直不安でした。そのため、午前9時の発表の瞬間はいけませんでした。「あった。」午前9時15分、自分の番号を見つけた瞬間でした。不安な気持ちがすべて、うれしい気持ちになりました。志望校を変えなくてよかったと思ったし、志門塾で本当によかったと思いました。
 自分の座右の銘は、「継続は力なり」です。自分の目標があればそれだけで、安心すると思います。合格と分かるまではとてもこわいし、不安です。でも、今までやってきたことを信じ、他人と比較しなければ、必ず受かります。ぜひみなさんも、志望校を変えないでください。今の志望校で必ず受かります。最後は、気持ちです。

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岐阜高校 合格
萩永 理陸
トップレベル選抜・大垣
興文中学校

逆転の1年間。

 僕が偏差値39をとったのは、中2の冬の統一テストでのことでした。こんな僕が選抜にいていいのか、志望校を変えなくてもいいのかと、本当に悩んだこともありました。
 しかし、僕は上位校への進学をあきらめたくなかったし、まだまだ、自分はやれると思っていました。学校の中では自分は上位の成績でしたし、自分に自信を持てていました。しかし、選抜の中では自分はほぼ最下位でした。このことも、自分の中ではつらいものでした。だからこそ、中3の春休み、自分にスイッチを入れて勉強を始めました。特に春休みは毎日自習室に通うことを自分に課し、勉強を続けました。すると、すぐに結果が出始めました。第1回の岐阜模試で、数学が順位表にのったのです。偏差値30アップの快挙でした。自分でも驚くほど成績が伸びました。それからも、気を抜かないように、とコツコツと勉強を続けました。自習室にもできる限り通うようになりました。中2のときはほとんど自習室に行くことのなかった僕は、勉強する習慣を身につけることができました。
 勉強量が増えるとともに成績ものび、自分は志望校を1つあげました。選抜の生徒のほとんどが岐阜高校を受験するとということもあって、それは自分にとって自然な決断でした。入試までには、たくさんのつらいことがあったりスランプに陥ったりして、何度も悩むこともありました。しかし、レベルの高い仲間がまわりにいたことでまだまだやらなきゃいけないと、高いところまで引き上げてくれました。この楽しくおかしい仲間が1年間近くにいてくれたからこそ、自分は、無事合格を勝ち取ることができました。最高の仲間に感謝したいです。

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大垣北高校 合格
左合 眞唯
スイトテラス校
興文中学校

苦しいことから逃げなかった。

 私には兄と姉がいます。兄も姉も大垣北高校を目指していました。その頃私は小学生でした。
 そしてその3年後、私は受験生になりました。また、兄と姉と同じように大垣北高校を目指しました。それまでの2年間、受験生になった時に苦労しないよう、コツコツ勉強をしてきたつもりでした。しかし、3年生の夏、私のテストの結果は思うように伸びなくなりました。どんな勉強をすればよいか分からなかった私は、その時1つだけ心に決めたことがあります。それは「校舎の中で誰よりも自習室にいよう。」ということでした。もちろんそれは簡単なことではありませんでした。時には気が緩んで、さぼりがちになることもありました。また、つらい受験から逃げようと1つ志望校をさげようと考えたことも何度もありました。そんな時、頑張ろうと思わせてくれたのは、母や仲間の姿でした。私の母は3人兄妹を全員塾に通わせ、9年間送迎をしてくれました。また、私がさぼろうと帰るときに自習室に残って黙々と頑張る仲間の姿を見ると「負けるもんか」と思い、頑張ることができました。受験までの2ヵ月、夜の最後の時間まで自習室に残りました。今思うと本当につらかったです。でも、このつらい時間の積み重ねが点数を上げてくれました。そのおかげで私は自信をもって、当日に臨むことができました。そして見事、合格することができました。
 私にとって3年間、高校入試は恐怖でした。しかし、それと同時に私を成長させてくれたものでした。自分が苦しいことから逃げずに、最後まで頑張り切れたことは、きっとこの受験が初めてです。この経験を忘れずに、次の目標に向かって、これからもコツコツ頑張っていきたいです。

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大垣北高校 合格
河村 奈都美
池田校
池田中学校

大切な人を喜ばせたくて、本気で勉強した。

 「167」が目に映った。あった。張り出された320個の番号の中に、私の受験番号があった。合格したんだと実感した。
 私は勉強が嫌いだった。小学校のころから大嫌いだった。それでも90点、100点がとれていたから、「やればできるのに、もったいない」とたくさんの人に言われた。小学校6年生のときに志門塾で中学準備講習を受け、中学校に入学し、志門塾に通い続けた。私は相変わらず勉強が嫌いだった。「やればできる」と言われ続け、良い点数、良い成績を取らなければいけないと、それが自分の仕事だと思い始めた。1年生のころは450点を取ることができていたけれど、学年が上がるにつれて、それは難しくなった。400点を下回りそうになったときもあった。内申も下がり始め、すごく焦った。何もかも嫌になって、物に当たったり、親と喧嘩したこともあった。
 志望校を大垣北高校に決めたのはおじいちゃんと約束したからだった。成績が良いと1番喜んでくれたおじいちゃんとの約束。それをプレッシャーに感じたこともあった。岐阜模試の結果も悪くて、約束を果たせないんじゃないかと思い、焦ったこともあった。志望校を変えようと本気で思ったこともあった。
 一人で悩んでいたときに支えてくれたのはお母さんだった。やりたいことをやればいいと言ってくれた。プレッシャーにつぶされそうだった私は、その言葉に救われた。お母さんを喜ばせるために、頑張ろうと思った。
 第7回岐阜模試、入試プレテストでは最高の点数をとることができた。そのときは親も喜んでくれたし、高橋先生も自分のことのように喜んでくれた。私はそれが本当に嬉しかった。親や先生、私の大切な人たちの喜んでくれる姿が私の原動力となった。それからは苦手だった理科、社会の復習をした。合格したくて、大切な人を喜ばせたくて、本気で勉強した。
 受験当日はあまり緊張しなかった。いつもどおりにやればいいと自分に言いきかせた。自己採点の結果はあまり良くなかった。不安になったときもあったけれど、自分を信じて1週間を過ごした。合格したと分かったときは、本当に安心した。
 この受験を通して、私には夢ができた。それは志門塾の先生になるということ。高橋先生と話をする中で、私もこんな人間になりたいと、心から思った。生徒のことを1番に考えて、生徒のために生きる。私にはそう見えた。そんな先生になるために、高校でも頑張りたいと思う。
 最後に、今まで私を支えてくださった高橋先生、榎本先生、近藤先生、ありがとうございました。先生たちには、またいつでももどっておいでと言われたから、私はこう言いたいと思う。いってきます。

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大垣北高校 合格
多賀 美紅
静里校
西部中学校

経験した人だけが分かる大切なもの。

 私は、中学3年生になってから志門塾に入り、大垣北高校合格を目指して努力し始めました。
 中学1年生の頃は、北高に入れたらいいなとなんとなく思うだけで、明確には決まっていませんでした。そのまま中学2年生が終わり、塾に入ったのも親のすすめでした。浅野先生との初めての面談で、私は志望校の欄に「大垣北高校」と書くのを少しためらいました。こんな私が目指していい高校なのかと思ったからです。そのとき浅野先生に、
 「迷うような弱い気持ちではだめ。目指すなら本気にならなきゃ。美紅さんならできると思うよ。」
と言われました。私は、その通りだと思いました。強い気持ちでいないと絶対に合格できない。必ず北高に合格するという思いで1年のスタートを切りました。
 第1回の岐阜模試。私は、今まで学校のテストで取ったことのないような悪い点数を取りました。でも、まだあと6回あるからという思いになり、まだ受験生という自覚がないまま2回、3回…と岐阜模試は終わっていきました。2学期が始まってもまだまだ日数はあると思っていたとき、浅野先生から
 「入試まであと5ヶ月。残り少ない日数の中でやり切っていこう。」
という話を聞き、急に焦り始めました。このままでは北高に合格することはできないと思い、大事な用事がない限り毎日自習室に通いました。すると、岐阜模試の偏差値がどんどん上がり、自分に自信がついてきました。塾の問題集だけでなく、家にあったものにも手をつけるなどしていて、自分が勉強を楽しんでいることに気づきました。受験生だから勉強をしなければならないと思っていた頃とは違い、どうしたら苦手が克服できるだろうかと考え、勉強方法を自分なりに工夫してみたりもしました。岐阜模試の点数を見て、浅野先生には
 「本番もいつも通りやれば大丈夫。」
と言ってもらえて、自分でも手応えを感じていました。
 入試当日。あまり緊張はせず、いつもの模試のような気持ちでテストを受けることができました。しかし、その緊張感のなさが裏目に出たのか、その日の自己採点で思うような結果が出ませんでした。私はすごく不安になり、落ちたと思いました。合格発表までの1週間のうち、初めの方は落ちこむばかりで、私立高校へ行くことになったときのことも考えていました。でも、そんな私を見て、私の両親や、一緒に北高を受けた友達が「大丈夫!自分を信じて!」と励ましてくれました。そのおかげで、私は少し気が楽になり、前向きに考えるようになりました。
 合格発表の日。私は少し早めに学校に着き、そわそわした気持ちでした。あんなに緊張したのは初めてというぐらい、心臓もバクバク鳴っていました。合格者の番号が書いてある紙がはられたとき、前の方にいた子たちの「キャー!」という声が聞こえてきて、よけい不安が大きくなりました。自分の番号を見つけた瞬間、私は本当にうれしかったです。今までの努力が報われたと感じた瞬間でした。真っ先に母のところに結果を伝えにいくと、母はその場で号泣し始めました。私はその母の涙を見て、私は今までこんなに応援されていたんだなと感じました。私が夜遅くまで自習室にいても、何も言わずに迎えに来てくれていた母には、本当に感謝しています。私はこの受験を通して、言葉には表しにくいけれど、経験した人だけがわかるもの、一生懸命やることの大切さをつかみました。高校受験はゴールではなく、スタートです。この受験を通して学んだことを生かしながら、また新しいことにも挑戦していきたいと思います。

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大垣北高校 合格
北村 実咲
神戸校
神戸中学校

「お盆特別合宿」への参加が私の受験の原点。

 私は小学校5年生の頃、兄の影響で志門塾神戸校に入塾しました。周りは知らない子ばかりで最初は緊張しました。しかし、伊藤先生のおもしろくてパワフルな英語の授業に私は圧倒され、緊張なんてあっという間に吹き飛びました。また、小学校の頃から塾でいい仲間とめぐり会うことができ、休み時間に私たちと伊藤先生で野球をしたりもしました。それからは塾に通うことが楽しみになり、勉強もより一層励むことができた2年間となりました。
 そんな2年間もあっという間に過ぎ、いよいよ中学生になりました。今までとは違う新しい学習に最初はワクワクしていました。中学準備講習から期末テストは大事だとよく言われていたため、最初の期末テストで絶対に良い点を取りたいと強く思っていました。そこで、今まで以上に頑張るようになりました。その結果、予想を上回る得点をとることができ、親や周りの友達からも褒められ、大変うれしかったです。しかし、この後、ほんの少しの安心感が油断へと変わり、徐々に精一杯の努力をしなくなったように思います。
 このことに気づかされたのは中2の2学期末テストでした。今まで取ったことのない点数を目の前にし、ぼう然としてしまいました。「やばい。やばすぎる。」と焦りを感じたにもかかわらず、月日の経過とともに、そんな気持ちも薄れていきました。また、部活を言い訳にし、携帯をさわったり遊ぶ時間をセーブできない甘い自分に戻ってしまったのです。
 そして、そんな中途半端な思いのまま、3年生になると同時に、周りで「受験生」という言葉を頻繁に耳にするようになりました。しかしそれでもなお、依然として実感が湧かなかったのです。特に行きたい高校もなく、目標を定めることさえ難しかったため、第1回、第2回の岐阜模試においても、特段、勉強することなく受けていました。案の定結果は最悪、フロンティアードでのクラスや席順も予想を遥かに下回るものでした。正直ショックでした。改めて、自分の今までの生活を振り返らざるを得なくなりました。「このままでいいのか、いや、いいわけがない。今やるべきことをやらなきゃ絶対後悔する。」そんな焦りと不安が私の心を揺さぶりました。それからは授業以外の日にも自習室に通う頻度も多くなりました。しかし完全に自信を失っていた私は、ただ漠然と、大垣東高校に行けたらいいなあと思っていました。
 夏、部活も終わり、勉強に専念できるようになりました。「この夏休みは1番点数が伸びる。頑張ろう。」と激励して下さった伊藤先生の言葉を信じ、必死に頑張りました。高校見学では、以前から憧れていた、大垣北高校にも行きました。整備された校舎や学習環境、何事にも意欲的な先輩達の姿を見て、「ここで勉強できたら幸せだろうな。」とさらに憧れが強くなりました。そんな時、伊藤先生が「お盆特別合宿のテストを受けてみないか。」と声をかけて下さいました。そして、その選考試験を何とか通過することができました。この合宿こそが、大きな転機となりました。気が遠くなるほどの量の課題が出されましたが、どれも苦であるとは1度も感じることなく仲間と競い合って必死に取り組むことができました。いよいよ、合宿当日。期待と不安の入り混じる中、受けた授業は今までにない、笑いにあふれた最高の授業でした。2日目からは朝5時半から、自発的に友達と自習を始めることにしました。テレビも携帯もない環境下で、夜の10時までただひたすら学習に励むことができたのは、共に頑張る仲間や先生方の熱い授業、そして人生観を高めてくれた先生方のたくさんの感動的な話のおかげだと思います。この6日間を振り返ると、志の高い多くの新しい仲間との出会い、笑いと感動の涙、勉強以外のことも多く得られた、とても充実した日々、まさに私の宝物となる経験になりました。合宿の最後の夜私とある1人の友達は、みんなが眠りについた後に、あることをお互いの心に誓いあいました。それは、家族を喜ばせるために大垣北高校を志望校にすることです。この夜の出来事が私の受験の原点であるといっても過言ではありません。夏休みが終わり、第3回岐阜模試を迎えました。なんと、結果は第2回から90点アップした点数を得ることができました。最高に嬉しい瞬間でした。努力は決して裏切らない。このうれしさを胸に次の第4回岐阜模試に向けても気合を入れて机に向かいました。しかし、結果は思うように伸びませんでした。第5回でも大幅な点数のアップはありませんでした。フロンティアードのクラスでは前回まで同じレベルだった仲間とは違う所で授業を受けなければなりませんでした。「なんで自分だけこんな所なの。」なんで、なんで・・・。この悔しさと苦しさばかりが募りました。ある日の塾帰りの車の中で母がこんな言葉を私にかけてくれました。「コツコツ努力していれば必ず報われるって。」と。そのとたんに今まで胸の中で閉じこめておいた思いが涙となって一気に流れ出しました。私はまだできる、と自分の心に言い聞かせ、頑張り始めました。自習室に行くと、3年生の仲間も頑張っていて、苦しいのは自分だけじゃないんだと感じさせられ、仲間の姿を見る度、自分のエネルギーになりました。また、伊藤先生の所へ質問をしに行くと毎回、「次の岐阜模試で追い返すぞ。」と言ってもらえ、勇気づけられました。
 誰よりも熱い気持ちで臨んだ第7回岐阜模試。結果は伊藤先生から直接渡されました。1枚の紙から点数だけが目に飛びこんできました。その瞬間、2度目の涙があふれました。それは前とは違った温かい涙でした。「今までよく頑張った、あとは今までと同じ努力を積み重ねれば大丈夫!」と伊藤先生から言ってもらえ、達成感や安心感が沸き出てきました。
 2月上旬からは神戸校の最終兵器、ブラックノートと50回以上行われた史上最強の補習授業が実施されました。ここからは夜の11時半までは自習室で勉強し、空いた時間はブラックノートの見直しに費やそうと決めました。今までは継続することを難しく感じていましたが、今回は難なくこなすことができました。それには2つの要因があります。1つは自分で決めた固い目標があること。もう1つは、神戸校の仲間、先生といっしょに勉強する時間が何よりも楽しかったことです。
 やっぱり楽しい日々はあっという間に過ぎてしまい、3月9日を迎えました。「岐阜模試は入試のように、入試は岐阜模試のように。」、「平常心」という神戸校の合言葉を唱え、臨みました。だから、全く緊張しませんでした。自分の今までの努力を1枚の解答用紙に全てのせられたと思っています。その後、口から心臓が出そうな思いで入試速報を見ました。1問丸打つごとに「よし!」と口に出しました。自己採点を終えた私の目には涙が自然と浮かんでいました。そんな私を母や祖母は、今までよく頑張ったね、おつかれ。」と優しく頭をなで、父は電話ごしから「よく頑張った、頑張った。」と言葉をかけ続けてくれました。こんな温かい家族に包まれて私は幸せです。
 3月16日。受験の最後の涙は今までで1番温かいものでした。この受験で1番近くで支え続けてくれた家族を笑顔にできたことが本当にうれしかったです。
 この高校受験で共に勉強することができた神戸校の仲間、私と本気で関わってくれた伊藤先生、笑顔をくれた門脇先生、そしてどんな時であっても支えてくれた家族、今までありがとう。合格以上の大切なものを手に入れることができ、私は志門塾生であったことに誇りを持っています。
 これから高校受験に向かうみなさん、努力はどんな形であっても必ず報われます。だから、人生に1度しかない高校受験を精一杯、楽しんでください。

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大垣北高校 合格
小森 奏汰
揖斐川校
揖斐川中学校

受験勉強はフライングしたほうがいい。

 3月16日、僕は3ケタの数字を探していた。校舎にはり出された紙の中からその数字を見つけた時は、喜びがこみ上げてくるのをはっきりと感じた。
 中学1年の4月から塾に入った僕は、中学のスタートダッシュはしっかりきれた方だと思う。定期テストや岐阜模試でも良い点数を取ることができた。その調子で冬期講習を大垣のトップレベル選抜で受けた。武者修行だと意気込んで行ったものの、初日で心が折れた。周囲のレベルの高さに、自分の学力の位置を思い知らされた。自分よりも上には本当にすごい人が何人もいる。そんな人達に追いつけるように猛勉強を開始…というようにはならなかった。というより、しなかった。志望校圏内であった僕は危機感を感じなかったのだ。これがまずかった。僕の受験のエンジンがかかったのは、中3の正月前後だったが、あまりにも遅かった。それからは、慣れない勉強量により、寝る時間が減り、集中力も低下した。それにより、やってる意味が感じられない勉強も出てきた。最終的には合格したものの、どんな状況でも絶対安心という点数ではなかった。
 僕は受験で最終的には成功したものの、途中過程で失敗した。これから受験をするという後輩には僕の二の舞になってほしくない。だからこそ言いたい。「物事を始めるにははやく始める方が良い」という事を。これは当たり前の事だが、これはとても重要な事だ。受験はよくマラソンにたとえられるが、マラソンと大きく違うのは、「フライング」が可能な事である。フライングをしたお方が速いのは当たり前だ。他の人よりはやく始めれば、格段に有利になれる。受験までまだ時間がある後輩のみんなならまだそのチャンスは十分にある。だから、今から始めてほしい。受験で後悔したくないのであれば絶対にやってほしい。そして、自分を指導してくれる志門塾の先生を信じて、自分を信じて、合格という目標を目指して、進んで行ってほしい。

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大垣北高校 合格
片山 ひなの
東部校
東部中学校

努力することの大切さ。

 結果発表当日、自分の受検番号を見つけたときは、嬉しくて、涙があふれてきました。その瞬間に涙が流せたのは、この1年間、志門塾で過ごした時間があったからでした。
 私が、志門塾に入ったのは、2年生の3月でした。私は、勉強をすることが嫌いで、初めのうちは、勉強をやらされている、という感覚でした。しかし、東部校のみんなは自習室や授業など、どの場面でも、勉強に真剣に向き合っていました。また、フロンティアードで基礎講習を受けた時、岐阜模試の結果でクラス分けをされ、自分のレベルを思い知らされました。そこでようやく、もっと真剣に勉強していかなければならないんだ、という事が分かりました。
 部活も終わり、いよいよすべての時間を勉強に費やせる夏休みが来ました。私は、塾が空いている日は、塾に通い、今まで以上に頑張りました。苦手な教科を中心に、基礎から勉強し直したり、テキストの分からない所を積極的に質問したりしました。そのかいがあって、夏休み明けの岐阜模試や実力テストで、過去最高点を出すことができました。
 しかし、そこからが、とても苦しい戦いになりました。テストでいい点を取ったから、といって、塾に行きたくない、という日が多くなっていました。また、せっかく自習室にいても、眠くなってしまい、集中力がなかなか続かない日が多くなりました。その結果、どのテストでも点数が下がりました。周りはどんどん調子が上がっていき、点数も順調に伸ばしている中、私は調子が上がらず、点数も下がっていく一方でした。このままじゃ志望校に合格できない、と本気で焦りました。でも、こうなったのはすべて自分のせいです。何かと理由をつけて、努力をせずに、嫌なことから逃げ続けていた自分が本当に嫌になりました。今度こそ、努力するぞと心に決めて、勉強を真剣にやる努力をしました。
 まずは、夏期講習のテキストの解き直しや、夏秋講習、秋期講習のテキストを終わらせることから始めました。そして、分からない所は質問をしたり、解説や教科書を見たりして、すべての問題を理解するために努力しました。学校がある日は、夜7時から11時まで、土日は朝9時から夜の11時まで、自習室に通いました。しかし岐阜模試でも実力テストでも、思うように点数が伸びていきませんでした。それが、とても悔しくて、悲しくて、涙を流してしまったことが何度かありました。そして、志望校を大垣北高校から大垣東高校に変更してしまった時期もありました。そのときに、塾の先生と2者懇談をしました。そこで先生は、志望校を変更した理由は何なのかを聞いてくださいました。私はなかなか点数が上がらないこと、今、1番苦しい状況に立たされていることなどを泣きながら全て話しました。先生はその間、じっと耳を傾けてくれて、私の話が終わった後、こう言ってくださいました。
 「今のひなのさんは、初めて大きな決断をしようとしている。なかなか迷うこともあると思うけど、自分を信じて、最後まで頑張ろう。今、変更してしまったら、きっと後悔してしまうと思うよ。」
この言葉を聞いたとき、北高に行きたいという思いがまた心の底から込み上げてきました。
 そして、いよいよ願書を提出する時。私は迷いに迷いましたが、やっぱり、大垣北高校に行きたいという思いが1番強かったので、北高に出願することに決めました。決まったからには、進むだけなので、ラストスパートは、社会・理科を中心に確認し直し、受験に臨みました。
 受験当日、とてつもない緊張の中、いつもどおりにやろう、と心の中で言いきかせて、入試を終えました。
 合格発表までの1週間、自己採点での点数が悪かったので、本当に不安で仕方なく、ずっとそわそわしていました。でも、もしだめでも、今まで頑張ってきたし、覚悟を決めて北高を受験したので、悔いはない!!と心の中で思っていました。
 そして、3月16日、午前9時。受験番号が書かれた板が私たちの目の前に運ばれました。私は、友だちと手をつなぎ、人生で1番緊張していました。そして、ついに黒い布が取られ、受験番号が見えました。自分の番号を見つけた時は、心の底から嬉しさが込み上げ、涙があふれてきました。努力して良かった。あきらめなくて良かった、と心から思いました。
 この受験を通して、仲間や家族の大切さを改めて感じられたし、あきらめずに努力することは夢をつかむためにとても大切なことが分かりました。とても苦しく、つらい1年間でしたが、学んだことがたくさんあったので本当に濃い1年になりました。私に関わってくださったすべての人に感謝したいです。ありがとうございました。

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大垣北高校 合格
早藤 瑞起
外渕校
江並中学校

苦手から逃げずに、闘おうと思った。

 兄が北高に受かったときから、北高が私の志望校になりました。しかし、私は中1の初めの定期テストで386点、中学校3年間の最低点をとりました。その後、志門塾に入りました。その後、少しずつ点数が上がり、中2の初めのテストでやっと、400点をこえることができました。それからの定期テストは400点を下回ることはなかったです。最後の定期テストは、1週間の内にテストが3つあり、定期テスト対策どころではありませんでした。学校のワークを終わらせるので精一杯の状態で、テストを受けたとき、もう少しやっとけばよかったという後悔がありました。それと同時に、これまで、定期テスト対策により、点数を上げてもらっていたことが分かり、これまで定期テスト対策を行っていただいた先生方にとても感謝しました。だから、定期テスト対策がどれほど重要か、自分の助けになっているかを、これから受験を向かえるみなさんに知ってもらいたいです。それでも、岐阜模試と定期テストは違います。定期テストでどれだけ良い点数をとれても、岐阜模試では、全然とれません。夏休みに入る前の第2回岐阜模試で、私は英語で地獄を見ました。英語36点。その点数を見たとき、手がふるえ、どうすれば良いのかすごく悩みました。志望校に合格できるラインより下すぎて、私は本当に北高に受かるのかとてもこわくなりました。ですが、校舎長の先生が、「これから上げていける。大丈夫だよ。」と言ってくれたおかげで、志望校を下げずにすみ、自分の気持ち的にも闘おうと思いました。正月特訓が終わって次の岐阜模試で私は80点をこえることができました。それは、先生が私に合わせた時間配分を一緒に考えてくれたり、それがテストでも実行できるように時間を計ってくれたからです。先生はいつも、私が「どうにかしたい。」と思ったことを後追いし、助けてくれます。志門塾に入っていなかったら、私は、志望校を下げていたし、英語から逃げ続けていたと思います。そう考えると、私は、志門塾に感謝の言葉しかありません。また、夜遅くまで起きていて、塾の送りむかえまでやってくれた両親にも感謝しています。私は、この3年間、志望校に受かるかどうかとても不安でした。これから受験をするみなさんも同じ気持ちになると思います。辛いこともあると思います。そのとき、志望校を下げるのも1つの作戦でしょう。でも決して苦手からは逃げないでください。もう無理だと思う点数をとってもあきらめないで下さい。あなたがどうすればいいか分からないとき、どうにかしたいと思ったとき、志門塾の先生は必ず助けてくれると思います。力になってくれると思います。努力を続けてくれることを願っています。

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加納高校 合格
前本 実穂
赤坂校
西部中学校

周りの人の支えがあって、今の自分がいる。

 私は高校受験で「あきらめないことの大切さ」と「周りの人の支えがあって自分がいること」がどれだけ大切かを改めて知ることが出来ました。
 私は「吹奏楽部」で、この3年間部活を最優先して生活していました。毎日練習が遅くまであり、テスト前しか真剣にやっていませんでした。先輩が「今のうちから勉強をした方がいい。」と言われたけど、部活をやって帰ってくるといつもめんどくさくなって結局やらない毎日でした。自主勉ノートも学校でまとめてやったり、ワークは答えを見ながら写す作業をしていたり。そのとき私は「まだ大丈夫、部活が終わったらがんばればいい。」と思っていました。
 毎日部活だけやって勉強をしなかった生活から、部活が11月に入ってなくなり、勉強だけの生活になりました。このままずっと良くなるはず。と思っていたのにどんどん下がっていき、3年生のはじめと比べて70点近く下がりました。「なんで勉強しているのに、どんどん下がっていくの。勉強しない方が上がるのかな。」そう思うようになりました。勉強がいやになっていたときに赤坂校に入塾しました。先生から志望校を聞かれたとき、言うのが恥ずかしかったのを覚えています。「このまま毎日がんばれば絶対大丈夫だから、一緒にがんばろう。」と言われ自習室に毎日行くことを決めました。また、家で集中できない私は、自習室で毎日11時までは残ろうと決めました。入塾したときから自習室に毎日通い、毎日先生に質問していました。これなら大丈夫。と思ったけど、岐阜模試の点数はなかなか上がりませんでした。それでも毎日自習室に通いました。私が加納高校に行きたいと思ったのは、12月に入ってからでした。家から遠くてお母さんも心配していたけど、いつも応援してくれました。「加納にいきたい。絶対合格したい」という思いが日に日に強くなっていきました。だから自習室も毎日夜遅くまでがんばり続けました。こんなに自分勝手に勉強していたのにいつも遅くまで質問を笑顔で聞いてくださった先生。仕事で疲れているのに毎日送りむかえをしてくれたお母さんや、おじいちゃん、おばあちゃん。たくさんの支えがあって自分がいることを改めて感じるようになりました。自分のためだけじゃなく、周りの人に恩返しをするためにもがんばろうと思いました。最後のプレテストで先生から400点なかったらあきらめなさいと言われていた中で受けました。手ごたえが全くなく、あきらめようと決めたときに先生によばれました。結果を聞いてほっとしました。403点。3年生から下がりつづけ1回も400をこえたことがなかった私は本当にうれしかったです。先生から「志望校かえなくて大丈夫。」と言われてそこからまた毎日がんばりました。
 入試当日。事故があって車がなかなか動かず、集合時間に学校に行くことが出来ませんでした。とても焦ったけどお母さんが「落ちついて。大丈夫。今までの自分を信じて。」と言ってくれました。なぜか今までドキドキしていた気持ちが落ちついて入試に挑むことが出来ました。入試が終ってすぐに塾に行き、自己採点をしました。目標の点数にとどかず合格発表までの1週間不安な気持ちでいっぱいでした。
 合格発表の日。9時になって、貼り出された瞬間、「あった。」という声が後ろから聞こえました。それはお母さんの声でした。そのあとに私もみつけ2人で喜びあい、お母さんは泣いて喜んでくれました。今でもまだ実感が湧きません。でも今までがんばってきて本当に良かったと思っています。私が入塾したときから支えてくださった家族や先生のおかげでここまでがんばってこれたし、合格できたのだと思います。本当に感謝しかありません。寳谷先生が、私が苦しかったときに「桜は冬の間寒さにたえているから、春には満開の花がさく」と言っていました。そのときは何とも思っていなかったけど、今思えば分かります。努力をし続ければ春には合格という夢が叶うということを伝えたかったのだと思います。合格判定でDだった私を100点近くあげ、合格に導いてくださった先生や家族の期待をここでこわさず高校生活でもこつこつ毎日生活していきたいです。

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大垣北高校 合格
大西 ゆきの
安八校
登龍中学校

本当の志望校は……。

 私は、小学校6年生の秋に志門塾に入った。きっかけは妹の入塾だった。初めて授業を受けた日のことは、今でも覚えている。授業の30分前に塾に来た私は、とにかく緊張していた。でも緊張はすぐに和らいだ。気さくに話しかけてくれる先生、仲間がいたからだ。わかりやすく、楽しい授業を受けるのが楽しみになった。しかし、一方で不安も感じはじめた。100マス計算や数量感覚プリントが、全くと言っていいほどできなかったからだ。当時、勉強に対して不安を感じることが少なかった私は、仲間の計算スピードに圧倒されるばかりだった。私は、とても悔しかった。それから、私は宿題をするときに、問題を解くために考える時間を増やした。この成果はすぐには表れなかったけど、粘り強く考えることを継続した。今では、ここでの粘り強さが自分に生きていると思う。
 そして、小6最後の授業で配られた『プロセス』。中学準備講習、春期講習でのガイダンス。統一テストでの志望校記入。中学校1年生の段階で受験を見すえていくことに、とても驚いた。私は第1志望大垣東高校普通科、第2志望大垣北高校普通科と書いた。そしてその後も、ずっとそう書いていた。中学に入り、安八校には新たな仲間も増えた。私は、みんなより少し早く入塾したから、後から入ってきた仲間には負けたくなかった。だから丁寧に宿題をした。勉強する時間が自然に増えたが、点数はなかなか上がらなかった。でも勉強することが苦痛だと感じなくなったし、努力も続けていた。努力は無駄にならないと信じていたし、自信もついていった。しかし、1つ悩みがあった。勉強する目的はいい受験をし、志望校に合格するためだったが、その志望校がはっきりと定まっていないことだった。そんなある日、後藤先生に呼び止められた。このときのことは、今でも忘れることはない。先生は私の記入した志望校を見て、なぜ北高が第2志望なのか本当に行きたい高校はどっちなのかと聞いた。私は学力があれば、できたら北高に行きたいと思っていたが自分には無理だとも思っていた。でもそのとき、後藤先生がガイダンスで「行きたい高校は学力とかを考えずに行きたい高校」とおっしゃっていたことを思い出した。その瞬間、自分の行きたい高校は北高だと納得できた。私はその場で、先生に「大垣北高校です。」と言った。そしてその日の塾の帰り道に車の中で母親に、第1志望校を北高にしたことを伝えた。母はとても驚いていたが、反対も賛成もしなかった。応援してくれると思っていただけに、賛成してもらえなかったことは少しショックだった。でもそれが、もっと頑張ろうという思いにつながった。
 2年生になり、理科が苦手になっていった。苦手を克服することは難しかった。そして、そこから、1年生までのやる気は落ちてしまった。いつしか、宿題はこなすだけに近づいていった。このままではだめだと思っているものの、変わることはできなかった。自分の意思の弱さだと思う。
 そんな私が大きく変わるきっかけとなったことは、やはりお盆特別合宿を目指したことだと思う。補習授業での岐阜模試過去問の点数は悪かった。でもどうしても合宿に行きたいという気持ちは変わらなかった。それは、夏の高校見学で第1志望校が、揺らぐことのないものになったからである。そして、下から数えた方が早い順位で合宿に行くことになった。合宿に行けることは、うれしかったが、自分には努力が足りていないことに改めて気づかされた。合宿は楽ではなかったけれど、全力でやり切ったからこそ、大きな達成感を味わうことができた。そして、志の高い新たな仲間と出会い、勉強面に限らず心も身体も成長できた。受験勉強の中でこの合宿が大きな心の支えとなった。そして9月に入り、自習室に頻繁に来るようになった。初めのうちは、自習に来ているという感覚だったが、次第にあたりまえになっていった。受験が近づくにつれ、心持ちも大きく変わっていった。感謝を忘れなくなったし、前向きになれた。あいさつも今までより大きな声でできるようになった。合格することだけを考えるようになった。それは同時にどんな結果でも受けとめることができる覚悟ができるようになったということでもある。
 しかし、1月、2月と受験日が近づくにつれ、心の中に言いようのない不安もあった。点数も徐々に上がっていたのに、最後の最後、プレテストで下がった。それでもできるだけのことを精一杯やり切ろうと思えたのは、合格を目指す仲間が周りにいたからだ。頑張っている仲間の姿に何度も励まされ、頑張ろうと思えた。「受験は団体戦」という言葉の意味を、今ではよく理解できる。
 受験当日、岐阜模試のお陰で緊張せず、実力を出しきることができた。自己採点での点数は今までのテストを超えることができた。1週間後の合格発表当日はとても緊張したが、受験番号を見つけた母親が喜んでくれたことが、1番うれしかった。
 私は志門塾に入って本当によかったと思っている。この志門塾の先生方のように、熱くありたいと思う。この受験を通して私は成長できたと思う。自分を支え愛情を注いでくれた後藤先生、加藤先生、石黒先生、安八校の仲間、両親、関わってくださった全ての人に感謝したい。本当にありがとう。

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東濃学区

多治見北高校 合格
田口 稜真
多治見駅前校
陶都中学校

合宿での経験が、油断しそうな自分を支えてくれた。

 僕は、中1の冬期講習の時に志門塾に入塾しました。入塾時の面談で過去の定期テストを村瀬先生に見せると、そのテストを見ただけで、僕の弱さを見つけ、なぜ弱いのか、どうすればいいのかを話してくださいました。その時、この塾はすごいと思いました。
 中3の夏のお盆特別合宿に参加した僕は、自分の甘さ、周りとのレベルの差を知り、難関校を受験しようとする人の覚悟を知ることができました。その経験が、苦しい時、油断しそうな時に、自分を支えてくれたと思います。
 入試の直前期には、不安な気持ちでいっぱいでしたが、塾の先生たちはいつでも僕のことをサポートしてくださいました。理解できない問題、解らない問題に対する丁寧な解説の他にも、入試本番の注意点、記述のポイント、時間配分の仕方など、様々なことを教えてくださいました。苦手な教科も粘り強く教えてもらえ、勉強の楽しさを感じることもできました。
 この入試では様々な人の支えがあり、合格することができました。これからも、今回のように苦しいことに出合うと思います。しかし、逃げずに頑張り、将来のために悔いの残らない生活をしたいと思います。

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多治見北高校 合格
青山 太一
多治見駅前校
陶都中学校

どんな時も支えてくれた塾の仲間、先生、両親に感謝。

 僕は、中体連が終わるまで「サッカーに専念できて、サッカーの強い高校へ行こう。」と思っていました。しかし、村瀬先生に「将来何になりたいのか?」と聞かれ、中学の先生になりたいと思った僕は、サッカーだけではなく、勉強も頑張ることのできる、多治見北高校を志望校に決めました。
 しかし、その道のりは、簡単なものではありませんでした。頑張ってもうまくいかないこともたくさんありました。けれど、塾へ行くと、自習室で勉強をしている仲間が多くいました。その仲間たちに励まされ、お互いに高め合いながら、先生たちに協力してもらい、最後までやり抜くことができました。両親には、送迎をしてもらったり、何度も話し合いをしたり、様々な面で支えてもらいながら入試を迎えました。
 合格発表の日は、とても緊張しました。自分の番号を見つけた時は、とてもうれしくて、努力してきてよかったという思いになりました。それと同時に、励まし合った仲間、支えてくれた両親、一生懸命に指導してくれた先生方への感謝の気持ちがこみ上げてきました。「合格です。」と伝えた時の村瀬先生の笑顔は忘れることができません。本当にありがとうございました。

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多治見北高校 合格
足立 侃正
京町校
多治見中学校

あきらめずに続けられた事は、一生の財産。

 僕は地域のクラブチームに所属し、その後も学校の駅伝大会に出場していたため、本格的に勉強に取り組んだのは11月の初め頃でした。その頃の実力テストの結果はとてもひどく、担任の先生にも「このままでは志望校合格は厳しいぞ」と言われました。しかしその頃は、危機感を持ちながらもあまり勉強が身に入りませんでした。そんな僕が変わるきっかけは、正月特訓でした。初めて同じ志望校の人たちを見て、一緒に授業を受け、一斉に聞こえる丸付けの音を聞いているうちに、本当にまずいと思いました。やっと勉強に本腰を入れることができました。
 しかし変わったタイミングはあまりにも遅く、相当な努力が必要でした。毎日自習室に通い夜遅くまで勉強しました。なかなか成果が出ず、気持ちが下がり気味な時もありましたが、あきらめずに続けられた事は、僕の一生の財産になると思います。入試前日までは不安と緊張で押しつぶされそうでしたが、本番で全く緊張しなかったのは、今まで付けてきた自分の力に自信を持てていたからだと思います。
 たくさんの変わるきっかけを作り、手厚いサポートをしてくれた志門塾にとても感謝しています。

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多治見北高校 合格
服部 莞大
小泉校
小泉中学校

入試の直前まで点数が伸びなかったが、あきらめなかった。

 僕は「多治見北高校に行きたい。」と決意し、本腰を入れて勉強を始めたのは中体連を終えてからです。
 入試の2週間前まで思ったように点数が伸びず、本当に不安でした。今思うと、もう少し早く決意を固めていれば…と後悔しています。それでもあきらめずに勉強を続けました。入試直前のプレテストで409点を取り、少し安心しました。
 「油断してはいけない。」そう思い入試前日まで、平日は学校が終わってから夜10時半頃まで、休日は朝8時半頃から夜11時頃までと今まで通り勉強を続け、入試本番では自己採点で430点を取ることができました。
 今まで点数が伸びなかった僕がここまで来られたのは、塾のみんなや先生に支えてもらえたからです。毎日塾に来るのが日常で、苦痛ではありませんでした。
 後輩の皆さんには、支えてもらえる人々に感謝して、勉強して欲しいと思います。

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滋賀エリア

彦根東高校 合格
大田 朋也
彦根校
彦根中央中学校

強い気持ちと自信を持つこと。

 僕が志門塾彦根校に入塾したのは中学1年生の春。入塾当初は勉強への関心がほとんど無く、与えられた課題をこなし、授業のある時だけ塾へ足を運んでいる毎日だった。その頃は勉強ではなく部活動を熱心に行っていたため「受験」というものがどういったもので、何をすれば良いのかまったくわからなかった。
 そんな僕が受験を意識し始めたのは中学3年生の夏に志門塾の勉強合宿に参加した時だった。この合宿も「みんなが参加しているから」という理由で何となく参加しただけだった。そして事前に与えられた課題もこなすだけで何1つ頭に入れることなく合宿初日を迎えた。そんな状態で当日を迎えたため、初日のトライアルで点数がとれるわけもなく、結果は最悪なものだった。しかしなぜか悔しさはなかった。「やってなかったからしかたがない」と自分を正当化していたのだ。本当に情けないと思う。しかし、そんな気持ちも合宿2日目で大きく変化した。初日のトライアルで最下位だった僕の友達が大きく順位を上げたのだ。夜遅くまで必死に努力をしていたその子に僕は負けた。その時、心の底から「悔しい」「負けたくない」「このままではだめだ」と感じることができた。そして次の日から夜遅くまで頑張り続けた。自分一人だけでなく、みんなで互いに競い合って高め合うことができた。この時初めて勉強の楽しさを知ることができた。本当に充実した合宿だった。
 その後、勉強の楽しさを知った僕は勉強にのめり込み、学校が終わると直接塾へ足を運び勉強をするまでになった。しかし、周りのみんなも努力していたため、なかなか偏差値が上がらず、不安やストレスが溜まる毎日だった。
 そんな時に僕を大きく成長させたのは塾の正月特訓だった。初めて出会う先生や生徒に刺激された。特に英語の講座では英文法を1から学び直すことができ、僕が英語を好きになるきっかけとなった。
 こうして夏の合宿、正月特訓を終え、あとは自分と戦うのみ。ひたすら自習室に通い自分を追い込む日々、自分一人では続けることができなかったと思う。みんながいたからがんばれた。初めて「受験は団体戦」という意味を理解することができた。
 そして、とうとう受験当日を迎えた。倍率が高く、プレッシャーや不安に押し潰されそうになった。そんな僕を支えたのは、今までの自分の努力、悔しさ、負けたくないと思う気持ち、今まで自分が行ってきたことすべてだった。そして何よりも村山先生の「大丈夫。おまえならできる」という言葉に大きく背中を押された。たくさんの人の思いを胸に試験に臨んだ。そして合格発表の日に自分の受験番号を見つけた時の喜びはこれから先も忘れることはないだろう。
 最後に、受験において大切なことは自分の意思で行動すること。何となくではなく、今自分に必要なことを必要な分だけ自分で判断して行うこと。そして強い気持ちをもつこと。「絶対に合格する」「負けたくない」と思うこと。そして最後は自分に自信をもつこと。自信をもって何かをやりとげた先には必ず合格以上に大切なことが待っているから。

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彦根東高校 合格
岩田 真依
近江校
米原中学校

学んだことは、努力と感謝。

 小学校を卒業して家族から、まずは、学校の勉強が理解できるようにと塾に入る事を勧められた。最初は流されるままにやっていて、その時の目標は米原高校に合格することだった。当時の私は、塾は、ただ勉強を先取りで教えてもらったり、定期テストや入試の対策をしたりと勉強をするだけの場所だと思っていた。しかし、実際に通いはじめて衝撃を受けた。志門塾は私が思っていたような塾とは違ったからである。志門塾では教科書の内容だけでなく、将来、どのような人格が必要になってくるか、どうして塾に通っているのか、家族の大切さ・ありがたみなどの教科書に載っていないような事柄も教えてくださいました。
 中1・中2の時は大変だと感じることもありましたが、私なりに真面目に一生懸命取り組み、すべてこなしていきました。その結果、中1の最初の方は、テストでも思うように点数が伸びませんでしたが、ずっと真面目に取り組んできたことに加え、テストに慣れていき、提出物だけでなく、対策問題集にも手をつけられるようになった成果が出てきたのか、中2の3学期からグングンと点数が伸びていきました。ここで、取り組みの成果はすぐには出て来ませんが、どこかで必ず実を結ぶということを学びました。
 中3の春、「いよいよ受験生だ」と周りからよく言われましたが、正直、この時点でまだ実感がわいていませんでした。
 中3の夏、夏期講習が始まりました。塾の先生に「まずはここで頑張らなければならない」と言われました。1日10時間を目標にほぼ毎日塾に通いました。お盆の特別合宿にも行かせてもらいました。「大変だ」とも「精神面でタフになってこい」とも言われました。本当にタフになるのかと少し疑問に思っていた部分もあったが、実際に行ってみると予想以上でした。合宿中はほとんど1日中テキストと向かい合っていました。その日の授業での宿題や翌日にあるテストの予習などもあり、睡眠時間もあまり無い中で4日間を過ごしました。精神的にも体力的にもキツかったです。しかし、だからこそ、学力だけでなく忍耐力やタフさも身に付いた気がしました。ここで自信がつき、志望校を米原高校から彦根東高校へと変更しました。
 中3の秋、2学期になり、内申に最も関わる時期になり、また、テスト対策と同時に入試対策が行われるようにもなりました。いよいよ受験生だという実感が、ここにきてやっとわいてきました。V模試も始まりました。この時点では学校のテストも第1回目のV模試も、思った通りとまではいきませんでしたが、まぁまぁ良い点数が出ていて、その後もミスで点数を落とすということを無くすという課題はあったものの、第2回のV模試でも判定は良い方でした。
 中3の冬、いよいよラストスパートに突入した受験勉強。冬期講習や正月特訓に参加をし、いよいよ迎えた第3回のV模試が1番結果を出さなければいけないテストでした。しかし、私はそこで思うように結果を出せなくて、今までの結果に満足して気を抜いてしまっていたのかもしれない。その結果を見て、いっきにあせりました。志望校合格判定の評定が1つずつ下がっていたからです。不安がものすごい勢いで押し寄せてきました。その後は、入試問題を予想し、完璧な答案をつくるためのテスト形式の学習が始まりましたが、そこでも思ったような結果は出なくて、ますます不安は募っていき、何度も逃げ出したくなりました。第2回のV模試の前に特色講座がはじまりました。一般入試の問題とは全く異なる形式でそれを50分で解かなければならないので、かなり苦戦しました。しかし、問題の解き方も小論文の書き方も何度もやっているうちにコツをつかんでいき、点数も少しずつですが伸びていきました。
 12月くらいからは、日が過ぎていくのが本当にはやく感じました。あっという間に日が過ぎていき、特色選抜の受験当日になりました。その日は朝から不安でいっぱいでしたが、父が会場まで付いて来てくれ、普段通りにしてくれたのが、心の救いでした。周りからは「受かると思うな。受かったら儲けものだという気持ちで受けてこい。」と言われていました。少しの期待はあったものの実際の出来には自信がなく、ほとんどあきらめていました。結果発表の日。朝からずっと気になり、その日の授業はほとんど頭に入ってきませんでした。ダメだと思っていたのが合格でした。結果をすぐにのみこめませんでした。合格だと分かった瞬間、安心と嬉しさで思わず涙があふれてきました。家に帰って家族に報告すると「努力して結果が出せて良かったね」と喜んでくれました。
 私がこの高校受験で学んだことは2つあります。ひとつは努力することの大切さです。何をしてもすぐに成果は表れませんが、あきらめずに続けることで必ず結果はついてくるということを身をもって実感しました。コツコツリスニングでも、やる時間を決め、毎日欠かさずに続けたことで英語力がつきました。もうひとつは、家族への感謝やありがたみです。普段から塾の時間に合わせてご飯やお風呂を準備してくれたり、仕事が大変なのに毎回塾の送り迎えをしてくれたこと、ありがたく思っています。
 最後に塾の先生方、いつも心配して下さり、御指導いただいたこと、決して忘れません。勉強、生活、心の持ち方など教えて下さったことをこれからの私の進んでいく道で、心の支えとしてがんばっていきたいと思います。本当にありがとうございました。

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長浜北高校 合格
小森 遥翔
高月校
高月中学校

合格発表日のうれし泣き。

 僕にとって受験とは苦しいものであり、楽しいものでもありました。
 僕は、2年生の春の時に勉強がついていけずこの志門塾に通わせていただくことになりました。授業では細かい所まで教えていただきました。テスト期間になるとテスト対策というものが始まり、プリント等でできるだけ多くの問題を解いていきました。僕は、テストを重ねる度にテストの点が上がりました。2学期の期末テストが終わり、成績表が返ってきました。期末テストは、そこそこ取れていたので成績はいいかなと思っていました。しかし、返って来た成績表はとても悪かったのです。僕は、点数が取れていても、提出物や授業態度などがとても悪かったので、自分が思う成績にはなりませんでした。僕は、2学期の成績がとても悪かったので香田先生と懇談をしました。僕は、その時に言われた言葉が今でも心に残っています。その言葉は「このままだと高校は、無理やな」でした。僕は、この言葉を聞いてとてもショックでした。そして、僕は、これからをどう過ごすのか、今やるべきことは何かということを香田先生と一緒に決めました。そして3学期がスタートしました。僕は、香田先生と決めたことを毎日しっかりとやりました。期末テストは、そこそこの点数は、取れました。そして3学期の成績表が返って来ました。そこに書いてあった成績は、今まで取ったことのない成績でした。とても達成感がありました。今、思うとあの時の香田先生との懇談は、僕の人生を変えてくれたと思います。そして3年生、僕はこの1年がとても苦労をしました。決めごとは、継続してやっていましたがテストの点数が3年生になってから上がらなくなってしまいました。そして、最終的には、点数が今まで取っていた点数よりも下がってしまいました。原因は、覚える量の多さでした。3年生になると入試が近いので実力テストをします。そのため、定期テストの勉強をしながら実力テストの勉強もするので、定期テストの勉強が十分にできません。成績表もそこそこでした。夏休みに入ると部活が終わり入試勉強に専念しました。自習室には、毎日来て今まで習ってきたことを復習しました。2学期に入ると僕は、時間が空いていたら自習室に来るようにしました。わからない所があったら先生に質問しに行き少しでもわからない問題を減らそうと思いました。10月に入ると僕は、香田先生に勧められて特色講座を受けました。年が明けると私立の受験や特色選抜が1ヵ月をきったので精神的な面に弱りましたが先生達が応援してくださったので打ち勝つことができました。2月に入ると最初の受験、私立の受験がありました。僕は今までがんばってきた努力を思い出し入試に挑みました。その夜は、結果が気になりましたが明後日が特色選抜だったので勉強に励みました。特色選抜の日、僕は、とても緊張していました。特色講座でやったことを思い出し自分なりに解答欄を埋めました。けれども、自分では出来具合がよくないと思い、泣いていました。発表までの1週間がとても苦痛でした。最初に発表があったのは私立の方でした。僕は、心の中ではもし落ちていたらどうしようの気持ちでいっぱいでした。判定は、合格でした。僕の気持ちがうれしい気持ちに入れ変わりました。特色選抜の合格発表の日、僕は、いつもと同じように学校生活を送り、結果を待っていました。僕の番が次の時になぜか泣いていました。僕は、ずっと落ちていると自分で思っていたからです。そして、僕の番の時、学校の先生が言った言葉は、合格という言葉でした。僕は、驚き、学校の先生に確認をしました。自分が合格したとわかったら、くやし泣きがうれし泣きに変わりました。
 僕が初めての受験を通してわかったことが、努力は、必ず報われるということです。少しずつの積み重ねが自分の思う結果に近づきます。僕は、感謝をする人がたくさんいますが、1番は、僕を志門塾に通わせてくれた両親です。僕が塾に行くための送迎、いろいろな講座を受講させてくれたり、そして、入試を受けるために必要不可欠な僕の命そのものを与えてくれたりなどのことは、言葉では、表せないぐらいの感謝でいっぱいです。この恩は、これからの人生で少しずつ返していきたいと思います。僕は、この志門塾に通わせていただいたことは後悔はありません。むしろ、たくさんのことを学ばせていただきました。勉強のことはもちろん、社会に出た時の社会性など将来のことについても教えていただきました。僕は、この志門塾で学んだことを生かして今後の人生を歩んでいきたいです。2年間ありがとうございました。

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虎姫高校 合格
中村 優歩
長浜校
長浜北中学校

支えてくれた人がいたから。

 私は中1の夏期講習から、志門塾長浜校に入塾しました。塾の友だちは自分の志望校を決めはじめていて、正直焦りと不安でいっぱいでした。本格的に志望校が決まったのは、中3の夏休みです。お母さんに無理を言って、合宿に参加させてもらいました。合宿では、これまでにないほどの勉強をしました。トライアルでは、なかなか結果が出ず、何度も心が折れそうになりながら、毎晩勉強していました。そんな中、目標点数をこえたときはもちろん嬉しい気持ちもあったけれど、私の点数はあまり上がっていなくて、自分だけ、おいてかれているような気もしていました。最終日、トライアルの平均点は到達点数には届きませんでした。その時、自分の点数が下がった時より何十倍も悔しくて、受験は団体戦なんだと強く感じました。この合宿を経験したことで、受験への意識が180度かわりました。それから毎日自習室に通いました。でも、夏休み後のV模試での判定はDでした。夏休み合宿にも参加し、たくさん勉強したはずなのに、なんでこんな低いんだろうって何回も思ったし、どうすれば良いかわからず、塾に行くのが嫌でした。そんな時先生が、まだ時間はあるし、絶対受からせるから、と言って下さったのは本当に心強かったです。学校の実テもうまく上がらず、落ち込んでいたけど、まだ時間はあると思うと、不安もうすれ、やる気に変っていきました。そして、冬休みをはさんで、3回目のV模試。自分の中では駄目駄目で、ここで判定が変わらなかったら志望校を変更しようと考えていました。先生から判定がBだと聞いたとき、嬉しさのあまり泣きそうになっていました。夏休みから、成績が上がらないなりに、がんばってきて本当によかったと思いました。ここまで上がってこれたのは、私一人の力ではないと強く感じました。今まで、おいしいご飯がつくってあるのが当たり前、ただいま、と言えば、おかえり、と返ってくるのが当たり前でしたが、この受験を通して、私が普段当たり前だと感じていることこそが、特別なことなんだと気づくことができました。1番感謝しなくてはいけない母親に、強く当たり、ケンカが多くなり、家を出たいと思ったことも何度もありました。でも、こんなどうしようもない娘の受験を心から応援してくれて、合格したら、一緒に喜んでくれる世界一の母親です。いつも、広い心で、自分の好きな高校に行けばいいよ、と背中を押してくれていたこと、本当に感謝しています。そして、長浜校の先生方にもたくさんの感謝があります。私が暗い顔して来たら、相談にのってくれて、いつも明るく出むかえてくれて本当にありがとうございました。先生方が最後の最後まで背中を押して下さったからこそ、今の私があります。この“合格”は、たくさんの人の力を借りてこその合格であると思っています。だから、これからは関わって下さった全ての人に恩返しできるような日々を、1日1日歩んでいきたいです。木村先生、薮崎先生、今までありがとうございました。

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米原高校 合格
森島 愛加
彦根校
彦根東中学校

最高の努力をすると決めた受験。

 中2の冬、私は志門塾という名の場所に入りました。誰も仲が良かった子がいず、知らない世界へ飛びこんだ私でした。しかし、そこには温かく受けいれてくれた志門のみんながいました。そして中3になってから「受験」という言葉が周りでも言われるようになり、私の頭にもしみつきました。中3の夏、私の中で受験勉強というものがスタートしました。朝に授業があり塾でお昼を食べて昼から自習。こんな日々がほぼ毎日で辛かったけれど、嫌だと思ったことは1度もなかった。だってみんながいたから。また、夏には私が一生忘れることのない大きなイベントがありました。それは合宿です。合宿の前から村山先生から「本当に辛いよ、けれどやりがいや達成感がある」と聞いていました。その言葉通り、合宿は深夜1時半、遅いときには2時まで友達と対策を話し合い、朝は5時に起きるといった辛い3泊4日でした。しかし、最後の日はボロボロに泣いて勉強というものが楽しいと思えた瞬間でした。何時になろうと、周りにずっといてくれた仲間がいてくれたからこそ乗りこえることができたのだと思います。また、夏には、ものすごい厚い夏期講習テキストがありました。でも全員提出でバーベキューという目標があったので日々頑張り、バーベキューを行うことができました。夏が終わり、秋期講習のテキストをもらいました。あの内容の濃い夏に比べると薄く感じ、少し変な気持ちでした。こうして秋が終わり、本格的な受験勉強がスタートした冬。分野別問題集という名の、去年から先輩方のを見ていた分厚いテキストをもらいました。いざ、滋賀県の入試問題を解いてみると、難しくて、本当に難しくて。苦手な数学と理科のページなんて赤ペン1色で染まったこともありました。隣で自習している子は間違っていないのに、と思うときもあり、「不安」だけが私の頭にたまっていく時期もありました。でも、そのおかげで、自分の苦手な部分が分かり、理科の化学分野、物理分野のプリントをたくさんもらったり、ファイルにとじてある理科のプリントをこれでもかというぐらい、たくさんもらいました。自分のルーズリーフもパンパンになるくらい詰めこみました。それは私の努力の結晶でもあります。ここまで準備して挑んだ第2回目のV模試。結果は以前よりもランクが落ちて偏差値だって下がりました。今までの努力は何だったのかと、怒り、悔しかったという悲しみ。いろんな感情がぐちゃぐちゃになりました。それでも、中1から決めていた「米原高校」という志望校は変えなかったし、今まで以上に努力するという気持ちも生まれました。1月には最後の特訓でもある正月特訓が3日間ありました。1月にもなってくると、みんな気合いが入り、ハチマキを巻いて本当に気持ちが入った3日間になりました。そこから私は特色選抜を受けることを考えていたので、そのための勉強が始まりました。周りからは「受かってしまうんじゃない」と声をかけられ、嬉しかった反面プレッシャーも大きくなりました。しかし結果は「不合格」。発表の日は落ち込んだし泣きました。でも村山先生の「一般は絶対に受からせてあげるから」という言葉を支えにして、一般までの1か月頑張ることができました。それから毎日のように自習室に通いました。朝、講習があり昼は友達とお弁当、夜はコンビニ。土日はいつも、このような日々だったけれど、その食べるだけの1時間が私にとって幸せな時間であり、そのために自習を頑張っていたと言っても過言ではありません。自習室というのは、私にとって頑張れる場所です。自習室利用表でも、「もうこんなにも来ている」と思ったし、周りを見ても必死にペンを走らせているみんなを見ると、くじけそうになっても頑張ることができました。ここまでやり込んで、自分を追い込んで最後のテストである入試プレテスト。結果は前回よりもぐっと伸び自信を持つことができました。直前講習の結果に関しても良い刺激となりました。そして、ここまでみんなと必死になって頑張ってきたことを胸に挑んだ3月8日、「一般入試。」国語、数学、社会、理科、英語、と実力を十分に発揮することができました。結果は「合格。」「554番あったよ!」お母さんに叫んだことは忘れません。私にとっての受験、それは村山先生、岩波先生、鈴木先生、またその他の校舎の先生、そして家族に感謝することができたこと。自分に自信が持てたこと。勉強が楽しいと思えたこと。この3つが私にとって受験という経験を通して感じられたことです。何時になろうと駐車場で待ってくれたお母さん。彦根校1人1人を我が子のように毎日優しく笑顔で志門に迎え入れてくださった村山先生、岩波先生。本当にありがとうございました。志門という場所は第2の家であり、早く行きたいと思える私の大好きな場所です。本当にありがとうございました。

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米原高校 合格
橘 真咲
高月校
西浅井中学校

諦めずに志望校に挑戦。

 私が志門塾に入り、受験勉強を始めたのは、夏休みが過ぎ去り、体育大会や文化祭も終わった、去年の10月のことでした。それまでの私は、家で勉強することはあまりなく、定期テスト前にだけあせって、提出物をするくらいでした。多くの同級生が塾に通い、勉強をしていた夏休みも、私は友達と遊んで過ごしました。そんな私が受験であせりを感じたのは、夏休み明けに学校で行われた実力テストでした。「今まで習ったことしか出ないから大丈夫だろう。」と思っていた私は、返却されたテストを見ておどろきました。周りは、それぞれ志望校に十分な点数を取っていたのに、自分は見たこともないくらいの低い点数を取ったからです。今思えば、自分が勉強してこなかったから当然の結果だったはずなのに、その時の私は、もうどうしていいかわからなくなりました。そこで、母がすすめてくれた志門塾に入塾することになりました。
 家から塾が少し離れていることや、両親の仕事の都合で毎日とまではいかなかったけれど、塾に入ってからは時間の許す限り自習室も利用して塾と家で今までにないくらい勉強をしました。私は特色講座も受けていたので、平日の通常授業3日、土曜日は秋期講座や冬期講習、日曜日は特色講座の合計週5日間、授業を受けました。はじめは、回数が多すぎると思いました。でも、同じ高校を目指している人達もこれをこなしていると思うと、負けたくないし頑張ろうと思えました。特に特色講座では同じ高校を目指している人がたくさんいて、自分がどのくらいの学力をつけなければいけないのかを知ると同時に自分の今までの勉強に対する意識の低さを痛感しました。はじめは、文系も理系も30点くらいしかとれず、本当にあせりしか感じませんでした。でも、せめて間違えた問題はもう絶対に間違えないようにしようと思ってやり直しをしながら、過去問も解いていくうちに、少しずつ点数は上がっていきました。復習したことが問題に出て解けたときや点数が上がったときはうれしくて、もっと勉強を頑張ろうとやる気が出ました。私は、特色講座を受けたことが、自分の勉強方法を見直して頑張ろうと思えたきっかけになりました。
 しかし、塾へ入って勉強をしているからといってすぐに学校の実力テストで点数が上がるわけでもなく、最初の2か月は、点数が上がらなくて、テストが返却されるたびに憂鬱な気分になりました。担任の先生には呼び出されて、「このままでは厳しいから、志望校を変えたほうがいい。」と何度も言われました。私はその言葉を聞くたびに今まで勉強をしてこなかった自分が情けなくていらいらしました。そして、家族に八つ当たりしてしまうことも多くありました。でも、両親はそんな私をしからずに、「あせらずに今できることをやれば、必ず結果は出るよ。」と言ってはげましてくれました。それからは、とりあえず、最後まで勉強するしかないと思って必死に勉強をしました。年末に配られた分野別問題集はとにかく一つ一つわかるまで解き直しをしました。また、お正月の3日間は、苦手な教科を少しでも克服しようという思いで正月特訓に参加しました。正月特訓では朝から夜まで授業があってえらいと思うこともあったけど、お昼休憩でみんなとお弁当を食べたり、話したりしてはげまし合えたことで乗り切ることができました。
 そうしてむかえた、V模試と冬休み明けの実力テストでは、今までよりも点数を伸ばすことができました。今までやってきたことが少しずつ結果にあらわれているようでとてもうれしかったです。でも、担任の先生から言われた言葉は同じで、実力テストの結果を香田先生に見てもらって面談をしてもらいました。その時たしか、「そんなに問題ないよ。」と言ってくださいました。私はその言葉を聞いて、「やっぱりこのままやるしかない。」と思いました。その後は、分野別問題集や記述の問題を中心に勉強しました。少しずつ、実力テストの点数も上がっていき、自信をつけていくことができました。
 そして、ついに特色選抜の日がやってきました。朝、米原高校へ行くと、香田先生がおられて、「いつも通りに受けたら大丈夫だよ。」と言ってくださいました。同じ中学校から米原高校を受けるのは私だけだったので、とても緊張していた私は、その言葉で本当に緊張がほぐれて、安心して問題を解くことができました。1週間後、私は学校で合否を聞きました。結果は合格でした。通知をもらった時、私は手が震えていました。担任の先生も泣きそうになって喜んでくださいました。また、家族もよく頑張ったと喜んでくれました。私も最後まであきらめなくてよかったと心の底から思いました。
 私は、受験を通してたくさんのことを学びました。その中でいちばん強く思ったのは、周りの言葉やテストの結果で一喜一憂せず、どれだけ頑張りを続けられるかが大切だということです。私は、周りの多くの助けを借りて、あきらめずに志望校に挑戦することができました。仕事が忙しい中、お弁当を作ったり、送りむかえをして支えてくれた家族、もっと上の高校を提案したり、温かい言葉をかけてくださった香田先生、いつも授業でお世話になった高月校、特色講座の先生方、あとから塾に入った私を快く受け入れてくれた高月校のみんな…。本当に数えきれないほどの人たちのお世話になりました。私にとって、高校受験は忘れられない一生の思い出になりました。ここで学んだことを忘れずにこれからも頑張っていきたいです。私を支え、成長させてくださったみなさんには感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。

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米原高校 合格
池田 藍那
近江校
柏原中学校

先生が背中を押してくれました。

 私は兄に影響を受けて、志門塾に入りたいと思うようになりました。兄は毎日塾に通い、一生懸命勉強して自分の目標とした高校よりも上の高校に合格したからです。その姿を見て、とてもあこがれたし、かっこいいなと思いました。しかし、私が塾へ入ったはじめの頃はこんなにも勉強が大変だとは知らなかったため、毎日塾をやめて勉強から逃げたいと思っていました。あるとき母は私に「もうやめるか。」と言ってきました。まさかそんなことを言われると思っていなかったので、とてもびっくりしました。でもそう言われたことによって、逃げてはだめだと思えました。
 塾にいる人たちはいろんな思いで通っていて、中には私と同じ思いの人もいました。その人と話していると、気が楽になって「私だけが辛いわけじゃない。一緒に頑張る人がいる。」と感じました。しかし、なかなかやる気が出ないまま、3年生のほとんどを過ごしてしまいました。塾に入ってはじめてのV模試を受け、結果が返ってきたとき私は、とても苦しくなりました。自分の行きたい高校には全く学力が足りなかったからです。私が勉強から逃げていることもわかっていたし、まだまだ本気ではないこともわかっていたけど、やっぱり数値を見るとこわかったです。2回目のV模試のときもまだ時間があると思い、少し手を抜いてしまった部分もありました。当然の結果でした。その頃の私はまだ本気でもないのに結果が悪かったからと言って、高校を下げようとしていました。そのため、1月に行われる塾の正月特訓もお金がかかる、お盆特訓に参加してもあまりいい結果が出なかったという理由で、参加しないと母に言いました。すると塾の先生が母と話してくださって、正月特訓に参加することになりました。参加する前は、お正月は遊びたいと思っていたため、参加することがとても嫌でした。しかし参加したときに自習室で勉強している人たちからものすごいやる気が見られ、自分がばかばかしく思い怖くなって、長くはそこにいられませんでした。今まで自分は何をしてきたのだろうと思い、とてもあせりはじめ、少しずつやる気が出るようになってきました。最後のV模試、私は初めて本気で勉強して受けました。すると、数値が上がっていました。とてもうれしくて、初めて勉強してよかったと思えました。そこからやる気はどんどん出て、直前模試や入試プレテストで数値がますます上がっていきました。ですが、入試が近づくにつれて、不安とあせりが大きくなっていきました。でも心配をかけたくなかったので、なかなか親や塾の先生に自分の気持ちをうちあけることができませんでした。いつもがんばって笑うようにしていました。本当はとても怖くて泣いてばかりでした。それに気づいてくださったのかはわかりませんが、入試まで1ヶ月をきった頃、塾の先生が「本当はこわいんやろ。」と言ってきました。そこまで見てくださっているとは思っていなかったので、うれしくて泣きそうになりました。そこで先生は、私がどのような位置にいて、あとどれくらいで行きたい高校に行けるのか教えてくださいました。それを見て、あともう少しで合格することができるとわかり、もっともっとやる気が出て先生にすごく背中を押されたような気がしました。そして先生に母に安心してと伝えるように言われ、数値とともに母に伝えたら泣いてくれました。その涙によって、母はとても心配してくれていたのだと改めて実感することができました。
 受験まで1週間をきったとき、私はやっぱり不安だったのでなかなか勉強に集中できませんでした。そんなとき、塾の先生が突然母と話すと言いました。はじめは母と先生で少し話していて、あとから私は面談室に入りました。すると母はとても泣いていました。先生は何度も勇気づけてくださり、安心させてくれました。後からなぜ泣いていたかを聞くと、先生は母までも安心させてくださっていたみたいでした。それを聞いて私は、安心した状態で受験することができました。試験中もあせることなく、いつもどおりにできました。入試が終わってから合格発表までの間、とてもどきどきしていて何も集中できませんでした。そして合格発表の日。車の中で母と私はいつもみたいに楽しく話していました。しかし、すごく緊張していて会話がぜんぜん続きませんでした。番号の書いてある掲示板を見たとたん、母は泣いて抱きついてきました。私は母の反応を見て泣いてしまい、なかなか見つけられませんでした。自分が合格できたことが信じられませんでした。その後、塾の先生が高校に来られて報告したとき、笑って「安心した。」と言ってくださり、涙が止まりませんでした。本気で勉強してよかったと思いました。
 私は今まで本気で勉強したってなにもいいことはないと思っていました。しかし、高校受験で初めて思いました。なぜなら、自分の行きたい高校に行けるからでもありますが何よりもたくさんの人たちが喜んでくださったからです。合格できたのは塾のおかげです。塾に通えたおかげで塾の先生に出会え、支えられてやってこれました。先生は私にとって本当に偉大な存在で、出会うことができてよかったです。また、塾に通ってきたことで、人が変わるのに時間は関係ないことに気づかされました。変わることは簡単ではないけれど、強い思いと根気さえあれば変わることができると私は思っています。1年間、とても辛く苦しかったけれど、いろんな思いができて、充実しました。忘れることのない、いい1年でした。

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虎姫高校 合格
伊藤 ことは
長浜校
長浜北中学校

夢の実現に向けての第一歩!

 特色入試まであと1週間。私が緊張と不安で押しつぶされそうになっているとき、木村先生が懇談をして下さいました。そこで「安心していってこい。誰よりもやってる。私が保証する。」と力強く伝えて下さったおかげで不安な気持ちが和らぎ、特色入試までの間、集中して学習することができました。そして当日、試験がはじまると、特色講座で学んだことを思い出しながら解きすすめました。塾で解いた問題が出てきたときには、自信を持って答えを書くことができ、嬉しかったです。志門塾に入って良かったと改めて思いました。
 私が受験を意識し始めるきっかけとなったのは夏休みにあった合宿でした。合宿では全員の順位と点数がはり出されるトライアルがありました。少しでも自分が高い点数をとれるよう合宿まで毎日自習室にこもり、一生懸命勉強をしました。それでもやはりはやくから受験の意欲を持っている人には勝てず、悔しい思いをしました。日がたつにつれて「受験は個人戦でもあり団体戦でもある」という村山先生の言葉の意味がわかるようになりました。3日目の夜には出題傾向をみんなで分析しました。そこで自分のためだけにしていた勉強が、みんなで平均点を上げるための勉強へと変わったのです。平均点が目標点数を超えると、全員で喜びを分かち合い、これが団体戦なのだと実感しました。私達よりも朝早くに起床し、夜遅くに就寝していた先生方は疲れの顔一つ出さず、優しく接して下さり、先生方からの愛情がひしひしと伝わってくる4日間でした。合宿に行って良かったと心から思っています。
 志門塾ではつらいこともたくさんありましたが、今となってはそのつらさが自分のためになっていると実感しています。
 受験を通して、両親や塾の先生方の愛情を感じ、塾をはじめとした友達との友情を深めることができ、良い体験をしました。塾に通わせてくれた両親への恩返しができるよう、高校でも志望校合格、また夢の実現へと向けて精進していきます。

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