岐阜学区

大垣北高校 合格
福田 倫太郎
北方校
真正中学校

本当の意味で、受験に成功するということ。

 私の受験は夢を叶えるための通過点でした。私には、「地質学者」という夢があり、今もその夢を追い続けています。夢をもつきっかけとなったのは小学生の夏休みの自由研究でお世話になった博物館の学芸員の先生方です。どんな質問に対しても分かるまで丁寧に教えてくださる先生方にあこがれ、志すようになりました。
しかしそのような先生方は高学歴の方ばかりで、東京大学出身という先生がほとんどでした。私は、あこがれの先生方を目指すなら、まず学力が必要なのだということを知りました。そして志門塾入塾の時、私は校舎長に「大垣北高校に行きたい。」とはっきり伝えました。トップレベルの国公立大学に入学するために、自分で決めた道でした。
しかし、私は小学校の頃宿題以外の勉強は全くせず、夜もかなり早い時間に寝るという生活をしていたため、夜10時まである授業がはじめのうちは辛かったし、中2までは全く自習室を利用しませんでした。そのため、定期考査前に大量の宿題に追われ、テスト前日に徹夜して終らせたことも何度もありました。また、点数はいつも伸びず、同じような点数ばかり取っていました。親からは「なかなか点数上がらへんねぇ。」と言われ、反抗して「下がってないでいいやないか。」と口論になったこともありました。心配してくれていたのに、努力をしていない自分が悪かったのになぜ親に反抗したのか本当に反省しています。
そして迎えた3年生。今年もう受験なんだという緊張感と、まだ点数が全然足りていないという不安でいっぱいでした。基礎講習で岐阜本部校に行ったときには、周りには解ける子が大勢いるのに自分だけしか解けていないという問題もあり、中学校2年間の努力の差というものを感じました。お盆特訓では数学3授業を選択し、先生方が厳選した難問と向き合うことで苦手な数学のコツをつかむことができました。また、この夏休みには北方校独自で期間内に自習室100時間を達成するという課題も出され、それが私の自習室を生活習慣に取り入れるきっかけにもなりました。しかし、自習室を利用するようになるにつれて、親への負担も増していきました。送迎や夕食の準備、たとえ自分の子どもであっても、自分以外の人間である私に両親は多くの時間や労力を使ってくれました。しかしまだその時の私は親に心から感謝することができていませんでした。それは、ありがたみを感じることができていなかったからです。
しかしあるきっかけで私は変わりました。それは毎回岐阜模試に話をしに来てくださる総塾長の言葉です。「受験に合格すること。それだけが受験の成功ではない。人に信頼され、感謝できるような人格を形成できたら、それが本当に受験に成功したということだ。」このような話をしてくださいました。この話で私は今の自分と向き合いました。そしてこのままでは本当に自分の受験は成功しない、もしかしたら今の私の人格では受験の合否さえも悪い結果になるかもしれないと気付きました。反抗していた自分。心から感謝の気持ちを伝えることができなかった自分。そんな自分ではダメだと思い、送迎の時にありがとうと伝えること、勉強を今までより頑張って岐阜模試などで良い結果を出すことなど、自分の今すぐできるちょっとした行動で変えていこうとしました。そして迎えた2016年、正月特訓から始まり、正月もゆっくりすることができなかったものの、これから受験に挑戦していくんだという実感がより一層湧き、不安も大きくなりました。平常授業も入試対策形式に変わり、直前講習はテストゼミ形式に変わって順位が発表されるようになって、一緒に勝負していく志門の仲間のレベルの高さも改めて驚きました。そして最初の挑戦、私立高校入試を迎えました。全く入試対策で過去問などを解かずに傾向も分からないまま挑みましたが、今まで積み上げてきた内申点を信じて落ち着いて解くことができました。結果は合格。喜びよりも次は公立入試だという気持ちに切りかわっていました。私立入試から公立入試まではあっという間でした。主に自分の苦手な数学と国語の説明文、英語の長文をとにかく自習室で解きまくりました。第7回岐阜模試、入試プレテストでは理科で2回連続100点をとり、入試に対して自信も出てきました。入試数日前には年度別問題集の理科・社会の問題や塾の先生が作ってくださった社会全分野の1問1答を解いたりしながら、当日安心して問題に立ちむかえるように心の準備をして過ごしました。そしてやってきた入試当日は今までの自分の努力と親、塾の先生方など支えてくださった人たちの思いがたったこの1日だけで終わってしまうというむなしさと自分なら大丈夫という自信が心の中にはありました。1時限目の国語は緊張でさすがに手が震えましたが、平常心を忘れず、いつものテストのように1問1問ていねいに解くことができたと思います。
合格発表までの1週間は不思議と心配な気持ちはありませんでしたが、達成感もなく、今まで味わったことのない気持ちで過ごしました。そして合格発表当日、母と発表を見に行きました。そして午前9時、合格者が発表されました。結果は合格。母は泣いて喜んでくれました。そして私は何度も「ありがとう。」と言いました。絶対に私は支えがなかったら入塾のときから志望していた大垣北高校をあきらめていたし、合格もつかみ取れなかったと思います。私がつかんだ合格ではなく、支えてくれた人全員と一緒につかんだ合格だと思っています。
これから先、私は文理選択で理系を選び、地質学者という夢に向かって突き進んでいきます。きっと自分の夢だからあきらめることはないと思います。必ずこの高校受験は私の将来の人生において大切な経験になっていくのだと思います。私は総塾長のいう「本当の受験」に成功できたかは自分自身は分かりません。でも、自分でも成長できたと思う姿が多くあります。
最後に、私を支え、内面を成長させ、勇気づけてくださった多くの塾の先生方、両親、塾や学校の仲間本当に心からありがとうございました。この経験を心の支えとして夢を必ず叶えます。

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岐阜高校 合格
内藤 佑妃
七郷校
糸貫中学校

いつも支えてくれた家族に感謝。

 合格発表の日、私は入試当日より緊張していました。でも、それ以上に母が緊張していました。その日は、私より騒ぐ母に少し気が重くなっていました。でも今は、そんな母に感謝しています。それだけ私を応援し、一緒に戦ってくれていたと分かったからです。
私が志門塾に入ったのは、中学2年生の夏休みです。2年生の1学期末で、とても低い点をとってしまったため、塾に入ることを決めました。他の塾ではなく、志門塾にしたのは、「家から一番近いから」それだけの理由です。塾など行ったことがなかったため、初めての面談は、怖くてしかたがありませんでした。しかしそこで、私のあこがれの先輩や、同じ学校の子もがんばっていることを知り、私だってやれる、そう思いました。しかしそのころの私は、行きたい高校や、夢がなく、「とりあえず進学」と思っていました。そんな私が、この塾で頑張れるはずもなく、家では何度か、塾をやめるかどうか、親と話し合いました。そのたびに「続ける」という選択をしたのは周りの人の存在があったからだと思います。まずは友達の存在です。私は中学2年の時から、学校が楽しくてしかたがありませんでした。周りの子も、それぞれ塾に行って努力していて、私だけ、家でダラダラと生活するのが嫌だったからです。次に塾の先生の存在です。私はあまり、先生に質問をしに行かなかったけれど、行けば分かるまで丁寧に教えてくださいました。なにより、そのおかげで、苦手だった数学で100点をとれるようになり、気持ちを「行かなきゃ」から「行きたい」に変えてくださいました。
そして最後に家族の存在です。塾帰りの車の中では必ず、「よくがんばったね、お疲れさま」と言ってくれました。その時は「んー」と、なんともそっけない態度をとっていましたが、今思うと、それが私の支えの1つになっていたんだと思います。朝からお弁当をつくり、テスト前の早朝特訓では、朝の6時半から塾に送ってくれました。受験直前には、夜11時や、12時をすぎることもありましたが、それでも「おかえり」と言って迎えに来てくれました。そんな周りのたくさんの人の支えがあったから、私はこうして今、受験体験記を書くことができています。
又、私が目標を持って勉強できるようになったのも、母のおかげです。私は3年生の夏休みをすぎても、受験する高校を決められませんでした。私のテストの結果には波があったからです。当日、失敗したらどうしよう…そんな不安でいっぱいでした。しかし母が何度も「大丈夫」と言ってくれました。私は受験前、「大丈夫」という言葉が大嫌いでした。とても人事で、無責任な言葉に感じたのです。私自身、同じ受験生に心の底から大丈夫なんて言えませんでした。しかし、母の「大丈夫」の言葉で、岐阜高校を選んだのも事実です。だから私は、言葉そのものの意味ではなく「母が言ってくれた」という所から勇気をもらったんだと思います。
1つの高校にしぼった直後、進路希望調査がありました。岐阜高校は100人以上のオーバー数で、正直とても不安になりました。しかし私がいない所で、弟は
「姉ちゃんなら、大丈夫。」
そう言ったそうです。また大丈夫…。しかし、その大丈夫はもう無責任な言葉には聞こえませんでした。なぜなら、自分が「大丈夫」と思っていたからです。それは塾で「数字に踊らされるな」という言葉をかけられたからです。「数字なんかに負けてたまるか」と思い、努力を続けました。
たくさんの人の思いを背負って終えた入試。私にとってこの入試は、苦しいものでした。しかし、その苦しみが喜びに変わったとき、入試という名の壁はなくなり、思い出という名の輝きになりました。総塾長の語録に、「合格で得るものは自信、失いがちなものは謙虚さ」というものがあります。私は謙虚さを失わず、充実した高校生活を送りたいです。
最後に今まで支え、応援してくれたすべての人に伝えます。ありがとう。

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岐阜高校 合格
山本 麻衣
日野校
藍川中学校

受験で努力する才能を手に入れた。

 私はこの志門塾という塾に出会えて本当に良かったと心から思う。
私がこの岐阜高校を目指そうと決めたのは中1の終わりごろだった。先生から配られたプロセスを読み、自分もこの先輩方のようなすばらしい受験がしたいと思った。それからは、行っていなかった自習室にも積極的に通えるようになった。2年の夏休みは、1日も休まず毎日自習室へ行った。そのかいあって夏休み後の統一テストでは良い成績がとれた。
しかし、私はまだこの時岐阜高校が志望校であるということを人には話すことができなかった。それは、自分なんかがなぜそのような高校に入れると思うのだと笑われる気がしたからだった。だから、自信を持って自分の志望校を言うことができなかった。
私のこの思いは、3年生の最初に大勢の志門塾生が集まるガイダンスの場で、一変することとなった。先生方から今の時点で行ける高校を志望校としていてはつまらない、高い目標を持て、という話をきいた。私はそれをきいて、今までの自分が恥ずかしくなった。そしてそれからは、自分の信念を貫き通そうと心に決めることができた。
岐阜本部校での勉強は、大変だった。けれど、自分と同じ高校を目指している志門塾生がたくさんいるのだと思うと、やる気がわいてきた。
そうして、受験生にとってとても重要な夏休みがやってきた。高校部でお盆特訓の授業を受けたらすぐに自習室に入り勉強をした。質問も、何度も何度もした。親は、私のために何度も車を走らせ、弁当を作ってくれた。辛いときは同じ校舎の仲間と励まし合った。私は、毎日を全力で過ごすことができた。夏休みが終った後も、努力を継続させた。
もう勉強なんてしたくないと感じるときもあった。けれど、一緒にがんばれる仲間がたくさんいた。私達のために朝早くから夜遅くまで教えてくれる先生。いつも私を心配して、一番に考えてくれる家族。一緒になって励まし合える友。そういった人たちがいると気がついた時、私は何としてでも、この人たちを喜ばせなければいけないと思った。自分のためではなく、人のためにがんばりたいと、これほどまでに強く思ったことはない。志門塾はこのような精神が大切だとよく話をきいていたけど、自分がくじけそうになったとき、その意味が本当に分かった気がした。
冬休みや年明けは焦る気持ちが大きかった。勉強することで、その気持ちを和らげた。その後の、第6回岐阜模試があまり良くなかったため、さらに自分を焦らせた。私は、勉強をすることは辛くなかった。勉強しても結果が出ないことが何より辛かった。しかし、私はもう何も迷いはなかった。必ず岐阜高校に行くんだと言いきかせ、ただひたすら前だけを見て突き進んだ。こんな精神力をつけることができたのは志門塾だからだと思う。
第7回岐阜模試では点数を上げることができ、やっと合格が見えてきたように思った。堂々と岐阜高校の願書を書いた。今年は定員が減り厳しい受験になるときいてきたけど、これだけ頑張ってきた自分だから、おそれることはないと思った。
そして、入試プレテストでは今までで最高の点数がとれた。親も先生も喜んでくれた。思えば私は、これまで学校の定期テストで目標点に達したことがなかったし、岐阜模試でも満足のいく点数を得たことがあまりなく、誰かを喜ばせることができていなかった。だから、本当に嬉しかった。そして、やっと自分に自信が出てきた。私なら受かる、絶対に大丈夫だと前向きになれた。
入試前日の夜、私は寝る前にたくさんの人の顔を思い浮かべた。目を閉じれば、今まで私を支えてくれた人がいる。私は1人じゃない。そう思えた。
入試当日、私は堂々と胸をはって受験会場へと向かった。国語の最初の方は、まともに文章が読めなかった。最終的に私を勇気づけたのは、「志門塾生だから大丈夫」ということだった。まわりには、見たことがある志門塾の人たちがたくさんいた。5教科の筆記試験は、あっという間だった。受験が終わった感じが全くしなかった。
自己採点では、私が苦手としていた数学が思っていたより解けていなかった。他の4教科は、これまでにないほど良い点だった。全てを合わせるとプレテストの点数より10点ほど下だったので、正直落ちたと思った。泣きながら先生に電話をした。先生は、絶対に大丈夫だと何度も言ってくれた。先生の声をきいたら、さらに涙が出てきた。
やれるだけのことはやった。何も悔いはない。そういう思いで合格発表の日を迎えた。心臓の音がうるさかった。一斉に紙が張り出される。そこには、自分の受験番号が、確かにあった。また涙が出てきた。同じ校舎の仲間も、みんな合格していた。これ以上嬉しい事はなかった。先生や家族の喜んでいる顔を見たときも、同じくらい嬉しかった。
私には勉強の才能はないけれど、努力する才能を手に入れることができたのだと思う。誰よりも努力したからこそ、誰よりも幸せな受験ができた。きっと、志門塾日野校で過ごした日々は忘れないと思う。志門塾生であったことを誇りに思い、これからは人生において成功できるように日々努力していこうと思う。

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岐阜高校 合格
川田 純里
粟野校
高富中学校

「大丈夫だよ。」その言葉を大切にした。

 周りの人たちの存在の大きさを私はこの受験を通して知ることができた。
12月。誰がどの高校に出願するつもりなのか、等のうわさが一段と多くなる季節になる。春、一緒に頑張ろうと同じ志望校を目指した学校の仲間は、度重なる実力テストの結果にふりまわされ、気がついたら私一人になっていた。「自分の行きたい本当の志望校」ではなく、「自分の実力に合った高校」を選んでいるようにも見えた。そんな中で、塾には志望校を下げることなど考えもせず必死に勉強する仲間の姿があった。
「この高校に行きたいから。」
そう言って机に向かう姿はとてもかっこよかった。
1月。岐阜新聞テストが返ってきた。ひどい結果だった。親には
「受からないと思う。」
とはっきり言われた。今でも忘れられない。岐阜高校を志望していた人はこの時点で100人を超えていた。不安で不安でしかたがなくて、うずに足を突っ込んだようにどうしよう、と考え始めるとぐるぐるぐるぐる同じことばかり頭に浮かんでいた。焦る一方で勉強に集中できるはずもなかった。何度も志望校を落そうと考え塾で先生に話した。
「大丈夫だよ。」
なんでもないように言ったその言葉は私にとって涙が出るくらい大きな意味を持っていた。受験という孤独な戦いの中で私を支えてくれる味方が一人いるだけで力がわいてくるような気がした。どんなにくじけそうになっても、その度に励ましてくれた先生がいたからこそ今の私がいると思う。志門塾に、粟野校に通っていなかったら学校の友人に合わせて、自分の行きたい本当の志望校をあきらめてしまっていたかもしれない。テストの結果や他人の言動にふりまわされて、自分の選択ができなかったかもしれない。塾に来て、自習室で本当の志望校に向かって必死に頑張る仲間の姿がなかったら、私はいつまでも変わることができず頑張れなかったかもしれない。今の私を構成する全てのことは当たり前のことではなくて、小さな奇跡だ。それらがつながって私という一人のちっぽけな人間をつくっている。辛くて、苦しくて、泣きそうにもなった。受験なんて、と思ったこともたくさんあった。でも、受験という大きな壁があったから私がちっぽけな人間であることを知り、周りの人たちの存在の大きさを知ることができた。自分の弱さを受け入れて自信に変える努力をすることができた。
最後に、粟野校でお世話になった先生方、お盆特別合宿で教えてくださったおもしろい先生方、正月特訓で教えてくださった個性豊かな先生方、大好きな森先生、ちょっとした話でみんなを笑顔にする今井先生、粟野校の仲間、家族、私を構成する小さな奇跡を生みだした全ての人に感謝します。

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長良高校 合格
鈴木 菜月
穂積校
穂積中学校

後輩の皆に伝えたいこと。

 「あったあった、319あったよ。」
「319」という番号は、何万人と受ける中で、私にしか与えられていない番号でした。その番号を見つけた時は、これまでにないくらいの喜びを感じることができました。
私は小学校5年生の春から塾に入り、中2の夏期講習で志門塾と出会いました。その時の私は、点数はそこそことれていたため、受験に対して「どうにかなる」と思っていました。入塾する時、私は関先生と夏休み毎日塾に行くと約束しました。しかし、勉強が嫌いだった私にとって、その約束はとても苦痛でした。本当は遊んでいるはずの時間に私は塾に自転車で毎日行くなんて、と思いながら自習室に通っていました。最初の私の頑張りは親や先生に言われて嫌々やる偽りの努力にすぎなかったのです。
3年生になり、進路について考える時間が増えてきました。3年生になって最初の授業で、志望校に合格できなかった先輩の受験体験記を読みました。そこには「最高の受験とは、自分の今まで以上の力を出し切ることで、その受験をやり切った時に合格というおまけがついてくる」と書かれていました。また、成瀬総塾長が説明会の時に話してくださった話の中に、「私がこんなに頑張って落ちたのは、努力した私だから不合格にも耐えられると思ってもらえたんだ」という話がありました。これらの話を聞いて、受験を甘く見ていた自分が情けなく感じました。その時から私は「受験」という壁に本格的に向き合うようになっていきました。しかし、私が受験と向き合い始めたのはとても遅かったです。岐阜模試が返ってきて、周りはすごく嬉しそうなのに、自分は点数が下がっていくばかりでした。早い時期から受験と向きあった子と私との差を実感しました。それに加えて私は双子なので、毎日のように比べられました。家にいるのが嫌で、毎晩塾に来ては遅くまで残りました。こんな状況の中で、勉強嫌いの私が勉強することは楽しいと思えたのは、私の話を親身になって聴いてくれる先生がいたからだと思います。
受験は団体戦とよく言われてきましたが、受験を通してその意味を理解することができました。心配してくれる母、どんなに遅くなっても迎えに来てくれる父、質問に行くと、分かるまで丁寧に教えてくれる先生方がいました。たくさんの人達の努力と支えがあるから私は受験に向き合うことができたのだと改めて感じました。
しかしながら、努力を重ねたから必ず合格するわけではありません。人は失敗する時もあります。でも、失敗することは恥ずかしいことではないし、隠すことでもありません。失敗をたくさんして、そこから何か学ぶことができた人は大きく成長できます。
最後にこれから受験にぶつかる人へ伝えたいことがあります。何ごとにも感謝することを忘れないでほしいです。塾に毎回送ってもらうことがあたりまえ、お弁当を作ってもらうことがあたりまえ、そう思ってはいませんか。感謝の気持ちを伝えられると良いと思います。また、自分を大切に、周りの人を大切にしてください。「どうせ自分はだめ」と思って自分を壊してほしくないです。また、その気持ちを他の人にぶつけてはいけません。だめだと思う前に、行動に移してみてください。やってみなくては分からないこともあります。
自分の夢に向かって進歩し続けてください。最後に大きな花が咲くことを期待しています。

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岐山高校 合格
早野 将成
羽島校
羽島中学校

本当に大切なものに気づいた受験。

 僕は見事第一志望校である岐山高校に合格した。しかし、そんな簡単に合格をつかみ取ったわけではない。数えきれないほどの後悔と不安を重ねながら今に至る。
僕が、志門塾に入ったのは小学6年生の頃です。まず先生方の温かいあいさつに驚いた。同時に、不安も消えた。もともと僕は勉強ができるほうではなかった。入塾テストを受け点数を見たときには、言葉を失った。
今でもはっきりと覚えている。とても点数が低かったのだ。自分でも情けなくなった。しかし、そこから特に変わったこともなくそれが当然のように毎日が過ぎていった。もちろん統一テストも低かった。僕には、中学1年生から行きたい高校があった。文武両道を目指していた僕にはぴったりだった。しかし、気が変わったのは岐山の高校見学である。そこでは、今までに感じたことのないものに引きつけられた。そして、僕は岐山高校に行くことを決意した。だが、そんなうまくいくわけがなかった。気が変わったのは第5回岐阜模試だ。「D」判定を取ってしまったのだ。あのとき感じた焦りは今でも頭に浮かぶ。それからは志望校を変えるのか迷う日々が続いた。努力はしていた。だから、点数は上がっていた。第7回岐阜模試。そこでもう一度岐山高校を受けようと決意した。そこからはもう迷いはなかった。ただ自分を信じて、藤田先生や奥井先生にたくさん質問して一直線に、目標に向かって努力し続けた。努力を怠る日はなかった。プレテストでは念願の420点を超え、気持ちは落ちついた。受験に近づくにつれ不安と緊張だけが僕に立ちはだかった。僕は逃げなかった。今年の倍率は特に高かった。そのため、ただ数字に惑わされないように気持ちでも戦った。3週間前には12時をこえる日々が続いた。にもかかわらず、母は毎日送迎してくれた。今ではとても感謝している。こうして迎えた当日。やはり緊張は消えなかった。そして、できも悪かった。僕は家族に謝った。「ごめん。あんまりできんかった。」そう告げた直後に母は僕の合格を信じていると言ってくれた。父は勇気づけてくれた。姉は励ましてくれた。ありがとう。そして迎えた合格発表。「じゃあ。行ってくる。」そう告げて僕の番号を探した。僕は自分の番号を見つけた。嬉しかった。今までで最も嬉しかった。ようやく、笑顔を見せることができた。今まで支えてくれた家族のみんな、本当にありがとうございました。そして藤田先生、奥井先生、笑顔で励ましてくれたり、支えてくださってありがとうございました。本当に感謝しています。
最後に次に受験を迎える人たちに伝えたいことがあります。自分の行きたい高校が見つかったならば、そう簡単に諦めないでください。自分を信じて、たまには先生方や家族の人に頼ってください。そうすれば世界が広がり、不安も消えます。そして、受験を通して、本当に大切なものに気づけるはずです。頑張ってください。

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岐阜北高校 合格
田中 健太郎
羽島東校
羽島中央中学校

簡単なことを継続してやり切る難しさ。

 1つ簡単なことをやり切ることの難しさ。それを継続することの難しさを知り、成長できた受験になりました。岐阜北高校を受験した3月9日。落ちついた気持ちでいつも通りテストに臨めたことを鮮明に覚えています。
僕が本格的に志門塾羽島東校に通い始めたのは、中2の2月頃でした。授業の内容が難しくなってきたのと、受験生になる日が近づいてきたということが理由です。以前お世話になった小川先生は授業でもそれ以外でも、優しく接してくれたので、塾の雰囲気になじみやすかったです。また塾で同じクラスの友だちも、気軽に話しかけてくれたことも早くなじめる大きな要因でした。
そんな時間もあっという間に過ぎ、受験生になりました。周りからは受験生なのだからとよく言われましたが、最後の中体連に向けて部活も練習量が増え、受験生という自覚は全くありませんでした。また、何をやったら良いかもいまいち分かりませんでした。そんな中、僕が苦手だった英語を集中して取り組むようにと小川先生から言われたので、プリントをもらい、頑張っていました。しかし、何の目標もなく受け身の勉強をしていた僕は、なんの成果も出せませんでした。そして気がつけば言い訳をして、プリントすらやらないようになっていました。その後挑んだ第2回岐阜模試。テストを行っている途中で、とても難しいと感じました。結果、今まで自分が取ったこともないような低い点数が出てしまいました。流石の僕も危機感を抱きました。ただ、その気持ちはどこにぶつければ良いかは、分かりませんでした。僕の志望校は本当にボンヤリとしていたものでした。小川先生から「岐阜高校に行けるぞ」と言われて、とてもうれしくなり、何も考えずに目先のかっこよさだけで、志望校は岐阜高校だと言っていました。今思えば、そんな軽い気持ちで受験したら、確実に不合格になっていたと思います。
僕がかわったのは夏期講習でした。岐阜・岐阜北を志望する生徒は高校部岐阜校で授業を受けることができました。そこでは、休み時間も必死に勉強する子がいたりして、とても良い刺激になりました。「自分もやらないといけない」と思い、初めのうちは頑張りました。しかし、夏期講習も終わりに近づくにつれて疲れて寝てしまうこともありました。それでも自らを奮い立たせ、夜遅くまで自習室に残って頑張りました。その結果、第3回岐阜模試では、第2回よりも60点も点数を上げることができました。努力をしたら、努力をした分だけ報われるということをとても学びました。僕のその時の気持ちは、このまま勉強を行えば、点数は簡単に上がっていくだろうと思っていました。そしてむかえた第4・5・6回岐阜模試。予想していたこととは正反対なことが起きたのです。目標点に届くどころか、点数が下がってしまいました。自分でも意味が分からなくなり、勉強をする意義や、価値を見失っていました。この時僕は、志望校には絶対合格することはできないと思いました。でも、志門塾の先生方から「今頑張らなきゃいつ頑張るの」と言われて、とにかくがむしゃらに頑張り続けました。朝早くや、夜遅くまで自習室に通いました。そして、不安と期待の中むかえた第7回岐阜模試・プレテスト。いつも通りテストに臨みました。結果も良く、とてもうれしかったです。
その勢いのまま、入試当日をむかえました。色々な人に感謝しながら問題を楽しく解くことができました。合格発表の日、1247の番号があった時は、全てが報われたという達成感を全身で感じました。
僕は、この受験で感謝することの大切さを本当によく学びました。また、自分は支えられているのだなと感じました。プリント1枚のために夜遅くまで僕達に尽くしてくれたり、恐れながら進む僕達に道を照らしてくれた先生方。そして、お弁当や送迎、月謝など一番身近で支えてくれた家族。本当に感謝の思いを伝えたいです。志門塾だったからこそ、こんなにも最高の受験にできたと言い切ることができます。そして、この受験で学んだことをこれからの人生に生かしていきたいです。

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岐阜北高校 合格
長谷川 こころ
茜部校
加納中学校

受験は私だけのものではなかった。

 私はこの受験を通して、周りの人の存在の大きさに気づくことができた。中3になった頃は、自分は勉強だけをすればいいんだと、家族のために働くことを一切しなくなった。しかし、家族のみんなは文句1つ言わず私のために動いてくれた。父や母は、ほとんど毎日塾の送迎をしてくれ、いつも私のことを応援してくれた。妹は私が塾に早く行けるように、配膳をしてくれた。その頃の私はそのことをあたり前と思ってしまい、感謝の気持ちも薄れていた。しかし、受験が近くなるにつれ、私の気持ちは変わっていった。この受験は私だけのものではない。今まで支えてくれた多くの人のためにも、私は頑張らなければならないと思った。また、それと同時に不安や焦りもさらに感じ始めた。そんな時、支えてくれたのが塾の先生方だった。私の成績は、だんだん伸びていったが、波があり点数が取れる時と取れない時との差が激しかった。学校の先生には加納高校も難しいかもしれないと言われ、岐山高校や長良高校を勧められた。だが私は岐阜北高校に行きたかった。細田先生は、このまま気を抜かずに頑張っていけばきっと合格できると、背中を押してくださった。私はこの言葉がなければ、加納高校に志望校を変更していたと思う。第7回岐阜模試では、400点を超えることができずとても焦った。周りの子はみんな400点を超えており、なぜ自分だけなのかと思った。その後私は睡眠時間を削り、必死に勉強をした。プレテストで400点を超えられなかったらどうしよう、という不安もあったが、自分の限界まで頑張った。プレテストでは、前回のテストよりも60点以上上がった。結果がついてきて、本当に嬉しかった。
入試本番では、何回も岐阜模試をしたおかげであまり緊張しなかった。「焦らず落ち着いてしっかりとやっておいで。」と言ってくれた母の言葉を思い出し気持ちが落ち着いた。数学ができず少し焦ったが、他の科目で挽回するという気持ちで頑張った。テストが終った後は、やりきった気持ちでいっぱいだった。結果は合格だった。私はこの受験を通して結果以上のものを手に入れた気がする。あきらめず努力し続けることの大切さ。周りの人たちの支えへの感謝。高校に行ってもこのことを大切にして生活していきたい。そして今まで以上にもっと努力していきたい。

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岐阜北高校 合格
伊藤 暢康
本荘校
岐阜大学教育学部附属中学校

努力を信じる自分に変わっていた。

 僕がこの志門塾に入ったのは中学1年生の時だった。小学生の頃は、塾などには行っていなかった。宿題を30分程度で終わらせ、ただひたすら遊ぶ。そんな小学生生活で自分で言うのもなんだが、勉強は全くできなかった。テストで0点をとったこともあった。そんなことから、僕は2人の兄から兄弟で一番心配されていた。そんな僕に塾に入らないという選択はなかった。志門塾に入った理由は、2番目の兄が志門塾だったからだ。特に嫌でもなく、やる気があったわけでもない中途半端な気持ちで中学生活をスタートした。今まで、全く勉強をしていなかった僕にとって、週3日の通常授業ですら相当な負担で最初はただの苦しみでしかなかった。
そしてやってきた最初の定期テスト。ただ勉強方法もろくに考えずがむしゃらにやった。結果は400点ギリギリで正直もっととれると思っていてショックだった。でも、僕はおろかですぐに直しをせず遊んでしまった。中学1年、2年は繰り返しで点数はなかなか伸びなかった。でも、1年生の頃から提出物だけは絶対出すようにしていた。それは、自分の親や当時の校舎長からも言われていたことだったし、自分自身提出物を出さないのは、学校の先生に対して失礼だと思っていたところもあったからだ。そして点数は上がらないまま中学3年生となった。3年生となり、高校の見学に行ったとき僕は「北高に行きたい」と思った。理由はたくさんあるが、一番は雰囲気だ。少しの間しか学校にはいなかったが、絶対に行きたいと思った。しかし、当時の成績では届かない目標だった。そうして、若干の不安と強い気持ちをもってむかえた夏休み。まずは、1年、2年の頃の復習をしようと思い夏期講習をもとに丁寧にやっていった。その頃は、部活もやっていて時間を充分にとれたわけでもなく、ギリギリなところはあったが、無事やりぬくことができた。でも、それは自分だけではなく他の色々な人の支えや励ましがあったからだと思った。特に大量にあった補習の対応を一つひとつ丁寧にしてくださった先生方。他にも部活の関係もあり、ご飯や送り迎えがどうしても変則的になってしまう中で、それを何を言わずやってくれた両親も大きな支えだった。また、お盆特訓では、自分の弱さを見つめ、それを新たな力とすることができた。そうして中学3年生の夏休みは今までの中で最高のものにすることができた。夏休みで、自信をつけることができたことで、それからは、自分のペースで勉強をすることができた。たとえ岐阜模試などで思うように点数がとれなくても、夏休みやこれまでの努力を思い出すことで、自分を信じ次に切りかえることができた。
そして、3月7日。入試3日前にインフルエンザにかかった。月曜日の朝、熱が出て検査で陽性が出たとき僕は不安でいっぱいだった。今までの努力がこんなことでと思った。夏休み以降あまり不安を抱かなかったが、本当にどうしようという気持ちでいっぱいだった。でも、そんな時、たくさんの人が僕に声をかけてくれた。「今までやってきたことがある。心配しなくていい。」その言葉が僕を救ってくれた。そして、塾のカバンやテキストを見たとき、そうだ僕は努力してきたんだと安心することができた。そして、入試前日には問題を解くまでに回復することができ、入試も力を出すことができた。発表の日、自分の番号を見たとき、今までのことがあふれてきた。本当にうれしかった。そして、今だからはっきり言える。受験ってすごい。僕は受験のおかげでこんなにも1つのことに向き合えて、努力することができた。この気持ちは結果がどうであれ、変わらないものだろう。特に夏休みは今までの中途半端な自分から努力を信じることができる自分にしてくれた。
最後に、色々支えてくれた両親に、丁寧に教えてくださった先生方に、今まで積み上げてきた努力にそして、自分を変えてくれた受験に最大の感謝をこめて伝えたい。「ありがとう。」

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岐阜高校 合格
清水 万里子
RESPECT長良
東長良中学校

皆の姿を見ているだけで頑張れた。

 RESPECT長良に入塾して本当に良かった。私は今、心の底からそう思っている。
私は負けず嫌いだから、ずっと努力をしてきた。自分にも自信をもっていたし、中学校生活もどうにかなるだろうと考えていた。だからこそ、はじめRESPECT長良に入塾したときは驚いた。みんな私よりも頭が良い。テストを受けても良い点がとれなくて、いつも中途半端な順位。レベルの高い仲間たちに囲まれて、正直とても焦った。努力しているはずなのに結果がついてこない。いきなり大きな壁にぶつかったようだった。私はまだ、考えが甘かった。
中1の前期中間テスト前に、私がテスト対策のために塾へ行ったときのことだ。靴箱の中が靴で埋まってパンパンだった。校舎の中は、人、人、人。びっくりした。努力していると思っていた自分が恥ずかしかった。その日から、私の意識はがらりと変わった。午前10時には弁当をもって自習室に来て、午後5時まで勉強。一度家に帰り夕食をとり、午後7時から午後10時まで勉強。平日は午後7時から午後10時まで授業を受け、午後11時まで自習。ただみんなに負けたくなくて、そんな生活を続けた。テスト前の1ヶ月間が、私にとってはとても辛いものだった。
中3の夏、私は部活を引退した。それからは、夏休みの間も土日も、予定がある日を除いて毎日自習室に来るようにした。今までは1ヶ月で終わっていたテスト対策の辛い日々が、ずっと続くようなものである。耐えられる自信はなかった。しかし、耐えられた。それは、仲間がいてくれたからだ。
私と同じように毎日自習室へ通う仲間はたくさんいた。みんなも来るし、頑張らないと……。そうやってみんなの姿に励まされ、充実した日々を送ることができた。勉強したくない日もあった。テストの日が近付いて、緊張している日もあった。テストの結果が良くなくて、落ち込んでいた日もあった。それを支えてくれたのは、いつも仲間の姿だった。励ましの言葉をかけてもらった訳ではない。ただみんなの姿を見ているだけで励まされた。本当にみんな、ありがとう。
そして、私を毎日塾まで送ってくれたのはお母さん、お父さんだ。2人の支えがなかったら、この受験を、この3年間を終えることはできなかった。何気ない「いってらっしゃい。」の一言に、どれだけ励まされただろう。本当に、ありがとう。
そしてまた、塾の先生方。優しく、明るく、おもしろく支えてくださってありがとうございました。先生方のおかげで、今の私がいます。
仲間との出会いに、先生方との出会いに、RESPECT長良との出会いに、志門塾との出会いに、感謝。

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岐阜高校 合格
伊藤 毅
鷺山校
青山中学校

結果は後からついてくるもの。

 僕の受験は、地道な努力の積み重ねだったと思う。
3年生になり、基礎講習がはじまった。岐阜高校、岐阜北高校を志望する塾生が岐阜本部校に集まって授業を受けるものだった。そこで、初めて僕は自分がいる位置を把握した。丸つけのときにまわりから聞こえてくる丸をつける音に僕はおびえていた。自分だけ間違っているのではないかといつも思っていた。
夏期講習がはじまると、高校部岐阜校に岐阜高校、岐阜北高校の志望者が集まった。岐阜模試の結果で席順が変わり、岐阜高校を志望する自分がこの位置にいてはいけないということがすぐに分かった。その刺激をきっかけに、自分は毎日自習室に行き続けて勉強を頑張ろうと決意した。夏秋講習、秋期講習、冬期講習と、それぞれの講習でも岐阜模試の結果によって席順が変わっていった。しかし、自分のいる位置は上位のクラスではなかった。
そんな時、校舎長である北川先生から、「勉強の成果は半年後に出る」という言葉をかけてもらった。僕はその言葉を信じて、コツコツと毎日の自習室での勉強を続けた。
結果が出はじめたのは、勉強を毎日続けると決意した夏ごろからちょうど半年後の年初めごろだった。岐阜模試での結果が良く、自分は上位のクラスに入ることができた。その後の岐阜模試でも今までとは違い、高得点をとれるようになった。自分はそのとき、努力を積み重ねていけば結果はついてくるんだと実感した。
そして、受験当日。自分は今までの努力を信じてテストに取り組んだ。自分は努力してきたから大丈夫と、自分に言い聞かせるとすごく気が楽になった。結果は合格だった。そこで改めて、努力は大切なのだなと実感した。
岐阜高校に合格したから終わりではなく、新たな目標へのスタート地点に自分は立った。コツコツと努力を積み重ねることが結果へとつながることを高校受験を通して学んだので、大学受験やこれからの将来で起こる苦しい事を努力の積み重ねでのり越えていきたい。自分は大丈夫だと自信を持って言える強い自分をこれからも貫き通していきたい。今回の受験を礎として、自分の夢や目標に向かって、明るい未来に向かって大きくはばたきたい。

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岐阜高校 合格
村瀬 颯太
蘇原校
各務原中央中学校

本当の自信とは謙虚さを兼ね備えたもの。

 合格発表のボードに書かれた「352番」。僕は念願の岐阜高校に合格した。そしてこの受験で合格以上のものを手に入れる事が出来た。
小6の春、新設したばかりの那加校に入った。親が、合格実績がいいからという理由で選んだ塾になんとなく入った。しかしこの選択がこの後の僕の中学生活や人生を大きく変える事になるとは思いもしなかった。そこで校舎長の安田先生と出会った。先生の授業はわかりやすかった。その後、安田先生が蘇原校に移動することになり、僕も先生について校舎を移動した。
志門塾は僕に勉強をできる環境を与えてくれた。いつも夜11時くらいまで塾は開いている。しかし土日など午前中に自習室に行くと、いつも安田先生や校舎の先生方が迎えてくれる。先生たちはいつ寝ているのだろうと思ったこともあった。実際、学校の先生たちより、塾の先生方と過ごした時間の方が長かったのではないだろうか。勉強するそばには常に安田先生をはじめ塾の先生方がいつも近くにいてくれた。自習室で4時間勉強するのが習慣となった。他にも、選抜岐阜の授業、高校部での講習、お盆特別合宿、正月特訓に行く機会を与えてくれた。どれも生徒たち先生方は本気だった。僕も自然と本気になることができた。勉強が苦にはならなかった。たくさんの仲間と勉強するのは楽しかった。
お盆特別合宿、正月特訓は同じ岐阜高校を目指す仲間がたくさんいてレベルが高かった。その中でみんなに負けないように必死で勉強をしようと思った。勉強以外でも、人生の教訓などを教わった。受験に対する心構えや、感謝する気持ちなどたくさんの教えがあった。特に心に残っているのは、総塾長の「合格して手に入るものは自信で、失いやすいものは謙虚さである。」という言葉である。僕も本当の自信とは謙虚さを兼ね備えたものであると思う。
入試の前日、安田先生はこういった。
「蘇原校校舎長として教えるのは君たちが最後の生徒だ。全員合格してこい。」
僕は今までの恩返しをするチャンスだと思った。僕は絶対合格する!と思った。おかげで入試当日は体調もよく、緊張せず試験に臨む事ができた。無事岐阜高校に合格することができた。本当に嬉しかった。これで少しは恩返しが出来ただろうか。
僕は色々な人に支えられた。先生方や仲間たち、そして、一番そばで応援してくれた家族。言葉では言い表せないくらい感謝しています。しかし高校に合格することがゴールではありません。今までと同じように、生涯勉強をしていきたいと思います。
最後に志門塾の先生方、成瀬総塾長、川瀬社長、今までありがとうございました。志門塾は勉強を教えるだけでなく、高校合格後の人生を生きていくための、心構えを教えてくださいました。これからも身に付けた良い習慣を絶やさず、高い志を持って狭き門に立ち向かっていきたいです。
4年間本当にお世話になりありがとうございました。

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岐阜北高校 合格
古田 夏渚
長森校
長森南中学校

塾の仲間は大きな存在だった。

 私は、この受験を通して、信念を貫くことの素晴らしさを知った。
私が志門塾長森校に入塾したのは、今からちょうど1年前。入塾テストを受けに行った時、1つ上の先輩が長森校で大そうじをしていたのをよく覚えている。この先輩達は入試を終え、きっと色々な想いをもっているんだろうな…。なんかかっこいいな。と感じたこともよく覚えている。そして私の受験生としての1年がスタートした。
4月に志望校を岐阜北高校に決め、私は全力で走りはじめた。1学期末テスト。点数が大幅にアップしたわけではなかったが、過去最高点をとることができ、それ以上に今まで経験したことがないくらい充実したテスト期間が過ごせて最高に嬉しかった。夏休みも本当に充実した毎日だった。高校見学で改めて北高に行きたいという思いを再確認し、決心を固めた。夏期講習テキストを6回周りという、今まで挑戦したことのない厚さのテキストの問題をひたすら解いた。楽しかった。勉強が楽しいだなんて今までの人生なかったし、何より志門塾長森校11期生の1人として勉強できて嬉しかった。夏休みが終わるのがとても寂しく思えた。夏休み明けの実力テストでは過去最高点を出すことができ、学校の先生にも、「このまま右肩上がりにいけば、大丈夫だぞ。」と言われ、とてもやる気が出た。しかし、その気持ちは次第に薄れていき、塾に行くことに満足するようになってしまった。当然、点数は上がるわけもなく20点以上下がってしまった。学校の先生には、「岐阜北は厳しいから、1つ下げたらどうか。」と言われた。1月の実力テストで必ず結果を出すから、と先生に話して冬休みも必死で取りくんだ。12月31日も朝まで勉強した。24時間近く勉強するなんて、私には未知の世界だったけど、終わった時は達成感しかなかった。みんながシャーペンをカリカリ動かす音を聞きながら、朝まで勉強するなんて一生に一度の経験だと思ったし、そこにいられて幸せだな、と思った。そんな中、迎えた1月の実力テスト。点数をアップさせることはできなかった。でも、その時塾で尾関先生と、受験のゴールを決める懇談をした。何があっても岐阜北に挑戦しようと決めた。周りの大人に何と言われても岐阜北を受けて、合格してやろうと思った。あと2ヶ月でどれだけ点数を上げられるかが勝負だった。分野別をやり込んで自信をつけた。どれだけ勉強しても不安は消えなかったが、45人の仲間がいてとても心強かった。
第7回岐阜模試と入試プレテストで納得の点数を取ることができ、岐阜北に願書を出した。オーバー人数を見た時は不安にもなったけど、自信持てよ!と言い聞かせ、ラストスパートをかけた。入試当日、朝5時10分に先生方からのメッセージを読んで泣きそうになった。もうこの仲間で勉強したり、先生方に教えてもらうことはないと思うと、なんともいえない気持ちになった。ただ感謝しかなかった。校舎に残されたメッセージも心に響いたし、この1年を長森で過ごせて良かったと改めて思った。きっと他では経験できないだろうし、長森校で過ごした日々は一生忘れないと思う。問題を解いている時も、みんなも頑張っていると思うと自分も頑張れた。1回も話したことがない子もいたけど、私にとって45人がとても大きな存在になっていた。私はずっと英語が苦手で自信がなかった。先生方はできるようになったと言ってくれたけど、自信がないことに変わりはなかった。でも実際、問題を解いてると、スラスラ長文が読めて、「英語できるようになったな」と実感できた。4月に決めた岐阜北高校を受験して良かったと問題を解いていて思った。きっとどこの高校を受けていても、最高の受験だったと思えただろう。しかし、一番行きたかった高校を受け合格を手にした時の喜びは、岐阜北でしか味わえなかったと思う。
この受験生生活は本当に充実しすぎていて楽しいものだった。家族、長森校の仲間・先生方、校舎、学校の友達・先生方、支えてくれた全ての人に感謝を伝えたい。
ありがとう。私の受験は最高でした。長森校で受験ができて幸せでした。

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西濃学区

岐阜高校 合格
佐藤 里帆
トップレベル選抜・大垣
星和中学校

仲間なんて必要ないと思っていた。

 私は小学1年生の冬に志門塾に入りました。気付けばもう9年が経っています。長いようで短かった9年間。その全ては志門塾と共にありました。
小学3年生までコアラ教室に通い、勉強をすることの楽しさを知りました。小学4年生からは担任制に通い、仲間と切磋琢磨することの大切さを学びました。今思うと、生きる上で大切なことは全て志門塾で学んでいました。
特に私が感謝したい人、そして大切なことを教えてくれた人は選抜大垣の先生方です。中学1年生から選抜に入り、そのころの私は今とは全く違う性格でした。いつも独りよがりで、誰にも頼ろうとせず、仲間なんて必要ないと思っていました。でも、選抜での3年間で私は大きく変わりました。周りのみんなで分からないところを教え合ったり、一緒に何気ないことで笑ったり…。仲間といることが本当に楽しいと思いました。選抜の授業は楽しい反面、すごく難しくて、滝・東海高校の過去問を解く難関直前講習では、心が折れそうになっていました。それでも私が進み続けることができたのは、一緒に目標に向かう仲間の存在があったからです。
中学3年生の選抜での1年間は、死にそうだったと言っても過言ではありません。私は昔から数学が苦手で、諦めかけたこともありました。でも、いつも丁寧に質問対応してくれる寺部先生にいつも助けられていました。「好きの反対は無関心なんだよ。数学が嫌いってことは興味はあるってことで、できるようになりたいって思ってることになるから、大丈夫だよ。」その言葉に私は救われました。この言葉がなかったら私は、滝高校に合格することも、岐阜高校に合格することもできなかったでしょう。
私は志門塾でたくさんの大切なことを学びました。膨大な宿題の量、自習室での自習、優しくも厳しい先生方。全てが無駄なものではありませんでした。私は第1志望の高校に合格することができました。私に関わって指導してくださった先生方、そして両親や仲間。全ての人に感謝の気持ちを伝えたいです。そして、新たなスタートラインに立った私が今ここにいることを感謝し、これからも気を抜かずに走り続けたいと思います。高校受験というのは、成瀬総塾長がおっしゃったように「神様から贈られたプレゼント」なのだと今なら思えます。

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大垣北高校 合格
竹中 理桜
担任制
関ヶ原中学校

覚悟を決められていない自分がいた。

 私が志門塾に入ったのは、中2の冬期講習からです。最初は、ただ自習室を使いたいという気持ちで入ったけれど、通い続けるにつれ、どんどん塾が楽しくなってきました。特に、いつも温かい雰囲気でむかえてくれる担任制は、私にとって特別な場所になりました。
自分は、受験生なのだと本格的に実感したのは、秋頃からです。それまではずっと部活に専念していて、夏期講習も夜の部に参加していたので、担任制のみんなと一緒に授業を受けることはほとんどありませんでした。夜の部は、みんな部活でつかれきった後の授業だったので緊張感も感じられず、私は心底安心していました。よかった。まだまだ本気になっていないんだ。そんな気持ちで夏期講習を終え、部活を引退して担任制に戻ってきたとき、私は自分の甘さを痛感しました。授業を受ける雰囲気が、以前と全く違ったからです。学校でも、夜の部でも感じたことのないピリピリした空気に、私はとても驚きました。夏を経て、こんなに変われるものなのかと。そして、まだまだ覚悟を決められていない自分が、とても嫌になりました。
その時から、自分は受験生になれたのだと思います。でも、私がどんなに努力をしても、それ以上に頑張る子はたくさんいて、岐阜模試の成績もなかなか伸びず、苦しい時期が続きました。12月に発表された100人オーバーという数字を見た時には、絶望的な気持ちになりました。志望校を変えようと思ったことも、何度かありました。それでも私が大垣北高校をあきらめきれなかったのは、稲垣先生の言葉があったからです。
「大垣北高校は理桜さんにあっている。」
そう言ってもらえて、本当に嬉しかったです。何が何でも大垣北高校に合格しよう。ようやく覚悟を決めることができました。
もしも志門塾に入っていなかったら、これほどの喜びと感謝の気持ちを持てていなかったかもしれません。様々な試練をのりこえ、多くの人に励まされたからこそ、私は合格することができたのだと思います。そして、ずっと応援してくれた家族、私の頑張りを最後まで見届けてくださった担任制の先生方に、心からの感謝を伝えたいです。これから始まる北高での生活はきっと厳しくて大変だろうけど、この担任制で頑張れた自分を誇りに思い、自信をもって前に進んでいきたいです。

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大垣北高校 合格
峰 朋生
静里校
西部中学校

「分かる」につなげる勉強の質と量。

 僕は大垣北高校に行きたいという漠然とした目標を持っていました。しかし、その頃なんとなく勉強していた自分にとっては、決して自信を持って言える目標ではありませんでした。だから中3の春、志門塾に入りました。初めの浅野先生との懇談で、「君は勉強に本気になれていない」と言われました。その言葉を聞いた時、自分でもその通りだと思いました。でもそれと同時に負けず嫌いな僕は、「なんでそんなことを言われなければならないんだ」という悔しい気持ちを持ちました。今考えれば、それがプラスに働いたのではないかと思っています。
そして、そういう思いから一生懸命勉強する生活が始まりました。しかし、なかなか結果はついてきません。定期テストも400点台前半の点数ばかりで、内申も中2の時より悪くなりました。親からも「そんな結果のままなら塾をやめたら」と言われたこともありました。その時は反抗していましたが、親が心配するのもあたりまえのことでした。親には「次のテストまで待ってほしい」と言う日々が続きました。後期に入り、部活動もなくなって、勉強に打ち込める日々がやってきました。入試対策の授業は、フロンティアードの大垣北高クラスで受講していましたが、岐阜模試の成績で教室や席が変わり、それがとてもモチベーションを高いまま保つ良い刺激になりました。 僕は平日も夜の12時まで勉強し、休日は1日13時間くらい自習室に通い続けました。時間を費やすだけでは何にもならないと思っていたので質も落とさずやることを常に意識してやっていました。しかし、第5回の岐阜模試。偏差値はいつもより低くなり、初めて大垣北高クラスで上から3番目のクラスになりました。その教室割の表を見た時、泣きたいくらいショックでした。いつも同じ教室で授業を受けていた友達2人がいました。その2人は1つ上のクラスなのに、自分だけ。その瞬間から何かを変えなければと思いました。でもその時は、ひたすら勉強することしかできませんでした。でも、そんな時大学生の兄が下宿先から家に帰ってきました。兄は成績も良く、心の中では負けたくない存在でもありました。中学時代、ほとんど塾に行ってなかった兄が、こんなことを言いました。「塾に行ってるだけで、やった気になってる人もいるよな」と。それはただの兄の偏見かもしれないけれど、素直に僕の耳に入ってきました。自分は、塾で集中してたくさんの時間勉強したから大丈夫、それでいいと思っていました。でも勉強は「分かる」ということが大事なんだ、そのためにやるんだということに気づきました。それから、勉強のやり方をもう一度見直し「分かる」ということを一番に意識して、文字だけでルーズリーフをまとめるのではなく、図や絵も大きくつけることで左脳と右脳の両方で記憶されることを知り、たくさん実践しました。それから集中力が高い状態で勉強するために、自習している時は、リフレッシュする時間も増やしました。そして臨んだ第6回岐阜模試。偏差値も上がり、以前の上のクラスに戻ることができました。そして第7回もまた上がり、あと一歩で一番上のクラスというところまで席を上げることができました。でも、入試が近づくにつれて不安は募っていきました。落ちることばかり考えてしまいました。だけど、だからこそ、量と質を高めることで不安をなくしていこうと思いました。
 入試当日。少しの緊張を持ち、大垣北高に行きました。一教科一教科、勝負だと思ってやりました。終わった時はやり切った気持ちでいっぱいでした。その時、自己採点をする前だけれど、「受かったかも」と初めて前向きな気持ちになりました。そして3月16日。自分の番号がありました。
 今振り返ると、兄に言われる前までやっていた量を重視した勉強も一見無駄だったように見えるけれど、でもあの頑張りのおかげで、自然と机に向かう習慣ができ、一生懸命やる楽しさが分かり、「たった5時間」と思えるようになりました。一生懸命やれる塾の環境と、それをいつも熱く伝えてくれた先生と、競い合えた仲間と、支えてくれた親や家族のおかげで合格に辿り着くことができました。入塾した時は言葉だけだと思っていた「一生懸命が実を結ぶ」も今、現実になっています。そして、これから。入学後も高い目標を持って、頑張りたいです。

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大垣北高校 合格
後藤 峻平
養老校
上石津中学校

受験はあくまで通過点でしかない。

 2016年3月16日朝9時。ついにその瞬間が訪れた。貼られていくボードの中に自分の番号を見つけた。「やった。」心から私はそう思った。
私がこの志門塾に入塾したのは、この合格発表のほぼ1年前の3月だった。入塾した理由は、定期テストの点数が悪かったからだ。入塾した当初はほとんど勉強をしていなかった。学校から出される宿題をたんたんとこなすだけで特に自分からは何もしなかった。春期講習も「部活で疲れたから。」と親に言いサボッていた。そんな日々が夏まで続いた。
3年生の1学期が終わり夏休みに入った。部活動も引退しいよいよこれからが本番というのに、私の心境はほぼ変わらないままだった。夏期講習もみんなに合わせたという理由で午後6時まで残って勉強をしていた。特に目標もない人の自習時間はとても暇だった。しかし、黙々と勉強をする周囲の刺激を受け、少しずつだが自分の勉強をするようになった。そのおかげか、8月の第3回岐阜模試では前回よりも90点ほど得点を上げることができた。正直、ここまで上がるとは思っていなかった。
しかし、得点が上がったことで私は満足していた。そのせいか、夏休みから勉強量が大幅に下がってしまった。第4回岐阜模試では点数も下がってしまった。以前ほど勉強に身が入らず、第5回岐阜模試でも高得点は取れなかった。
学校ではこの頃くらいから、本格的に進路選択が始まった。この時の私は大垣東高校に行くつもりだった。しかし、学校の先生や塾の先生に、「大垣北高校も狙える。」と言われた。私はあまり乗り気ではなかったが、大垣北高校を目指すことにした。
大垣北高校に志望校を変えてから私はひたすら勉強をした。はじめはあまり乗り気ではなかったものの、勉強を続けていくうちに本気で、大垣北高に行きたい、と思えるようになってきた。また何より、勉強をすることが楽しく思えてきた。
本気で勉強してからの私の成績の上がりようはすごかった。自分で言うのも変だがすごかった。第7回岐阜模試では、460点を超えることができ、入試プレでは480点を超えた。もうこの時には、以前の私とは180度変わり、私は勉強のとりこになっていた。
そうしてむかえた受験当日、今まで学習したことを思い出し、落ちついて受けることができた。社会の学力検査が終わったあと、私の頭の中にはこの1年間の思い出が流れていた。本気になるのが少し遅すぎたように思える受験だったが、悪いものではなかったと私は思う。はじめて、ここまで勉強にのめりこむことができ、はじめて勉強が楽しいと思えた。こう思えたことが、何よりも私が受験を通して得ることができた財産だと私は思う。
また、私がこうなれたのは、志門塾に入ったこと、先生と出会えたこと、周りに共に頑張れた仲間がいたこと、そして親の支えがあったからこそ、こう思えたのだと思う。
受験は団体戦、その通りだと思う。人は一人では生きていけない、その通りだと思う。
私はこの受験で志望校に合格することができた。また一人の人間として、成長することができた。とても価値あるものになった、と改めてそう思う。
しかし、これで終わりではない。受験はあくまで通過点でしかない。これからの人生、もっと大変なことが山ほどある。現状に満足せず、さらに上を目指し、自らを鍛えていこうと私は思う。これから先、多くの人が別々の道を進む。今までのように、みんなと一緒ではなく、自分一人で頑張らなくてはいけない。だが、周りに支えてくれる人や、手を差し伸べたりしてくれる人は必ずいる。この受験で得たことを忘れずに、これからの人生を歩いていこうと思う。

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大垣北高校 合格
横山 凜
フロンティアード南校
興文中学校

勉強ほど正直に結果の出るものはない。

 私は、小学校の時は勉強が苦手でした。漢字の五十音テストも追試を何度も受けたし、算数の最小公倍数のテストで60点をとって母に怒られたこともあります。アルファベットなんて、Gまでしか言えませんし、小文字はもれなく書けませんでした。そんな私が、初めて通い始めた塾が、この志門塾のフロンティアード南校でした。動機は、家から近いから。今思えば、この選択がなければ私は変われなかったかもしれません。
塾では、定期テスト対策も、長期休暇の課題の量も、当時の私には考えられないボリュームでした。中1の頃は苦しくて根を上げそうになったこともありましたが、だんだんそれにも慣れてきて、日に日にできることが増えていく達成感から、自ら勉強するようになっていたと思います。勉強が楽しいものだ、と気付くきっかけを与えてくださった、早崎先生と小山先生には、伝えても伝えても足りない位に感謝しています。
勿論私も、ずっとうなぎのぼりで成績が上がり続けて大垣北高の門をくぐった、という訳ではありません。中2の頃、ずっと努力を続けているのに成績は下がり続けていた、いわゆる暗黒時代が私にもありました。定期テストの度に涙をこぼし、ふて寝する。そんな中でも、塾に行けば私を励ましてくれる先生がいて、私を自然と笑顔にしてくれる仲間がいて…。私はそんな環境があったからこそ、努力を続けることから逃げずに、走り続けることができたのだなと、今になって思います。本当に、頑張ってきて良かった。
入試前の2ヶ月間は、本当に長かったです。改めて周りを見渡せば、大垣北高校を受ける子たちは小学校のときから賢いと言われていた子たちばかり。私なんかが、果たして同じ土俵に立ってしまっていいのだろうかと、毎日考えていました。きっと、この3年間で一番顔色の悪い時期だったと思います。それでも、塾で過ごす時間は、私にとっての安らぎであったと、感じています。
だから、これから入試を迎える皆さんにも、校舎の仲間と、先生たちと学ぶ3年間を楽しんで、入試に向かっていってほしいです。勉強は誰でもできる。勉強ほど正直に結果が出るものはない。本当に、その通りだと思います。最初から諦めるのはもったいない。「自分は馬鹿だから」とか「勉強は才能」とか言っている人は、一度本気で勉強してみてください。何かが、変わるはずです。

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大垣北高校 合格
髙木 理子
GRAN
大垣東中学校

競争倍率が高くても覚悟を決めていた。

 裏向けられていた合格者の受験番号だけが書かれているボードが表を向けられる瞬間、息が止まるほど緊張して、全てがスローに見えた。自分の受験番号を見つけたときは嬉しくて、母親も自分より喜んで何回も、「よかったね。」「おめでとう。」って言ってくれた。
私は吹奏楽部に所属していた。だから皆が夏休み夏期講習や夏スタをやっているときも、一人ずっと部活で、帰ってきたら疲れて寝てしまい、夏期講習の夜の部に行くのが精一杯だったり、「私はどうしたらいいんだろう。」そんなこと誰にも言えずに悩んだり焦ったりすることもあった。10月の中旬、2年半の部活も幕を閉じ、「これからは勉強できる!」そう思っていた。自習室に行って勉強しよう。そう思ってもなぜか寝てしまって、集中したいのにできない。そんな自分にイライラしてもやもやして、「今日こそは」と何度決意しても集中して勉強できない。そんな状態だから当然岐阜模試の結果も全然伸びなくて、どうしたらいいのか分からなくなっていた。そんなときでも江口先生は、「次の岐阜模試ではとりあえず400点はとろう。」って、いつでも前向きな言葉で私を応援して、私に期待してくださった。分野別が始まった11月の終わり。絶対に期日までに出そうと、必死になって取り組んだ。いつの間にか自習室で寝ることもなくなっていた。期日ぴったりぎりぎりだけど間に合って、ノートを手渡すとき、江口先生が笑顔で「よくやったな。」って言ってくださったのが本当に嬉しかった。正月特訓も終わって迎えた第6回岐阜模試。前回よりも60点近く上がって、本当に嬉しくて頑張ってよかったと思えた。でも、だからきっと私はおごってしまったのだと思う。岐阜模試の後、1週間くらい勉強に身が入らなくて、なんとなくボーッとしてしまう日が続いた。会場受験最後の岐阜模試も、もう目前まで迫ってきていて、そこでようやくまずい、と思い勉強し始めた。でも、その最後の岐阜模試で自分への甘さが出てしまったんだと思う。第6回とは比べものにならないほど緊張して手が震えた「大丈夫。」そう思うほどに緊張した。自己採点の結果、前回よりもずっと下がっていてどんどん不安になって、先生に渡すときに泣いてしまった。「不安だ。」と先生に伝えるのも怖くて、でも先生は「入試本番とかプレテストとかじゃなくてよかったやろ。」とおっしゃった。よく分からなくてもうなづくしかなくて、自分の甘さと戦わねば、と決意することができた。岐阜模試が返ってきたとき、別の先生が「そんなに不安にならなくても、十分力はついているから、これからは自分の苦手なところをしっかりつぶしていこうね。」と言ってくださった。その一言でどれだけ自信が湧いたか、安心して勉強ができたか分からない。テレビや携帯電話も、前までは意識して使わないようにする、という感じだったのに、いつしか使わないのが当たり前で、夜、家に帰ってからもこれだけ解いたら寝ようと誰に言われなくても勉強できる、そんな習慣がいつの間にか身についていた。週末のフロンティアードでの直前講習も、3学期から始まった直前対策講習もはじめに比べると点数もだいぶ伸びて、安定して点数がとれるようになってきていた。そんな中で受けたプレテスト。全ての教科大体とれる点数も安定して、落ちついて年度別、岐阜模試満点演習、分野別、とラストスパートをかけることができていたと思う。そのくらいから変更期間が始まった。私が志望している高校は、初め115人オーバーしていて、多いな、と驚きはしたけれども、変更する気など全く無く、何百人オーバーしようと受けてやる、とすでに覚悟は決まっていた。そうして出た最後の数字は52人オーバー。半分まで減ったか、と私は自分が思っているよりも冷静で、良い精神状態だったのではないかと思う。それからも良いペースで勉強し続けていたと思う。でも入試の約1週間前、私は熱を出してしまった。体調にも気を付けていたのに何故?とそればかり思って、自分が情けなくて、涙があふれてしまった。一度泣いてしまったら止まらなくて先生は私を懇談室に連れていって、話を聞いてくださった。思っていたことを全て話してしまうと、先生は「そんなに不安にならなくても大丈夫だよ。今はとりあえずしっかり寝て、体調が万全の状態で挑めるようにしよう。」と私を励ましてくださった。それから睡眠時間を増やして、体調が回復しても入試まで細心の注意をはらって、でも勉強するときはぐっと集中して、とメリハリをつけて良いリズムで勉強できたと思う。そして入試当日、軽い緊張感で、でも良い集中の中で楽しんで受験できた。「入試本番とかプレテストとかじゃなくてよかったやろ。」この言葉の意味が本当に理解できた。
後輩の皆さん。先生にきっと「量と質」を何度も何度も言われる。でも、入試前日、今までやってきたものを全て積んだときの安心感ってすごい。これだけやったんだから大丈夫だって落ち着いていける。だから、先生を自分を信じて努力してください。応援しています。
私をいつでも支えてくれた家族。毎日遅くなっても、「おかえり。」そう言って迎えに来てくれた父親。毎日ご飯を作って塾まで送って、「がんばってね。」ただそう言ってくれた母親。いつでも変わらず話しかけてくれた姉。そんな家族がいたから、私は良い受験ができた。ありがとう。感謝しています。これからは私も支えていけるようにがんばる。
そして塾の先生方。ときに優しく、ときに厳しく私を励ましてくださった先生方。先生方のおかげで私は、落ちついて楽しんで入試当日を迎えることができました。先生方がいてくださったからすごく良い受験になりました。言葉では表しきることができないほど、本当に本当に感謝しています。ありがとうございました。
「自分の弱さと向き合い、戦うこと」これが私が受験で手に入れたものです。「受験は精神鍛錬の修行」この意味が分かりました。受験で手に入れたものを胸に新たなる生活へ、自分の夢へ、一歩ずつ踏み出していきます。

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大垣北高校 合格
細川 晶登
池田校
池田中学校

まだやれる、まだ行けると思い続けた。

 僕は、合格発表の日、自分の番号がしっかりと記載されていることを知った時には涙がこぼれました。今までやってきた努力が実ったんだと初めて実感することができました。あの時の親の笑顔や、抱きついてきた友人の感触は一生忘れないだろうと思います。
そんな幸せな経験ができたのも、周りの仲間、先生方や家族が支えてくれたからだと思います。そう言うのも、実は、僕には1年間のブランクがありました。1年生では何をするのが最善かなど全く分かりませんでしたので、ひたむきに勉強に励みました。しかし、2年生になってからは勉強さえしていれば大丈夫だろうと気がゆるみ、志門塾にほとんど行かない状態になってしまいました。その時には、大切な存在のありがたさに気づいていなかったのだと思います。案の定、成績や点数が落ちていってしまいました。僕は思い返しました。何が自分に足りないのか。そう考えていると、僕が塾に行かなくなる寸前に校舎長が言った言葉が頭をよぎりました。「それは逃げてるってことじゃないのか。」この言葉が、自分を変えてくれました。気付くのが遅かったのですが、先生は本当に生徒のことを思ってくれていたんだなと思いました。だから、3年生の夏、再び志門塾に帰ってくることを決意できたのだと思います。しかし、やはり熱意が入るのが遅すぎました。同じ高校を志望する友人との差はかなりありました。こんな途中参加なのだから、こうなることは覚悟して必死に勉強に明け暮れました。3年生の実力テスト、志望校に見合う点数を1回もとることができずに、学校の先生からは、結果を踏まえて考えると合格は難しいだろうと言われました。しかし、自分の意志を曲げるつもりはありませんでした。今まで共に勉強してきた友人と共に北高に行きたいと考えるようになったからです。どうしても行きたかったのです。この時から、自分の意志の炎が燃えさかりました。岐阜模試でもC判定やD判定をとってしまっていたのですが、自分は絶対に行けると言いきかせました。こんなことができたのも、志門塾で自分の可能性を知れたからです。まだやれる、まだ行けると思い続け、結果も少しずつですが伸びていきました。友人と過ごす塾生活の中で自分の学力にも自信が湧いてきました。塾での先生や友人との関わりの中で、自分のあるべき姿が見えてきました。
そして、後は成果を残すだけとなった試験当日、胸を張って終えることができました。何とかこの壁を乗りこえられたのも周りの存在があったからこそだと思います。やるべきことはやり終えた、そう思えるようになりました。
これらが、ブランクがあったって合格できる要因だったのだなと思います。もう周りの存在には感謝しかありません。この塾で勉強できて幸せだと思いました。ありがとうございました。

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大垣工業高校 合格
伊藤 聡一郎
南濃校
南濃中学校

やっぱり受験は団体戦だった。

 僕が志門塾に入ったのは、中学2年生のときです。志門塾に入る前の僕は、勉強がとても嫌いでした。志門塾に入ってからは少しずつ勉強をするようになり、コツコツ毎日勉強することを目標にしてがんばり始めました。
僕は英語がすごく苦手で、授業が終わってから先生に英語を教えてもらったりして、なんとか克服しようとがんばっていました。でも、志門に入ってからの初めての塾のテストで英語の結果は0点で、数学は20点ぐらいでした。そしてそれからもずっと統一テストや岐阜模試の結果は良くなくて、とても大変で辛かったです。そのとき先生が一緒にがんばるように言ってくれて、あきらめずにがんばってみようと思い直し、まず毎日勉強しなくなっていた自分を毎日勉強するように変えてこうとしました。しかしいきなり変えるのは無理でした。でも少しずつでも毎日勉強するようにしていきました。そして苦手だった英語は68点ぐらいまでとれるようになり、数学は良いときで80点ぐらい取れるようになりました。そして受験当日、あまり緊張することなくテストを受けることができました。たいして緊張しなかったのは、模試は受験のように、受験は模試のように受けることができたからだと思います。そして合格発表当日、僕は自分の番号がそこにありとてもうれしかったです。僕は受験の日まで努力をしてきて今までの勉強を通して、いろいろなことを学ぶことができました。志門塾南濃校に入るまでは、受験を少しあきらめかけていた僕は、今では少し勉強が楽しくなりました。そして、「受験は団体戦」という言葉の通り、志門塾生のみんなと点数で競い合うことで、自らの点数の向上や、辛い時、仲間同士で支え合うことでお互いに受験に対しての意識や気持ちを高めることができたと思います。支え合ってきた仲間に感謝です。そして、今、僕が受験に成功できたのは、あきらめかけたときにあきらめずに一緒にがんばろうと言ってくれた校舎長の言葉だと思います。あの時あきらめていたら、受験に成功した喜びや感動を感じることができなかったと思います。森川先生には苦手な英語に最初から付き合ってくださり英語で点数が取れるようになり、中村先生には数学でとくにお世話になりました。本当にどちらの先生も分かりやすく楽しく教えてくださってとても感謝しています。
僕は、この志門塾で経験した、良かったこと反省すべきことなどを生かして、高校でもがんばっていきたいです。

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大垣北高校 合格
衣斐 光流
安八校
輪之内中学校

焦りや不安、迷いが自分を成長させた。

 僕が志門塾と出会ったきっかけは、同じ中学校にいた友達からの誘いだった。当時は、全く塾に通っておらず、他の仲間の勉強に対する習慣に興味があり、志門塾に入塾することを決めた。
僕は野球部に所属していたこともあり、なかなか平日の授業に参加しにくい状況であったため、入塾してからも初めのうちは講習のみの参加だった。授業に参加するなかで、他の仲間が真剣に勉強する姿勢は感じ取っていたものの、
「別に自分は点数が取れているからいいや。」
といった言い訳をつくり、他の仲間の真剣な姿勢から目を背けていた。
3年生になってから、2回目の岐阜模試。僕はそこで驚くほど低い点数を取ってしまった。僕はようやく今までの自分について振り返り、真剣に自分の進路について考え始めた。僕は小学4年生の頃から、
「レベルの高い高校、大学へ行き、そして将来は医師になりたい。」
とずっとお父さんやお母さんに言い続けてきた。中学3年生になって、ようやくその夢を叶えることが簡単ではないということに気がついた。そして第3回の岐阜模試。夏休みにお盆特別合宿、そして夏期講習で今までよりも真剣に勉強に取り組んだ結果が表れたかのように、大きく点数が上がった。
しかし、第4回の岐阜模試で、また以前よりも大きく点数が下がった。初めて進路について、真剣に悩んだ。
「真剣に勉強しているのに、点数は上がらない。」
その悩みを後藤先生に話してみると、
「今のままの姿勢だったら、点数は絶対に上がらない。」
と、厳しい言葉をかけられた。正直、僕はその時ものすごく動揺した。悩みながらも、このままではいけないと思い、9月から本科コースへ入ることを決めた。授業では、真剣に話を聞いて、教えてもらうことは全て頭に染み込ませようという思いで、必死に勉強をした。
しかし、第5回の岐阜模試。点数は上がったものの、偏差値と順位は大きく下がってしまった。一緒に勉強をしていた友達にも、いつの間にか追いつかれていた。
「自分の周りの友達には、絶対に負けない。」
そんな自信と余裕は、いつしかなくなっていた。第6回の岐阜模試でも、満足できるような結果は得られず、偏差値と志望校判定は下がり続けていた。そんなテストの成績を見て、僕は真剣に悩んでいた。どうにかして、今の状況を打破しようと思い、必死だった。
その頃、僕は多くの先輩や友達に
「お前ならどこの高校でも余裕やろ。」
と言われることが多くあった。今までは、何とも感じることのなかったその言葉に対して、いつしか大きなプレッシャーを感じるようになった。
「周りの期待には応えたいけれど、今の自分では無理なのかな。」
というような焦りや葛藤を感じることがよくあった。
その時に、僕は両親に正直にその悩みを打ち明けた。
「今も、一生懸命勉強しているし、大丈夫だよ。」
というような応援の言葉をかけられるのかと思っていた矢先、
「周りの人に比べてまだ努力が足りていないし、志望校についてよく考えなさい。」
という言葉をかけられた。その言葉を聞いた瞬間、涙が溢れてきた。
「今まで通りの勉強をしていてはだめだ。」
僕はそこでそう思い直し、今までよりも一層、勉強についてこだわるようにした。分野別問題集を貰ってからは、自分のした間違いを、必ずノートにまとめるようにした。間違いだけではなく、正解だったけれど答えを出すまでに時間がかかった問題や、授業で先生が話したことの中で重要だと思ったことも、全てノートにまとめるようにした。ノートにまとめをしている分、他の人よりも課題をやり切るために多くの時間が必要になった。
他の人よりも多くの時間を確保し、内容の濃い勉強をするために、平日は、どんなに学校が終わる時間が遅くても、夕方6時半までには必ず塾に来て勉強すること、そして、夜は必ず11時まで勉強をすることを、自分の中でのルールとした。真剣に勉強をしていくうちに、だんだん今の自分に自信がついてきた。まとめをしていたノートもだんだんと埋まっていき、確かな自信が得られるまでになっていった。長時間の勉強で自分にかかる負担が増え、疲れのせいからか、時々眠たくなるときもあった。
しかし、そんな状況の中でも、両親への感謝の気持ちは忘れなかった。夜遅くまで勉強して、迎えの車に乗った時に、両親の疲れた顔を見ることがよくあった。自分が夜遅くまで勉強していられるのは、両親の支えがあるからなのだということを、改めて実感した。
「両親の支えがあるからこそ、自分は勉強できる。」
そのことを忘れずに今まで以上に真剣に勉強をした。必ず送り迎えをして貰ったときは、両親に「ありがとう。」と言うようにした。自分は精一杯努力している。けれど、その陰には送り迎えをしてくれる両親、そして自分がもっとレベルの高い所に進むためにはどうしたら良いのかなど、親身になっていつも相談に乗ってくれた後藤先生、分からない所があった時に質問対応をしてくれた加藤先生、僕の要望に合わせ、最も適した問題を見つけ、プリントを渡してくれた石黒先生など、周りの多くの人が自分が努力できるように支えてくれているのだと気づくことができた。そんな多くの人達が僕を支えてくれていることを、とても温かく感じた。
迎えた受験当日。僕はあまり緊張しなかった。自分にできる限り、最大限の努力をして、十分に自信をつけることができたからだと思う。テストが終了して、自己採点を先生に報告するときも、喜んで報告することができた。
合格発表当日-。僕は掲示板に自分の受験番号を見つけることができた。両親や後藤先生は、僕が合格することができたことを、まるで自分のことであるかのように喜んでくれた。僕はとても嬉しかった。自分にできる最大限の恩返しを、今まで僕を支えてくれた人達にすることができたと思う。
「周りの人々の支えがあるからこそ、努力することができる」
この事を、受験生になる皆さんは胸に深く刻んでおいてください。周りの人達の支えがどれだけ自分にとって大きなものであるのかに気付くことができれば、自分にできる精一杯の努力ができるはずです。そして、後に努力をすることは自分のためであり、支えてくれた周りの人のためでもあるということを強く感じられ、やりがいを見い出すことができます。受験は、勉強していく過程の中で、周りの人の温かさや、努力することの本当の意味、やりがいに気付くことができる、素晴らしいものです。受験生になるみなさんは、ぜひ受験を楽しんで下さい。
僕は、今まで支えてくれた塾の先生や両親にとても感謝しています。受験を通して得ることのできた経験は、僕の人生の中で、一番の宝物です。
本当に、ありがとう。

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大垣東高校 合格
廣瀬 希美
神戸校
神戸中学校

皆を笑顔にできる受験は最高だ。

 私が志門塾に入ったのは、中学1年生の夏頃だった。あまりに出来が悪かった私を見かねて、祖母が提案してきたのがきっかけだった。入塾テストの結果は本当に悪く、ほぼ白紙ばかりのひどいものだった。だから、私の塾のスタートはあまりやる気ではなかった。
そして夏期講習が始まった。不安ばっかりだったけれど、優しく教えてくれる先生や仲間のおかげで、だんだん楽しくなっていった。おもしろい語呂合わせや、雑談などで、どの授業も笑いがたえなかった。「ひょっとしたら学校より楽しいかも」と私は思うようになった。
そんな授業のおかげで、入塾前と比べ、私のテストの結果は点が上がるようになった。しかし、毎週ある授業を少しめんどくさいなと思うようにもなってしまった。自習室も、行かないと課題が終わらないから、仕方がなく行っていた。決めた時間までやればいいと思っていたため、2時間と決めたら、2時間きっかりに帰るようなやる気のなさだった。
そして2年生になった。学年が上がっても、私のやる気にあまり変化はなく、来年受験生だという危機感も全くなかった。塾は、行かなければいけないから行く、という感じだったため、みんなほぼ受かるような確認テストで追試になってしまったことがあった。その時本当に悔しくてはずかしくて、やっと自分の気のゆるみに気づいた。もうこんな思いはしたくないと思って、その時から追試に落ちないようにちゃんと確認テストの勉強をするようにした。そうすると、追試に落ちる回数がちょっとずつ減っていって、うれしかった。意識を変えてからテストの点も、350点がとれたらいいなと思っていたけど、400点をとりたいという思いに変わった。そして志望校も、初めて選択肢に大垣東高校を考えるようになった。
そしてついに、私は中学3年生になった。伊藤先生から、高校入試までの道のりを聞いた。本当に早くてびっくりした。本当に今のままで志望校を目指せるのかという不安があったが、とりあえず苦手な教科をなくすためにがんばって勉強しようと思った。
すぐに、第1回岐阜模試があった。それまでの統一テストとは違い、岐阜県入試に近いテストだからすごく緊張した。志望校判定が出るため第3希望まで書いたが、その頃まだ第1志望に大垣東高校を書くほどの自信がなく、大垣南高校と書いた。でも、内心では大垣東高校に行きたいという気持ちもあり、第2志望に書いてみた。結果は、想像よりも良かった。志望校判定もBで、少し自分に自信がついた。
基礎講習が始まった。フロンティアードでの授業はいつもより緊張した。何より、クラスも席も、第1回岐阜模試の成績だけで決まるから、不安だらけだった。ドキドキしながら自分のクラスに入ると、大垣東高校志望の子がたくさんいるクラスだった。すごくうれしかった。そして私の席は、そのクラスの一番前の列だった。どうせ自分は一番後ろだろうと思っていたから信じられなかった。フロンティアードで様々な先生に教えていただく授業はすごくおもしろくて、分かりやすかった。不安だった基礎講習で、私は自分に自信を持つことができた。しかしその反面、自分に甘くなってしまった。
そんな甘い自分に負け、第2回岐阜模試は一気に点が下がった。とても大垣東を目指せる点ではなかった。そんな中、お盆特訓が始まろうとしていた。伊藤先生から、お盆特訓で岐阜模試の点数を一気にみんな上げてくるという話を聞いた。その話を聞いて、第2回のひどい点数から、なんとしても上げてやるという強い思いが生まれた。100点アップを目標にかかげ、私はお盆特訓に臨んだ。
お盆特訓の授業は、すごく分かりやすかった。自分の苦手だったものがどんどん理解できるようになっていくのがすごくうれしかった。そして周りには同じようにがんばる仲間の姿があるから、自分もがんばろうと思うことができた。
そして第3回岐阜模試の日が来た。何としても取る、という気持ちで、それまでの岐阜模試で一番気合を入れて受けた。すると、確実に自分の解ける問題が増えたことを実感できて、解いている時すごくうれしくなった。結果は、100点アップすることができていた。しかも、受けた岐阜模試の中で一番良い点数だった。努力すれば、努力した分だけ上げられるんだと思った。
夏休みも終わり、2学期が始まった。すぐに第4回岐阜模試があった。第4回岐阜模試は、初めての会場受験だった。岐阜経済大学はとても広く、知らない人が周りにたくさんいた。なんだか自分以外の皆が賢そうに見えて、ますます緊張してしまった。環境が変わり全く平常心が保てなかった私は、また第4回で下がってしまった。もう10月だったため、ちょっと不安になった。
11月下旬、塾で分野別問題集が配られた。配られたその日から、とにかくそれをやり込むことに集中した。周りの子に遅れないようにたくさん自習室に通い、必死で解いた。そして臨んだ第5回岐阜模試。結果は全くよくなかった。あんなに分野別を解いたのになんで上がらないんだろうとすごく悔しくなった。
2学期が終わり、冬休みが始まった。朝からある冬期講習では、思うように結果が出なかったこともあり、あまり気持ちが入っていなかったため、寝てしまうということが何度もあった。本当にこのままじゃだめだと思った。でも、現実から逃れるかのように、何をするわけでもなく深夜まで起きているくせは直らなかった。親にも夜ふかしの事で何度か怒られ、ぶつかることもあった。自分でもこんな自分が嫌になったし、辛かった。
そんな中、正月特訓が始まった。1日目、私は総塾長のお話を聞いた。そこで、受験を受けられることは幸せなんだということを教えていただいた。それまで、受験生なんてやめたいと思っていたし、いっそ受験したくないと思うこともあった。でも、先生や親の支えがあって今ここまで来れたんだと思ったら、受験なんてやめたい、とは二度と言えないと思った。
大変だと思っていた正月特訓はとても充実していて、意外とすぐ終わってしまった。もうここまで来たらやるしかない、と思った。
3学期が始まった。そしてすぐに二者懇談も始まった。私はもう、ここまで来たんだからどんな事を言われようと、大垣東高校は変えないでおこう、と思った。学校の先生には、やはりこのままだと危ないと言われた。やはり少しショックだったけど、変えませんと言いきった。
塾では、ブラックノートを使うようになった。とにかくこれで最後に上げてやると思って、直前講習や、対策授業などで間違えたものはすべて書き込んだ。とくに苦手だった理科、社会はとくにたくさんやった。でも、岐阜模試は上がらなかった。一番大事な第7回も、納得のいく結果ではなかった。疑問でしかなかった。自分ではがんばってるつもりなのになんで上がらないんだと本当に訳がわからなかった。直前講習だって、みんないい点数なのに、自分は70点台だったり、あんなに補習でやった理科、社会も、ミスばっかりだった。もう不安で不安で仕方がなかった。ある日の講習で、私は思わず泣いてしまった。伊藤先生は私を面談室に入れてくれた。私は伊藤先生に、自分の不安を全てぶちまけた。もう涙があふれてとまらなかった。すると先生は、力強く「大丈夫。先生を信じろ!」と言ってくださった。その一言は本当に心に響いた。何一人で不安になっているんだろう、と思った。半泣きの状態で面談室から出ると友だちが心配して声をかけてくれた。「のぞは一人じゃないよ。私がついとるよ。」と言ってくれた。その時やっと受験は団体戦の意味が分かった気がした。
次の日から、とにかく自分のできることを最後までやろうと思った。間違いが多かったプリントは先生のところへもっていって、何ができていないか、何をすべきなのかを教えてもらった。
あっという間に入試前日になった。塾では、出陣式が行われた。神戸校で今までがんばってきた仲間と、写真をとった。笑いがたえない、とても明るい雰囲気だった。心の底から、皆で合格したい、と改めて思った。その後伊藤先生や門脇先生からお話があった。先生たちは、本当に私たちのことを考えてくださっているんだと実感し、余計にやる気がわいてきた。一番最後に、親からの手紙が渡された。まず、書いてくれていたことにびっくりして、読む前から泣きそうだった。読むと、絶対合格しなくちゃ、と思えた。合格という形で恩返ししたいと思った。
そして、入試当日。たくさんの私にとってのお守りをサブバックにつめ、私は大垣東高校に行った。もう全く緊張はしていなかった。とにかく、いつもどおりがんばるだけだと思い、先生や、仲間や、親の顔を思い浮かべながら、鉛筆をぎゅっと握った。入試はすぐ終わった。本当に岐阜模試と何も変わらなかった。今までやってきたことが生きてるから、がんばれたんだと実感した。 合格発表の日になった。この日は入試本番より緊張していた。自分の番号があることより、塾のみんなの番号がありますようにと強く祈った。私が着いた頃には、もうすでに番号が貼られていた。おそるおそる、私は番号を探した。「あった!」見つけたとき、思わず声に出てしまった。うれしかった。本当にうれしかった。一緒に来ていたお父さんに伝えたら、「よくやったな。」と頭をなでられた。いつもよりも少しうれしかった。私が受かったことを知ると、親だけじゃなくて、友だちも、友だちの親まで喜んでくれた。こんなにも私の合格を喜んでくれる人がいる事に、またうれしくなった。みんなを笑顔にできるなんて、本当に受験は最高だなと思った。こんなこと、何か月か前の私に言ったら絶対笑われると思う。
私は、受験を通して、合格以上のたくさんのものを手に入れることができた。そして、こんなに必死になった受験のことを、絶対に忘れないだろう。

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大垣南高校 合格
髙橋 祐衣
海津校
日新中学校

勉強は、勝手に好きに思えてくるもの。

 合格発表を待つ間、私と母は無言だった。あんなに胸がドキドキしたのは多分、今までで初めてだったと思う。もちろん、落ちたらどうしよう…といった不安もあって合格発表の日が怖い日もあった。でも、それ以上にやりきった、悔いはないといった前向きな気持ちの方が強かった。それは自信を持って入試本番に向かわせてくれた、支えてくれた人々がいたからだと思う。
私は、3年生で塾に入った。それまでは塾にも行かず、一人でゴロゴロ、ダラダラと一日を過ごしていた。そのせいか、私は2年の最後のテストではとても悲惨な点数だった。その時は、勉強というのは辛くて、めんどくさいと思っていた。塾に入ったら毎日が大変だった。学校で疲れて家に帰ったらすぐに夜に塾へ行かなければならない。寝る時間も遅くなり、なんでこんなにがんばらなきゃいけないのかと思っていた。だから、自習室も行かなくていいだろうと勉強から逃げ、弱い自分のまま過ごしていた。そんな時、先生に呼び出されて自習室に来ていないことを注意された。先生は私の心が分かるかのように私の弱い部分を指摘し、私は腹をくくって先生に言った。
「毎日、夜必ず自習室に来ます。」
こう誓言した日から、私は毎日夜7時から塾が終わる夜11時半まで自習室で勉強した。行くのやめよかな…と弱い自分に流れそうになった時もあったが、そんな時は先生に言った誓いの言葉を思い出しながら、毎日自習室に通った。通うにつれて、自習室を利用するのが楽しいと思えている自分がいた。なぜなら、最後までやっていても周りを見れば、自分と同じように最後まで勉強している仲間がいたからだ。そして、質問をすることで理解し、解けるようになるのが楽しかった。その時から私は勉強する苦痛から、理解できる喜び、勉強が楽しいと思える自分に成長したのだ。これは私にとって大きな財産だと思う。勉強は無理に好きになるものではなく、努力をしていれば勝手に好きに思えてくるのだなと感じた。
最後まで自習室に残り、帰ろうとした時、長谷川先生は私に言った。
「誰よりも努力して、たくさん自習室で勉強すれば、それが自分にとって大きな自信となる。誰よりも勉強したと胸を張って入試に向かうことができるよ。」
この言葉は今でも忘れられない。自分は一番強い自分の味方、『自信』を手に入れることができたのだ。簡単には手に入れることはできなかったけど、努力を通して胸をはって「できた!」と言えるのは心強かった。だから当日は、迷いや焦りなく自信を持って前向きに挑むことができた。そして、受験が楽しいと思えた。
ここまで私を大きく成長させてくれた、先生方には本当に感謝している。毎日、優しく見守っていただき、時には厳しく前に進ませてくれた。この受験で私は、勉強の楽しさと自信を手に入れることができたと、胸を張って言える。合格以上の価値の高いものを手に入れた。しかしまだここで終わりではない。ここからがスタートだ。新たな自信を手に入れるため、突き進みたい。

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岐阜総合学園高校 合格
宮本 紘夢
大野校
大野中学校

努力を続ければ、必ず自分の力になる。

 僕は、受験を通して学んだことが二つあります。
一つ目は、「努力の大切さ」です。僕は、2年生の夏に志門塾に入りました。入った理由は、もちろん自分の点数をもっと上げたいと思ったからです。友達に紹介してもらい、ウキウキしながら入りました。志門塾に入るとまわりは自分よりも成績の良い人ばかりで本当に自分がこの場所でついていけるのか、とても不安でした。でも、点数を上げたかったので毎日自習室に行くなど精一杯努力しました。運動することは好きだったけど、勉強は、やってもやってもなかなか成績が上がらないから大嫌いでした。勉強することは嫌だったけど先生方がすごくわかりやすく教えてくれたし、毎回笑いのある授業ばかりで少しずつ自分の中でも勉強することが楽しくなっていきました。自習室に行くことも嫌ではなくなり、行くことがあたり前になっていき、2時間、3時間と増えていき、点数もそれまで以上に上がりました。きっと嫌々努力しても身に付くものも身に付かないのだと思います。始めは、誰もが勉強することは嫌ですごく逃げだしたいと思います。でも、そこで諦めたりせず、続けていけばその努力がいつか必ず自分の力となり、少しずつ勉強することも好きになっていくのではないかと思います。努力しなくても初めから成績の良い人よりも、努力が嫌でそれでも諦めず、いろんなことに悩み、一生懸命がんばれたり、この先、勉強が役に立たないと思っていても努力できたり、そうやって苦しくてもがんばれる人がこの先、生きていく中で嫌なことがあっても今回の受験勉強のように乗り越えられると思います。逆に嫌なことから逃げて楽ばかりをしている人はいつか必ずどこかでつまずいてしまい、苦しい思いをすると僕は思います。きっと勉強というのは、この先のつらいことから乗り越えられる自分をつくるものなのではないかと思います。大変なことだけど努力は続ければ必ず自分の力になることを知ることができました。きっと今まで努力してきた事は、高校に行くための準備なのではないかと思います。
二つ目は、「感謝」です。感謝という言葉は口では簡単に言えるけど、行動で感謝の気持ちを伝える事はきっとすごく難しいと思います。僕は毎日自習室に通い点数を伸ばすことができました。でも、前に毎日自習室に行って自分なりに努力しているのに定期テストで点数が下がってしまいすごく落ち込んでいた時期がありました。「自分は努力しても上がらない」「努力しても絶対無駄」と思い、日に日に自習室へ通う数も減り、塾の授業にも集中できませんでした。すると、校舎長はそれにすぐ気がつき、相談に乗ってくれました。そのことが自分にとってすごい力にもなったし、頑張らなければならないという気持ちにもなりました。自分の為に夏休みの勉強リストもつくってくれたし、「一緒に先生たちも力を入れて頑張る」そんな言葉ももらいました。自分でも、点数が上がらなくてだめだとやる気をなくしていた自分が情けなくなり、がんばらなくてはならないのだと思う気持ちがこみ上げてきました。高校のことで不安になっていた自分に「絶対受からせてやる。」と声をかけてもらい、その言葉を信じて受験当日までがんばることができました。先生方には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。そして何より一番感謝しているのは、家族です。毎日、自習室へ送ってくれたり、遅くに迎えにきてくれたり、遅くまで勉強してきた僕に「おつかれ」と声をかけてくれたりしました。僕はこのように本当にたくさんの人に支えられて努力してこられたのだと思います。自分ががんばれたことはきっと一人だけでは成し得なかったことだと思います。いろんな人の支え、助けがあったからこそ努力してこられたのだと思います。努力して行動で感謝の気持ちを伝えられたのではないかと今思います。
受験を通して点数が上がっただけでなく自分もそれにともない、たくさん変わることができました。努力を続けられるようになったこと、感謝の気持ちを行動で伝えられるようになったこと、きっとこれは、勉強だけでなく、部活だったり、この先の夢であったり、色々なことにつながると思います。あの時、先生に声をかけてもらえていなかったら、絶対に今の自分はなかったと思うし、高校にも合格できなかったと思います。そして、辛くてもがんばってこられてよかったと思います。自分が変われたことはたくさんの人の数えきれないほどのおかげだと思います。僕は本当に幸せ者だと思います。時には厳しく、時には優しくしてくれ、いつもおもしろい先生方に出会えてよかったです。本当にありがとう。そして、家族のみんな、僕の受験のために嫌な顔一つせず最後までつきあってくれて本当にありがとう。

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大垣北高校 合格
野田 裕紀
揖斐川校
北和中学校

自分の実力を試したいと思った入試本番。

 合格発表当日、自分の番号が目に入ったとき、全身の力が抜けた。今まで張りつめていたものが解け、自分の努力が報われたという達成感が自分の中にあふれ出ていた。
僕は小学6年生の中学準備講習から志門塾に入塾した。中学に入り、野球部に入部した僕は部活を優先しながらも、テスト前には勉強をしてきた。そのため、期末テストでは良い結果を取ることができていた。また、統一テストでも良い結果が出せるようになってきた。いよいよ中学3年生になり受験生となった。第1回岐阜模試でも良い結果が取れ、自分は部活ばかりを優先するようになった。そのため、第2回岐阜模試では点数も大幅に下がり、順位も下がってしまった。しかし、合格ラインにはいたためその点数を重要視せず、安易な考えで夏休みを過ごしてしまった。当然、第3回、4回とも良い結果が出なかった。僕は今までの気持ちをすべてぬぐい去り、毎日塾に来て、質の良い勉強をすることを決意した。それから、僕は今までの分を全て取り戻そうと一生懸命勉強し第5回の岐阜模試を迎えた。しかし、結果は簡単にはついてこなかった。自分は何をして良いかわからなくなり逃げ出しそうになった。でも、親や塾の先生のおかげでそこから逃げ出さず勉強に取り組み続けることができた。第6回の岐阜模試では良い結果を出すことができた。自分はがんばれば良い結果が出ることに気づいた。その後も追い込み続けた。そして第7回岐阜模試、最後の岐阜模試で、自分の気合いも入っていた。自分としても手応えはあった。しかし、結果は今までにない、最悪の結果だった。だが僕はこのときから火がついた。次のプレテストでは絶対に高得点を取ると心に誓った。そして、僕は毎日勉強を続けた。そして、自分が言ったことは必ずやると決めた。今までの岐阜模試や入試演習など、全てをやり尽くした。そして迎えたプレテスト。入試本番のような緊張感で問題を解き、1問1問全て見直した。そして、良い結果を得ることができた。自分に自信がついた状態で入試本番を迎えることができた、入試本番、緊張はあまりしなかった。今までの自分の実力を試したいという気持ちが強かった。テスト中も今までの模試のように良い緊張感と集中力で行うことができた。
僕は今回の受験で努力は報われるということを学んだ。今までの自分の努力はすぐには結果には出なくても、いつかは必ず出る。最後に自分の結果が出ると信じてがんばることは本当に大切だと思った。僕はこの経験を今後の人生の糧にしていきたいと思う。

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大垣東高校 合格
大橋 佳奈
東部校
東部中学校

ずっと逃げていた自分に気がついた。

 3月16日、合格発表当日。私は不安いっぱいで、行きたくないと思った。入試速報を見て自己採点をした結果がすごく悪かったからだ。それを見て、自分は不合格になったと思い、合格発表の場からどう逃げようかばかり考えていた。そんな気持ちの中で合格者の番号が書かれている紙が掲示された。私は不安な気持ちの中に少しの希望を探すように、私の番号を探した。その紙には「1007」という番号がのっていた。私の受験番号だ。本当に信じられなくて隣にいた友達に何度も確認した。本当にあった、合格したんだと思うと喜びの涙があふれてきた。今まで支えてきてくれた人に感謝すると同時に、その人たちに良い報告ができて良かった。今までがんばってきて、第1志望をあきらめなくて良かったと心から思った。
私が志門塾に入塾したときは、高校受験はまだまだ先だという感覚でいたし、志望校が決まっていなかったため、与えられた課題をこなしているだけだった。時は流れるように過ぎていき、もう中学3年生の春になっていた。あと1年もたたないうちに入試がある。「もう受験生だ。」という話をいつも聞いていた。でも志望校も決まっていない私は正直実感がわかなかった。だから、まだ1年あるんだから、今からやらなくていいだろうと思っていた。勉強に対するやる気がでず、言い訳ばかりしてあっという間に夏が過ぎようとしている時期になっていた。私はお盆特訓を受けていた。この頃には入試までに残された日数が少ないということもあり、危機感を持ちはじめていた。志望校も決まっていた。しかし、頭では勉強しなければいけないと思っていても、今までさぼってやらないでいた分の膨大な量の課題を目の前にして立ちすくんでしまっていた。そんな私の岐阜模試の結果はD判定。あたりまえだ。だから私も自分がやらなかったからしょうがないという気持ちでいた。「しょうがない」いつも私はこの6文字の言葉を言い続けていた。そう、私は逃げていた。自分で自分と向き合おうとしていなかった。そんな私を自分と向き合わせ、背中をおし続けてくれたのは、佐藤先生や両親だった。いつも夜遅くまで自習室を開放し相談にのってくれた佐藤先生。私はいつも先生の言葉に救われ、がんばろう、まだ終わっていないからあきらめずに最後まで走り続けようという気持ちになることができていた。その言葉があったから自分と向き合い、点数を上げるための努力を最後までやることができた。また、仕事も忙しいのに、夜遅くに塾に迎えに来てくれたり、私をはげまし支え続けてくれたお母さん、お父さん。そんなたくさんの人たちのおかげで、私はがんばることができ、「合格」という結果を出すことができた。本当に感謝しきれないくらい。「本当に本当にありがとうございました。」私はこの受験を通し本当に多くのことを学び、精神的にも肉体的にも成長することができた。この学びや良い習慣を続け、これからもがんばっていきたいと思う。

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大垣北高校 合格
松岡 舞衣
外渕校
江並中学校

絶対、志望校は変えない。

 私は自分の受験を通して「あきらめないことの大切さ」を学びました。それは、この志門塾に入っていなかったら決して学ぶことができなかったことだと思います。
私が大垣北高校を意識し始めたのは中学2年生の終わり頃です。しかしそのときはなにか理由や目的があったわけではなく、ただなんとなくといった感じでした。そんな私の曖昧な気持ちが明確になったのは中学3年生の夏休みの高校見学でした。大垣北高校の校風や雰囲気に圧倒されました。それと同時に私は大垣北高校に絶対行きたいと思いました。それからは目標が決まったことでそれまで以上に強い気持ちで勉強に取り組みました。また、夏秋講習からは駅前のフロンティアードで大垣北高校や大垣東高校を目指す人たちと一緒に講習を受けました。しかし、あまりその成果は出ず、岐阜模試の北高の志望校判定はCばかりでした。自分の周りの北高を目指す仲間たちがどんどん成果を出していくなかで自分だけがそのような状態だったのでとても焦りを感じました。周りから志望校を聞かれたときは、私は北高を目指しているとはとても恥ずかしくて言えなくなりました。竹中先生とは何回も面談をしました。誤答処理を今まで以上に丁寧に行ったり、苦手だった数学の演習を増やしたりしました。すると、岐阜模試の点数や志望校判定が少しずつ上がっていきました。月日はあっという間に流れ、みんながラストスパートのように勉強をする時期になりました。しかし私は卒業式の伴奏や学級委員の仕事があったため、なかなか勉強に専念することができませんでした。ここでもまた、みんなと差をつけられるような気がして焦りを感じました。その不安な気持ちがテストの点数にもつながり、プレテストや直前講習ではとても北高を受験しようとする人がとる点数には及ばない結果ばかりとなってしまいました。それに対して悩む中、2月24日に第1次選抜の出願者数が発表されました。北高は67人オーバーでした。両親などから「東高に志望校を変えたほうがいい」と何度も言われました。また竹中先生と面談を繰り返しました。私はそれでも志望校を変えるつもりはありませんでした。しかし不合格になる可能性が高いことを考えると、やはり不安な気持ちもありました。そんなとき竹中先生は私に「やっぱり舞衣さんには北高を受けてほしい。」とおっしゃいました。今思えば、私は初めからその言葉を待っていたのかもしれません。竹中先生のその言葉は私の背中を強く押し、私の決意を固めてくれました。それからは勉強中に不安がよぎることなく取り組むことができました。そして入試当日。外渕校の先生からのお守りやミサンガのおかげで私は緊張をせず、リラックスした状態でテストを受けることができました。合格発表当日。私は自分の受験番号をなかなか見つけることができず不安でしたが、「81」の番号をやっと目にしたときは、本当に嬉しい気持ちになりました。思わず友達や竹中先生と抱きあい、泣きそうにもなりました。「あきらめず、大垣北高校を受けてよかった。」と心から思うことができました。
両親、竹中先生、川口先生、春日先生、今まで本当にお世話になりました。そしてありがとうございました。

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大垣北高校 合格
西川 礼央名
垂井校
垂井北中学校

受かるだけの受験ではダメだ。

 自分は「やるだけの受験」にならずに済んだのではないだろうか。大垣北高校、合格者の番号の掲示と、そこにもある自分の受験票の番号を見比べながら、そう思った。合格した喜びや、今まで支えてくれた家族、友人や塾の先生、仲間への感謝の気持はもちろんである。ただそれよりも高校に入ってからのことやその先の大学、就職のことが頭を巡っていた。自分にとってこの受験生としての1年は本当に大きなものだった。4月、面談のとき、山本先生に「このままだと、きみは受かるだけの受験をしてしまうぞ。」そう諭されたことを今でも覚えています。2年生から本格的に塾に入ったけれども、自分の心の中にはどうしても、「受からなければ、結果としては、悔しいだけじゃん。」という思いがありました。この面談のとき、僕は「できるだけ余裕をもって入りたい。」と言いました。今では、とても反省しています。そこから僕は、自習室を平日は毎日行くように決め、利用を増やしました。すると、何日か通っていると、同じ学年の仲間達で、毎日見かける人が結構いて、自分の努力がどれだけ足りていなかったかを痛感させられました。これによって更にやる気もあがり、1学期では段々と上がっていきました。岐阜模試でも400点に近づき、努力が少しだけ楽しくなっていました。そして、夏休み、僕はお盆特別合宿に参加しました。出来つつあった僕の自信は、そこで再びたたき折られることになりました。ハイレベルな授業の数々、精一杯の僕など足元にも及ばず、「この問題、解けた人!」という先生の質問に対して挙がるたくさんの仲間の手。わずか20分で100を解く「トライアル」というテストでは、毎回順位が発表され、掲示されましたが、僕がそこに名前を載せられたことはほぼありませんでした。解けない、届かない、圧倒的な差があるという事実は、今まで自分が見てきたり、思っていた価値観を全て取り壊していきました。1週間の合宿も半分位過ぎた頃には、もう諦めを感じていました。といっても「無理だ。追いつけない。」と思った訳ではなく、ここまでの努力の積み方が違うのだから、僕は僕のペースで頑張ればいいというような諦めでした。これというのも、この合宿中、僕はそのトライアルで、結果総合1位を獲った人と同じ部屋だったのですが、その人は僕ら他のルームメイトが休んでいるときも、暇さえあればテキストを読んでいたのです。僕は「あっ、天才って努力するから天才なのかもしれない。」と思いました。そこから僕は勉強し続けました。でも、周りの大きさを知った自分の中には、何故だかやる気が湧き上がってきました。夏休み終わりの岐阜模試では、その成果もあり、全体では13位、校舎内では2番を獲ることができました。「やった。この調子で努力し続ければ、僕はもっとできるんだ。」あまりの好成績にこう喜んでいました。それが自己満足とも知らず、2学期もはじまり、やはり出だしは好調でした。しかし、その勢いも徐々に衰えていきました。点数は安定しているが、緩やかに減っていく自分に対して、それまでとはうってかわり、平均点はぐんぐん上昇し、400点や、450点を取るだけの力を付けてくる人も現れ始めました。自分だって、手抜きなことはしていないのに、遅くなってはいないのに、前を走る仲間も、後方の仲間も加速していき、取り残されていく感じでした。「いったい、僕は何が悪いんだ。何が皆と違うんだ。努力してるのに。どうして結果がついてこない。悔しい。」とそう思いながら過ごしていたある日、第5回の岐阜模試が返されました。結果は370点台。家に帰って、悔しすぎてトイレで泣いたのを覚えています。そしたら、母親が、「山本先生に相談しに行こう。」と言って、行くことになりました。行くと、僕は、自習室で勉強することになり、その間、先生と母親が話していました。僕が自習を終え、自習室から出てくると、先生は僕を呼び止め、一言「今はまだ何もしてやれない。だってまだきみは、全力を出していない。」と言われました。僕は自分の中に、努力することが目的となり、それで満足していたことにそのとき初めて気づかされました。思い出せば、塾の仲間は、それまで来てなかった人も塾に来るようになり、更には、僕より早く来て、遅く帰っていました。学校でも、それまで好きな事をしていた友達は真面目に勉強と向き合うようになっていました。それから僕は、勉強する時間は変えず、その決められた時間内を有効活用し、全力で取り組んでいきました。最初は、分からない問題があったり、間違えたりするのが、すごく嫌だったけど、そういう時に、ふと頭を上げて、周りを見回すと、必死にペンを走らせる仲間たちがいて、それがすごく勇気になり、「立ち止まるな」という良い緊張を与えてくれていた気がします。B判定だった僕は、「そこで満足する自分でいたくない。余裕をつくってしまう自分でいたくない。例え落ちたとしても、言い訳ができてしまうような過ごし方をしたくない。」といつの間にか思うようになっていました。そして、解けないこと、間違えないことへの前向きな気持ちへも変わっていきました。「今解けなくてもいい。たとえ、本番まで何百、何千と問題を解いていき、それらすべてで失敗してもかまわない。ただ、最後に、本番に大成功を収めさえできればそれでいい。」成績もこの頃を境に、また上がり始めました。ただこれが前とは違うのは、それが自己満足や悪いプライドに変わったりしなかったということです。家族も、どんなときでも、自分たちができる最善を尽くしてくれました。総じて見ると、辛い事のほうが多かったけれど、この1年間は僕の宝物です。そして、入試当日、いろんな人への感謝と、応えたいという思いが自らを奮い立たせてくれました。結果、最後に大成功した僕に今、心残りはありません。きっと、この1年で、僕は大きく成長できたし、やるだけの受験をせずに済んだと思います。ただ、この合格はあくまでも通過点です。これから先も、行きたい大学や、就職先へ行き、そこでやりたいことができるように、必死に楽しく生きていきたいです。失敗を糧にできる人間でありたいです。

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大垣北高校 合格
相崎 有紀
赤坂校
赤坂中学校

岐阜模試を解き直した効果はすごかった。

 僕が志門塾に入ったのは小学校6年生の時の中学準備講座です。その時からそれなりの点数はとれていて、中学校に入ってからも学年での上位はキープできていました。そのため、自習室にもほとんど行かなくなり、天狗になっていました。そのうち、2年生になってから点数が下がり始め、授業がわからなくなりました。僕はそれを塾のせいにして、志門塾をやめました。しかも、志門塾での勉強は多すぎてやりきれるわけがないと思い込み、宿題もろくにやっていませんでした。しかし、今までやってきた学習がどれだけ効率的だったか、その後よく分かりました。そして、僕は志門塾に戻りました。
先生との面談を行い、その時先生に言われた言葉は「本人が頑張らなければ意味がない。」でした。それまで僕は塾やまわりが悪いと、無意識に思い込んでいました。しかし、考え直してみると、自分は目的のために全く努力していなかったことに気がつきました。それから、相変わらず自習室には行かなかったけれど、授業や出された課題には一生懸命取り組むようにしました。そのおかげかそれから点数は上がり始めました。
3年生になって本格的に受験に向けた対策講習が始まりました。今までより勉強の時間や量はかなり増えて、やる気が失せた時もありました。それでも、先生の「自分が頑張らなければ意味がない。」という言葉で乗り切り、課題も必ずこなすようになりました。受験まであと半年位になった時、点数が上がらなくなりました。受験に近づくにつれて、自習室にも毎日行くようになっていたけれど、手応えはありませんでした。その時先生と面談をしました。そこで気がついたのは今まで自分が本気で苦手潰しをしてこなかったということです。基本は分かっていてもどこかあやふやで、そのままにしていました。ずっとその状態で何とかなってきていたせいで苦手をあぶり出すことが難しく、何から始めていいか分かりませんでした。先生のアドバイスで、岐阜模試の見直しを始めました。すると、今まで間違えていた部分は、自分の勘違いのせいだったことに気が付きました。それから、点数が劇的に上がったわけではないけれど、安心してテストが受けられるようになりました。
進路選択の時期になって、とても迷うようになりました。兄が進学し、ずっと憧れてきた高校は、自分の成績では少し難しいレベルでした。自分が志望校のレベルを下げるか迷っている中で、友達はどんどん結果を出していて、僕はとてもあせりました。その後、なんとか合格ラインには追い着いたけれど合格の確率は五分五分で、決め切れませんでした。そんな時、先生は、「行きたいなら行け。」と言ってくれました。その言葉で、「後悔のないようにしよう」と思い切ることができました。そうして入試を迎え、合格発表を待つ身となりました。僕はまわりが騒ぎ立てる程不安ではありませんでした。なぜなら志門塾に戻ってからずっと、人に頼り切りにならず、自分自身でも努力してきたという自信があったからです。当然自己採点でいくつもミスは分かっていて、点数も予想通り合格ラインギリギリでした。それでも後悔はありませんでした。 合格発表で自分の受験番号を見つけてやっぱりうれしくなりました。同時に今まで支えてくれた親や先生への感謝の気持ちが湧いてきました。

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東濃学区

多治見北高校 合格
渡邉 梓
多治見駅前校
小泉中学校

11月からの遅いスタートだった。

 私は中学3年の夏から志門塾に入りました。それまで塾に通ったことがなく、学校以外のテストも受けたことがなく、受験勉強なんてものも全くしていませんでした。それでも、中3の秋までは受験でも通用すると思っていました。しかし、塾に入って周りの子たちの学力に圧倒されたのと同時に、自分は中1・2のことをほとんど忘れていることに気づきました。あのときのことははっきりと覚えています。塾のテストではほとんどの教科が50点以下。図形の定理も忘れ、得意だと思っていた英語もボロボロ。今まで中学校では成績が良かっただけにとてもつらく、泣きながら帰ったこともありました。そんな私の姿を見て、両親は村瀬先生に相談に行ってくれました。「娘に北高はやめた方がいいのではないか」「私立の単願にした方がいいのか」そんな弱気の発言をする両親や私に、「絶対に受かりますから任せてください」と言っていただき、アドバイスももらいました。それから、私はようやく本気で前向きに頑張ろうと思い、『北高に絶対行く!』と心に強く思いました。11月からの遅いスタートでした。
 私は数学が苦手で何とかしなくてはいけないと思い中1の教科書からやり直しをし始めました。今まできちんと理解していなかった部分のテキストを必死でやり始めました。岐阜模試での合格可能性の判定もD・EからBまで取れるようになりました。そして入試本番。とてもリラックスして受験をすることができました。数か月前まではほとんど受かることの難しかった多治見北高校に無事合格することができました。これで、憧れだった多治見北高校へ行くことができます。
 志門塾の先生方には、とても感謝しています。いつも笑顔で迎えてくださり、私の初歩的な質問にも快く答えていただきました。なんだかんだ言ってもとても楽しい塾生活だったと思います。それからママ、パパ、そして妹ののんちゃん。たくさん相談にのってくれたり、ばかなことを一緒にしてくれたり…本当にありがとう!
 最後に、北高に行きたいと思っている人はぜひ志門塾に来てください。ハイレベルな友達と、面白い先生が待っています。苦しんだり、悩んだり、迷ったり、親に迷惑をかけたりすることが受験だと思います。私と同じように、苦しんで、成長し、多治見北高校へ来てください。そして小泉中出身者として一言。まだ小泉学区には志門塾はあまり広まっていないようですが、志門は本当に良い塾です!一つの教室の人数は少ないですがとても良い刺激が受けられます!今年4月から小泉校が開講されるようですね!後輩が増えることを楽しみにしています!

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多治見北高校 合格
青山 茜音
多治見駅前校
陶都中学校

自分で大きな決断をして成長できた受験。

 私は受験があったおかげで、自分で大きな決断をして成長できたと思います。私は、願書の提出まで多治見北高校にするのか多治見高校にするのかでずっと迷っていました。点数が伸びなくて不安になって多治見高校を志望校にした時もありました。親とも多く話をし、喧嘩もしました。今思えば、その時すでに多治見北高校に行きたかったんだと思います。多治見北高校に、決めてからは、頑張るしかありませんでした。
 入試本番は緊張せずに受けることができました。しかし、合格発表までの1週間は、遊んでいても、何かをやっていても合格発表のことが頭から離れず、緊張していました。発表の時には、私より先に母が私の受験番号を見つけてくれました。その時初めて、母も私と同じように緊張して発表を迎えたのだとわかりました。自分で決めて、自分だけが頑張っているように見えていましたが、親は、私のことを支え続けていてくれたんだと気づきました。本当に親には感謝しています。私にとって、初めて自分と向き合い、自分に正直になって進んだ経験であり、周りに支えられていることを実感できた受験だったと思います。

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多治見北高校 合格
半田 舞
多治見駅前校
陶都中学校

「目標は書いた方がいい」の言葉から始まった。

 本当に受験に向けて頑張ったのは、冬からだったかもしれません。塾に掲示してあったフィギュアスケートの羽生選手の言葉で本気になることができました。その言葉は「目標は書いた方がいい」です。実際に書いて、はじめて本格的な受験勉強が始まった気がします。
しかし、実力テストでも岐阜模試でも成績は思うように伸びませんでした。私は自信を無くし志望校を変えようと考えたこともありました。家族や塾の先生と何度も相談をしました。最終的に、自分の行きたい高校が決まりました。そのときから、分野別問題集や今までの岐阜模試を何度も繰り返し解きました。自習室にも通いました。頑張っている友達を見て、自分も頑張ろうと思いました。
受験前はそれほど緊張しませんでした。受験が終わって発表までの1週間が最も緊張しました。何も手につかない日が続きました。自分がオーバーしている人数の方に入ってしまっているんじゃないかとか色々なことを考えていました。
合格発表。うれしくて号泣しました。母も泣いていました。本当にうれしい瞬間でした。今までの努力が実ったんだと実感しました。私を支えてくれた両親に一番感謝しています。ありがとう。
これからの高校生活は、苦しいこともいっぱいあると思いますが、楽しみながら、精一杯頑張りたいと思います。

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多治見北高校 合格
加藤 悠夏
多治見駅前校
陶都中学校

問題を解くたびに自分の苦手分野がわかった。

 私は、中学3年生の夏に志門塾に入塾しました。きっかけは親のすすめです。それまでは、自分で勉強していたものの、テストの点数は思うように伸びず、受験勉強も漠然としていて、何をどのように行えば良いかわかりませんでした。しかし、志門塾に入塾して驚いたのは、勉強時間の長さと膨大な量の問題、そして、先生が教科に関係なく質問に答えてくれることです。問題量は他の塾に比べても、本当に多くて、行きたくないなと思ったこともありました。しかし、先生や仲間たちがいてくれたから、受験を乗り越えようと思えました。
 入試まで1か月を切ったころに行われたプレテストで400点を超えられず、くじけそうになりました。(たぶん塾に入っていなかったら、志望校を変えていたと思います。) でも、先生との懇談で、私の苦手を的確に教えていただき、「ココとココを詰めていけば大丈夫」という言葉を村瀬先生から聞いた瞬間、「絶対に受かるんだ!」という気持ちに再びなりました。それからは、徹底して問題を解きました。解くたびに、自分の苦手な分野がわかりました。入試の1週間前は、一人になると不安になりました。でも、そんなときに、自習室がずっと開いている塾は本当に心の支えになりました。
 入試は、学校ごとに受験番号が並んでいたため、友達と励ましあいながら受験しました。
 合格発表の日は寒かった。合格者の掲示板からブルーのシートがとられた瞬間、歓喜の声を上げ、友達と抱き合い、涙があふれてきました。合格した瞬間のことを今でも忘れません。今まで頑張ってきて本当に良かったと心から思いました。あきらめなくて、くじけなくて本当によかったです。両親、塾の先生、塾の仲間に感謝しています。

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多治見北高校 合格
糸井 梨湖
京町校
南ヶ丘中学校

諦めてしまったら、そこで可能性はゼロになる。

 私が志望塾に入ったのは、3年生の12月の頃でした。その時の私は、多治見北高校を受験するかしないかで迷っていました。受験して受かるという自信がないため、覚悟を決めることができなかったからです。だから、自分に自信をつけるために冬期講習と直前講習を受けることを決心しました。塾に通い始めてから、特に心に残っていることが2つあります。1つは、直前講習です。テストよりも授業が楽しかった私は、毎回テストを行って順位づけさせる講習に、受験の厳しさを学びました。納得のいかない点数ばかりで、正直辛くて塾に行きづらいこともありました。でも、今となっては講習を受けて本当に良かったと思っています。2つ目は、仲間との教え合いや先生の授業です。京町校のメンバーは、皆優しくて、途中から入った私にも親切で、分からないことを教えてくれました。先生は、歴史の並びかえが苦手だった私に、順を追って説明してくださったり、プリントを用意してくださったりと様々な面で救ってくださいました。
私が志望校に合格できたのは、私に自信をつけてくれた塾の仲間、そして先生のおかげだと思っています。受験で悩むことはたくさんあります。でも、諦めてしまったら、可能性はゼロになってしまいます。だから、一つ一つの事に真剣に向きあって、この先自分にとって自信となって返ってくるように精一杯取り組んでほしいと思います。

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多治見北高校 合格
武田 賢斗
京町校
南ヶ丘中学校

自分だけでは作り出せなかった必勝プラン。

 僕は志門塾京町校ができた時に入塾しました。新しい建物の独特なにおいがする時から勉強してきたことを今思うとこの校舎との日々がなつかしく思い出されます。
僕は新鮮な真っ白な校舎の中で2年生の夏期講習から始めました。その後eトレに入り3年生にはeトレをやめ5教科7科目に入りました。先生は質問をするといつも例えを使って説明し、おもしろいことを言いながら様々なことを教えてくれました。僕は2年生から3年生に進む時に数検を受けましたが、ユニークそしてたよりになるがんばり屋の先生がいたからこそ合格できたと思っています。
なにこれしている内に3年生の夏になっていました。先生は入試に向けての心構えをいつも教えてくださり、自分だけではきっとつくり出せなかった早めの入試に向けた心構えができました。その後にあった正月特訓などは自分に向上心を与えてくれました。
高校に合格できた時、大きな達成感がありました。みんなと共につくった力でこれからの生活に臨んでいきます。

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滋賀エリア

彦根東高校 合格
西川 弘騎
彦根校
彦根中央中学校

たくさん悩んだ、たくさん励まされた。

 僕は中1の春期講習から、志門塾彦根校に入塾しました。まだ中学生にもなっていないこの時期に、高校受験について考えていた…なんてことがあるはずもなく、初めて行く塾という場所に心の中には高揚感ばかりがありました。
そして中学生になって初めて受けた1学期中間テストでは、450点を越すことはできなかったけれどとても高い得点を取ることができました。中学校の3年間の定期テストでは結局あの点数を越すことはできませんでした。中学1年生では途中まで400点を越えていましたが、3学期学年末テストで初めて400点の壁を越えることができませんでした。この頃の僕は、400点ならきっと越えられるはずだと思い続けていましたから、この点数を知った時は、絶望するのと同時に親にしかられてしまうとその事だけを考え続けていました。しかし、その頃はネガティブになっていた僕も、日が経つにつれて、この気持ちを忘れていってしまいました。その結果、僕は中学2年生では400点以上の点数を取ることができませんでした。しかし、この気持ちは中学3年生のガイダンスで受験についての話を聴いてから変わっていきました。
話は変わりますが、僕には来年度から高校3年生になる兄がいます。兄は中学3年生の頃彦根東高校に行くために必死で勉強していました。そんな兄の姿を見て僕も彦根東高校に行きたいと思い始めていました。
兄の合格発表の日、兄の結果は残念なものになりました。僕は耳を疑いました。兄は毎日勉強を頑張っていて、それこそ僕が受験勉強をしてきたのなんて足元にも及ばないぐらい頑張っていましたから驚くに決まっています。
だから、僕はガイダンスの時にあんなにも頑張ってきた兄にできなかったことを僕に達成することができるのかという思いと、このままの僕ではダメだという思いがありました。そして、僕はいままで以上の勉強をしていきました。その結果定期テストで400点を越すことができるようになりました。1学期の通知票が返される日、僕は内申がどれくらい上がっているのかにワクワクしていました。しかし、内申はほとんど変わることがなく33でした。これを見た時僕は、「400点ってなんだろう、400点を越すために頑張ってきた努力は無駄だったのだろうか。」と、悩み続けました。そして悩み続けたまま僕は、勉強を続けていきました。
2学期の通知票の返却日、内申は結局のところ変わることはありませんでした。33という内申は彦根東高校を受ける人にとっては低いレベルで、実力テストの点数も、V模試の偏差値も低い僕はそのまま不合格の確率の方が高い彦根東高校を受けるのか、ほとんどの確率で合格できる米原高校を受けるのかを考え続けていました。この2つの選択肢で僕はそのまま彦根東高校を受ける方を選びました。
結果的に僕は、合格することができました。自分の受験番号を見た時、合格したことに安堵する気持ち、本当に合格しているのかどうかを疑う気持ち、僕なんかよりも頑張っていた兄が合格できなかった高校に合格したという申しわけない気持ちが頭の中をぐるぐる回って微妙な感じで笑うことしかできませんでした。
高校受験という経験は自分が非力であることや、周りのみんながどれほど自分を励ましてくれたかを考えさせてくれました。
現在中学2年生の人はもうすぐ中学3年生になり受験について考えて様々な事にいらだちを覚え、悩み続けることになると思います。でも周りには自分の事を真剣に考えてくれる家族や塾の先生がいることを思い出して、諦めることなくこれから1年間を良いものにできるように過ごしていってください。

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彦根東高校 合格
大橋 吟次
彦根校
彦根中央中学校

自分を成長させてくれた受験に感謝。

 私の受験は中3からはじまった。村山先生から「1発目が1番大事や。」と言われ続けていたこともあり、中3最初の中間テストまでは、毎日23時ぐらいまで勉強した。その結果、点数は驚くほど上がり、少しの努力でこれほどまでに点数が上がるものなのかと感じ、受験に向けてのいいスタートがきれた。
そして、時は流れ、勉強の夏が来た。日々勉強づけの毎日だった。毎日平均9時間ほど勉強した。毎日1日の大半を勉強に費やしていたが、不思議と充実していた。夏休みも中盤に差しかかった頃、不安を抱きながらも楽しみにしていた、お盆特別合宿を迎えた。合宿1日目、私達は4日間を共に過す仲間と共にこもれびの家へと向かった。そしてこもれびの家で、「この4日間の内に、トライアル100で、合宿メンバー平均で80点を出そう。」という目標を聞いた。その時私は、「平均80点ぐらい余裕やろ。」というように考えていた。しかしこの考えは甘かった。トライアル100とは毎朝行われる基本確認テストのようなものなのだが、初日の平均点は、80点に遠く及ばなかった。そうして合宿1日目は終了していった。合宿2日目、朝は6時起きだ。起きたらすぐに自習を始める。そしてトライアル100を行い、その後しばらく歩いて、レストランへ朝食を食べにいく、その後帰ってすぐ授業…。朝から晩まで勉強した。
合宿3日目、前日も平均80点に及ばず、私は2日目の夜、皆が寝てからも勉強した。朝も早くから自習した。しかし、3日目の平均点も80点に及ばず、自分の点数も、80点には及ばなかった。そんな結果もあって私は、「自分がみんなの足を引っ張っている。」という気持ちになった。それは本当に辛かった。自分がいるから、みんなが目標を達成できない。辛いだけじゃない、悔しかった。私は合宿が始まる前、トライアル100の勉強をしなかった自分の事が憎くて憎くて仕方がなかった…。3日目の夜、決断式が行われた。そこで明日こそは目標を達成しようと決意した。
合宿最終日、平均点80点を超え、ついに目標を達成した。その時の感動は今でも覚えている。うれしさのあまり涙する人もいた。その時私は、初めて勉強は楽しいと感じた。「みんなで一生懸命努力して、目標を達成することは、こんなにもうれしいことなのだということを学んだ。この体験は本当にいい経験となった。そして、この合宿で良い刺激を受けた私は、彦根東高校を目指すことを決意した。
そして2学期が始まり、あっというまに時は過ぎ正月特訓を迎えた。元旦から、3日間連続12時間勉強した。その頃に、急に英語ができるようになった。これはとてもうれしかった。正月特訓後は、数回の模試の結果に一喜一憂しながら勉強を続けた。倍率がどうであろうと、私には関係なかった。もう彦根東高校以外を受験するという選択肢は私にはなかった。3年間を支えてくれた家族や祖父母や先生達に私ができる最高の恩返しは、彦根東に受かることだと感じていた。「彦根東に受かってみんなを喜ばせたい。」その一心だった。
受験後、あまり不安はなかった。なぜなら自分がしてきた努力の量に自信があったからだ。そして発表日、ボードに「388番」という自分の番号を見つけたとき、自然とガッツポーズが出た。自分の合格を知った家族や祖父母や先生が喜んでくれる姿を見て、自分のやってきた事がすべて報われたような気がして本当にうれしかった。受験は人を成長させる…。だからこれから受験を迎える人達は、受験に一生懸命になってほしい、そしてたくさんの事を感じ学んでほしい。僕は受験を通して、誰かのために努力することの素晴らしさを学んだ。この高校受験は本当にいい経験となった。私は私を成長させてくれたこの受験に感謝したい。

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長浜北高校 合格
久保 華梨
高月校
湖北中学校

行くなら上を目指せ!志望校を変えてよかった。

 私は、志門塾に入る前は、長浜北高校ではなく、余裕をもって受験ができる高校にしよう。と思っていました。自分は大学に入ろうなどと悩んだこともないし、普通に高校生活を送ることができれば良いという考えでした。
中学1年生のときには受験なんてまだ先のことだから、今、特別勉強しなくても良いと思っていたのもつかの間、本当にあっという間に受験生になりました。まわりの人たちがどんどん勉強に集中している中での生活は、自分がダメな奴だと思い知らされるものでした。ただ思い知っても自分にはどうすることもできず、一人で勉強しても続かない、と思っている時に父から志門塾の夏期講習をすすめられました。勉強を強制されているように感じるのが嫌だと思っていましたが、志門塾の授業を受けると意外とやれるかもしれないと思いました。復習といっても簡単でわかりやすい授業をされていて、今まではなかなか覚えられずわからないと切り捨てていたことも、頭に入ってきました。学校の授業よりは少し長い時間勉強しているのに授業の時間はほとんど気になりませんでした。もちろん先生たちのわかりやすくおもしろい授業もそうですが、せめて授業中だけでもまじめに取り組もうという自分の意志のおかげでもあったのかなと思いました。集中して勉強するのは普通のことだけど、やっぱり過去の自分と比べると集中力の違いが大きいです。どれだけ先生の教え方にわかりやすさの違いがあっても、理解しようとするだけでこんなに違うものなんだとすごく感じました。
志望校を変えたのは、香田先生に「もっと上を目指して勉強してみたら。」と言われたことが一つのきっかけでもありました。その時まで、志望校を変えるというのは考えてもおらず、ただ成績が上がれば良いと思って勉強をしていました。長浜北高校は進学校なので大学へ行きたい人が行くもので、将来について何も考えたことのない私がたとえ入ったとしても、何もできずに終わるだけだと思いました。ただ、入っても何もできずに終わると思っている限り、他の高校に入ってもまったく同じなのではないかと考えました。行くなら上を目指したほうが、もし高校生になって夢ができた時、とどまらない道を選択できるかもしれないと思い、志望校の変更を決意しました。香田先生にはまだ上も行けると言われましたが、V模試の判定もあまり良くなかったので自信がなく、その言葉に答えられなかったのが少し後悔してしまったことです。ただ、合格してはじめて、志望校を変更したことが良かったと思っています。
自分に自信をもてず、かといって特別な努力もせず、立ち止まっていた私に、いつも声をかけてくれた両親や祖父母にはすごく感謝しています。合格を喜んでくれて本当にがんばってよかったと思います。あの時、もう少し努力をしていたら、という後悔はもちろんあります。でも、自分とそのまわりの人たちの協力で、夢にまで見た合格という文字をつかむことができたことが本当にうれしいです。長浜北高校は英語を重視しているから、英語を理解するよう努力しよう。部活で思い出ができるよう努力しよう。新しい友人たちと一緒に笑顔でこの学校に入って良かったと思えるように努力しよう。今までしてこなかったことを後悔しているなら次は絶対にやろうという意欲を持って、高校生活を送りたいと思います。コツコツカツコツ。志門塾でたくさん学んだこと、家族からたくさん学んだこと、学校から、友だちからたくさん学んだことがありました。本当にありがとうございました。

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虎姫高校 合格
野村 将哉
高月校
高月中学校

大切な人達のサポートなしには合格できなかった。

 「将哉、受験までに必ず自信をつけさせてやるからな!」
香田先生が僕に約束してくださったこの言葉、今でもしっかり耳に残っています。当時どうしても自信が持てない僕でしたが、高校受験に向かって、力強く大きな一歩を踏み出せました。
僕は、中学3年の夏から志門塾に入塾しました。部活を引退するまでは、大好きなテニスに没頭する毎日でした。引退後、「いよいよ受験に向けてスタートだ!」と気合いを入れてみるものの、僕の気持ちは完全に空回りでした。日々、努力の積み重ね。コツコツと受験勉強に取り組まなくてはならないとわかってはいるが、実際、何をどうすればいいのかわかりませんでした。このままでは、皆と差をつけるはずの夏休みが、何もしないまま終わってしまう。僕は、このとき初めて「焦り」を感じました。そして、「受験生」という自覚を持ったのでした。
夏休みは、午前は自習室、午後に夏期講習を受け、ひたすら勉強しました。お盆特訓にも参加しました。電車に乗って近江校まで行くのは大変でしたが、他の校舎の塾生さんたちと勉強できたことは、とても刺激になり、僕の心に競争心が芽生えました。 僕は、いつも「文武両道」を合言葉に、部活動と勉強の両立を頑張ってきました。高校でも大好きなテニスを続けたいと思っていました。そんな時、虎姫高校のテニス部がインターハイに出場し、活躍されていることを知りました。先輩も「待ってるから、頑張って来いよ!」と励ましてくださいました。僕も、虎姫高校に入学してテニスがしたいと強く思いました。早速、夏休み中の体験入学に参加しました。虎姫高校の合言葉も「文武両道」でした。とてもさわやかで、心落ち着く雰囲気。僕は、迷わず「虎姫高校」と決めました。
2学期に入り、香田先生にお誘い頂いて、夏期講習に引き続き、通常授業も受けることにしました。僕は内気なところがあるので、集団授業の塾が苦手でした。正直夏期講習を受けることも少し不安でした。でも、だからこそ、大勢の中で刺激を受け、緊張感を持ち、切磋琢磨することが今の自分には必要であると感じました。
香田先生は、授業で発表する機会をたくさん与えてくださいました。僕は、珍解答をしてしまうときや、答えられないときもありました。初めは恥ずかしかったけれど、後に、こういうときの問題こそ印象に残り、確実に覚えられ、解答できるようになるのだということがわかりました。僕は志門塾の授業で鍛えてもらい、学校の授業でもどんどん発表するようにしました。香田先生に「2学期は内申点を上げられるだけ上げよう。」と言われていた通り、満足できる内申点となりました。この頃から、僕は少しずつ自信がもてるようになりました。
そして3学期。僕は冬休み中、正月特訓を受けました。正月特訓では、自分の苦手分野を徹底的に勉強しました。とにかくコツコツ頑張りました。模試や学校の実力テストでの成績も上がり、僕の「不安」は「自信」へと変わっていきました。そして、自信を持って受験に臨むことができました。
僕が高校受験を終えるまで、どんな時も僕のことを最優先に考え、全力でサポートしてくれた両親と妹。僕は家にいると、とても心が落ち着きました。「笑顔で春を迎えるのか、後悔の涙で春を迎えるのかは将哉次第。」と、いつも僕の心に寄り添い、優しく見守り続けてくれた両親に、心から感謝しています。僕は、僕に関わってくださった全ての方のおかげで、「合格」を手にすることができたと思います。これからも、人との出会いやつながり、絆を大切にし、感謝の心を忘れず、日々コツコツと努力していきます。志門塾の先生方、仲間、そして香田先生に出会い、自信を持たせてもらったこと、たくさんの大切なことを学ばせてもらったことに、心から感謝しています。本当にありがとうございました。

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米原高校 合格
宮森 花菜
近江校
双葉中学校

志門塾があっての今の私。塾生で本当によかった。

 私が志門塾に入塾したのは5月のはじめの頃でした。校舎長の清水先生は、「頭がいいだけの嫌な人になるな」「いい人になれ」と、常におっしゃっていました。自分自身がその「いい人」になれたかはわかりません。しかし、この1年で私は、あきらめないことの大切さや、人に感謝することの大切さを学びました。それは、ここに通わなかったら学ぶことができなかったと思います。勉強の面でも普段の生活の面でも、壁にぶつかると私はいつも言い訳をして逃げていました。ですが、先生の「できないものをそのままにしていたら進めない」という言葉に背中を押され、少しずつ困難を克服できるよう努めました。私は理数系が苦手だったので、計算問題などをもう一度丁寧に勉強しました。すると計算ミスなどが一気に無くなって、点数も上がりました。このことから、先生のおっしゃるように、苦手だからと背を向けるのではなく、苦手だからこそ突き進まなければ成長しないのだということを強く実感しました。何事に対しても逃げ腰になっていては、得るものは何もないと思います。
もしも私が志門塾に通っていなかったら今頃どうなっていただろうと考えます。きっと人に言われなければ行動できない駄目人間になっていたと思います。志望校も今と違っただろうし、自分の納得する結果を迎えることもなかったと思います。私はこの塾に通えて本当に幸せでした。
2月の特色選抜では、自分の甘さを知ることができました。合否を聞いたときは本当にショックで、友人の合格も心から喜ぶことはできませんでした。悔しくて泣いてしまった私に、先生は「泣けるほどがんばったんだからすごい」とおっしゃいましたが、私は「受かってないんだからあのがんばりは無駄だった」としか思えませんでした。しかし、あれだけがんばって、悔しかったからこそ一般に向けてふんばれたし、むしろ自分はまだまだやり切れてなかったのだと今は思います。
私の両親は、今まで私に一度も「勉強しなさい」と言ったことがありませんでした。高校も好きなところを選ばせてくれ、塾でお金がかかっていることも私の前では口に出さないようにしてくれました。けれど、私は両親に対して冷たい態度をとってばかりいました。試験の前日、私は親に面と向かってお礼を言いました。母は「お母さんは当たり前のことをしてるだけやで」と言ってくれました。合格を伝えたときも、家族はとても喜んでくれました。そのとき、私は自分がどれだけ恵まれていたのか気付くことができました。もしも志門塾に通えていなかったらそのことに気付けなかったと思います。私は志門塾の塾生で本当に良かったと思います。これからも、ここで学んだことを忘れず、さらに成長していきたいです。

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米原高校 合格
鹿取 翔子
近江校
河南中学校

塾の先生の言葉を信じ、挑んだ受験。

 中学校3年生になって周りの友達が志望校の話しをしている中、私はまだ志望校も決まらず、勉強もやる気がでませんでした。そんな時塾の先生が「米原高校を目指せばいいじゃないか?」と言ってくださいました。無理なら無理でいいからやれるとこまでやってみようと思い、初めて志望校が決まりました。志望校を決めると、目標も持つことができるようになり、期末テストで今までなかなかとることのできなかった点数をとることができました。その時私は心からうれしいと思え、さらに志望校目指して頑張りたいという思いを持つことができました。それらの出来事もあっという間に過ぎていき、夏休みに入り夏期講習やお盆特訓がはじまりました。夏期講習は夏休みの間はほぼ毎日のようにあり、夏休みの間で300時間勉強するというのが目標となっていました。3日連続で講習があった時は正直キツいなと感じていました。しかし志門のみんなも一緒になって同じ教室で頑張っていたので、私もあきらめないで頑張ることができました。
夏期講習が終わった後に志門塾内でのテストがあり、私はそこで前回のテストよりも106点伸ばすことができました。その時私は、夏頑張ってよかったなと思うことができました。志門塾のおかげでとても充実した夏を送ることができました。2学期になって初めての実力テストでは前回よりも50点以上伸びていて、この調子で頑張ろうと思えました。しかし9月頃に行われた塾の模試で米原高校がCという判定を受け、私はとても落ちこみました。その模試は去年の入試の形式に合わせたものとなっていたため、とても難しく、私には米原高校は無理なのかもしれないと思いました。しかし清水先生は私が今回のテストで足を引っぱったところをしっかり指摘してくださり、次のテストにつながるようなアドバイスをしてくださいました。そこで私はそんなにすぐにA判定にならなくてもいいから、あせらずに一歩ずつ進んでいこうと思うことができました。
私の受験期間の中で最も辛かった時期は特色選抜の結果発表が終わった頃です。学校の半分の人の進路が決まっていたため、学校に行くのが嫌になった時もありました。でも塾に行くとそんなことも忘れることができて、とても安心できる場所となりました。不合格を人生の中で初めて体験してこの先がとても不安になりました。特色が終わった後の倍率を目にした時私は大きな岩が頭の上に落ちてきたような感覚になりました。志望校変更を考えていた時に清水先生から「あなたなら絶対にいける」と背中を押してくださり、私はその言葉を信じて変更することなく受験しました。受験当日はとても緊張し、いつもの力が出せないとあせっていましたが、受験が始まると共に緊張がほぐれていきました。受験が終わった時私は、悔いの残らない受験ができてよかったと心の底から思うことができました。
私の合格は周りの人の支えによってつくられたものでもあり、この1年間私は多くの人に支えられてきました。塾がある日は毎日送り迎えをしてくれた父、1日塾に行く日にいつもお弁当を作ってくれた母、私の進路について真剣に話をしてくださった清水先生、とても分かりやすい授業をしてくださった落合先生、私たちのために分かりやすい対策のプリントを作ってくださった佐々木先生、チェックノートで毎回励ましのコメントを書いてくださった土屋先生、特色で落ちた時に励まし合ったり、笑わせてくれた塾の仲間、学校で相談に乗ってくれた友達。本当に感謝してもしきれません。この感謝の気持ちを忘れずに、そして、この受験が無駄なものにならないように高校でも頑張っていきます。

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虎姫高校 合格
西田 龍馬
長浜校
長浜北中学校

知識だけでなく、人と人との繋がりの大切さを学んだ。

 僕が志門塾に入ったのは中学3年生の夏でした。理由は焦りからでした。それまで勉強を全然していなかった僕は、絶対行きたくないと思っていた塾に入ることになりました。夏休みなのに朝早くから講習をうけて、午後からは自習室で自習。そして夜また自習室で自習。1日のほぼ全てを勉強に費やしました。しかしこの時点ではまだ目標がありませんでした。明確な目標ができたのは、お盆合宿に行ったときです。合宿に参加しているメンバーは全員目標に向かって頑張っていました。それを見て僕も目標を立てようと思いました。立てた目標は特色選抜での虎姫高校合格。明確な目標ができたことにより、さらに頑張ることができました。合宿はとてもハードでした。朝5時から夜11時まで勉強という鬼のようなスケジュールでした。しかし仲間がいたからふん張り、頑張れました。仲間と立てた合宿の目標を達成できたときとてもうれしかったです。とてもハードな合宿でしたが、楽しかったと思えるくらい充実した日々でした。
合宿後も勉強を続け、特色選抜のための講座も受けました。今までの人生の勉強量の2倍は勉強したと思います。勉強するとどんどん成績が良くなりました。それがうれしくてさらに勉強しました。いつしか僕は勉強を楽しいと感じるようになりました。 いよいよ特色の倍率も発表され本番の日が近づいてきました。特色の倍率を見ても何とも思いませんでした。ただ今までやってきたことを全て出し切ろうという思いがあるだけでした。特色の結果は合格。今までの努力が実を結びとてもうれしかったです。
今の自分があるのは僕を支えてくれた人がいたからです。木村先生をはじめ志門塾の講師の方々、家族、多くの仲間。誰か一人でもいなければ、今の自分は存在しなかったでしょう。いつも背中を押してくれた先生方、仲間であり好敵手でもあった同級生、大きな負担を背負ってくれた両親に感謝を。知識だけでなく人とのつながりの大切さも学んだ受験でした。僕に関わってくださった方々、本当にありがとうございました。
後輩のみなさんへ。まず目標を作ることをおすすめします。目標があるのとないのでは頑張り方に大きな違いが出ます。それと自分の意志で選択しないと後悔するということを覚えておいてください。最後にできれば合宿に参加した方がいいと伝えておきます。合宿への参加は僕の人生において最良の選択だったと断言できます。だから、合宿には参加した方がいいと思います。最後まで諦めない人が勝利します。忘れないよう1年間頑張ってください。

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虎姫高校 合格
渡邉 聖佳
長浜校
長浜北中学校

「第一志望は譲れない」という強い気持ちがあった。

 私が受験勉強を始めたのは、中学3年の夏休みでした。それまでは、部活が大変であまり勉強をがんばることができませんでした。私が受験勉強をやる気になったきっかけは、お盆特別合宿に参加したことです。学力を伸ばしたいと思い参加しました。しかし、合宿の日までに大量の課題があり、部活を引退したばかりで周りのみんなが遊んでいる中、課題に追われる毎日でした。何人もの友達の遊びの誘いを断り、必死で課題を仕上げました。合宿の課題をするとともに夏期講習のテキストを同時進行で進めていくのはとても大変でした。
そして、合宿の日がやってきました。周りのみんなは賢い人達しかいなくてとても不安でした。毎朝5時には起きないといけないし、夜は11時まで授業で今までにないくらいに勉強しました。毎朝行うトライアル100では目標点数を目指しみんなでがんばりました。そのプレッシャーがこわくて帰りたいと何度も思いました。でも、一緒にがんばっている周りの友達との楽しい時間があったからこそ最後までがんばることができました。最終日に全員で目標を超えることができ、とてもうれしくて涙があふれました。私たちだけでなく先生が涙を流している姿を見たときがんばって良かったなと思いました。こんなにも私たちのことを思ってくださる先生方や、塾に通わせてくれる両親のために絶対合格しようとこの合宿で決めました。
ついに受験勉強のラストスパートの時期に入りました。正月特訓では苦手教科を得意教科に変えようという気持ちで挑みました。朝から最終の時間まで3日間とも塾にこもって勉強しました。正月にどこにも遊びに行かないのは初めてでした。年が明けてから日が過ぎるのはとても早かったです。最後のV模試は前日から緊張して不安でいっぱいでした。この結果が悪かったらどうしようとか、志望校に行けるかななどいろんな感情がこみあげてきました。でも、虎姫高校にしか行きたくないという気持ちを胸に最後のV模試を受けました。結果は、今までよりも一番良い結果で自信をつけることができ、受験の日までひたすらがんばり続けました。
第一志望校に合格した時、達成感と感謝の気持ちでいっぱいになりました。夏からがんばってきてよかった、あきらめずにここまでやってこれてよかったと思いました。そして、ここまで成長させてくださったたくさんの先生方、いつも懇談で励ましてくれた木村先生、そして何より陰でずっと支えてくれていた両親に感謝したいと思いました。周りの支えがあったからこそがんばれたと思います。本当にありがとうございました。

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